面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

コウボク

2010年07月21日 | ニュースから
ウィンドウズ2000期限切れ、15万台に脅威(読売新聞) - goo ニュース


こうなることが見えていて、今まで何をやっていたのか?
という感覚は、やはり公務員の世界には無いということか。

おつむのおかしさは自分には理解できない。
いや、皆さん頭が良すぎていらっしゃるので、自分の頭脳レベルを凌駕しているということかもしれない。

とにかく、どう考えても情報漏えいに対する意識の低さは、いかんともし難いとしか考えられない。
というより、ITに対する知識の無さ、情報漏えいに対する意識の低さは、クソ人間と呼ぶべきレベルしかないのだろうと考えるのは自分だけか?
人の税金で楽々のうのうと生きていて、納税者に対する意識が全くないクソどもが有象無象にいる、と言い換えた方が分かりやすいだろうか。

なんでもエエから、何とかしてもらえませんか?お役人さま。
もう「公僕」なんて呼びませんから。
(既に死語となっていたか?)


「告白」

2010年07月20日 | 映画
少年は、その人格は未熟であり、また将来に向けて更生の余地が大きいことから、極刑に処するのではなく、相応の施設によって性格の矯正・人格の形成を図るべきである。
「少年法」によって未成年者が守られることの意義は、ごくごく簡単に言えば、そういった思想に基づいている。
だから、犯行時18歳未満であった者は、死刑に処すべき場合は無期刑に処し、無期刑をもって処断すべき場合でも10年以上15年以下の有期刑にできると規定するのである。

しかし。

自分の家族がこの「少年法」で守られる年齢の者に殺されたとき、
「犯人は、更生の余地がある将来の残された青少年であるから、しっかりと生きて更生に努めてほしい」
と思えるだろうか。
これだけはハッキリと言える。自分は決してそうは思えない。
ましてや、自分の家族を殺したその青少年が、何ら罪科の意識に苛まれることなく、また家族を殺したそのこと自体に全く罪悪感を感じていないとき、「少年法」の思想や理念など、微塵も思い浮かぶことはないだろう。
ただ思うことは、自分の家族が苦しめられたのと同様にこの犯人をいかに苦しめるか、いや家族が苦しんだ以上の苦しみを与えてやろう、ということしかないのは間違いない。

中学教師の森口悠子(松たか子)は、最愛の娘を自分のクラスの生徒に殺された。
そしてその犯人である二人の生徒は、悪びれる様子もなく、ごく普通に暮らしている。
しかもそのうちの一人は、ただ自己満足のためだけに娘を殺すという明確な意思があった。

「許さない。」

ごく自然な思いである。
そしてその思いに、自分はごく自然に同意し、悠子にシンクロした。

悠子の復讐劇は、実に巧みに実行されていく。
それが少しずつ達成されていくことに胸のすく思いがしたのは、紛れも無い事実である。
「39」や「誰がために」といった、未成年者によって愛する家族を殺された犯罪被害者を描いた作品を思い出した。
どちらの作品も佳作ではあったが、自分にとっては、やるせない思いが残った。
そのやるせなさの理由が、本作によって明確になった。

なるほど!
自分の家族が殺されたとき、こういう風に復讐すればいいのだ。
これは“もしも”のときに大いに参考になる。
誤解を恐れずも非難を承知もへったくれもなく、本作は自分にとっての羅針盤であると言おう。

ちなみに自分は法学部の出身であり、少年法や犯罪者の更生についても少なからず学んだ。
従って、悠子の愛娘を殺した犯人の少年が、しっかりと更生していくことに期待したい。

…なぁんてね。



告白
2010年/日本 監督・脚本:中島哲也
原作:湊かなえ
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃

「ザ・ロード」

2010年07月19日 | 映画
今となっては、何が原因でそうなってしまったのか分からない…。

人類が文明を失ってから10年以上の月日が経っていた。
太陽は厚い雲の彼方に隠れて寒冷化が進み、動物も植物も次々と死に絶えてしまった。
僅かな人間が生き残っていたが、命を長らえるためには保存食を見つけるしかない。
そうしなければ、餓死するか自殺するか、あるいは道徳と理性を失った人間達の食料になるかしか、道は残されていないのである。

絶望に覆われた荒廃した道を、一組の親子が歩いていた。
少しでも寒さから逃れるため、ひたすら南を目指して歩き続ける父(ヴィゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット=マクフィー)。
息子が生を受けたとき、世界は既に終末期を迎えていた。
そのために息子は、豊かな文明はおろか、温かく満ち足りた生活さえ知らない。
母親(シャーリーズ・セロン)は、まだ息子が幼い時に、将来に絶望して自ら命を絶っていた。
息子にとっては、父親が世界の全てであり、信じる全てであった。

