今週末、岡田八幡神社正月祭と元町吉谷神社正月祭が行われていたので見に行ってきました。
2つとも、東京都の無形文化財に指定されている、伊豆大島を代表するお祭りです。
昨日は、岡田八幡神社へ。
このブログにも何度か登場しているお祭りですが、今年はこの地区に住むジオガイドのKさんが資料を用意し、ガイド仲間に説明をしてくるとのことで、楽しみにしていました。
数10万年前に活動していた古い火山の海食崖が、天然の良好を作った岡田港。

駐車場から見ると、崖と崖の間の谷を伝って溶岩が海まで流れ、岡田港の地面を作ったことが想像できます。
Kさんからいただいた資料には「岡田村は江戸初期に親村である元町の避難港として創村開港した」と書かれていました。そしてこの地に伝わる「天古舞」という有名な踊りも「江戸初期に完成されたと言えるだろう」とのこと。
数日前の八幡神社。周囲を崖に囲まれた場所にお社が建っています。

昨日はKさんの案内で、お社の奥へ・・・
斜面を流れた溶岩を少しどけて神社を作っただろうとのこと。

一部石垣で補強されていますが、溶岩流の断面がそのまま残っている場所もあります。伊豆大島の火山地質図には年代は載っていないのですが、何年ごろに流れてきた溶岩なのでしょうか?(いつか調べてみたいことの1つです)
祭典は「警固出礼」「鳶引き」「看板」「手踊り奉納」「天古奉納」の順で行われます。
こちらは警固役の方の、挨拶の様子。

警固役は祭りの間中、一切口を聞いてはいけないのだそうです。
「看板(やなぎ)」では1人が長い竹の棒を持って、倒さないようにしながら回転させます。

とても重いらしく、棒が倒れそうになると助けが入ります。
これは「厄除け」の意味があるそうで、祭りの役職についた人で色紙の部分を切り分けて持ち帰り、1年間取っておくとのことです。
『手踊り』が始まりました。

森に差し込む光が踊っている人々を照らし、神々しい風景でした。
Kさんは踊りの師匠役で、前日まで毎日、踊りの指導をしていたとのこと。
練習に使っていた台本を見せてもらったら・・・

歌詞の横には赤字でびっしり『踊り方』が書き込まれていました!
ジオガイドさんが集まって話を聞いています。

実は3年前のお正月、初めて見に来てブログで紹介したのですが(その時のブログはこちら)
島外出身者の私にとって、これまで踊りの振りが何を表現しているのか、よく分かりませんでした。
今年はKさんが「あれは帆の形。あれは〇〇の動作を表現している」と教えてくれたので、数百倍楽しめました😀
前半のスローテンポな踊りはベテランが・・・

アップテンポの威勢のいい踊りは若者が担当となることが多いこととか・・・

歌や踊りの区切りごとに踊り手の親戚や友人がお菓子や裸銭を投げて、子供達が拾うのですが・・・

「投げ方、拾い方にコツがある」という話など、とても面白かったです。
古い火山地形を生かしての昔からの天然の良港だった岡田の人々は、日本各地の漁師と交流して歌を教わり、歌い継がれてきた歌が300以上。
手踊りは、その歌の中から毎年違う歌を選び、伝承や資料をもとに相談しながら踊りを再現するのだそうです。「そうしないと残していくことができないから」と…。
こうして大切に歌い、踊り継がれてきたことで、現地で失われたものも数多く残っているそうです。昨日も「鎌倉」「宝町」「伊豆の下田」など、島外の地名のついた歌が、手踊りとともに歌われていました。
そして最後の踊りは・・・

