自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

出雲が神道のふるさと

2008年01月05日 15時46分02秒 | コラム
 全てに神宿ると考えたのが、この国の民の古くからの心裏だったのだが、八百万の神が一堂に会するのが出雲であり、その会合がある十月は他の地域は神無月、この出雲の地だけは神有月となる。
 初詣は年頭におけるこの地に住む人々の年中行事であり、精神を清め新たな年での飛躍を願うものなのだが、メディアが初詣客の数ベストスリーに挙げている有名な神社でなくとも、自宅から除夜の鐘を聞いてから詣でるのが本来の年中行事としての初詣のあり方だと思う。

 問題の山積するこの国で、時の総理も野党の党首も年頭に伊勢神宮に参拝したのだが、政教分離に反しないのであろうか、、、。かって、小泉総理が靖国参拝を指弾されて、伊勢神宮参拝には異論ないのに何故靖国では、と批判したのだが、ある意味では的を射た反論だと思う。

 靖国神社も伊勢神宮も天皇家と関わりの深い神社であることは歴史的事実であるのだが、伊勢神宮の場合は複雑な歴史変遷を経た神社であるのに対して、靖国神社は明治の近代天皇制確立に命を捧げたものを祭った明治以降の新しい神社である。
 古代天皇制確立期の天智朝、天武朝の抗争となった壬申の乱において、それまでは伊勢の漁民たちの社だったのだが、熊野を脱出し、天智朝に戦いを挑んだ大海人皇子が、必勝祈願をして勝利し、それ以降天武朝の神社に格上げされ、様々なそれ以前の神をも招聘したものである。天武朝によって財政的基盤も補償され、いわゆる、式年遷宮が定められたのも天武朝の時である。古代では天皇・皇后・皇太子以外は参幣することは出来なかった。中世、朝廷の力が衰え、皇室の氏神から、日本全体の鎮守として武士から庇護された。各地にある鎮守の森はその名残であろう。戦国時代に近づくと、式年遷宮も中止となるが、御師(おし)と呼ばれた信者を獲得し各地に講を広めた人たちにより、近世、江戸時代の一般庶民の『お伊勢参り』に繋がる。『いいじゃないか』のお陰参りを倒幕に生かした薩長の明治政府は、伊勢神宮を国家神道の頂点と位置づけた。式年遷宮は、森の手入れ、伝統建築技術の伝承、リサイクルに繋がるこの国の誇るべき文化だが、天皇が参拝するのは当然としても、明治憲法下の天皇の臣としての政治家の参拝はやむを得ないとしても、国民主権下の政治の頂点にある人物が参拝するのは、政教分離に反することになるだろう。

 日本人の心のふるさととして、日本人を代表して神社に初詣するにふさわしいところは出雲大社であろう。

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