自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

人類の財産、日本国憲法

2012年05月03日 07時07分41秒 | コラム

 日本国憲法も今年で65年目を迎えた。人類の財産をちりばめた多くの条文は、日本国民にとって身の丈過ぎるものだったのだろうか、、、。猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、等の諺もあるのだが、、、。日本国憲法第3章の第10条~第40条までは、、自由権、社会権、人権保障する諸権利が集約している。世界史的に永い永い封建的束縛、絶対王政による専制から解放を目指す市民革命(17C.イギリスの二つの革命、18C.末のアメリカ独立、フランス大革命)によって実現できたのが、19世紀の権利、自由権だ。その中でも経済活動の自由(日本国憲法では、22条と29条)は資本主義社会を生み出す原動力となった。そしてその資本主義社会で生じた新たな経済的差別を解消するために主張され、権利として確定したのは、イギリスに於ける労働運動、フランスの2月革命、パリコンミューン、ロシア革命、ドイツ革命によってである。自由権が国家からの自由と称されるのに対して、国家による自由の保障という意味で、社会権と呼ばれ20世紀の権利とも言われる。日本国憲法では、25条、26条、27条、28条で取り入れられている。そしてこれらの諸権利の本質を、11条、12条、13条、97条で糺し、国民に自覚と責任を求めている。改憲論者は権利ばかりで義務がないなんて言って批判しているが、読み違いもはなはだしく、何か意図的なものを感じる、、、。

 前文と第2章第9条は二つの世界大戦という人類にとっての悲劇を教訓に、人類の文明が到達した、戦争のない地球にするための最高度に置かれたベースキャンプといえるだろう。
 自由権が19世紀の、社会権が20世紀の権利として定着したように、be+ingの権利、人類が勝ち取ろうとしている権利が平和のうちに生きる権利(平和的生存権)であり、この権利を21世紀中に定着させ、人類が22世紀を迎えることが出来るようにするのが、今この困難な時代を生きているすべての人間の責務であろう、、、。
 改憲論者は、いろいろな俗論、迷論を振りかざし、いろんな主張をしているが、彼らの最終目標はこの人類がたどり着いた最高度のベースキャンプの撤収にある。孔子の言、『君子は義にさとり、小人は利にさとる、、、』とあり、政治は最高の道徳であり、政治家は君子であるべきなのだが、利に絡め取られた政治家の、エセ正義を振りかざしてのプロパガンダに惑わされてはならない。

 社会問題の根本は経済にあるのだが、資本主義経済の問題を解決しないと、戦争のな地球の実現は不可能どころか、近い未来に人類のない地球を実現されかねない、、、。      アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズを超えた経済学、つまり軍需経済に代わる平和経済学を確立しなければならない。これは今喧伝されているグローバリズムの経済ではなく、反グローバリズム、資本主義の経済成長路線でなく、循環経済路線から生まれてくるであろう。

 第二次世界大戦が終了時、わが国に押し付けられたと改憲論者は主張するが、百歩譲って、押し付けられたとしてしても、当時の人類の最高のものを、平和を愛する諸国民によって押し付けられたのであって、それを代弁したGHQも当時はニューディール左派のリベラリストが多く、主流をなしていた。人類の歩みにに対するブレーキが冷戦である。大戦後社会主義を選ぶ国が増えたのは、その国の国民であって、経済の発展の遅れた自国の国民生活を安定させるために、より無駄のない社会主義経済がよいと考えたからだ。一方社会主義の広まりを脅威に感じ、それを押しとどめようとする、社会主義を敵視する勢力が、アメリカで権力を持つ(マッカーシズム)こととなり、人類の文明化を遅らせることとなる、、、。かって、世界で最初に社会主義革命を成功させたロシア革命の指導者レーニンは、将来は社会主義と資本主義は限りなく近いものになる、と発言していたし、ニューディール政策で資本主義の危機を救ったルーズベルトは、社会主義は競争相手ではあるが敵ではない、われわれの敵はファシズムだ、との立場をとっていた。人類にとって不幸なことは、レーニンの後にスターリン、ルーズベルトの後にトルーマンを迎えたことだ。ロシア革命に対する干渉戦争としての、シベリア出兵(日本も最後まで続けた)、さらに、ナチスドイツの出現、日本の軍国主義の台頭などによって、社会主義建設よりも体制防衛、その急速な軍事優先ゆえのスターリン独裁を生み出すことになった。トルーマンドクトリンは社会主義を敵視する封じ込め政策であり、第二次大戦中に軍事経済化したアメリカの大企業の利と結びつくこととなる。そのためにアメリカの対日占領政策は大きく転換し、アジアに於ける社会主義の広まりを防ぐ防波堤の役割を求められるようになった。GHQのスタッフもリベラルから保守派に変更され、日本に9条を与えたのは間違えであったとの発言すらなされた。天皇に対する忠誠心をアメリカに対しての忠誠心に変更することをなんら恥じない人たち(公職追放を解除されて政財界に復帰)にとって第九条はずっと継子扱いを受けることになる。しかもその人たちがずっと日本の政権を担い続けた。正嫡子を求める国民の要求(憲法32条)も地方裁判所では認められた例はあったが(砂川事件での米駐留軍は違憲、長沼訴訟での自衛隊違憲等)、上級審では統治論で破棄された。そして現在、継子から捨て子にされようとしているが、そうはさせてはいけない。世界中の国々の嫡子にするために微力な力を集めて力にしていく必要がある、、、。

 そのためには主権者である国民の意思が政治に反映される民主主義を日常化させなけばならない。主権者は民主主義を政治家に望むのではなく、自分たちで、自分たちの政治行動(現在では選挙が最大のチャンス)で、国会内の民主化、行政の民主化、そして司法の民主化を実現させなければならない。そして民主化された司法で、アメリカ駐留軍はポツダム宣言違反であると同時に憲法違反、自衛隊は憲法違反の最終判決を得ることができれば、長く厳しい外交交渉によって、沖縄はもちろんのこと日本全土から米軍基地をなくし、自衛隊を平和建設隊に改変し、コスタリカに先取りされた、65年前に決めたはずの軍隊のない平和国家目指すことが可能となる。”経済大国は軍事大国化する”との法則にも例外があることを証明することによって、、、。そうすることができれば、“日本は世界に先駆けて”正しいことを決めたのです。世の中に正しいことほど強いものはありません。”と決めた自国に誇りを持て、その責めを果たすことによって、世界中の人々から信頼、尊敬されるようになるだろう、、、。


コメントを投稿