2月3日午後5時40分:広沢はユマの土を踏んだ。広沢のスーツケースの中には野球道具以外には6千円のブランデー1本と
タバコが1カートン入っていた。酒とタバコを携えてキャンプ入りするとは恐るべきルーキーだ。「いえ、僕は大酒呑みでも
ヘビースモーカーでもありません。たまたま隙間があったので入れただけです」と恐縮するが、なかなかの豪傑であるが実は
中継地のロサンゼルスからの飛行機が20人乗りの小型プロペラ機だと知らされると大きな身体で仔犬の様に怯えた。
「だって小さいし、揺れるし、怖くて怖くて寝られませんでした」と10時間の飛行を終えグッタリしていた。
明治大学の卒業試験を無事終えてユマに向かった筈が実はそうではなかった。「試験?エへへ、オリンピック精神ですわ」
オリンピック精神とはつまり " 参加する事に意義がある " という事。「論理学の試験を受ける筈が倫理学の試験を受けちゃって(笑)」と豪快に笑い飛ばす。卒業は来年までお預けとなった。さすが大物
2月3日午後6時30分:デザートサン球場で移動で固くなった身体をほぐす為に軽くランニング
2月3日午後7時00分:夕食。焼き肉と3種類のサラダをペロリとたいらげる
2月3日午後8時30分:初日から夜間練習に参加。ティー打撃に使うスポンジボールに興味津々で秦とふざけていると
伊勢打撃コーチに「オイそこの新人2人、何を遊んでいるんだ!」と一喝される
2月3日午後10時30分:就寝。移動の疲れもあり直ぐに眠りに落ちた
2月4日午前7時30分:起床。ただし、目覚まし時計では起きられず小山田ブルペン捕手のモーニングコールで起こされた
2月4日午前11時30分:フリー打撃練習で柵越え。両翼105㍍・中堅128㍍と広い球場ながら右に1本、左に5本と逸材ぶりを誇示
「たまげた。今のウチであんなに速い打球を飛ばせる奴はいない(土橋監督)」「25本塁打はいけるんじゃないか。
オールスター後は四番に座ってるかもよ(伊勢コーチ)」と首脳陣のド肝を抜く。ただし本人は「五~六分のチカラ。伊勢コーチに
アッパースイングを注意されたので気をつけました」と涼しい顔
2月4日午後3時30分:練習終了後、宿舎までの4kmをランニング。初めてのプロのキャンプにグッタリ
2月4日午後6時00分:夕食。疲れている筈が自分でも意外なほど食欲がある。ローストビーフ 300g 、4種類のサラダ、
スイートポテトに丼めし2杯。「こんなに美味しく食べられるとは自分でもビックリ」と食べる方でも大物ぶりを披露
2月4日午後8時00分:連日の夜間練習に参加。1時間みっちりトレーニング
2月4日午後10時30分:就寝
2月5日午前10時30分:休日ながら広沢と秦にだけランニングが課せられる。上水流トレーニングコーチの指導を受ける
2月5日午後0時00分:休日を利用してバーベキュー大会。ランニング終わりの広沢だったが一番多く食べて周りを呆れさせる
2月5日午後2時00分:カメラマンの要望で広沢・秦・青島のルーキー3人が写真撮影。お土産にカリフォルニアオレンジを貰って大喜び
2月5日午後4時00分:宿舎に戻り初めてのフリータイム。「する事が無いので寝ます」と6時までグッスリ
2月5日午後6時00分:夕食。この日はステーキとサラダと軽め
2月5日午後8時00分:夜間練習でトスバッティングを1時間。「3日目で少し内股が張ってます。プロの練習は見た目よりキツイ」と少々お疲れ?
2月6日午前7時30分:起床。気温が15度と涼しい予報に「少し楽になるかな」
2月6日午後1時00分:守備練習でしごかれる。何度も何度も捕球・送球の繰り返しでバテバテ。「一応合格」と猿渡コーチ。
本人曰く「明治の時は守備のサインプレーは4つだけ。さすがプロはフォーメーションも複雑で違います」と戸惑い気味
2月6日午後5時00分:ミーティング。審判員を交えてルールに関する質疑応答。ペンを片手に熱心にメモを取るが
「僕には半分がチンプンカンプン」と苦笑い
2月6日午後6時00分:夕食。炭火焼きのステーキと白身魚のフライ、それとサラダ
2月6日午後8時00分:夜間練習
2月6日午後11時00分:就寝
開幕から一塁のポジションが予定されている広沢だが、先ずは順調な滑り出し。だがプロのキャンプは始まったばかりで、まだまだ先は長い。その広沢が日本を発つ前の2月1日に同じ明大から大洋入りした竹田投手の二軍落ちが決まった。もう一方の怪物ルーキーは早くもプロの壁にブチ当たっている。1月13日、横浜市保土ヶ谷区にある大洋の合宿所に入った竹田はどこか挑戦的な視線に囲まれているのを感じた。これまでは " 頂点 " にいた。自分で意識しようがしまいがマスコミが自分を頂点にと押し上げていった。だがこの日から始まった新たな人生は竹田を底辺に近い所へ遠慮なく引きずり降ろしてしまう。明らかに自分より体格のよい同年代あるいは年下の選手ばかり。そんな彼らでも一軍は遠い世界。「僕なんか本当にプロで通用するんですかね。速い球を投げれる訳じゃないし、2~3年でクビになるんじゃないかと不安になりますよ」と少しは謙遜もあるだろうが竹田は新生活に不安を抱いていた。
卒業試験の準備でトレーニングもままならずベスト体重を5kg オーバー。案の定、1月16日からの自主トレではオフの間も鍛えていた他の若手選手について行けず、田村トレーニングコーチに「今の竹田につける薬はない」とバッサリ斬り捨てられる程に身体はナマリきっていた。卒業試験の日以外は自主トレに参加しヨレヨレながらもどうにか乗り切った。しかし2月1日の静岡キャンプに竹田の姿はなかった。2月4日まで残った卒業試験と未だ不十分な体調を考慮し二軍が横浜に残る2月12日までという期限付きで一軍メンバーから外れたのだ。「どこでも一緒ですよ。逆にありがたいと思っています」と本人は平静を装っているが内心は穏やかではあるまい。キャンプ前から近藤監督は「抑えの斎藤明を先発に回すので竹田は抑え投手で起用する。彼ならきっとやってくれると信じている」と公言していただけに、大学時代からプライドと向こう意気で投げてきた竹田は悔しかった筈だ。
「正直言えば少しカッとしましたよ。でも冷静に考えれば身体も出来てなかったし、一軍にいても迷惑をかけるだけでしたから。お蔭でゆっくり身体作りが出来ました」と2月13日の一軍合流後に本音を明かした。「これからですよね、本当の勝負は。キャンプではスライダーをマスターしようと思っています。一応はカーブ、シュート、フォークを投げますが僕みたいに直球が速くない投手は1つでも多くの変化球が無いとプロの世界では生き残っていけないですから」とキャンプでの目標を熱く語る。合宿所に入って1ヶ月。最初は竹田に冷たい視線を浴びせていた同僚選手たちの見方も変わってきた。生来の陽気な性格と屈託のない笑顔が同僚たちの心を徐々に和ませ、今では「ミツクニさん」と呼ばれだした。キャンプの為にと新調したグローブは今や泥まみれだ。海の向こうからは広沢の活躍ぶりが伝わって来る。「アイツはそれくらいやる男ですから驚きはしません」と明るく笑う竹田だが、話が新人王の話題になると「僕だって負けませんよ」と表情を引き締める。2人のプロ野球人生は始まったばかりだ。