青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2021.11.26 日記

2021-11-26 20:18:59 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★いいね!その他ありがとうございました。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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昨日も裏山探索。でもさすがに寒くて蝶は余りいません。一応、ヤマトシジミ、ウラナミシジミ、ツマグロヒョウモン、キチョウ、モンキチョウ等を撮影。(モンキチョウはともかく)実につまらない面子です。

キチョウを別とすれば、天気のいい晩秋(ほとんど冬)に活動している蝶は、非成虫越冬世代の成虫であることが興味深いです。

モンキチョウとキチョウについては、後で改めて纏めます。














「コリアス草原」に隣接した森(前回ブログで紹介した5日前の写真と同じ場所)。秋ですね。







「コリアス草原」
モンキチョウ雄が、半径100mほどのこの広い草原を、猛烈なスピードで、延々と飛び続けていました(2021.11.25正午~午後1時のちょうど1時間の観察中、一瞬とまったのは3度だけ)。



猛烈な勢いで飛ぶモンキチョウ雄。



キチョウは草原の縁をひらひらと飛んでいます。雌雄未確認。雌を探している雄なのか、産卵場所を探している雌なのか、、、、交尾は既に済ませていると思うし、産卵は冬を越してからだと思うので、、、なにをしているのでしょうか?


たまにキチョウ(右)とモンキチョウ(左)がニアミスします。

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ネットニュースから幾つかの話題をピックアップして感想を(内容は毎回ほぼ同じです、笑)。

●「美人だから」(という表現)への違和感

ジェンダー問題などの専門家の方が批判しています。
曰く、「人間の価値を外見や(それに導かれる損得)だけで考えることは間違っている、外見で判断することは止めるべきだ」。

そんなことは分かっています。

それ以前の問題なんですね。トップコメントには同意します(それを示そうと思ったのだけれど違反コメントが超えたとかで閲覧できなくなっている)。

実際に、美人やイケメンは得をしている、と言う現実があります。もっとも美人やイケメンは相対的な現象なのであって、時代や地域や個人によって異なります。

恋愛とか結婚とか、それ(個人の美的感性)に基づいて進められているわけでしょう?そして、その最大公約数的な現象が美人やイケメンということになります。特別扱いを本気で改める(僕はそれを支持)と言うならば、そのような価値観から改めていかねばなりません。従来どおりの恋愛観結婚感に準じている限り、それは不可能です。

容姿を優先的に人間判断の基準として取り上げるのは間違っている、ということはむろんですが、価値観なども同様ですね。どんな基準にしろ、対人間における優劣を決めつけるべきじゃないでしょう。

現在の自由恋愛は、容姿(好みの問題、自分から見た美の基準)の相互認知が大きな部分を占めています。価値観の共有もしかり。その結果、似たもの夫婦で構成される社会構造になっていく。そして、夫婦→家族→国民と「金太郎飴」的な価値観だけで構成される社会が出来上がる。

そのような「劣化」を防ぐためには、「異質」を受け入れなくてはならない。極論だけれど、昔の「家が決めた結婚」という制度は、「異質の融合」ということに於いて、結構意味があったのではないかと思います。

詳しくは、30年ほど前に神戸新聞に連載した「随筆」の「僕が女性にモテない理由」の項を読んで頂きたいです(たしか以前の「あや子版」に再掲したと思うので)。

それと、斎藤緑雨の一連の「恋愛否定」のアフォリズムの文章も(一般には「女性軽視」と受け取られているようだけれど、うわべだけでの判断ではなく深いところで読み取ってほしいです)。

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●高齢者の車の事故

想うところは2つ。何度も繰り返し書いてきましたが、、、。

まず、高齢者に対する「ヘイト」「蔑み」は止めて欲しいですね。

いや、現実は、高齢者は若者よりずっと劣っているんですよ。高齢者の僕が言うんだから間違いはないです。老人はポンコツです。社会の役に立ちません、、、どころか邪魔者です。

そんなことは分かっています(←今後このフレーズを決め文句に使おう)。

僕は(自身を含む)高齢者に対してよりも、その正論を嬉々として発言する「若者」に対して、そこはかとない恐ろしさを感じるのです。

そのことは、僕が、ず~~と言い続けている「香港デモ」や「コロナ問題」、、、、などにも繋がります。

「高齢者は車がないと生活できない」
、、、、なんでですか?
僕だって紛いなき高齢者だけれど、個人の車なんてなくても平気ですよ(公共交通利用または徒歩で移動)。
「(地方に住む)高齢者には自分専用の車が必要」と、

