ペルーには死刑制度が無い。
なくなったのは、それほど昔のことではなく、たしか20年ほど前だったか、と思う。当時はまだテロ時代だったし、治安はけっしてよくなかった。
それでも死刑を廃止した。
死刑には、どうしても冤罪の可能性ということがつきまとう。
冤罪は、証拠を積み上げてもおこるし、反対に証拠を積み上げるから起こる場合だってある。
冤罪というほど深刻ではないが、人間の付き合いでもおこる。
日常生活で、毎日しっかり証拠を保持しているなんて事は皆無だし、緊張した人生なんておくれない。適度にバカをして、笑って、厭味や軽犯罪、スピード違反を起こす。
つい言葉がすぎて、意に反して、友人の、または誰かの非難や批判をしてしまったことを、「それがお前の全てだ」と判断されて、拒絶されてしまうことがある。
これはまだ、「やってしまったこと」だから冤罪ではないが、「やってしまったこと」とそれに対する刑罰「それがお前の全てだ」という重みと、合わない。
20Kmオーバーで、懲役20年!と変わらない。
無実であっても、警察のやっかいになった、というだけで会社をクビになり、人生を狂わす事だってある。
痴漢がいい例だ。
無実を勝ち取っても、会社には戻れない。
こんなことは、だれにでも起こる可能性が高い。
理屈や、論理の展開といったことには苦手だが、
死刑制度反対の意見のひとつに、
死刑制度は、犯罪の抑止力にならないから、死刑はなくそう、というがある。
となると、これは死刑制度に限った事ではなく、さまざまな刑罰は、それがあっても犯罪の抑止力にはならないだろうから、刑罰はなくそうというこにならないか、と考えてしまう。
この意見を際限なく進めれば、
警察組織は、あっても犯罪はなくならないし、抑止力にもならないから、警察はいらない、となってしまう。
となると、一定数の犯罪が起きるのは、刑罰とか警察だとかの問題ではなく、
人間が本来的に持っているものに由来することになる。
軍隊。どこの国も争いを起こすための軍隊だとか、侵略するための軍隊だ、などとは絶対に言わない。かならず自衛のための軍隊だという。
だから、たとえ自衛であっても、争いはなくならないから、軍隊は必要ない、こういう時がくれば一番いい。