面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「監督失格」

2011年10月01日 | 映画
1996年、AV界のトップ女優だった林由美香と恋愛関係にあった平野勝之監督は、東京から北海道まで二人で自転車旅行に出る。
そのときの模様を記録したドキュメンタリー作品「由美香」は、劇場公開されるや大ヒットして話題を呼んだ。
その後二人は別れたが、2005年に由美香が亡くなるまで、悩みの相談に乗ったりする“親しい友人”としての関係は続いていた。

2005年6月。
平野は新たな企画のオファーを受けてくれた由美香と待ち合わせをするも、すっぽかされる。
仕事に穴を開けるようなことは絶対にしない由美香の性格を、誰よりもよく知る平野は不審に思う。
彼女の母親に連絡をとり、合流して合鍵で部屋に入った平野が目にしたのは、寝室で倒れて既に時間が経過した様子の、動かない由美香だった…


「ヱヴァンゲリヲン」の庵野秀明が、実写映画を初プロデュースしたことで話題のドキュメンタリー。
平野監督のおよそ11年ぶりとなる新作は、新作北海道自転車旅行の映像と、その後に記録された映像、更に今回のために追加撮影した映像から構成されている。

平野監督の“生涯の作品”である「由美香」に感銘を受けた庵野が、平野に「なんとか新作を作らせよう」と企画を進めていた甘木モリオからの依頼を受けてプロデュースを買って出たのだとか。
平野の“自分をさらけ出す能力”の並外れた高さを評価する庵野は、林由美香本人とその母親、関係者の映像を編集しただけの作品では意味が無いと、徹底的に彼を追い込んだという。
庵野の“期待”にもがき苦しみ煩悶を繰り返した末、平野はついに自分の“本当の気持ち”に気付く。
そうして画面いっぱいにさらけ出された、由美香に対する彼の思いは、凄まじいエネルギーの塊となって迫ってくる。
死亡している林由美香を発見した現場の映像がセンセーショナルな話題を提供しているが、スクリーンに“曝け出された”事実に圧倒され、三面記事的な興味など雲散霧消してしまう。

この作品について、平野の妻へのインタビューを入れればもっと大きな作品となったのに、というような評を目にしたことがあるが、全く賛同できない。
そんなインタビューなど一切必要ないのである。
本作は平野勝之という作家の「私小説」であり、ただひたすら由美香を追い続けているからこそ、心をゆさぶられる。
由美香を中心として、彼女を見つめ続ける人々の目線と、平野主観の目線で語られることによって胸に染みるのだ。
ひとりの男の慟哭に共鳴し、スクリーンの中の彼と共に身悶えしながら咆哮した人間には、そんな下世話な場面など何の意味も無い。
映画を観て“感じる”ことができなかった人々には、作品に対する興味をつなぐために必要なのかもしれないが。


北海道への自転車旅行の際に平野は由美香から、あらゆるところを撮っていいし、映画に使っていいと言われていた。
ところがある日、二人は大喧嘩をするのだが、その喧嘩のシーンを平野は撮っていなかった。
旅行における全てをカメラに収めるべきところを失敗してしまった彼に対して由美香が言った、「監督失格だね」というセリフがタイトルのもととなっている。
映画監督としての平野は、スクリーンの中でも度々「監督失格」な姿を見せる。
特に“問題の場面”では、発見した由美香に対してカメラを向けることはできなかったから、死してなお由美香から「監督失格」と言われそうだ。
しかしこのとき、ハンディカメラを持っていた彼の弟子であるペヤングマキが素晴らしい仕事ぶりを見せる。
廊下の片隅にカメラをそっと置き、一部始終を撮ることに成功したのである。
誰もが気が動転して混乱するような現場において、少しアングルを修正するような動きまで見せながら、正に師匠ゆずりの“ハメ撮り”の手法を大いに活用しているところは見事で、その冷静沈着な姿勢に感服した。


エンドロールで流れる矢野顕子の書き下ろし主題歌が秀逸。
その歌詞に改めて涙を誘われると同時に、やはり重い雰囲気に飲み込まれそうになるところを救われる思いがして、ホッと落ち着ける。

林由美香に対する平野監督の壮絶な愛の記録を中心に、彼女の周りの人々の愛を織り込み、大切な人の「喪失」と、それに向き合う人々の「再生」を描く、ヒューマン・ドキュメンタリーの傑作!


監督失格
2011年/日本  監督:平野勝之
プロデューサー:庵野秀明
出演:林由美香、小栗冨美代、カンパニー松尾