11月20日のプロ野球表彰式で並び立つ落合選手とバース選手。2リーグ分裂以降35年を数えるプロ野球の歴史の中で、両リーグで同じ年に三冠王が誕生したのは初めてのことである。両者の凄さを今更語るまでもなかろう。ここでは視点を変えて2人の使用するバットに迫る。使用したバットは共に青ダモ。バースのバットは重さ1kg 。グリップ部分は直径23.8 mm と極端に細く、逆にヘッド部分は64mm と太い。つまりはヘッドに重心を集めた典型的な長距離打者用のバットだ。怪力バースならではのバットで重心が片寄っている分、ジャストミートしなければ折れやすく年間使用本数も7~8ダースにも及んだ。
一方の落合が使うバットは比較的オーソドックスなスタイルで重さは930 ~ 940g 。グリップエンド部分は太いがグリップそのものは細めでバランスが良いバット。ミート力が確かな落合の年間使用本数は3~4ダースとバースに比べて少ない。同じ三冠王とはいえ2人の打撃は異なる。バースは外人選手にありがちな力に頼るだけでなく左右に打ち分ける上手さを兼ね備えている。落合は好調のバロメーターが右方向への打球。右中間に本塁打が打てる時は絶好調で引っ張りよりも右方向への打球の方が伸びる特徴がある。2人のバットを製造しているのはバット作り歴26年の久保田五十一氏。美津濃養老工場に勤務するベテランでミリ単位の注文にも応える現代の名工である。
日本では打ちまくったバースだが大リーグでは僅か9本塁打。1972年にプロ入りして1980年までの9シーズンはマイナー暮らしだったが四度の本塁打王になっている。特に1980年のデンバー(3A)では123試合で37本塁打・143打点で二冠に輝き、打率も3割3分3厘で3位。その時の打率1位だった同僚のレインズ選手は大リーグ・エクスポズに昇格して今季はナ・リーグ打率3位の好打者。そのレインズと競っての成績だけに価値がある。この活躍でバースはマイナーリーグ全体のMVPに選ばれた。デンバーはエクスポズのマイナーチームだがレインズが昇格したのと対照的にバースはパドレスにトレードされ、9月9日の対SF・ジャイアンツ戦に四番・一塁手で先発出場した。
1回裏、一塁に走者を置いてリプリー投手から400フィートの本塁打を放つなどこの試合は4打数2安打・3打点とチームの勝利に貢献した。同14日のA・ブレーブス戦でソロ本塁打、21日の同じくブレーブス戦ではナックルボールを駆使するニークロ投手からソロ本塁打を放つなどシーズン終盤の数少ない出番ながら結果を残した。翌1981年からパドレスの監督にF・ハワードが就任した。ハワードは大リーグ通算16年で382本塁打した長距離砲で、昭和49年には太平洋クラブライオンズに入団したあのハワードだ。4月12日、対ジャイアンツ戦の3回表にグリフィン投手から満塁本塁打を放つ。24日の対ドジャース戦でウェルチ投手からソロを放つなど順調な滑り出しだったがその後にスランプに陥り1ヶ月余りスタメンから外れた。
6月に入り、徐々に打棒が上昇し始めると6月4日の対アストロズ戦でようやくスタメンに復帰。すると3打数3安打4打点、うち1安打が本塁打と活躍した。その時の投手はニークロ投手。前年のブレーブス戦で本塁打したフィル・ニークロ投手の実弟で兄と同じナックルボーラーのジョー・ニークロ投手だった。9日の対パイレーツ戦ではローデン投手から2ランを放つ。この年は4本塁打で通算7本塁打。1982年5月13日の対エクスポズ戦で通算8本目を放つが4日後の17日にパドレスからア・リーグのTX・レンジャースに移籍した。5月31日の対オリオールズ戦に四番・DHで出場すると大リーグ最後となる通算9本目となる本塁打を放った。
伝えられる所によると阪神球団とバースの代理人との間で来季の契約更改交渉を極秘裏に進めていたがバースが希望する2億円には届いていないようだ。それを知ってか知らずか定かではないが、バースは大阪に本社があるサンスター社と男性用化粧品のCM契約を結んだ。半年間で契約金は600万円。巨人勢の江川や原の年間2~3000万円と比べると格安だが、これでも昨年の三冠王・ブーマー選手(阪急)の200万円より高い。CM料で届かない年俸分を補う算段なのか?また開幕前に堂々と三冠王獲得宣言をして、それを見事に果たした落合もバース同様お忙が氏。これまた公約通り信子夫人を世間にお披露目した。阪神勢の高給更改には馬耳東風でいよいよ1億円更改が年末に迫って来ている。
もしも信子夫人がいなかったら落合の二度目の三冠王は実現しなかったかもしれない。野球に興味がない信子夫人は落合が「俺は三冠王になったことがあるんだぞ」と威張るので何回?と聞くと一度と答えたので「だったらもう一回獲ってみなさいよ」とけしかけた。それが負けず嫌いの落合の闘争心に火を点けた。「俺を褒めてくれないのは女房くらい。やってやろうじゃないかとカチンときたね」と落合。信子夫人はただハッパをかけるだけではなく内助の功も発揮した。食生活で好き嫌いの多い落合は野菜は殆ど口にしない。「あなたが野菜を食べないなら私も食べない」と言って信子夫人も片寄った食事をすようになった。これにはさすがの落合も陥落した。
「俺が食べないと女房も食べない。体に悪いよと言っても頑として食べない。仕方がないから食べるようになったよ(落合)」と信子夫人の作戦勝ち。そのお蔭もあって今季は体調も良く全試合に出場できた。シーズン終盤に持病の腰痛に見舞われたた時、車で病院に通院する際に少しでも落合を楽にしてあげようと運転する落合の腰の部分に手を当てていた。一方で叱咤激励も忘れない。腰痛の影響で打撃に陰りが見え始めると「何事も締めくくりが大切。フンドシが緩いままなら私が締め上げてあげるわよ」と喝を入れた。そのお蔭なのか落合は4試合連続本塁打で有終の美でシーズンを終えた。今や外で酒を呑むことも減り、必ずカエルコールをして早々と帰宅する落合。視線は既に来季の連続三冠王に向いている。