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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 410 黄金ルーキーの1年後 ①

2016年01月20日 | 1984 年 



斎藤雅樹(巨人)…1月中旬の多摩川グラウンドでは若手ファーム組の自主トレが既に始まっていたが2年目の斎藤の姿はなかった。「斎藤?奴はいい所に行ってるんだ」と国松二軍監督。いい所とは東京・大手町にある球団事務所。1月28日からのグアムキャンプ参加候補に抜擢された斎藤はパスポートの申請手続きの為に球団事務所に呼び出されていた。「まだ正式決定ではないですがこの時点で一軍候補に入っている事でやる気が全然違います。何の実績のない自分に関心を持ってくれた首脳陣に感謝です」と最終的にグアム行きの切符を手にするかどうかは問題ではなく、ちゃんと自分を見てくれているという事に感謝する斎藤であった。

実は本当ならグアムキャンプより一足先に斎藤はアメリカに出発している筈だった。昨年、アメリカのナッシュビルで開催されたウインターミーティングで巨人軍はSF・ジャイアンツと業務提携を結び、その第一弾として巨人から若手選手を留学生として派遣する事となり斎藤もその一人に選ばれ1月初旬には旅立つ事になっていたが諸事情により直前で中止となった。巨人が獲得した新助っ人のW・クロマティ選手を実はSF・ジャイアンツも狙っていて獲得寸前で巨人が横槍を入れて掻っ攫ってしまった。これにSF・ジャイアンツのハーラー会長が激怒し巨人との業務提携を解消した事で留学プランも頓挫してしまった。しかし斎藤には幸いだった。あのまま事が進んでいたら今年1年はアメリカに滞在する事となりグアムキャンプはもとより一軍昇格のチャンスも無かった筈。

斎藤は今、昨秋のキャンプで堀内コーチに言われた事を思い出している。「いいか、俺が引退して一軍メンバーの1枠が空いてチャンスだぞ。実力さえ有れば歳なんか関係ない。ぼやぼやしてると水野(池田高→巨人)に奪われちまうゾ」と。更に新浦が韓国プロ野球の三星ライオンズに移籍した事でもう1枠空きが増えた。「アメリカに行かなくて本当に良かった。本気で一軍入りを狙ってますよ。マキさん(槙原)だって2年目に昇格して大活躍しましたからね。僕にはマキさん程のスピードは無いけど根性で一軍に喰らいつきます」とやる気マンマン。2月16日にやっと19歳になる。年齢的にはまだまだ子供だが1月16日に水野が初めて多摩川グラウンドに姿を見せた時、「凄い騒ぎですね。彼も大変でしょうね」と話していたがそれは奇しくも昨年の今頃に槙原が新人だった斎藤に投げかけた言葉と同じだった。斎藤は先輩の槙原の背中を1年遅れで追いかけていく。



荒木大輔(ヤクルト)…静かである。とても信じられない程の静けさが周囲にある。「ホントに最高です。やっと野球をやる環境になったと実感しています」・・1年前の喧騒から解き放たれた荒木の表情は心底からの明るさを反映しているように見える。甲子園のアイドルとしてヤクルトに入団した昨年の今頃は自主トレ初日に100人を超す新聞記者、テレビ局が5社、女性週刊誌や写真誌のカメラマンでごった返して練習どころではなかった。今年も注目ルーキーの高野(東海大→ヤクルト)の周辺を多くのマスコミが取り囲んでいるが荒木の場合は高野の比ではなかった。しかし今年は一転して静岡県伊東市で行われた自主トレ初日に駆けつけた記者は12人でテレビ局はゼロだった。この1年を振り返って荒木は「余りに騒がれて何をどうしていいのかすら分からなかった。でもそれは言い訳で結局は自分が甘かった」と反省する。

だからと言って手を抜いていた訳ではない。シーズン後半には傍目にも野球に取り組む姿勢が変わったのが分かった。その点を聞かれると荒木は「投手の基本、野球の基本が体力強化にあると改めて分かったんです。走り込みや筋トレをしっかりやって体力をつけなくちゃ」と。事実、昨秋から合同自主トレを迎えるまでの間、荒木を越えるランニング量をこなした選手はいない。トレーニングの成果は数字に表れている(入団前→後)

