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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 735 週間リポート・大洋ホエールズ

2022年04月13日 | 1977 年 



な、なに!先発は渡辺だって?
「草薙キャンプの時に開幕いけるかと言われました」と広島市民球場での開幕戦で先発した渡辺投手は言う。ネット裏の開幕投手予想は「調子の良い奥江だろう」「どうにか間に合いそうな平松も有り得る」などの声が多かったが見事に外れた。実は広島ベンチも渡辺はノーマークで奥江投手を本命視していた。だがよくよく考えると渡辺は昭和45年5月18日に広島相手にノーヒットノーランを記録するなど広島には相性が良かった。渡辺は過去に二度開幕投手を務めたがいずれもKOされた苦い経験がある。なので「メリーちゃんの心臓じゃ開幕投手は無理だろう」という意見が大勢でスポーツ紙の予想でも渡辺の名前は挙げられなかった。

そうした声を嘲笑うかのような強気な投球を見せた。右打者の胸元をえぐるようなシュートに外角へ大きく曲がるカーブに加えキャンプで習得したシンカーをコーナーに投げ分けて好投し勝利投手となった。初回に山本浩選手の適時打、5回裏にライトル選手・山本浩の2者連続本塁打、6回裏に内田選手に適時打され完投こそ逃したが自身三度目の開幕投手で初めて勝利を手にした。「正式に開幕投手指名は言われてませんよ。キャンプの時に『いけるか?』と聞かれただけで」と渡辺は言うが、別当監督は「言ってない?いや言った筈だけど。まぁとにかく勝ったんだからどちらでも良いではないか」と苦笑い。

" 開幕投手・渡辺 " がズバリ的中した別当采配。しかも打線が広島投手陣に21安打を浴びせ15得点を上げたメガトン打線の復活に試合後の別当監督は「よく打ったしボール球には手を出さず何も言うことはない」とご満悦。当本人の渡辺は「平松のケガもあるけどオレが開幕投手になるようじゃダメ。若いモノが務めて、空いたところを年寄が補うのが妥当だもんね」と若手の奮起を促す。ちなみに各スポーツ紙の大洋担当記者の第2戦の先発予想は今度こそ奥江投手で一致したが、これまた外れて根本投手だった。ことごとく予想が外れる今季の大洋。この分だと多くの野球評論家たちが予想した大洋の最下位も大外れにしてくれるかも?


王にオレの球が打てるもんか
" 鯨の救世主 " 現る。ロバート・アレン・レイノルズ投手が来日し、4月26日にチームに合流し川崎球場の練習に参加した。上半身の発達した白鯨を連想させる、183㌢・93㌔の一見プロレスラーのような巨体にアフロヘアが似合う男という感じ。レイノルズはまだ時差ボケが解消せれてないらしく眠い眼を擦りながら午後2時過ぎにシピン選手が運転する車に同乗して球場入りした。「首を長くして待っていたよ」と別当監督と早速ご対面。グローブのような大きな手で握手し「よろしくお願いします」と。待ち焦がれた恋人に別当監督は「全試合に投げる覚悟をしてくれ」とハッパをかけると口を真一文字に結び大きく頷くレイノルズだった。

ユニフォームに着替えてグラウンドに入ると牛込マネージャーがナインに「今回入団したレイノルズ投手だ。呼び名は『ボブ』或いは弾丸を意味する『ブリット』と呼んでやってくれ」とレイノルズを紹介した。全員が拍手で迎えて晴れて " 鯨の一員 " になった。そして初練習。いよいよベールを脱ぐ時が来た。軽くキャッチボールを5~6球。ノーワインドアップでテイクバックを殆どしないスナップスローに近く、素人目には何となく心細くなる投法だ。「アメリカでもコーチからテイクバックを大きくしろと言われたが自分としては長い間このフォームでやってきたし変えるつもりはない」と言い切った。

「腕力で投げるタイプだね。上半身さえしっかりしていれば問題はない。球はよく伸びているし、速くて重い。まさにブリット(弾丸)だね」と別当監督はニンマリ。レイノルズのデビューは5月3日の巨人戦が予定されている。レイノルズは王選手やライト投手の話になると顔を真っ赤にしてまくし立てた。「オレのブリットはアーロンでさえ打てなかったんだ。だから王にも打たせないし、ライトにも負けない。オレは負け犬が大嫌いなんだ」と体もデカいが言うこともデカい。予定通りなら本誌が発売される頃には結果が出ている筈だが如何に?なお、球団はレイノルズの登録名を「ブリット」にすると決めた。


「新人ばなれしている」と田淵
" 酒井君お先に失礼 " と斎藤明投手が両リーグ・ドラフト1位指名投手で勝利一番乗りを果たした。それも今季は1分けを挟んで6連敗、昨季から通算9連敗中の憎っくき阪神相手の白星だけにチームにとっても価値ある1勝だった。斎藤はベンチから救援の高橋投手に声援を送り、最後の打者・ラインバック選手が一塁ゴロに倒れるとベンチから飛び出して高橋のもとへ駆け寄り「どうもありがとうございました」と最敬礼。この日は阪神とのダブルヘッダー。斎藤は第1試合の8回に杉山投手をリリーフ登板して田淵選手から三振を奪うなど1イニングを投げていた。その勢いのまま第2試合に先発したのだった。

6回に中村勝選手に左翼席に3号ソロを浴びたが7イニングを投げて失点はこれのみ。8回に先頭の大島選手に中前打されたところで高橋の救援を仰いだが、その高橋が阪神の反撃を1点に抑えて斎藤に初勝利のプレゼントをした。「最初の目標は3回だったんです。それから5回、6回と1イニングずつ伸ばしていきました。(初勝利は)長かったですね。プロの1勝がこんなにしんどいとは思いませんでした」と大勢の報道陣に囲まれて感激のインタビューを受ける斎藤。京都の実家から父・秀夫さん、母・富子さんが球場に駆けつけ息子の晴れ姿にスタンドから声援を送った。斎藤にとってこれ以上ない親孝行ができた。

試合後の田淵は「球そのものは速いと感じなかったが、あの度胸は新人離れしている」と感心していたが、斎藤にはやはり阪神の " 200発打線 " は脅威であったようだ。「そりゃ何たって一発が怖かったです。ブリーデン選手なんか太い腕を見ただけで負けそ~という感じでした。だからとにかく低目にコントロールすることだけ考えてました」と話す。そのブリーデンを4回二死三塁のピンチで迎えると見事カーブで三振に仕留めるなど " 200発打線 " の中軸打者の田淵・ラインバックを無安打に抑えた。斎藤はその3日後の巨人戦では4イニングを無失点に抑えて2勝目を上げた。ヤングホエールズを担う田代選手・杉山投手に次ぐニュースターの誕生だ。

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