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買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#327 十大秘話 ⑤ 伝統の一戦

2014年06月18日 | 1983 年 
血で血を洗う大決戦・・・18日からのセ・リーグ天王山、阪神対巨人の4連戦はまさしく血闘だった。9月18日の22回戦4回表、バッキー投手の王選手に対する2球目は1球目に続いて身体スレスレを通った。普段は温厚な王がバットを持ったままバッキーに詰め寄り、荒川コーチがバッキーに向かって猛突進するとこれが発端となり両軍選手が入り乱れての大乱闘に。バッキーと荒川コーチが退場処分となり20分後に試合再開されたがバッキーに代わって登板した権藤投手の投球が王の頭部を直撃し王はその場に昏倒し動かない。再び両軍選手が睨み合う。王は担架で運ばれ3分後に試合再開となったが興奮したファンがグラウンドに乱入するなど球場内は異様な雰囲気となり再開後はグラウンドに警察官が配備されるという異常事態に。翌19日には甲子園署に荒川コーチ、バッキー投手、竹元審判が呼ばれて事情を聴かれた。【 昭和43年10月7日号より 】


V9街道真っ只中の巨人を捻じ伏せる若者が阪神に現れた。プロ入り2年目、19歳の江夏豊投手だ。ON砲を中心に向かうところ敵なし状態の巨人打線相手に真っ向勝負を挑む姿に甲子園球場は沸きに沸いた。この球史に残る大乱闘の前日に江夏は登板していた。その日の江夏は稲尾投手(西鉄)が持つシーズン最多奪三振記録(353個)の更新目前だった。「新記録は王さんから」と江夏は公言していたが宣言通りに7回表一死で王を迎えるとカウント2-1から見事空振り三振で新記録達成。しかもこの試合は0対0の延長12回裏に江夏が自らのバットで決勝点をあげ勝利した。

ペナントの行方は激しく追い上げる阪神と、この阪神4連戦を乗り切れば優勝へ大きく前進する巨人。阪神は先ず江夏で勝ち、翌18日のダブルヘッター第1試合は村山が完封勝利し、その勢いのままバッキーで連勝を狙った。しかしバッキーは味方のエラーもあり巨人にリードを許してマウンド上で明らかにイラついていた。そこに例の王に対する投球で愛弟子の王のピンチとばかり荒川コーチが猛突進し、球史に残る大乱闘に発展した。両軍ベンチが一触即発状態の異様な雰囲気に球場全体が包まれていたが、ただ一人冷静だったのが長嶋。王の負傷退場にザワめきが残る場面で目の醒めるような本塁打を左翼スタンドに叩き込み場内の雰囲気を一瞬にして平常時に戻した。

とにかく当時の巨人は強かった。打撃陣は土井や黒江の脇役と " 赤い手袋 " の柴田や " 塀際の魔術師 " の高田の俊足コンビがON砲を中心に相手投手を打ち崩して打撃タイトルを独占。投手陣はドラフト1期生の堀内がエースに成長し投打共に他球団を寄せ着けなかった。そのお蔭で他のセ・リーグ5球団の監督は長続き出来なかった。かつて巨人の牙城を崩したかと思われた大洋の三原脩も昭和43年に近鉄へ去り、後任は別当薫に。広島は長谷川良平から根本睦夫、サンケイは飯田徳治から別所毅彦、中日は西沢道夫から杉下茂へ監督交代を余儀なくされた。杉下に至っては僅か80日でその座を追われる羽目に。巨人の存在はそれ程までに大きかったのである。

ちなみに頭部に死球を受けた王は「当分の間、立ち上がる事は出来ない絶対安静」との診断を受けたが翌日には退院し宿舎で素振りまでした。そして次の遠征先の名古屋での中日戦でバックスクリーンに本塁打を放った。一方のバッキーはこの乱闘で負傷した右手が癒えず、以後に勝ち星をあげる事はなかった。

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