   ・身長 180cm → 180cm    ・体重 75kg → 80kg    ・大腿部 57cm → 59cm   ・胸囲 94cm → 98cm

   ・ウエスト 83cm → 82cm   ・ヒップ 96cm → 97cm   ・背筋力 155kg → 223kg

身体は引き締まり胸や尻など張るべき所は張りパワーアップした荒木の肉体。自主トレを視察した武上監督は「オイ、随分と目立つようになったな。悪い意味じゃなく良い意味でだ。大きくなったし動きも機敏で柔らかい。この1年でだいぶプロらしくなった」と声をかけた。余りの人気ぶりに無理やり一軍に置かれた感が否めなかった昨年と違い今年は実力で一軍にいられるレベルに近づきつつある。「今の目標ですか?先ずはユマキャンプのメンバーに入る事です。その後の事はその時に考えます」とプロの世界を知ったせいかその口調は謙虚。一歩ずつ足元を固めようという姿勢こそが成長の証でもある。




畠山 準(南海)…大阪・中百舌鳥にある中モズ球場では練習後にその日の収穫、課題、反省を大声で叫ぶのが恒例となっていてそれぞれが思い思いの丈を発した。畠山の番が来た。「皆さん昨年は野球では勝ち星ゼロ、年末の歌番組では音痴ぶりを披露してしまい申し訳ありませんでした。今年は歌も上手くなり野球もどんどん勝ち星を挙げますので期待して下さいッ!!」 内気で引っ込み思案だった畠山が照れる事なく胸を張って堂々と宣言した。畠山は確かに変身した。ひ弱さが消え逞しい戦う若鷹になっていた。たった1年の歳月がこうも若者を変えるものなのか・・畠山は着実にエースへの道を歩んでいる。昨年の今頃の畠山は四国から大阪にやって来て自主トレに参加したが予想以上にプロの練習は厳しく「もうダメ…死ぬ」と言ってグラウンドにへたり込んだ。その姿からはドラフト1位指名選手のプライドは微塵も感じられなかった。

だが今は昔である。「そうでした、昨年を思えば月とスッポンですよ。今は練習していてヘバる事は無いし自分でも体力がついたと感じます。でも当たり前ですよね。変わらなかったら1年間何をしていたんだ、となりますから」と話しぶりから変わった。モジモジしていた昨年から一変し口調もすっかりプロらしくなった。そんな畠山を河村投手コーチは先発ローテーションの5番手に指名している。若返りを図る投手陣の先頭を切る一角と考えているのだ。「日に日に力をつけている。先発完投投手としての条件を揃え大きく育っている」と河村コーチの目尻は下がりっ放し。今季畠山に課されたノルマは「8勝」、昨季は結局勝ち星はゼロだったが、そんな「実績」は関係ないと河村コーチは言う。畠山本人も「余り大きな事は言えないですけど自信はあります。ここまで順調ですのでこの調子を維持出来れば何とかなる、と思っています」と。

課せられたノルマを達成出来れば自ずと「新人王」も狙える。首脳陣の配慮で昨季の登板回数は29回 1/3 に留まり新人王の資格は残されたが畠山は「新人王?本音を言えば1年目に獲ってこその賞だと思うので特に欲しいとは思わない。それより信頼される投手になる事の方が大事」と。甲子園のライバルでもあり、一足先にプロ初勝利を挙げた荒木(ヤクルト)についても「正直、昨年までは意識していましたが今は自分の事で精一杯です」と他人の事を考える余裕は今の畠山にはない。自分の置かれた立場を見つめ、前へ前へ進む事しか考えていない。「昨年は開幕するのが不安だったけど今年は楽しみです」と1年の歳月は気弱な若者を逞しい男に変えた。夢のプロ初勝利へ向け2年目のスタートを切った。「初勝利?目標はもっともっと勝つ事です」そう言い切る畠山の表情は紛れもなくプロ野球選手の顔になった。

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