青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

歴史(事実とされるもの)は大衆が(権威やメディアを通じて)無意識に誘導する「空気」によって作られる

2021-11-30 09:00:00 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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茂木健一郎氏
鬼束ちひろさん逮捕のニュースで、一部新聞社が「自称シンガーソングライター」と表記していたことに対して、
“あれだけの実績のある方に「自称」とつける意味が全く分からない”

こんなコメントも少なからずあります。
>(茂木氏は嫌いだけれど)これは同意、別に鬼束ちひろを擁護する気はないし、やったことは許されない、以前からぶっ飛んだ性格であることも知っている、でも、彼女が実績のあるシンガーソングライターというのは事実、この報道の仕方はおかしいと思う。

僕も全面同意します。このことは、意外に大きな、例えば「紛争(戦争)」とか「コロナ」とかを含む、社会構成の根源に関わってくるような、見過ごすことの出来ない重要な問題提起を暗示していると思います。

*ちなみに(日本の音楽シーンに全く興味のない)僕は、「鬼束ちひろ」さんの名を、このニュースで初めて知ったのですけれど。

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僕は明治文学(の根源のようなもの)に関心を持ち続けていて(ここのところ昼間は「近所の蝶」&「中国の蝶」の執筆に取り組み、夜部屋に帰ってからは、明治文学関係の資料を読み漁っている、笑)、、、、昨夜、こんなのをチェックしました。

「忘れられたベストセラー作家」小谷野敦・著。
文学史に名を刻む、森鴎外、夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介、川端康成、……しかし、そんな「文豪」よりも遙かに「愛されていた作家」たちがいる!彼らはどうやって人気作家となり、なぜ「忘れられて」しまったのか? なぜ「文豪」は売れなくても「文豪」になれたのだろうか?もう一つの文学史の知られざる裏側。

まだ(入手していないので)中身は読んでいないのだけれど、興味津々です、なんとか入手して読んでみたいです。

それに関わって、「半井桃水研究」塚田満江・著の、芦谷信和さんによる書評を読みました。作品本体も550頁を超す大著なのですが、この書評自体が、もの凄いボリュームで、、、。

半井桃水(1861~1926)。ある意味、かなりの有名人です。ネット検索すれば、相当数ヒットします。そのほとんど全て(「全て」と言い切ってしまっても良いだろう「99.9%」)は、「樋口一葉(1872~1896)の恋人(たぶん正確には一葉の片思い)で、文学者としての価値は皆無に等しい通俗小説作家」として扱われています。

さらにそのうちの99.9%(たぶん100%)の人は、自分では半井桃水の作品は読んでいないと思う。しかし、「定説」としては、そう(「文学者としての価値は皆無の一葉の恋人の通俗小説家」と)なっているのです。

なぜ、そのように断定できるのでしょうか?

僕が、明治の文学者の中でも特に興味を持っているのが、斎藤緑雨(1868~1904)と広津柳浪(1861~1928)であると、以前何度か記したと思います。柳浪は、ある時代(明治30年前後)には、一葉と並ぶ評価が為されていました。40歳近くになってプロ作家デビューした夏目漱石は、アマチュア時代の明治30年当時に、一葉と柳浪を最も評価しています。また森鴎外や幸田露伴も、明治30年前後の「三人冗語」で、一葉と柳浪を強く推しています。「三人冗語」は、鴎外・露伴の両文豪と緑雨ですね。緑雨も柳浪も、今はマイナーな作家としてしか顧みられていないと思われるのですが、しかし文学史上、それなりに重要な位置づけも成されてはいます。桃水には、そのようなポジションさえも与えられていません。

その緑雨と桃水ですが、明治20年代初期には同僚(朝日新聞記者)だったのです。一葉病没の少し前、桃水が突然、一葉を訪ねてきます。「緑雨には気を付けろ」と忠告したらしい。「貴女が有名作家になったとは知らなかった、緑雨から聞いてびっくりした」とも。

一葉没後、残された日記には、最初から最後まで、桃水への想いが書き連ねられています。ついでに、他の文豪たちはボロクソに言われている。彼らは日記が出版された後にそのことを知って、「なんであの三流作家の桃水が、、、」と愕然としたらしい。その前提で(日記を託された)緑雨は、日記全文を削除なしに公表するのですね。偉い!

