面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

伊豆放浪記<熱海編>

2010年08月22日 | 放浪記
老舗温泉観光地という風情の残る熱海と伊東。
関西で言えば、和歌山の白浜のイメージか。
しかし東京・横浜からの観光客の数は、関西のそれとは比べものにならない程多いことだろう。
白浜をはるかに凌ぐ規模で、確固たる地位を築いているように思われる。

熱海~伊東2日間の旅程、初日は熱海をぶらぶら。
熱海と言えば「金色夜叉」であり、貫一お宮である。
海岸に像が立っているのは有名だが(前述日記掲載のとおり)、演歌師の歌がエンドレスで流れているのは知らなかった。
これは笑える♪

<お宮の松>
2代目だそうで。初代の切り株がそばに保存されていた。





名だたる文豪達が愛したところでもあるそうで、そんな彼らが逗留して小説を書いたという元旅館「起雲閣」。
お金持ちの別荘として建てられ、戦後旅館となって熱海を代表する宿として数多くの宿泊者を迎えてきたそうな。
広い日本庭園の中庭を囲んで回廊式に宿泊施設が並んでいて、和洋中の様式をそれぞれ取り入れた建物群が楽しい。

<起雲閣中庭より>
市街地とは思えない静かな佇まい。こりゃここなら、いい小説が書けるわ。





有数の温泉街として、かつては芸者さんもたくさん居たとのこと。そらそうやろな。そしてその名残として、芸者さん達の踊りが見られる「熱海芸妓見番」。
京都で言えば歌舞練場にあたるか。

<熱海芸妓見番正面>





元祖温泉饅頭の店というのを探していて偶然見つけた「市外通話発祥記念碑」。
なんでも、熱海には政官財の要人達がよく訪れていたため、東京から至急に連絡をとる必要に迫られたため電話網を整え、日本で初めて市外通話サービスを提供したのだとか。
こいつは知らなかった!

<市外通話発祥記念碑>
すぐ横には、発祥記念の電話ボックスもあった。





そして熱海らしいと言うか何というか、この「市外通話発祥記念碑」は、なぜか間欠泉の一角にある。
記念碑を読んでいると、突然岩から温泉が噴出してきてビックリした!

<市外通話発祥記念碑そばの間欠泉>
温泉が噴出している岩のすぐ左下に記念碑が立っている。なぜ??





ようようたどり着いた、元祖温泉饅頭の店「延命堂」。
有名らしくて、いろんな番組で芸能人が取材に来ていた。
上沼恵美子も絶賛!ともあって、彼女も全国区なのだと改めて実感。

<延命堂>





ウロウロ散策の途中、銀座と呼ばれる通りもあったが、やはり昔はそこが歓楽街の中心地だった様子。
しかし今ではすっかり古びて、さびれた感じが漂っている。
まあお盆をはずした平日の昼間だったからかもしれないが、名残の看板だけが残っている元は映画館だったと思われる建物の前は、何となく寂しさが漂っていた。

<「ロマンス座」という映画館があった模様>
なぜか入口前にオッサンがイスに座ってふんぞり返っていて、建物を正面から撮影するのははばかられた。あのオッサンは誰や?





そんなこんなで、11時過ぎに到着してから、夕方の4時半頃までたっぷりと、熱海市街地をウロウロして楽しんだ。
けっこう遊べるものだ♪

伊東に向かうためにホームへ上がると、伊豆急直通列車が停車していた。
これよりも一本早い列車に乗れたが、急ぐ旅でもなく、せっかくなのでこの列車に乗ることに。

<特別仕様の伊豆急行>
その名も「黒船電車」て…センスを疑うネーミング。全くもって猫も杓子も「龍馬伝」やな。
ちなみにとなりのホームには特急「踊り子号」が。

      



この列車、座席の作りが“オーシャンビュー”になっていて面白い♪
そして最後尾は展望車両になっていて、車内はガラガラだったので、走りながらどっちも見に行ってやろう♪とワクワクして乗り込んだものの、伊東までの間はほとんどがトンネルと線路脇の木や建物が邪魔になって、風光明媚もイマイチ楽しめず…

<オーシャンビューのシートと最後尾の展望車両>

   



伊東駅に降り立ち、迎えの車に乗り込んで宿に到着。
「伊東に行くならハトヤ♪」という歌のイメージが鮮烈にインプットされているのだが、今回の伊東ツアーではハトヤホテルが取れず、その裏手の方に位置する宿へ。
ハトヤが山手の方にあったのは意外。ちなみに海辺にあったのは「サンハトヤ」だった。

<ホテル正面遠景>