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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 344 大島康徳

2014年10月15日 | 1983 年 



昨年の近藤竜・初Vの蔭で一人だけ蚊帳の外にいた大島。あの忌まわしい交通事故以来、何故か自分を襲い続ける不運と手を切れずにいる悩みはかなり深い…昭和54年には打率.317 ・36本塁打・103打点とリーグ2位&3位の成績をあげながらベストナインには王(巨人)が選ばれた。その王が「トータルで見れば大島君が受賞する方が相応しい」と発言した。その主軸を打つべき大島が4月12日の横浜戦で「二番」で先発出場した。近藤監督の新打順構想に「二番・大島」プランがあると報道陣から聞かされても半信半疑、オープン戦で二番を打っても「オープン戦だから。悪くても六~七番だよ、二番を打つくらいならベンチにいる方がマシ」とまで言い切った。しかしそれは現実のものとなった。

昭和44年、投手として大分・中津工から中日入り。入団後すぐに野手に転向して早くも2年後には一軍デビューを果たした。昭和46年6月17日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)の5回裏、代打でプロ初打席。会田投手から左前に初安打、更に9回裏には石岡投手からプロ入り初本塁打を放つ鮮烈なデビューを飾った。その後も順調に成長して打線の主軸を打つまでになり、王をして「彼こそ真のベストナイン」と言わしめた昭和54年がプロ野球選手としての絶頂だった。しかし悪夢はすぐ傍で待ち構えていた。昭和55年4月13日のヤクルト戦(神宮)は未明からの大雨で早々と中止が決定。その為、球団は14日の帰名予定を13日に繰り上げた。本来なら試合を行なっていた筈の13日夜、名古屋に戻った大島は開幕5連敗の憂さを晴らす為に夜の街に繰り出した。友人たちと麻雀をやり気分を晴らした後に帰路についた。雨がそぼ降る道路で前を行く車がスリップ、急ブレーキを踏むと車は中央分離帯を飛び越え大破し大島も全身打撲の大怪我を負った。「彼の車が外車(トランザム)じゃなかったら恐らく死んでいただろう(警察関係者)」と言う程の大事故だった。

この事故の影響は大きかった。今風に言えば大島を「ネアカ」から「ネクラ」な人間に変えてしまった。 " 交通事故… " が大島の枕詞になった。打撃不振に陥れば「後遺症で視力が落ちているんじゃないか」 守りでエラーをすれば「恐怖で球から逃げているのでは」など何をやっても事故と結びつけられた。「交通事故は誰のせいでもなく僕の不注意が原因。球団に迷惑をかけたと思うと、ただ黙して自省するのみです」と多くを語らない大島に世間は更なるバッシングを続けた。それでも大島は無口を通した。自省を続けた大島だが昨年に二度だけ我慢がならず烈火の如く感情を爆発させた。一度目はシーズン中の6月上旬、大島は開幕から不調だった。打率は2割5分にも届かず本塁打は5本、40試合を過ぎた頃の熊本での広島2連戦で何度も自分に巡って来たチャンスに凡退し2試合とも僅差で負けた。「大島君のお蔭です」と広島関係者の軽口にも打てない自分が悪いとジッと耐えたが中日球団幹部の「もう大島は終わりだ。トレードに出そうにも欲しがる球団も無いだろう」には流石に耐えきれなかった。

二度目はその球団幹部が査定した昨年の契約更改の席だった。提示された金額は200万円の減俸。確かに打率.266・18本塁打・60打点 は主軸と期待されての数字としては物足りない。それでも8年ぶりのリーグ優勝に貢献したとの自負がある。勝負どころの9月下旬、ナゴヤ球場での巨人との直接対決で角からサヨナラ中前打、阪神戦でも山本和からサヨナラ左前打とチームを救ってきた。谷沢と2人でチームを鼓舞してきたのに減俸である。「チームを纏める為に自分達がしてきた事は球団はまるで分かっていない」大島は怒りを通り越して悲しくなった。今だから言えるがチームは一度、崩壊寸前までいった。監督の投手起用に対して主力投手が反発して一時は険悪なムードがチーム全体を覆ったのだ。その投手に「気持ちは分かるが辛抱してくれ、頑張って優勝しようじゃないか」と大島と谷沢の2人がかりで説得した事もあった。結局、度重なる交渉の末に最初の200万円減から100万円減となる2100万円で更改した。

あの事故以来、大島は「何で俺だけ」との思いを持ち続けてきた。実は谷沢も大島同様に契約更改で揉めた。最初は100万円増の2700万円の提示だったが越年交渉の結果、何と一挙に700万円増の3300万円になった。待遇の違いに球団に対し「俺への評価はこの程度か」と腐った。人は「巡り合わせが悪い」「そういう星の下に生まれたんだ」と言う。ここ4~5年、オフになるとトレード話が必ず浮上する。別の球団幹部は「大島クラスでも…と言う意味じゃないの?私の耳には入って来ないけど」と否定するが本人にとっては落ち着かない。近藤監督のターゲットも大島だった。「中日には守備の穴が4つある」「だから諸君(若手)らも頑張れば大島だって抜ける」と大島の名前を挙げて訓示し、それを伝え聞いた大島は「また俺かよ…」となる。8年ぶりの優勝の恩恵に与れないどころか守りと鈍足を理由に打順をタライ回しに。「悔しいけどヤレと言われた所で頑張るよ。残り少ない選手生活を自分の為だけにね」…男とは何と悲しい生き物なのか


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