面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

エロゲー

2009年05月10日 | ニュースから
日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動(読売新聞) - goo ニュース


いわゆる「エロゲー」ってヤツか、こういうの。
キリスト教をベースとした道徳観を持つ国々、特に欧米各国からすれば、日本における「エロコンテンツ」の“公然販売”は信じられないことだろう。
と言う観点から見れば、宗教観の違いからくる文化の違いに基づいた抗議として片付けてしまえる話か。

「エロコンテンツ抹殺派」からすれば、このようなコンテンツが性犯罪を生んでいる!と主張し、「エロコンテンツ擁護派」からすれば、その逆にこのようなコンテンツが性犯罪を抑止する!と主張するというのがパターンだが、では性犯罪者のうちの何%が、犯罪動機として「エロコンテンツによる誘発」を挙げているのか知りたいものだ。
とは言え、両者の言い分は犯罪動機に占める比率に関係なく正しい。
そのどちらも成立するからだ。
問題は、「エロコンテンツ媒体」の存在そのものの是非を論じても仕方ないということではないだろうか。

「性暴力ゲーム」というジャンルに位置付けられているニュースに取り上げられているゲームの内容は、未成年と見られる女子2人とその母親を電車内で痴漢した後にレイプし妊娠や中絶をさせるまでを、コンピューターグラフィックスを使った画像で疑似体験するという唾棄すべきものであるが、このゲームひとつを販売禁止に追い込んだとて、類似のゲームは星の数ほど流通していることだろう。
だいたい、抹殺派がゲームだけを取り上げて販売禁止に追い込んでも意味はない。
このようなコンテンツを“擬似体験”できるのは、何もゲームに限られた話ではなく、ビデオやDVDなどの映像媒体や、エロ小説・エロ漫画にグラビア中心の雑誌にヌード写真集などの書籍類もある。
あ、パソコンがこれだけ普及した今、エロサイトも数限りなく存在している。
エロコンテンツを流通させる媒体はいくらでもあり、これを抹殺することは不可能だ。

では次に問題となるのが、そういったエロコンテンツを公然と流通させるな!という点。
エロコンテンツを入手しづらくすることは、未成年者における過激なエロの入手に対してはある程度の効果は期待できるが、0にすることはできない。
結局、人間の本能に結びついたエロコンテンツをこの世から抹殺することなどできないのである。

一番重要なのは、エロコンテンツの存在を認めたうえで、それと正しく付き合えるように子供の頃から導いていくことだ。
性暴力描写に対して興味を抱くのは仕方ないとしても、実際にその描写と同じ状況を再現すれば、被害者となる相手がどれほど悲しみ、苦痛を感じるかを想像できる感受性を持つことが、犯罪抑止に最も有効な手段ではないだろうか。

そしてそれは、学校などの教育機関によって教わるものではなく、人間教育として家庭・家族の中で育まれるものである。
しかしこれは人類における最も困難な課題であり、だからこそ犯罪は無くならないのである。

嗚呼、身も蓋も無し…