そして、滅び行く世界の中で息子と共に生き抜くことを選んだ父にとっても、世界の全ては息子だった。
息子の命を守り抜くことに己の持てる全てを注ぎ、常にあらん限りの愛情を注いで息子を強く抱きしめる。
父親は息子に言う。
「俺たちは、心に宿る火を運んでいる。」

荒れ果てきった絶望の道を、二人は片時も離れず寄り添いながら、“善き者”として歩き続ける…


いろんな映画の中で、様々に終末期の地球が描かれてきたが、これほどまでに絶望的な世界がかつてあっただろうか。
食べるものは尽き果て、人間性を持った人間は、理性を捨て去った人間に食われてしまう。
ゾンビが生きている人間に噛みつくのではない。
正真正銘の人間が人間を狩り、そして食らうのだ。
こんな恐ろしい世界の描き方があるだろうか。

そんな、いまだかつて見たことのない、一切の希望が入り込む余地の無い絶望の世界で、父と息子が南を目指して歩き続ける。
本作は、一組の父と息子が、ただひたすら荒れ果てた道を歩いていくだけの物語である。
しかしそこに描かれているものは、ただひたすらに父親を信じる息子と、ただひたすらに息子を守り、溢れんばかりの愛で包み込む父親との、極めてピュアで強靭な親子の絆だ。
一切の余分なモノが極限にまでそぎ落とされた親子愛に、魂が深い部分から揺さぶられる。

見終わった後からも様々な思いがこみ上げてくる、心に響くロードムービーの傑作。


ザ・ロード
2009年/アメリカ  監督:ジョン・ヒルコート
出演:ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー、ロバート・デュヴァル、ガイ・ピアース、シャーリーズ・セロン

「バウンティー・ハンター」

2010年07月18日 | 映画
元刑事のマイロ(ジェラルド・バトラー)は、元妻・ニコール(ジェニファー・アニストン)との離婚に傷つき、今はバウンティー・ハンター=賞金稼ぎとして、逃亡犯を追って生計を立てていた。
しかしどこか自堕落な生活を送るマイロは、報奨金もすぐに使い果たしては借金を重ね、自分自身も借金取りのチンピラに追われる始末。
そんなマイロに、交通違反の裁判に出頭しなかったニコールを、5000ドルで捕まえてほしいという依頼が舞い込む。
狂喜乱舞してマイロは、ニコールの行動パターンなどお見通しで、すぐさま彼女を捕まえるが、あの手この手でニコールは逃げ出そうとする。
しかしそんな二人は、新聞記者であるニコールが追っている事件に絡んで、犯罪組織から追われる羽目になり…

「バウンティー・ハンター」とは、全米のほとんどの州が免許を発行しているという、アメリカに存在する職業。
本作のような元警察官や私立探偵などが免許を持ち、逃亡犯の検挙に一役買っている。
州を越える捜査に制限がある警察にとって、エリアに関係なく動くことができるバウンティー・ハンターは、とても“使い勝手”のよい存在なのだとか。
そんなバウンティー・ハンターの免許を持つ元夫が、懸賞金のかかった新聞記者の元妻を、喜々として捕まえようとしながら、二人で事件に巻き込まれる中で互いの距離が再び縮まり、焼けぼっくいに火がつくか…?

狙った獲物は確実に捕らえて賞金を稼ぐマイロと、狙いを定めた事件に対して猪突猛進にアタックするニコール。
そして二人とも、恋愛に関して悩んだときには自分の母親に電話して相談する。
カジノでも息ピッタリにギャンブルに熱くなったりする二人は、実は「似た者夫婦」。
二人の“呼吸”が、うまくいっているときにはどこまでも熱く高揚できるが、ひとたびこじれだせば近親憎悪も相まって、修復不可能な関係へと落ち込んでいく…。
「子供か、君ら!」とツッコミを入れながらも、最後までテンポよく話が進んで最後まで飽きさせない。
これも、私生活でも噂のあるジェニファー・アニストンとジェラルド・バトラーによる、絶妙の掛け合いのなせる業!?