決めつけるのは止めて貰いたい(←これも「決め文句」にします、笑)。

(運転できるくらいの体力があるならば)歩けば良いのです。
「公共交通」を増やせば良いのです。財政的に採算が合わない、、、とか言う問題じゃないと思うのですが(集団性自己中の人たちは)そうは思わんのでしょうね。

個人個人の覚悟がないと、抜本的な問題は解決しません。
「車に乗るのは止める」
「冷房を使うのは止める」
「マスク、ワクチンに頼るのも止める」
本気で、人類や地球の将来を考えるなら、集団性自己中から抜け出さねばならない。

リスク排除主義者の方々は、結局のところ、自分たちの取得権を守ることだけしか念頭にないわけで。

人類、一度、リセットした方が良いと思います。

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集団洗脳。
集団性自己中。

コロナ問題勃発初期に、大物お笑い芸能人が「コロナに感染」して亡くなりました。直前まで若い女の子と遊んでいたのだけれど、大衆はお得意の「自己責任」とは言わんです。なんせこの方は偶像ですからね。そして「コロナが憎い」の大合唱。

コロナ問題に関して、まともなことを最初に言ったのは、安倍さんの奥さんの主治医でしょう。
「コロナを愛したら、その瞬間にコロナは消える」
あべさんも菅さんも二階さんも、薄々その事には気付いていた(注:エリート岸田さんは気付いていない)。でも、大衆(と専門家)の力に及び腰で、なんにもできないのです。

大衆の決まり文句。
「大切な人を守る」という「想像力の欠如」。
天涯孤独の僕にとって、大切な人は世界の全ての人々、未来の地球です。
想像力は、あんたら(=大衆)より、ずっとあります。

大衆、、、、なんて程度が低い人たちなんだろう、、、、とつくづく思います。

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というわけで、つくづく嫌になる世相ではありますが、しかし、、、、日本シリーズ、久しぶりに見応えある試合が続いていますね。両チーム(オリックス×ヤクルト)とも世間的には地味な存在なのですが、連日の「これぞプロ野球」、という、試合展開。ちょっと見直しました。

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●チェコ大統領府は25日、ゼマン大統領(77)が新型コロナウイルス検査を受け陽性反応が出たと発表した。 ゼマン大統領は入院し、治療中は職務を一時的に休止するという。 同大統領はコロナウイルスワクチンを3回接種している。現地メディアによると、同大統領は無症状だという。

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繰り返し再確認しておきます(掲載済みかも知れんですが)。

「コロナ発生」から、そろそろ2年近くになるわけですが、僕はその当日からずっと同じことを言い続けてきています。
怖いのは「パニック」であって、「パンデミック」ではない。その「すり替え」の空気の形成が最も怖い。

いわゆる「新型コロナ」は、人類始まる以前から地球上に存在し、それによって(*注:それだけが要因と言うわけではない)人の死に関わってきた、様々なウイルスのひとつにすぎない、と思っています。

大きな「脅威」には違いないですが、特別な「脅威」ではない。

死亡者における各パーセンテージ示して欲しいですね。
基礎疾患の有無/コロナ感染の有無/ワクチン接種の有無。

ウイルスは、地球の一員です。今回の(いわゆる)新型コロナを含め、人類は、どう対応するか。

目先の「リスク排除」「既得権の保守」だけを考えていれば良い、という事ではないです。
「マスク」で逃げて、
「ワクチン」でやっつける、
意味がないどころか、将来の人類・地球を滅亡に導く、「集団性自己中心」的な行動です。

まあ、とりあえずは有耶無耶に収まりつつあるのですが、むろん、そのうちに同じことを繰り返します。

あとに残るのは、いわゆる「同調圧力」に基づく「異質の排除」。既得権保守に准じた憎しみと攻撃(具体的には中国に全責任を押し付ける)。

「空気」「文明」「科学」への過信でもって「個人の幸せ」を追い求め、「人類の不幸」へと一直線に突っ走って行く。

行きつくストーリーは、「個人の永遠の命の獲得」そして「人類の滅亡」です。






コメント
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