保元の乱で敗れ、伊豆大島に流された源為朝が、岩山をテコで切り開いて八幡神社を建立したとされる故事に始まる『天古舞』

島ではきっと昔から、祭りを通して、地域の文化やしきたりを学び、仲間意識を育んできたのですよね。
これからは、島の中の「祭り」のことを、もっと実感を持ってガイドできそうです。
元町の吉谷神社正月祭については次回のブログで報告します😀
(カナ)
2つとも、東京都の無形文化財に指定されている、伊豆大島を代表するお祭りです。
昨日は、岡田八幡神社へ。
このブログにも何度か登場しているお祭りですが、今年はこの地区に住むジオガイドのKさんが資料を用意し、ガイド仲間に説明をしてくるとのことで、楽しみにしていました。
数10万年前に活動していた古い火山の海食崖が、天然の良好を作った岡田港。

駐車場から見ると、崖と崖の間の谷を伝って溶岩が海まで流れ、岡田港の地面を作ったことが想像できます。
Kさんからいただいた資料には「岡田村は江戸初期に親村である元町の避難港として創村開港した」と書かれていました。そしてこの地に伝わる「天古舞」という有名な踊りも「江戸初期に完成されたと言えるだろう」とのこと。
数日前の八幡神社。周囲を崖に囲まれた場所にお社が建っています。

昨日はKさんの案内で、お社の奥へ・・・
斜面を流れた溶岩を少しどけて神社を作っただろうとのこと。

一部石垣で補強されていますが、溶岩流の断面がそのまま残っている場所もあります。伊豆大島の火山地質図には年代は載っていないのですが、何年ごろに流れてきた溶岩なのでしょうか?(いつか調べてみたいことの1つです)
祭典は「警固出礼」「鳶引き」「看板」「手踊り奉納」「天古奉納」の順で行われます。
こちらは警固役の方の、挨拶の様子。

警固役は祭りの間中、一切口を聞いてはいけないのだそうです。
「看板(やなぎ)」では1人が長い竹の棒を持って、倒さないようにしながら回転させます。

とても重いらしく、棒が倒れそうになると助けが入ります。
これは「厄除け」の意味があるそうで、祭りの役職についた人で色紙の部分を切り分けて持ち帰り、1年間取っておくとのことです。
『手踊り』が始まりました。

森に差し込む光が踊っている人々を照らし、神々しい風景でした。
Kさんは踊りの師匠役で、前日まで毎日、踊りの指導をしていたとのこと。
練習に使っていた台本を見せてもらったら・・・

歌詞の横には赤字でびっしり『踊り方』が書き込まれていました!
ジオガイドさんが集まって話を聞いています。

実は3年前のお正月、初めて見に来てブログで紹介したのですが(その時のブログはこちら)
島外出身者の私にとって、これまで踊りの振りが何を表現しているのか、よく分かりませんでした。
今年はKさんが「あれは帆の形。あれは〇〇の動作を表現している」と教えてくれたので、数百倍楽しめました😀
前半のスローテンポな踊りはベテランが・・・

アップテンポの威勢のいい踊りは若者が担当となることが多いこととか・・・

歌や踊りの区切りごとに踊り手の親戚や友人がお菓子や裸銭を投げて、子供達が拾うのですが・・・

「投げ方、拾い方にコツがある」という話など、とても面白かったです。
古い火山地形を生かしての昔からの天然の良港だった岡田の人々は、日本各地の漁師と交流して歌を教わり、歌い継がれてきた歌が300以上。
手踊りは、その歌の中から毎年違う歌を選び、伝承や資料をもとに相談しながら踊りを再現するのだそうです。「そうしないと残していくことができないから」と…。
こうして大切に歌い、踊り継がれてきたことで、現地で失われたものも数多く残っているそうです。昨日も「鎌倉」「宝町」「伊豆の下田」など、島外の地名のついた歌が、手踊りとともに歌われていました。
そして最後の踊りは・・・

保元の乱で敗れ、伊豆大島に流された源為朝が、岩山をテコで切り開いて八幡神社を建立したとされる故事に始まる『天古舞』

島ではきっと昔から、祭りを通して、地域の文化やしきたりを学び、仲間意識を育んできたのですよね。
これからは、島の中の「祭り」のことを、もっと実感を持ってガイドできそうです。
元町の吉谷神社正月祭については次回のブログで報告します😀
(カナ)
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