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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#147 ブレーク前の落合博満

2010年12月08日 | 1980 年 



今年の日本シリーズでは千葉ロッテに敗れたものの、巨人の四連覇を阻止しリーグ優勝を
果たした落合監督。三冠王をはじめ多くのタイトルを獲得した選手でしたが決して順風満帆な
プロ入りスタートだった訳ではありませんでした。

  1年目・・・ 36試合  打率 .234  本塁打 2
  2年目・・・ 57試合  打率 .283  本塁打 15


社会人出身25歳のプロ入りで背番号も「6」を貰った訳ですから球団も即戦力として期待
していたのでしょうが、当初はプロのスピードに対応できず2年目も前半戦は1軍と2軍を
行ったり来たりの選手でした。それでも数少ない2軍戦出場で本塁打王のタイトルを獲得
したのは流石です。2年目の1軍での成績は、ほぼ後期だけで記録したものです。




5月10日に第1号を放ってから驚異的なハイピッチでの量産だ。11号を放つまでに要した試合数は僅か24で、2試合に1本。
しかも2軍は1軍と違って毎日ゲームがあるわけではなく、24試合に要した日数は40日間である。1ヶ月以上も調子を維持
した事になる。ただ波に乗ったのではなく、本当の実力が有ればこその快ペースだ。春のオープン戦で得津選手と激突して
左ヒザを打撲し離脱。1ヶ月はバットも振れず復帰したのが5月上旬、5月31日の巨人戦からイースタン記録の5試合連続
本塁打を放った。勝負強さも兼ね備えていて5試合連続本塁打の締めくくりは日ハム戦で延長10回裏にサヨナラ本塁打で
達成したのだ。待望の1軍入りは7月、「1号は憶えてますよ。負けゲームの7回、代打で出て近鉄の鈴木さんから打った。
上では15本を打ちましたが阪急戦で稲葉さんからの2本と、日ハム戦で成田さんから打ったのが印象に残っていますね」

落合のスイングを見ていると力んでいる訳でもなく、本塁打を狙っているようにも見えない。しかし打球は力強くピンポン玉の
ように飛んで行く。中途半端な振りで内野ゴロ・・なんて事はまず無い。間違いなく将来はリーグを否、日本を代表する打者に
なる逸材である。本人に2軍の11本と1軍の15本の違いは何かと聞いたところ即座に「2軍で何本打ってもお金になりません。
僕は野球でメシを喰っているんですから」と。その意気や良し、グラウンドには金が埋まってるだゾ2軍の諸君!ただし落合にも
悩みはある。守りである。本職は三塁だがロッテには有藤がいる為に今は不慣れな二塁を守っている。「守備につくのが嫌で・・
サインプレーなんてとんでもないです。飛んで来た打球を取るのに必死で精一杯です」試合の終盤は守備固めで交代させられ
ベンチに下がる事も多く、これからの課題は守りだ。フル出場できるようになれば本塁打数もさらに増えるのは間違いない。
「ノンプロの時の方がインコースによくバットが出てさばけていた。まだまだ課題は多いです」末恐ろしい打者である。



最近の落合は意識的にキャラを演じているように感じます。先日もファン感謝デーに昨年に
続き参加しなかったと報じられましたが球場に足を運んでいる時点で悪意は無く批判する声を
楽しんでいるかのようです。年俸1億円突破やFA制度で移籍した初めての選手は落合でした。
選手会を退会した落合が、選手会が交渉の末に獲得したFA権利を行使したり、名球会に入る
ことを拒否したりなど群れることを嫌う落合らしい生き方です。一般社会では決して通用しない
生き方を現役を退いた今でも、思いのままにしている様は羨ましい限りです。この記事の翌年
1981年に初のタイトル首位打者を獲得したのを皮切りに大ブレークしました。





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