自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

時、この不可思議なもの、、、

2008年01月14日 21時03分22秒 | コラム
 新しい年になったと思ったら、あっという間に半月が経ち、1年の24分の1が過ぎることになる。人間だけなのだろうか、時間の過ぎる速度に比して、自分の成し得たことの少なさを嘆くのは、、、。時間を測定する単位は人間は創り出すことは出来た。太陽系で地球が太陽の周りを一周する時を一年、地球が自転する時間を一日、その24分の1を1時間、その60分の1を1分間、さらに秒まで、、、。
 そして、何年か後の暦も作成できるし、1年間に数秒も狂わない時計をも保持している。それでいて、未来永劫に人は時間の支配下にある。

 造物主、全知全能の神が存在するとしたら、それは時間のことなのではないだろうか。老子が説いた『道』は時間のことだと思う、と述べておられたのは、晩年老子を学ばれた住井すゑさんの言だが、『時間が全てを支配する。』のは間違いがないようだ。

 これまでも、時間を支配しようとした人間は存在する。古代エジプトのミイラ作成も霊魂不滅を信じたからだし、秦の始皇帝も除福に不老長寿の品を探させたし、地下宮殿を造営し、生前と同じ生活を願った。厳島神社で沈む太陽を止めようとしたのは平清盛である。しかしいずれも時の経過と共に、考古学の対象になりこそすれ、時を支配することは出来なかった。平氏に至っては瀬戸内に沈んだ歴史を残しただけである。

 時の支配を甘んじて受けよう、、、。そして時の恩恵を少しでも我が身に受け取る工夫は出来ると思う。時を我が身に捉える術は、何事思い切って取り組むことと、目だたぬ努力を続けることだ。力を出し切った瞬間は思い出となって己のものとなるし、目だたぬの努力の継続は習慣となって己の一部となる。良き思い出と良き習慣が、限りある人生を悔いのないものに出来る両輪だろう、、、。