軽いタッチの仕上がりで、肩の力を抜いて何も考えずに単純に楽しめる、クライム・アクション仕立のラブ・コメディ♪


バウンティー・ハンター
2010年/アメリカ  監督:アンディ・テナント
出演:ジェニファー・アニストン、ジェラルド・バトラー、ジオ・ペレツ、ジョエル・ガーランド

「レポゼッション・メン」

2010年07月17日 | 映画
20年後の世界。
医療技術の進歩によって様々な人工臓器が開発され、人類はかつてない長寿を獲得し、若さや美貌、能力向上などの恩恵を受けていた。
人工臓器のトップメーカーであるユニオン社は、心臓、腎臓、肝臓はもちろん、眼球や鼓膜、関節などの骨格に至るまで、およそ人間の身体の中で代替できない部分は無いのではと思われるほど、様々な商品をとりそろえていた。
今日もユニオン社のCMが流れている。

「最新型の人工肝臓!」
「お値段たったの6,800万円♪」

庶民には、おいそれと購入できる金額ではない。
そこで、誰でも手軽に人工臓器が手に入れられるよう、ローンが用意されている。
これによって、ある人は命を長らえ、またある人は美容を保つことができるのだった。

しかし、いかんせんローンは高額なため、返済が滞る人も続出。
滞納者の元に届けられる督促状が「最終通告」の赤い紙になったとき、ユニオン社の「レポゼッション・メン」という回収担当者の出番となる。
レポ・メンと称される彼らは、合法的かつ強制的に人工臓器を回収していき、その実績に応じて高額の報酬を得ていた。

レポ・メンの中でもトップの回収率を誇るレミー(ジュード・ロウ)は、妻からその仕事を嫌悪されていた。
営業担当への職務変更を申請するように妻から言われるレミーだったが、レポ・メンの仕事で得られる高揚感・充実感から抜け出せずにいた。
そんなレミーの態度に愛想を尽かせた妻は、とうとう別居に踏み切る。
愛する息子と引き離されることになったレミーは、営業担当への配置転換を申請することを決意。

仕事の相棒で昔からの親友であるジェイク(フォレスト・ウィテカー)は、レミーの転属に猛反対し、レポ・メンの職務に引きとめようとする。
しかしレミーの決意は固く、ジェイクの声を背にしながら、レポ・メン最後の仕事に向かうのだった。
対象者の人工心臓を停止させるための電気ショック装置をセットし、電流を流したその瞬間、なんと装置がショートしてしまい、レミーはショックで気を失ってしまう。

ベッドで目覚めたレミーは、眠っている間にあろうことかユニオン社の最高額商品である人工心臓を埋め込まれていた。
ジェイクによれば、レミーの心臓は停止し、延命のためには人工心臓を入れるしかなかったという。
多額の借金を背負うことになり、高収入を得るために再びレポ・メンとして任務につくが、なぜか以前のような回収作業ができなくなってしまった。
対象者から臓器を取り出そうとしても手が動かず、仕事が勤まらないレミーは報酬が得られない。
人工心臓のローン支払が滞りはじめ、ついに“最終通告”が届く。
「回収する側」から「回収される側」へと立場が逆転し、レポ・メンに追われる中でレミーは、謎の女性債務者・ベス(アリシー・ブラガ)と出会い、互いに惹かれあった。
そして自分達の債務記録を消去するため、ユニオン社へと向かう二人だったが…


人々に長寿をもたらし、若さを保つことができる夢のようなアイテムである人工臓器は、その実、命を縮める原因になりかねない、「極めて鋭利な諸刃の剣」だった。
起こりうる近未来の悪夢に妙なリアリティがあるのは、全米を代表する若きベストセラー作家である原作者エリック・ガルシアが、全面的に脚本に携わった、ということだけが理由ではないだろう。
人工臓器を得られてもローンの支払が滞り、命を落とす債務者達の姿に、「サブプライムローン」の破綻による悲劇がオーバーラップするからではないだろうか。

「幸せのための返済プランをご用意します」と微笑むレミーのボス・フランク(リーヴ・シュライバー)は、低所得者に対していとも簡単に住宅が手に入るかのように、言葉巧みにローンを勧める営業マンそのもの。
自身がフランクのような立場の人間でない限り、債務者として闘うレミーを応援したくなるのは人情というものであろう。
そしてその思いを抱く観客は、過半数どころか大勢を占めるに違いない。
ところが、そんな“一般客”のレミーに対する声援に対して、凄まじいトラップが仕掛けられている。
最後までスクリーンから目が離せない…

様々なアイロニーに富んだ、近未来サスペンスの佳作。
最後まで、しっかりと見届けていただきますよう。


レポゼッション・メン
2010年/アメリカ・カナダ  監督:ミゲル・サポチニク
原作:エリック・ガルシア
出演:ジュード・ロウ、フォレスト・ウィテカー、リーヴ・シュライバー、アリシー・ブラガ

