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日々のあれこれ

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逆説の日本史 9⃣ 鉄砲伝来と倭寇の謎

2021-10-16 17:00:49 | 読書

 図書館には長期間に渡り、7⃣と8⃣がないため、2冊分を飛ばすことになりますが、先に9⃣を借りてきました。

 第一章には、琉球の歴史。中国の三国志のような時代が沖縄にもあったということ(南山 中山 北山)、その後、統一されたこと等、書かれてある。

 次に、副題にもなっている倭寇について、始まりは確かに日本の海賊だったが、その後、倭寇を占める割合は、朝鮮半島が主となり、16世紀になると、元の後の明の民が8割となり、もはや倭寇イコール日本人ではなくなっていたことが述べられていて、驚いた。 単純に倭寇は日本人の海賊だと何の疑いもなく信じていたので。学術的にも証明されていることであるにもかかわらず、(中国の歴史資料にも、そのように書かれてあるくらいなので)何故、今も中国では「倭寇は日本人ギャング」と自国民に「歴史の授業」で教えるかといえば、それは古代から現代まで変わらぬ中華思想があるから。

面白いな、と思ったのは、この倭寇と鉄砲伝来が思わぬところで繋がっていたこと。

 中国・朝鮮半島では、商業(貿易等でお金を儲ける)は卑しいことだという認識があり、(儒教の影響で)当時の明は、他国との貿易を禁止していた。禁止されてはいても、日本や琉球と貿易…といっても当時は相手が強ければ、取引が成立し、弱ければ海賊となり奪う、という輩が出てくる。 

 加えて当時は、ポルトガルが布教活動に熱心であり、マルコポーロの影響で、黄金の国、ジバンクのことも知ってはいた。最初は嵐にあって、偶然、流れ着いただろうが、翌年、明の海賊船でポルトガル人は再びやってきた~ 最初の鉄砲はこうして明の偽倭寇の手引きにより、種子島に伝わったが、ポルトガル人にとって、誤算だったのは、わずか1年でmade in Jepangの鉄砲が出来てしまったこと‼ 日本刀の技術力は確かなものだっただろうから。ちょうど、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、斎藤道山の命を受けた明智光秀(まだ光秀ではないけれど)が、鉄砲を求めて京へ行く場面がある。器用な日本人なら、鉄砲を分解し、国産の鉄砲を作り出すことも出来ただろう。しかし、日本には火薬の元となる何だっけ?がない。火薬が無ければ、鉄砲も只の棒。そこで日本とポルトガルの間に商談成立~ もう一つ、ネジも伝わったが、何度、作り方を聞いても教えてくれなかったらしい。 まぁ、そうだろうな。

 琉球、明、倭寇(実は漢民族が殆ど)、ポルトガル、戦国時代の日本…複雑に絡み合って、鉄砲伝来と相成った,というわけか。 こんなこと、中学、高校と歴史授業で習わなかった。鉄砲が日本に伝わったのは、はい、何年? 1542年、(井沢さんによれば、諸説あります✋)といったことしか…

 

 後半は、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、織田信長、といった戦国武将が登場。上杉謙信こそ『義』の人で、武田信玄は『風林火山』 山のように動かない武田信玄が唯一動いた時の激戦。(全部で5回、大戦しているらしいが、雪に閉ざされる地域なので、時間制限付きで睨みあいが殆ど)この時、大将同士の一騎打ちがあった、とか、なかった、とか。「なかった」「ある訳ない」「不可能だ」とうのが学説らしいが、井沢さんは、「あった可能性はある」とする。ちなみに小学校、5.6年生男子による運動会の出し物、「川中島の合戦」では、最初に歩兵たちが戦い(練習では帽子、本番ではハチマキの奪い合い)、最後に大将同士が戦う、(ハチマキを最初に奪った方が勝ち)というものだったので、子供の頃からのロマンとしては、「あった」と信じたい気が…

 

 「もし、武田信玄が、あと10年、長生きしたら、織田信長に勝ったか?」

少なくとも、天下を取ることは100%無い、というのが井沢さんの考えで、私も同意。武田信玄は、仏門に入ったくらいで寺が大事な人だった。また、首脳陣は身内で固め、真田昌幸親子たちは外様だから地位的にも下の方。

