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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 552 ドラフトネタ 南海ホークス編

2018年10月10日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 田口竜二:「ただやるだけです」と繰り返す表情にプロの自覚が出てきた
" ホラ吹き " とか " 大口 " とか言われた田口投手。自主トレの時は言いたい放題だった田口もプロの厳しさを実感し今や「ただやるだけです」とおとなしく殊勝になった。中モズ球場で始まった秋季キャンプ、練習後にアンダーシャツを着替える田口の胸には縦20cm ほどの手術跡が残っている。「田口投手が入院しました」と球団が発表したのは7月10日のこと。肺に穴が開きガスが溜まるという「突発性気胸」に襲われた。手術を受け退院したのが8月12日。練習に復帰出来たのは9月3日、全て最初の体力作りからやり直し。入団1年目の選手にこのブランクは大きかった。以降の田口はテープレコーダーのように「もう何も言いません。ただやるしかないんですから」と繰り返すばかりだ。

「僕は自信がある」「空手をやりたい」「女の子には興味がない」だの言いたい放題のコメントはマスコミの良い餌食となった。中モズの秀鷹寮に入寮したのは1月9日、練習に参加した田口の体重は100kg 近くあった。ランニングをすれば足の痛みを訴えてリタイア、ウェートトレーニングをすれば直ぐにギブアップ。「大口を叩くのは練習を満足にこなしてからだ」と直ぐに二軍首脳陣からクギを刺された。「球団からあまり余計な事は喋るなと言われてますから」と田口の口数が少なくなったのはその頃からだ。スポーツ紙やテレビに報道される機会が少ない南海にとってマスコミ受けが良いと最初は田口の放言を大目に見ていた球団も大ナタを振るった。そこに病気療養が重なり田口がメディアに登場する機会は更に減ってしまった。

心機一転、秋季キャンプではブルペンに入ってカーブを交えて50球ほど投げた。「田口は良くなってるよ。来年の夏にはファームの試合に登板できるんじゃないかな」と林二軍投手コーチ。練習を見ていたファンからは「な~んだ、田口は元気じゃないか」の声が上がると田口はニタッと笑って応えた。一方で「田口の課題は左肩がガクッと下がってそっくり返って投げる投球フォームのせいでコントロールが安定しないこと。いいカーブを投げるんだからコントロールさえつけば一軍でも勝てる(林コーチ)」と修正点を指摘する。病気のせいで体重は84kg まで落ちた。その体重を維持するよう命じられた田口は「体重の話はもうウンザリ。雑用ばかりさせられて、やっぱりプロは勝たなくちゃ」と大口も少し復活してきた。



【 運命のドラフト当日:定岡智秋 】
定岡選手がドラフト指名されたのは昭和46年。その時の南海は9位まで指名したのだが定岡は3位だった。1位は野崎投手(富士重工)、4位は片平選手(現西武)、6位には山本選手(現巨人)らが指名された。「あの日のことは今でも鮮明に憶えていますよ。学校の授業が早く終わったので友達の下宿先に寄ったんです。他愛のない話をして家に帰ったのは夜の7時くらいでした。そうしたら家に新聞社の記者さんが来ていて、あぁ指名されたんだ、と思いました。指名されても下位だろうと思っていたので3位指名には驚きました」と当時を振り返る。「甲子園にも出てないのに指名してもらえて嬉しかったですね」だそうだ。


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