面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

投手コーチ西本

2010年11月19日 | 野球
ロッテ・西本コーチ造反、退団も 2軍異動保留&練習ボイコット(夕刊フジ) - goo ニュース


2003年、星野監督に請われてタイガースに投手コーチとして入団し、18年ぶりの優勝に貢献したと考えている。
その年のオフ、退団してしまったときは残念だったが、これは自分を引っ張ってくれた星野監督の退団に伴うものだと思っていたのだが、そうではなかったのか?

今年も、厳しい指導でロッテの若手投手陣を鍛え上げ、日本シリーズ制覇に貢献したというのはニュース記事にもあり、それはその通りなのだろう。
投手コーチとしての手腕は、タイガースの久保などとは比べものにならないくらい優秀だと思うが、いかんせん気性の激しい人物だけに、監督とぶつかることはあったことと思われる。
監督に対してビシビシ意見をぶつけたことと推測されるが、それを監督が煙たがっての異動であることが見え見えなのであれば、これはチームとしては甚だマズい状況である。
厳しい指導で若手を鍛え上げる能力は優れていると思われるのだから、2軍コーチへの転身は非常に適任のように思えるが、西本が納得しない理由によっては、ロッテには由々しき問題となるだろう。

西本が本当に優秀なコーチか否か、このオフに見えることになるのかもしれない。
個人的には、それはそれでちょっと楽しみでもある。


yowane

2010年11月16日 | ニュースから
「政治主導なんてうかつなこと言った…」枝野氏(読売新聞) - goo ニュース


何十年と自民党と癒着してきた官僚・官庁なのだから、民主党に替わった途端、それまで機能していた諸々の“システム”が通用しなくなって、様々な手間が増えているのではないだろうか。
と同時に、官僚たちも民主党には非協力的に対応してきたこともあり、ただでさえ政権など担ったことのない民主党の各大臣は、首相をはじめ皆が身動き取れずにもがいている…というような状況なのではないだろうか。
民主党でなく、他のどの政党が政権を握ったとて、同じことであったろう。

それだけ自民党政権が長かったことの証しであるが、自分達が好きに日本を動かしているのだと考えている官僚達が、易々と民主党の大臣達に協力するはずもなく、結局はどこの党が政権を担おうと「官僚システム」は微動だにしないということが証明されたとも言えるのではないだろうか。
そら実務を握る官僚に、ある種「ポッと出」の大臣が立ち向かえるわけがない。

だとするならば、後はもう官僚たちが本当に高い志をもって、国を正しく動かしていってくれることを祈るしかない。
嗚呼、幕末維新の志士たちの大志は、いまいずこ…


危機的状況

2010年11月14日 | ニュースから
大学生の内定率57・6%と最低 氷河期並みの前年下回る (共同通信) - goo ニュース


大学を卒業しても就職口が無いという状況は、非常に危険なニオイがする…というのは杞憂に過ぎないだろうか。
ある世論調査では、政党支持率が民主党16.2%、自民党16.5%となって、民主党政権誕生以来初めて自民党が上回ったといっても、国民が自民党に期待を寄せているような結果ではないのは一目瞭然。
そんなことよりも、支持したいという政党が無くなっていることの脅威を考えるべきだろう。
好戦的な極右勢力やナチズム的思想が支持を集めるのは、こんなときではないだろうか…


身を捨ててこそ

2010年11月13日 | よもやま
民主、議員歳費1割カットに異論噴出 正式決定先送り(朝日新聞) - goo ニュース


人気ダダ下りの民主党であるが、ここで議員歳費1割カットについて満場一致で承認していれば人気復活の起爆剤になったやもしれぬというのに、そんな根性はハナから無かったようで。
これは民主党に限った話ではなく、“同根”の他の政党の議員も同じ状況に立てば結果は同じであろうし、1割カットを進めるべきだなどと言う者もいないだろう。
共産党とて言わないか。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」

ともかくも、民主党でこの言葉を思い浮かべる議員はいなかったということか。


江戸時代のような

2010年11月12日 | ニュースから
住む場所ほしい…長女を寮付き風俗に紹介、逮捕(読売新聞) - goo ニュース


娘を寮付の風俗店に入れ、その寮に転がり込んで家族で住んでいたというこの事件。
娘を“売って”それをもとに家族が暮らしていくというのは、まるで江戸時代の遊女のような話。
父親も母親もどちらも病弱で、働きたくても働けないということであれば、なんとも切ない話であるが、どうもそういう事情ではないような…
単に両親とも働くのがイヤで、娘を“売って”それに便乗して生活しようという、鬼畜の所業の事件のようで。

