長かった正捕手への道
プロ野球史上、捕手として最多出場の野村監督に次ぐ2位は森昌彦選手だ。昭和30年に岐阜高から巨人に入団した。当時の正捕手は日系2世の広田選手、控えは藤尾選手や棟居選手らがいて森選手が正捕手になるのに4年の歳月を要した。シーズン閉幕間近の10月8日に代打に起用されるも中飛に倒れ、1年目はこれで終わった。プロ初安打は翌31年7月29日の広島戦で、通算12打席目のこと。だが2年目もこの1安打きりで初スタメンに起用されたのは昭和32年7月17日の広島戦だった。
この試合で森選手は3打数2安打と活躍し、翌日の試合でも4打数2安打と気を吐いたが正捕手への道はまだ開けていなかった。やっと捕手陣で最多出場となったのが昭和34年。それ以来、昭和48年まで15年間も巨人の頭脳として正捕手の座を守った。日本シリーズにも昭和40年の第1戦から昭和48年の第3戦までの47試合連続してスタメンマスクを被った。つまり昭和40年からの九連覇は森選手の存在なしでは有り得なかったわけだ。
20年でたった29盗塁
捕手は鈍足というイメージ通り20年で僅か29盗塁。そんな森選手にも走塁で注目を集めたプレーがあった。昭和34年7月7日の広島戦で森選手が放った左中間の打球を追っていた横溝選手が転倒し打球の処理にまごついている間にランニングホームランに。昭和45年のロッテとの日本シリーズ第5戦で左翼線付近にフラフラと舞い上がった打球を追ったアルトマン選手と飯塚選手がお見合いをしている間に三塁打に。またこの年の日本シリーズで森選手は盗塁を三度試み全て成功させた。これは日本シリーズにおける捕手として盗塁最多記録である。ロッテにはまさか森選手は走らないだろうという油断があったのだろう。
効果絶大だった本塁打
通算本塁打数は81本だが、そのうちサヨナラ本塁打が3本もある。昨年まで716本塁打の王選手でもサヨナラ本塁打は7本だから比率からいうと森選手の方がかなり多いことになる。昭和41年9月26日の中日戦では巨人は9回裏二死まで佐藤投手に無安打に抑えられていたが柴田選手が初安打を放ちノーヒットノーランの屈辱は免れ、続く王選手は当然のこと敬遠。ここで森選手の逆転サヨナラ3ランが飛び出し勝利した。それから12日後の10月8日の阪神戦では0対0で迎えた9回裏に右翼席にまたもサヨナラ本塁打を放った。
3本目は昭和43年6月2日の阪神戦。5対5の9回裏に飛び出した。3本のサヨナラ本塁打に代表されるように効果絶大な一発が多かったのが森選手の特徴だ。20年間の現役生活で本塁打を放った77試合(1試合2本塁打が4試合あった)の巨人の戦績は65勝11敗1分けで勝率は8割5分5厘。特に昭和43年の第9号から昭和48年にかけての22本塁打は全て勝ち試合に結びついており、森選手の一発は巨人の勝利に大いに貢献するものであった。
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