「エアベンダー」

2010年07月16日 | 映画
それは遠い昔のこと。

世界は、「気の王国」「水の王国」「土の王国」「火の王国」の4つの国によって、バランスが保たれていた。
それぞれの国には、「気」「水」「土」「火」の4つのエレメントをそれぞれ操る能力を持つ、「ベンダー」と呼ばれる人々がいた。
「気の王国」には空気や風を操る「エアベンダー」が、「水の王国」には水を自由に操れる「ウォーターベンダー」が、「土の王国」には土を自在に操れる「アースベンダー」が、そして「火の王国」には、火を縦横無尽に操れる「ファイヤーベンダー」がいた。
そのベンダーの中に、4つのエレメント全てを操ることができるベンダーが一人だけ存在し、「アバター」と称されて人々からの尊敬を集めていたのだった。

アバターは、輪廻転生によって代々この世に現われ、世界の調和を保つ存在であったが、100年前に突然姿を消していた。
アバターが消えたことによってバランスを崩した世界の中で、火の国が世界の征服を狙い、動き出した。
まずは次のアバターが誕生するとされていたエアベンダーを殲滅し、土の王国を攻撃して次々と町を支配下におさめ、アースベンダーを封じ込めていく。
そしていよいよ、水の王国へとその魔の手を伸ばそうとしていた。

水の王国でウォーターベンダーとして育ってきた少女・カタラは、兄・サカの狩りを手伝っている最中、海中に沈んだ光る氷を発見した。
氷の中に閉じ込められていた一人の少年と巨大な生物を救い出したカタラは、兄とともに彼らを自分達の村へと連れて帰る。
この、まだ12歳という少年・アンこそ、エアベンダーの最後の生き残りであり、100年前に消えたアバターであった。
アバターが背負う宿命の重さに耐えかねたアンは、修行の途中で逃げ出し、嵐にあって氷の中へと閉じ込められていたのである。

100年の間に世界の調和が乱れ、戦乱の世となってしまったことに心を痛めたアンは、アバターとして生きていく宿命を受け入れる。
そして、まだ自在に操れるエレメントが「気」のみのため、真のアバターとして全てのエレメントを操る力を身につける修行を成し遂げるべく、カタラ、サカとともに世界の命運をかけた旅に出る…


「シックス・センス」「サイン」「ハプニング」などのヒット作を送り出してきたM.ナイト・シャマラン監督が挑む、“パワー・スペクタクル超大作”。
なめらかでキレのあるカンフー・アクションを織り交ぜたアクションシーンに、高度なCG特撮技術が融合した映像は、迫力と美しさを兼ね備えていて見応え十分!

4つの国々でバランスを保っていた世界の中で、1つの国が突出して他を制圧しても、それによって人類全体の調和が乱れ、征服された側はもちろん実は征服する側も、本当の幸せを得ることはない。
それはまるで、「世界の保安官」を自任して戦争を仕掛けても、決して成功することのないアメリカに対する皮肉のよう。
いつも、自然に対する畏敬の念や、人と自然のつながり、人と人とのつながりや調和をテーマにしてきたシャマラン監督の、正に集大成と言える。

万物の根源を成す「気」「水」「土」「火」の4つのエレメントをモチーフにし、東洋哲学的なテイストを漂わせた、ハリウッド大作でありながらもオリエンタル色の豊かな痛快娯楽活劇。
「ドラゴンボール」風「ドラゴンクエスト」式ロールプレイングゲーム的幻想小説とでも言うべき快作!


エアベンダー
2010年/アメリカ  監督・脚本・製作:M.ナイト・シャマラン
出演:ノア・リンガー、デヴ・パテル、ジャクソン・ラスボーン

結局。

2010年07月15日 | 野球
巨人投手陣に恵みの雨、2日連続中止で先発余裕(読売新聞) - goo ニュース


「首位奪取!」と燃えていた我々ファンを無視した試合運びで初戦を落としたまま、前半戦最後の天王山は終わってしまった。
これが初戦を取っていれば、首位に立ったままこの山場を終えることになり、オールスターまでの残り試合で一気にスパートをかけて首位をキープして…というファンの楽しみは、正に水に流れてしまった。
ファンの期待を裏切った真弓監督に対する、天の皮肉ではないだろうか。

出し惜しみの結果延長戦にもつれ込ませ、結局負けゲームにつぎ込むことになった藤川、久保田、西村の“勝つためのリレーメンバー”にとって、良い気分転換になったことを祈るばかり。
あんな試合の翌日、変な疲れとモチベーションの低下を心配していたが、そこは試合がなかったことが幸いした。
体力・気力ともにしっかり休めてほしいものだ。

