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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 390 色々ありました ロッテオリオンズ編

2015年09月02日 | 1983 年 
球団史上初の最下位。しかも43勝76敗11分で勝率 .361 のダントツのビリ。明るい話題と言えば落合の3年連続首位打者くらいだ。


石の上にも3年ならず… " 石の上 " で3年頑張ってみたものの我慢は続かず愛甲投手は遂にそこから飛び降りてしまった。今季終了と同時に投手に見切りをつけて野手転向に踏み切った。愛甲にとって今季は投手生命を賭けた大事なシーズンだった。キャンプ中から左打者専用のワンポイントに活路を見い出そうと必死に練習に励んだ。開幕当初は練習の成果もあり好調を維持し5月1日の日ハム戦では二死一・二塁で打者ソレイタの場面に登板し見事三振に仕留めたのを皮切りに5試合連続でピンチを絶ち存在をアピール出来た。しかし直球とカーブだけと球種が少ない上に制球も乱す事がままあり、後半戦に入ると打ち込まれるケースが増えた。結局3年間で1勝も挙げられず投手を諦めた。

それでも夢は捨てず…昨季史上最年少で三冠王に輝き年俸5千4百万円を勝ち取った時の会見で「次は4割を打って年俸1億円だ」と豪語したが今季は終わってみたら冷や汗タラタラの首位打者の1冠のみで打率は3割3分2厘。それでも凡人と比べたら大したもんだが落合にしてはもの足りないのも事実。キャンプ中は苦手の内角打ちの練習に明け暮れているうちに、何時しか得意の外角打ちが影を潜めてしまった。過去3年で最悪の開幕スタートとなり6月になっても2割7分台をウロチョロする始末で4割どころか3年連続首位打者さえ危うかったが最終的には121試合目でトップに立ち逃げ切った。それでも落合は「4割は永遠の夢。4割を狙うと宣言して誰に迷惑がかかる訳じゃなし、俺は言い続けるよ」と来季も挑戦は続く。

火消し転じて油を投入…英語に「痩せ馬の先走り」の格言が有るかは知らないが鳴り物入りで入団した新助っ人・シャーリー投手はまさに格言通り持てる力の99%を球宴前に使い果たしてしまったようだ。150㌔の速球にカーブ、スクリューボール、フォークボールが武器で打者を捻じ伏せるとの前評判通り4月12日の南海戦で初セーブを挙げて以降、7月7日までに3勝1敗10Sと文句なしの活躍だった。ところが7月10日の阪急戦で救援に失敗すると、後は出れば打たれるの繰り返しで火消しならぬ火付け役になってしまった。各チームは対戦が一回りすると制球に難がある事を見抜き、早打ちせず持久戦に持ち込まれたシャーリーが自滅を繰り返したのだ。敵将の広岡監督に「シャーリーが出れば勝てる」とまで言われる始末だった。

落馬したダークホース…「終わり良ければ全て良し」の諺が当てにならない事を体験したのが中居投手。4月23日、プロ4年目にして日ハム戦で初先発した。本人も首脳陣も3回持てば御の字と思って試合に挑んだがあれよあれよと言う間に1失点で完投してしまった。プロ入り初登板・初先発・初勝利・初完投のおまけ付きの快挙だった。一躍新人王レースのダークホースと持て囃されたが5月7日の西武戦の初回に、山崎・スティーブ・田淵・テリーに4者連続本塁打を喫しKOされると坂道を転げ落ちていき、とどめは8月31日の阪急戦で松永に逆転満塁サヨナラ本塁打を喰らい7連敗。10月21日の今季最終登板で2勝目を挙げたが「最初と最後で勝っただけのシーズンでした…」

火縄銃…誰が呼んだか火縄銃。実は井上選手自身が自虐的にそう自分に命名したのだ。開幕から別人のように打ちまくり5月中旬までフル出場し打率は4割を越えていた。ところが化けの皮が剥がれたのか梅雨に入る頃から打棒は鳴りを潜め打率も下がり続けて最終的には2割2分といつもの井上らしい成績に落ち着いた。「梅雨どきに湿ってからは導火線に火が点きにくくなってね」と力なく笑う井上だった。

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