面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「樺太1945年夏 氷雪の門」

2010年11月09日 | 映画
1945年夏、当時日本領だった樺太の西海岸にある真岡町。
本土への爆撃も激しさを増し、太平洋戦争も終結を迎えようとしていた頃、戦禍から免れていた樺太は、緊張の中にも平和な暮らしが続いていた。
真岡郵便局では、関根律子(二木てるみ)をはじめとする若い女性たちが電話交換手として、4班に分かれて交替で真岡の通信を支えていた。
広島に原爆が投下された数日後、ソ連は突如として「日ソ不可侵条約」を破棄して参戦し、樺太の国境を越えてきた。
ソ連との国境に近い町から命からがら逃げてきた罹災者達が次々と真岡に到着、順次北海道へと避難していく。
8月15日に終戦を迎えた日本軍は、ソ連軍と交渉の場を持ち、進撃を止めるように申し入れるも、ソ連軍指揮官は樺太の制圧を命じられているとして聞き入れない。

ソ連軍の進撃が樺太南部へと迫り、婦女子の強制疎開命令が出されるが、真岡郵便局の交換嬢の一部は“決死隊"の編成に加わり、最後まで交換手としての職務を全うしようと町に残った。
そしてついに、早朝の真岡の沖合いに姿を現したソ連の軍艦が、朝靄を切り裂いて艦砲射撃を開始する。
紅蓮の炎に包まれた町にソ連兵士が上陸を始める中、真岡郵便局にいた律子を班長とする第1班の交換嬢9名は、電話交換手として真岡の通信を守るべく、最後まで職務を遂行しようとしていた。
班長の律子は交換台を死守し、通信回線をつなぎ続ける。
胸に青酸カリをしのばせながら…


「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら…」
北海道稚内市の稚内公園内に、樺太を遥かに望む場所に、樺太に散った乙女達を偲んで女人像が建っており、石碑に言葉が刻まれている。
このモニュメントは、「氷雪の門」と呼ばれているという。
本作に触れるまで、北の大地にこんな悲劇があったとは知らなかった。
第二次大戦末期における悲劇として伝えられる沖縄の「ひめゆり部隊」の物語は有名だが、樺太で最後まで通信回線を死守し続けて散った9人の乙女の惨劇が、なぜこれまで伝えられてこなかったのだろう。
しかも真岡郵便局の交換嬢達が自ら命を絶ったのは、終戦日とされる8月15日よりも後のことである。
南北の悲劇に何ら軽重を付けるものではないが、あまりにも理不尽だと感じるのは自分だけだろうか。

1974年の製作当時、全国公開直前にソ連からの抗議を受けて急遽公開が中止され、北海道など一部地域でのみ公開されたという“いわくつき”の作品が、実に36年の時を経て改めて全国公開された。
監督は、数々の戦記ものを手掛けてきた村山三男。
自衛隊の全面協力を受け、最新の特撮技術を駆使するなど、5億円を超える破格の制作費で作られたスケールの大きい作品。
2004年に唯一残っていたフィルムが発見され、デジタル処理が施されて公開に至ったという。
貴重な映画であるということだけでなく、平和な社会に生きる我々の胸にとどめておくべき佳作。

今回の公開にあたってロシア大統領の前で上映していれば、北方領土に降り立つことなど無かったのではないだろうか。
まあそもそも、そんな上映自体が絶対的に無理ではあるが。


樺太1945年夏 氷雪の門
1974年・2010年公開/日本  監督:村山三男
出演:二木てるみ、鳥居恵子、岡田可愛、野村けい子、今出川西紀、八木孝子、相原ふさ子、桐生かほる、木内みどり、北原早苗、岡本茉莉、大石はるみ