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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 340 やまびこ打線

2014年09月17日 | 1983 年 



昨年夏、豪打で天下を制した池田高は今年のセンバツ大会でも強打で他校を圧倒し夏春連覇を達成した。5試合で60安打・32得点、5試合中4試合が2桁安打でチーム打率は .359 と図抜けていた。大会前の下馬評で優勝の本命に挙げられた時、池田高の関係者は「準々決勝までは徳島県予選の1・2回戦相手のようなものでコールド試合スコアにしなければ。本大会の実感が湧いてくるのは準決勝から」と豪語していたが、その言葉通りに帝京高を11対1、岐阜第一高を10対1、準々決勝の大社高を8対0と撃破した。

高校野球を変えたと言われている池田高校。そのパワーの秘訣を学び取り入れようと全国各地の高校野球部関係者が大挙して阿讃山脈に囲まれた池田町に押し寄せた。来校した人が先ず驚いたのは控え選手が球速140km に設定されたピッチングマシーン相手に苦も無く打ち返していた事だった。しかも使っている金属バットは先端部分が重く扱いが難しいものだった。バットを手にした関西地方の有名私立校の監督は「ウチの選手にコレを使って140km の球を打てと言ってもカスリもしないだろう」と感心していた。池田高校ではこのバットで新入部員に先ずバッティングをさせてみる。ヘッド部分が重いバットを使いこなせる訳はなく更に時速140km に手も足も出ず、この球を打つには技術だけでは太刀打ち出来ない事を思い知らせてイチから体力作りに取り掛かる。この体力作りを担当するのが国士舘大学時代はレスリングの選手で蔦監督が全幅の信頼を寄せている体育教諭の高橋由彦先生。「平凡な外野フライがあと10㍍伸びるようにしてくれ(蔦監督)」と3年前に求められたのが体力作りのキッカケだった。

自動車のタイヤ引き走り50㍍を5回、ハードル30台跳びを5回、自動車のタイヤにロープを結び手元の棒に巻き付けて手繰り寄せるのを2回、学校の西側にある山まで往復5km を20分以内に帰って来る…等々。勿論、腕立て伏せや腹筋もやる。こうしたトレーニングを月曜日から木曜日まで繰り返し、ようやく金曜日に打撃練習をやる。「最初はプロ野球球団の練習メニューを入手し参考にしたけどコレと言って役に立つものは無かった。そこで独自のメニューを考案したんです(高橋教諭)」 だそうだ。辛いトレーニングをこなし待ちに待った金曜日の打撃練習にも独自のシステムがある。ピッチングマシーンと2人の打撃投手の3ヶ所で行うのだが選手は先ずマシーンと対する。そこで打てないと判断されると蔦監督から「もうエエ、守備につけ」と命じられて打撃練習は終了する。次の打撃練習までの一週間また体力強化に努めるのである。更にただ単に安打性の打球を飛ばせばOKではない。バットの芯で捉えて「カーン」という打球音を響かせないと直ぐに次の選手と交代させられる。池田高校の打撃練習中は絶えず軽快な打球音が響き渡っていて、それが「やまびこ打線」と呼ばれる所以でもある。

池田式トレーニングのお蔭で選手達の体力は顕著に増した。一例を挙げると江上は入学した頃の背筋力は150kg から200kg に、水野も130kg が185kg までアップした。水野に関して蔦監督は「アイツは甲子園で時速145km を放っておったがまだまだ伸びる。夏までにもう一度体力アップさせて150km を投げさせてみせる」とセンバツ大会優勝後に語った。高橋教諭も「体力を更に強化していけば変化球のキレも増すし連投なんか屁でもない。球威が試合の後半で落ちる原因はスタミナよりも握力低下のせい、だから夏の大会まで徹底的に鍛える」と。投手希望の新入生は先ずスピードガン測定を受けて 120km 以下だと野手へ転向させられる。「可哀そうと思われがちだが、ある程度のスピードがないと通用せず本人もそのうちにやる気を失くし脱落しかねない。せっかく池田高校に入学して野球部に入ってくれたのに無気力な3年間を過ごさせるのは気の毒」という思いからだそうだ。120km の球を投げられる新入生なら3年生になる頃には 140km 以上投げられるようにしてみせる、と言う信念から池田式トレーニングは導入された。

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