2年前、岡田監督が辞任する要因となった“悪夢の大逆転”が怖いという、真弓監督の及び腰が災いして波に乗り切れないタイガース。
「勝負は9月」と言い訳のように繰り返す言葉を、今はそのまま受け止めるしかない。
本当の勝負時とみたその時の真弓監督の采配を、とくと見届けたい。


訃報

2010年07月14日 | 野球
スタインブレナー氏死去 ヤンキースの名物オーナー(共同通信) - goo ニュース


中学生のとき。
大リーグに興味を持って、いろんな情報を知っていった中で、ヤンキースと言えば…という感じでその名がインプットされたスタインブレナー氏が亡くなったとのこと。
80歳ということだから、まだ若いというわけではないのだが、最近はその情報が入ってこないものの自分の中ではまだまだ健在だったので驚いた。
読売のナベツネオーナーが、金にあかせてスター選手を集めたときには、スタインブレナーのマネか!?と腹立たしく思ったのも今は昔。

なにはともあれ、ご冥福を祈るばかり。

合掌


勝ちたくないのか?

2010年07月13日 | 野球
たまたまナイター中継を見ることができるタイミングで、今のタイガースを象徴するかのようなシーンに遭遇した。

2点リードで迎えた7回表、二死ランナー1塁にエドガーの場面。

打席に坂本を迎えて、あろうことか1塁のブラゼルが1塁ベースを離れて守っている。
いくら城島の肩が強いとはいえ、そんなランナー“フル無視”の守備はありえない。
更に投げるスタンリッジも、クイックには程遠い大きなモーション。
こんな緩いプレーをやるなんて、油断以外の何ものでもないだろう。

それでもすぐにスタートを切らない読売側も最低だったが、さすがに3球目には盗塁をしかけてきて、城島も送球を焦ったかボールを取りこぼしてしまい、ランナーは悠々セーフ。
こうなるとスタンリッジのコントロールも微妙に狂ってくるというもの。
坂本を歩かせてしまうと、読売唯一のタイムリーを放っている松元を迎えることに。
そしてスタンリッジの変化球にうまくくらいついた松元の当たりは、1塁線へと転がった。
すると今度はブラゼルが、やや緩慢な動きで打球を逃してしまいライト線へと抜ける痛恨のタイムリーエラーとなってしまった!

読売の勝ち頭であり、今季エースの働きをしている東野を攻略して逆転し、2点のリードを奪ってタイガースペースで試合を運んでいたというのに、たったひとつの気の緩んだプレーによって試合の流れをみすみす読売に渡してしまっている。
こんな雑な試合をしていて勝てるわけがない。

しかもその直後の7回裏の攻撃は、またしても歯がゆいことこのうえないベンチワークを見せられた。
先頭打者の浅井が初球をいとも簡単に打ち返してヒットで出塁。
読売に傾いた流れを引き戻す絶好のチャンスがやってきた!
ここで信じられない光景が目に飛び込んできた。
ピッチャーのスタンリッジが、打席に向かっているのである。

何で何で??
ここは相手の不利につけこんで、一気にたたみかける場面だろう!?
代打陣はフルメンバー揃っているのだ。
桧山、金本は、相手が左の山口ということを気にするなら、関本がいる。
しかも関本なら、バントもよし、打ってもよし。
読売側にとってはイヤなバッターであることは間違いない。

にも関わらず、打席にはスタンリッジを立たせたベンチの采配は、根性無しの腑抜けでしかない。
しかもスタンリッジの様子を見るに、とてもバントが成功しそうにない。
案の定バント失敗で、ランナーを進められず。
このプレーは、単にランナーを進められなかっただけではない。
目の前に用意された試合の流れをも見逃す、凡プレーの極みである。

結局、むざむざとチャンスを逃したタイガースは、この回を無為に終わらせてしまう。
この後は中継も見ていないし、書く気にもならないが、延長までもつれた試合の結果は無様な敗戦。

7回裏のあの場面、久保田や西村がイマイチ信用できないので、スタンリッジをできるだけ引っ張ろうとしたと言い訳するのだろうか。
だとしたら、こんなに選手のモチベーションを下げる話はない。
7回裏に1点でも入れば、あとは8回表さえ凌げば最後は藤川で締める「勝ちパターン」に持ち込める。
8回表は“一人一殺”のリレーででも、とにかくリードを死守すればよい。
“攻め”の投手リレーで逃げ切らないでどうするのか。

7回裏の采配は、単に代打攻勢をかけて相手を攻めなかっただけでなく、その後の投手リレーでも攻められずに終わる結果をもたらしたクソ采配だ。
守りに入ったといえば聞こえはいいが、単に弱腰で逃げただけの采配である。

いつまでこんな歯がゆい采配を見せられ続けるのだろう…