そういう親の神経が分からない…


諸刃の剣

2010年11月11日 | 野球
阪神OB中心の純血主義へ回帰 フロント主導型へ組織改変(夕刊フジ) - goo ニュース


ノムさん、星野さんと、いわゆる「外様」の監督を迎え、それも強烈な個性の二人を入れることで、大いに改革が進んだ阪神球団。
なぜそうせざるを得なかったかといえば、それまでの“純血主義”のもとで、チームが弱体化する一方だったことにさすがの野球オンチの久万オーナー(当時)も危機感を持ち、ノムさんを迎えたことに端を発するものであった。

それから10年あまりが経ち、チームは再び常にAクラスをキープできるまでに回復した。
しかし、当たり前のように3位以上にいる今の状況に安心ししきって、単純に「外様を追い出せ!」という思いだけで躍起になって『純血主義』を推し進めようとしているのではあるまいな!?
と妙に心配してしまうのは、かつての“ヤクザな”球団経営を知る者の悲しい性というべきか。


異形のミイラたち

2010年11月10日 | ニュースから
カラス天狗、正体はトンビの骨…X線CTで解析(読売新聞) - goo ニュース


「そんなものが、あるはずがない」と頭では思ってはいても、「いや、もしかすると…?」とか、「カラス天狗でないにしろ、何か正体不明な生物のミイラでは!?」と淡い期待を持ってしまうのが、このテのミイラ。
X線写真で正体をバラされてしまっては、実もフタもない…というところではあるが、そんな正体を明らかにできなかった遠い昔、このミイラが作られた頃には、人々はビックリドッキリしながらご開帳を楽しんだことだろう。

記憶が確かならば、江戸時代の一時期、このような“異形のミイラ”が流行し、あちこちでいろんなミイラが作られたという。
動物の死骸をくっつけて造形を整えたり、今回の「カラス天狗」のように粘土で形作ったりしたミイラ達が、今日の万分の一も情報が無かった当時の人々に娯楽を提供していたのである。
それはそれで立派な功績を残してきたのであり、それで社寺や地域経済に潤いを与えたのならば、神や御神体として崇め奉られてしかるべき。
わざわざ正体を、正確につまびらかにする必要もないであろうに…

何でもかんでも、正確な情報があればいいというものではない。
ロマンはロマンとして楽しむ余裕がほしいものだが。


「樺太1945年夏 氷雪の門」

2010年11月09日 | 映画
1945年夏、当時日本領だった樺太の西海岸にある真岡町。
本土への爆撃も激しさを増し、太平洋戦争も終結を迎えようとしていた頃、戦禍から免れていた樺太は、緊張の中にも平和な暮らしが続いていた。
真岡郵便局では、関根律子(二木てるみ)をはじめとする若い女性たちが電話交換手として、4班に分かれて交替で真岡の通信を支えていた。
広島に原爆が投下された数日後、ソ連は突如として「日ソ不可侵条約」を破棄して参戦し、樺太の国境を越えてきた。
ソ連との国境に近い町から命からがら逃げてきた罹災者達が次々と真岡に到着、順次北海道へと避難していく。
8月15日に終戦を迎えた日本軍は、ソ連軍と交渉の場を持ち、進撃を止めるように申し入れるも、ソ連軍指揮官は樺太の制圧を命じられているとして聞き入れない。

ソ連軍の進撃が樺太南部へと迫り、婦女子の強制疎開命令が出されるが、真岡郵便局の交換嬢の一部は“決死隊"の編成に加わり、最後まで交換手としての職務を全うしようと町に残った。
そしてついに、早朝の真岡の沖合いに姿を現したソ連の軍艦が、朝靄を切り裂いて艦砲射撃を開始する。
紅蓮の炎に包まれた町にソ連兵士が上陸を始める中、真岡郵便局にいた律子を班長とする第1班の交換嬢9名は、電話交換手として真岡の通信を守るべく、最後まで職務を遂行しようとしていた。
班長の律子は交換台を死守し、通信回線をつなぎ続ける。
胸に青酸カリをしのばせながら…


