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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 718 老いの一徹 ④

2021年12月15日 | 1977 年 



中日で最多出場を果たした18年
チーム状態がどん底の中日にあって高木守道選手のプレーはファンにとって救いであろう。「僕も今シーズンで18年目。これまで何度も " もうダメかな " と思ったことがあったけど、よくここまで頑張ってこれた」と高木は白い歯を見せた。4月14日、神宮球場でのヤクルト戦で通算1877試合出場を達成した時の言葉である。これは中日では意味のある数字である。かつての名選手、中利夫氏が残した通算出場記録に並び翌日の試合で更新した。「これで自分でも何だか踏ん切りがつきました。中さんが記録した数字が目標でした。苦しい時は中さんの記録を超えなくて悔しくないのか、と自分に言い聞かせてきました(高木)」と。

昨季は故障に悩まされ続けて内心では「もう野球をやめよう」と何度思ったことか。9月に入り久しぶりに出場した試合でバットを振ればヒットという具合に別人のように打ちまくった。高木自身はこの活躍を選手として最後の花道と考えて引退を決意した。シーズン終了後に「今年限りで引退します」と球団に伝えた。驚いたフロント陣は懸命に慰留した。高木の一大決心が揺らいだのは「チームは君を必要としている。来年、再来年も頑張って欲しい。いずれは引退するだろうが指導者としてチームに残って欲しい」と説得されたからだ。その言葉に高木は目が覚めたような気持になった。「球団は自分をそんなに評価してくれていたのか」と。そして高木の残留が決まった。

二塁手の名人、職人肌のプレーヤー、など高木には色々な異名がある。職人と呼ばれる人たちに共通しているのは集団をまとめる管理者的な立場には向かないということ。あくまでも自分の技術だけを売り物にする人たちが職人である。どちらかと言えば高木もその範疇にある。数年前に主将に選ばれたが、僅か1年で自らその座を返上した。その肌に合わない筈の主将を今季に再び引き受けた。そこに高木の精神面と言うか、人間の内部に大きな変化が起こったことが端的に窺い知れるのである。


「オレも野球バカになってやろう」
「ようし、どうせ現役を続けるなら自分の腕や足がガタガタになるまで頑張ってやろう。この先、何年やれるか分からんが1年でも長くプレーしてやる。中さんも言っていたがオレも野球バカになろう」一旦自分の気持ちが決まると転換するのも早い。シーズン終盤1ヶ月ほど好調をキープ出来たことが自信にもなっていたが「オフに体を休めたら感覚が元に戻ってしまう。一から体作りを始めて上手くいくか分からない。だったらオフの間中ずっと体を動かし続けてそのままシーズンに突入してやろう」と決意して、18年目のベテラン選手としては異例のオフを返上することに決めた。こうして高木は例年とは違った調整法で開幕を迎えたのである。

キャンプ中に背中を痛めたが人知れず治療を続けて快復した。高木は自分の体力に敢然と挑戦する腹を決めた。プロ18年目にして心底から野球バカになる覚悟だった。だがシーズンに入るとチームは低迷し続ける。再び主将になった高木は自分の成績だけでなくチームの成績にも責任を感じるようになる。黙々とグラウンドに立ち、バットを振るも傍から見ていてもスイングは鈍く辛そうだった。だが高木は弱音ひとつ吐かなかった。「皆さんが昭和39年の最下位に沈んだ時と似ていると言うけど、あの当時は選手の思いがバラバラで個人プレーに走っていたが今は違う。選手は真剣にプレーしている。必ず立ち直ってみせる」と強い口調で言い切った。

元気のないチームの中にあって最古参の高木の動きが守っている時も一番目立っている。やるべきプレーは必ず基本通り忠実に実行している。若手選手の方が動きが鈍く見える程だ。「以前の主人はチームが調子悪いと帰って来てもムッツリと黙り込んでいました。でも今は明るい表情をしていますので家庭は平穏ですが主人の本心は相当苛立っていると思います。本当にいじらしいです」と奈津子夫人は明かす。心身の疲れが重なれば気力だけで踏ん張っている高木とていつ倒れるか分からない。そんなことが現実に起こってからでは手遅れになる。今こそ主将の高木を中心に選手全員で奮起するべきだ。

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