今でこそ70kg近いメタボなのだけれど、少年時代の僕は40kgあるかないかのチビでガリガリ体型でした。しかし相撲が大好き。小学校の校庭で毎日のように相撲を取っていたものです。強かったのですよ!長身で突っ張り(佐田の山タイプ)のノザキ君は苦手だったのだけれど、四つ相撲のヒラノ君やタカギ君やテッチャンとは良い勝負を繰り広げていました。鳴門海や若乃海を真似た変則仕切りから、がっぷり四つに組んでの「左下手出し投げ」「打っちゃり」が得意技。
僕が大鵬の存在を知ったのは、相撲関係者を除く(今生きている)日本人の中では、最も早い時期だったのではないかと思います。当時必ず見ていたNHKの大相撲中継で、「将来の有望力士」として幕下以下の何人かが紹介されたのですが、その中に「納谷=大鵬の本名で旧四股名」がいました。おそらく1957年か58年、「栃(栃錦)若(若乃花)」の全盛期の頃です。なぜか分からないのだけれど(珍しい名前のせい?)深く心に刻まれたのです。
その数年後、「大鵬」として一気に番付を駆け上がり、瞬く間に大ヒーローとなってしまいました。駆け出し当時から知っていた僕としては、ちょっと自慢ではあったのですが、僕の贔屓は、ライバルの一人「北葉山(後の大関、柏戸以外で大鵬に最も勝った力士で、大鵬以外で柏戸に最も勝った力士)」。現役当時の大鵬は、憎っくき存在でしかありませんでした。
でも、何らかの形で、縁があったようです。ずっと後年、大鵬のお嬢さんが、「貴闘力(関脇)」と結婚しました。「若貴時代」に、同部屋の「安芸の島」とともに僕が応援していた力士です。「大鵬部屋」も「大嶽部屋」として彼が引き次いだのですが、博打疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。さらにその後、大嶽部屋所属の(大鵬以来の)ロシア出身力士「露鵬」を応援、ところがその露鵬も、八百長疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。実は僕は、この露鵬の事件(一種の冤罪?)に非常に強い関心を持っていて、機会があれば真相解明に取組みたいのですが、このときから全く相撲に興味を失ってしまったのです。
大鵬は、事件の後も、彼ら(「貴闘力」「露鵬」)のことを心配し、温かい目で励まし続けていたと聞きます。僕にとっての大鵬は、現役時代の(「巨人・大鵬・卵焼き」の)無敵の大鵬ではなく、晩年の一代年寄りとしての、心身ともに苦難を重ねてきた、“忍の人”大鵬なのです。
僕が大鵬の存在を知ったのは、相撲関係者を除く(今生きている)日本人の中では、最も早い時期だったのではないかと思います。当時必ず見ていたNHKの大相撲中継で、「将来の有望力士」として幕下以下の何人かが紹介されたのですが、その中に「納谷=大鵬の本名で旧四股名」がいました。おそらく1957年か58年、「栃(栃錦)若(若乃花)」の全盛期の頃です。なぜか分からないのだけれど(珍しい名前のせい?)深く心に刻まれたのです。
その数年後、「大鵬」として一気に番付を駆け上がり、瞬く間に大ヒーローとなってしまいました。駆け出し当時から知っていた僕としては、ちょっと自慢ではあったのですが、僕の贔屓は、ライバルの一人「北葉山(後の大関、柏戸以外で大鵬に最も勝った力士で、大鵬以外で柏戸に最も勝った力士)」。現役当時の大鵬は、憎っくき存在でしかありませんでした。
でも、何らかの形で、縁があったようです。ずっと後年、大鵬のお嬢さんが、「貴闘力(関脇)」と結婚しました。「若貴時代」に、同部屋の「安芸の島」とともに僕が応援していた力士です。「大鵬部屋」も「大嶽部屋」として彼が引き次いだのですが、博打疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。さらにその後、大嶽部屋所属の(大鵬以来の)ロシア出身力士「露鵬」を応援、ところがその露鵬も、八百長疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。実は僕は、この露鵬の事件(一種の冤罪?)に非常に強い関心を持っていて、機会があれば真相解明に取組みたいのですが、このときから全く相撲に興味を失ってしまったのです。
大鵬は、事件の後も、彼ら(「貴闘力」「露鵬」)のことを心配し、温かい目で励まし続けていたと聞きます。僕にとっての大鵬は、現役時代の(「巨人・大鵬・卵焼き」の)無敵の大鵬ではなく、晩年の一代年寄りとしての、心身ともに苦難を重ねてきた、“忍の人”大鵬なのです。