文豪・漱石、文豪・鴎外(漱石はともかく、鴎外がなぜ文豪なのか僕には理解出来ない、、、どう考えても三流作家だと思う、、、個人的にはファンなのですが、笑)。文学史的に、ほぼ忘れられた存在の(といっても一部の根強い読者からは高い評価を得ている)緑雨。完璧に無視され続けている桃水。

ちなみに、漱石も(ついでに言うと二葉亭四迷も)桃水とは朝日新聞社の同僚でした。時期的には重ならない(漱石登場時には既に没していた)緑雨はともかく、漱石は桃水とすっぽりと重なります。「明暗」連載途上で漱石が逝去したときは、大々的にその逝去が紙面で報じられたのですが、同じ紙面の三面には桃水の連載小説が淡々と載せられていた。

いずれにしろ、桃水は、取るに足らない存在なわけです(むろん僕の穿ちでしょうが、案外、一葉の桃水への過剰な想いが、彼への評価に対するアゲインスになっている部分もあるのではないか、、、、そのように邪推してしまうほど、余りの無視のされかたです)。

で、桃水の関するネット上の記事を根気よくチェックしていたら、この550頁余に及ぶ「半井桃水研究」の書評が出てきたというわけです。中核を成すのは、桃水の代表作「胡砂吹く風」(明治24年~25年)。朝鮮(≒韓国)が舞台です。

桃水は対馬の出身ですから、すぐ近くの韓国に関心があるのは当然と言えます(明治20年代初頭には記者として釜山に在住していた)。

僕は、個人的には韓国は好きになれないのです。中国や台湾には、何十年も前から何百回も訪れているのですが、韓国には、3年前にギリシャに行く途中(モニカが間違ってチケットを購入して)乗り継ぎで地方の空港で一泊したのが最初です(ずっと昔、対馬の北端から望遠鏡で釜山の街を遠望したことがある)。

好きにはなれないのですが、恩というか、悔やみというか、申し訳ないという、もの凄い借りのような想いがある。韓国に対しては、後悔、懺悔、複雑極まりない想いが込み上げてきます。いつか書きます(三世には概要を話したことがある)。

さて、この書評には、目から鱗が落ちるようなことも書かれていました。曰く、「日本人の書いた日本の文学において、韓国に言及したものは著しく少ない」。そう言えばそうですね。韓国(朝鮮)を忌避するという、日本人の無意識の意識。それは分かるんですよ(僕もそうですから)。でも、なんだかなあ~、という気もします(自分に対しても)。

韓国人による半井桃水関連の論文は幾つかあって、例えば、金裕美「胡砂吹く風」論(これもかなりの大著です)、劉銀炅「明治期の日本文学と語られない“朝鮮”」。後者は、漱石の「韓満ところどころ(明治42年)」がセットになって取り上げられています。

穿った見方なのかも知りませんが、漱石の(読者から大歓迎を持って迎えられ続けたのであろう)一連の著作の中にあって、この韓国を題材に取り上げた「韓満ところどころ」は、面白くない、ということで、途中で連載を中断されてしまい、今も余り話題に上がることはないようです。

ちなみに漱石は、その少し前に、日露戦争を題材にした短編小説「趣味の遺伝(明治38年)」を書いています。北朝鮮に近い、中国大連・旅順(僕も行きました)。かなり不思議な、ある意味ちょっと不気味な内容です。

日露戦争といえば、以前にも触れたことのある柳浪の短編小説「昇降場(明治38年)」。これも併せて読んで貰いたいです(何を言おうとしているかよく分からないところが魅力です)。 

もうひとつ柳浪と日露戦争関連で。「転倒された軍国美談:広津柳浪“七騎落”論」金美星。これを書いたのも、韓国の評論家ですね。「七騎落(明治30年)」と「梅檀橋(明治36年)」の2短編、戦争に出兵し凱旋した兵士の末路。

柳浪は、「愛国」を否定しているのか、肯定しているのか、良く分からない、と評者は言います。

以前僕が「現代ビジネス」に中国の話題を連載していた時、読者からこんなコメントを受けました。「この作者は日中どちらの見方をしているのか、よく分からない、、、立場が明確でないのは、ジャーナリストとして失格」。え~、そうなんだ、、、と唖然としたことを付け加えておきます(もとより、ジャーナリストであるなんて思っていないですが)。

コメント
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