 当時は比叡山延暦寺など、寺の力が強大で、関所で通行料を徴収、経済を牛耳っていた。イタリアの歴史で有名な塩野七生さんも著書の中で述べていたが、ここにメスを入れたのが、他ならぬ織田信長。 関所を撤廃し、楽市楽座を始め、経済を活性化し、儲けを商人たちの手に戻した。比叡山延暦寺のお坊さんたちと対峙したのも、その延長線上にある。

 織田信長が選ぶ人材も秀吉、光秀など身内でなく実力主義の登用。首脳陣にも大抜擢する。 武田信玄に、比叡山延暦寺問題解決、身内以外の登用、こんなことが出来たか?といったら無理だっただろう、というのが理由。

 ただ、武田信玄が信玄公と地元で今も慕われるのは、山あり谷あり、雪深くて雪崩も治水も大変な土地で、土木構造物に力を入れた点。長野の皆様、そうなのでしょうか…きっと、そうですね。古代ローマの皇帝達もそうでした! 橋や下水道には、私財を使ったため、皇帝の名前が刻まれたそうなので。

 

 こうしてみると、つくづく織田信長という人は、日本の歴史上、異例中の異例。それまでの常識を覆し、「新しいこと」をどんどんやっていった人だったんだな。 小学生の頃は、織田信長というと、大河ドラマの影響で、「怖い人」「好きじゃない」というイメージだった。今は、令和に織田信長が出てきてくれないだろうか…と思ってしまう。

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真実が少しずつ明るみに?・・・ (fumiel-shima)
2021-10-16 22:26:53
すずさん、こんばんは。

倭寇については鎌倉時代から室町時代に東シナ海を中心に活動していた日本の海賊・・・と単純に決めつけたような説明もありますが、海賊的な行為はほんの一部で海商、貿易商というように理解されているものが多いようですね。
そして『もはや倭寇イコール日本人ではなくなっていたことが述べられていて、驚いた。』というすずさんの解説どおり次第に日本人の比率が減少していったようですね。

鉄砲伝来などについても年表で覚えるだけで確かに学校の授業では詳しいことは教わらなかったですね。

武田信玄と上杉謙信の戦いについても5度にわたる川中島の戦いや上杉謙信の人物像、武田信玄と軍師山本勘助の戦略家としての実力などを活劇風の面白い物語として扱う小説や映画などの作品も多く、織田信長の戦いや功績なども歴史の年表に掲載されるようなものを覚えるという程度だったと思います。

最近はそれぞれの人物を深く掘り下げたものや史実と思われるもの、また違う解釈のものも発表されることも多く、歴史がますます面白くなりそうです。
返信する
fumiel-shimaさんへ (すず)
2021-10-16 22:40:30
fumiel-shimaさん、こんばんは。

歴史は戦国時代が最も面白いと感じる人が多いでしょうね。
大河ドラマでも、戦国武将が主人公のものが大半のような気がします。

「倭寇」についての歴史認識については、日本はもっと中国・韓国に対して抗議すべき、と、井沢さんは、シドニー五輪の柔道、篠原選手の「本当は一本で勝利していたのに、誤審で銀メダル」の例を上げ、「日本の常識は世界の非常識」だと説明されていました。
金メダルをもらったフランス人選手は、
「日本の山下は、けしからん!本人も負けと認めているんだから、負けは負け!」
と、堂々と言ったらしいです。ここまでは知りませんでしたが、間違ったことは間違っている、とはっきり抗議しなければ、これが歴史であれば「通説」となってしまうということ。
8割が中国人だと、倭寇とは全く別物なので、別の呼び名にすべきなのに。

…と、倭寇で長くなってしまいましたが、後半は戦国武将たち。
武田信玄が登用した、唯一、身内でない軍師山本勘助。
ただ、一人だけでは天下統一は無理、というお話でした。
そもそも、天下統一などという考えを持っていたのは、織田信長だけで、他の武将たちは、せいぜい足利将軍を利用して…くらいの考えではなかったか?と。
我々は後の歴史をすでに知っているので、あたかもすべての武将が天下統一を目指したかのように錯覚しがちであるが、そうではない!
織田信長は天才だ!
という、とても興味深いお話でしたよ。

本文にはすべて書ききれませんでしたので、ここに追加しましたが…
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Unknown (tictac-music)
2021-10-21 00:41:38
読書好きなのに、文字より絵で記憶するタイプの私…

歴史は本じゃなくて大河で覚える事が多いです😅
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とみのん先生へ (すず)
2021-10-22 20:00:43
私も大河で歴史好きになったよー
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