「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら…」
北海道稚内市の稚内公園内に、樺太を遥かに望む場所に、樺太に散った乙女達を偲んで女人像が建っており、石碑に言葉が刻まれている。
このモニュメントは、「氷雪の門」と呼ばれているという。
本作に触れるまで、北の大地にこんな悲劇があったとは知らなかった。
第二次大戦末期における悲劇として伝えられる沖縄の「ひめゆり部隊」の物語は有名だが、樺太で最後まで通信回線を死守し続けて散った9人の乙女の惨劇が、なぜこれまで伝えられてこなかったのだろう。
しかも真岡郵便局の交換嬢達が自ら命を絶ったのは、終戦日とされる8月15日よりも後のことである。
南北の悲劇に何ら軽重を付けるものではないが、あまりにも理不尽だと感じるのは自分だけだろうか。

1974年の製作当時、全国公開直前にソ連からの抗議を受けて急遽公開が中止され、北海道など一部地域でのみ公開されたという“いわくつき”の作品が、実に36年の時を経て改めて全国公開された。
監督は、数々の戦記ものを手掛けてきた村山三男。
自衛隊の全面協力を受け、最新の特撮技術を駆使するなど、5億円を超える破格の制作費で作られたスケールの大きい作品。
2004年に唯一残っていたフィルムが発見され、デジタル処理が施されて公開に至ったという。
貴重な映画であるということだけでなく、平和な社会に生きる我々の胸にとどめておくべき佳作。

今回の公開にあたってロシア大統領の前で上映していれば、北方領土に降り立つことなど無かったのではないだろうか。
まあそもそも、そんな上映自体が絶対的に無理ではあるが。


樺太1945年夏 氷雪の門
1974年・2010年公開/日本  監督:村山三男
出演:二木てるみ、鳥居恵子、岡田可愛、野村けい子、今出川西紀、八木孝子、相原ふさ子、桐生かほる、木内みどり、北原早苗、岡本茉莉、大石はるみ

連日のOB会

2010年11月08日 | よもやま
6日土曜日、大学時代に所属していた喜劇研究会「大OB会」に参加。
と言っても、ただの変わった“連中が集まった飲み会”なわけで。

一次会は諸先輩方や後輩も一緒の大宴会。
しかし飲み放題付で5000円は激安♪
アテも余るほど盛り沢山に食べて、OB会諸経費も入れての金額でこれは安い!

二次会は、ひとつ上の先輩から3つ下の後輩までの、共に学生時代を過ごした世代だけで集合。
今回、素晴らしいネタを持つ先輩が参加されたため、久しぶりに息が止まるほど笑った♪
この日だけで、体の抵抗力がかなり上がったことだろう。

そして翌7日の日曜は、出身校の学部OB会の総会出席のため、ほぼ1年ぶりに母校へ。
毎年11月のこの日は、いわゆる「ホームカミングデー」となっていて、学内は賑わう。

校内に入ってまず向かったのは、前日参加した喜劇研究会が借りて開放しているという神学館地下1番教室。
ここは学園祭の3日間、毎年寄席の会場に使っていた思い出の場所である。
20年以上ぶりに入った教室は、放送設備なども備え付けられて、昔自分達が学園祭で使っていた頃からは、かなり改装されている。



それにしても、もっと広かったイメージがあったのだが、存外に狭い教室だったのが意外。
誰とも待ち合わせていなかったので、一人で無人の教室を覗くと、黒板に訪れた人が名前を書いていた。
一番下に記名して、「来たでぇ」という痕跡を残して学部OB会の総会へ。

OB会の副会長から、運営の委員になってほしいとの依頼を受け、これもご縁と引き受けたことからの出席。
活動報告、会計報告と議事が進む中で、会計報告に対して異議申し立てが出て、「シャンシャン総会」をイメージしていたものが意外な(面白い?)展開に。
とりあえずその場が収まったあと、今後1年の役員・委員の選出。
ここで名前が呼ばれるので出席したのだが、同期で去年一緒に同窓会幹事をした男は欠席していて拍子抜けだった。

総会が終わると、記念講演と懇親パーティーの開場である三条河原町のホテルへと移動。
創設者である新島襄の志についての講演の後は、卒業年次毎に円卓に座って宴会。
今年は催しとして応援団を呼んでいたが、これがなかなか面白かった♪
応援歌を聞いてるとジーンときたりするのは、歳をとった証拠か!?



ここでも同期がいなかったので、さすがに手持ちぶさたな感じだったのだが、たまたま隣に座った二期上の先輩が同じゼミ出身だったことから話が盛り上がり、それなりに楽しめた。

この週末、どっぷり母校の雰囲気に浸った2日間だった。
やっぱり母校とはイイもので…