正直者がバカを見る社会、バカを見ない社会などと、象徴的に表現されることがある。
ペルーに生活すると、これを日常で実感する。
高いもの、たとえば冷蔵庫を購入するときには、半額だけ、あるいは少しだけ支払いをする。全額支払うと、いつまでたってもモノが届かない。もらうものを貰えばお店は関係ない。買ったものを確実に自分のモノにするためには、半額以下をしはっらて、残りは現物が届いてからになる。
手続きのため、役所で列を作って並ぶ。公共料金支払いに列に並ぶ。長い列が出来る。中には並ばないで、横は入りなどは自由にする輩がいる。全員から非難が飛ぶ。それでも平気だ。
賢い人は、友人を頼って、列に並ぶことなく、さっさと手続きをすませる。
友人がいない人は、袖の下を渡して、並ぶ時間をなくす。
日本人駐在員は、たいていはコネを使う。または袖の下。
ペルーで生きるためには、この袖の下と、力のある友人がいないと不便極まりない。
正直者はバカを見る社会なのだ。
死亡届を出さないで、年金を受給していたことで、逮捕というのは、ちょっと考えさせられる。
役にも立たないモノをオッタテテ、挙句は売り飛ばし、損失金だけで一兆円近い事実が一方であっても、法律的には罪は問えないし、だれも責任をとる訳でも無い現実があって、方や小額不正受給で逮捕。
法律には全く疎いが、
たとえば暴走族でもなんでも、集団で、一人に襲い掛かって死なせてしまった場合、殺されたのは事実であっても、誰が殺したのか特定できない。この場合、まさか全員が無罪にはならないだろうと思うが、重い罪には問われないだろう。
社会の秩序や法に照らし合わせれば、当然のことなのだろう。
それにしても、つくづく不条理を感じる。
もっとも、これが世界の常識なのだろう。
支配者階級が法律をつくって、それを利用する。
これはもう、国全体ばかりではなく、各小さな組織にも見られるようになったと密かに推測している。
これはこれで、また行き着くところまでいくかもしれない。