青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2019.12.24 青山潤三日記

2019-12-24 14:50:12 | 雑記 報告


「社会の窓から」

Little Saint Nick/The Beach Boys
Christmas Day/The Beach Boys

「リトル・セント・ニック」は、1963年末のクリスマス・シーズンに、ビルボード・クリスマス・シングル・チャート3位に入った、ビーチ・ボーイズのオリジナル楽曲(マイク・ラブ作詞、ブライアン・ウイルソン作曲)。翌年のクリスマス・シーズンにはアルバムも発売され、僕は、レコードが擦り切れるまで聴き続けていたものです。当時の日本では、ほとんど話題に上らなかったのですが、今では、スタバやマクドで一日中流されているスタンダード・ナンバーになっています。ここで紹介した「リトル・セント・ニック」の映像には、当時の5人(ブライアン、マイク、アル・ジャーディン、カール・ウイルソン、そしてデニス・ウイルソン)の溌剌とした姿が見えます。ちなみに「クリスマス・ディ」は、アルが初めてリードを取った曲です。

Christmas Country Style/Johnny Tillotson
Christmas Is The Best Of All/Johnny Tillotson
ジョニー・ティロットソンが、シングル「クリスマス・カントリー・スタイル/クリスマス・ベスト・オブ・オール」とアルバム「クリスマス・タッチ」をリリースした1966年暮は、ビートルズ旋風が吹き荒れて、音楽界の勢力図が一変して2年後に当たります。「クリスマス・カントリー・スタイル」は、ジョニーの親友であるポール・エヴァンスの会心の作で、もう2~3年早くリリースされていたなら、ヒット・チャートにも登場していたものと思われます。片面の「クリスマス・ベスト・オブ・オール」は自作曲で、珍しく相棒のポール・タンネンや奥さんのルシルとの共作ではなく、ジョニーが一人で作っています。

White Christmas/Johnny Tillotson
Jingle Bells/Johnny Tillotson
「クリスマス・タッチ」から、定番曲を2曲。「ホワイト・クリスマス」は、ジョニーには珍しい、ほぼ全曲が語り。「ジングル・ベル」は、途中からお馴染みのメロディになります。

Come On A Sleigh Ride With Me/Freddy Canon, Brian Hyland, Johnny Tillotson(2002)
We Can Make It If You Try/Tommy Row, Brian Hyland, Johnny Tillotson(1999)

Rudolph The Red Nosed Reindeer/Dion Di Mucii
ディオン1993年のクリスマス・アルバムから「赤鼻のトナカイ」。

Silent Night/Connie Francis
 Silent Night/Brenda Lee
Silent Night/Charley Pride
一番好きな聖歌は、やっぱり「きよしこの夜」。適当にコニー・フランシス盤、ブレンダ・リー盤と、チャーリー・プライド盤を選んでおきました。コニー・とブレンダは、通常選曲が重ならないのですが、クリスマス・ソングだけは別です。チャーリー・プライドは、元プロ野球選手で黒人、という異色のC&Wシンガーです(それもNo.1歌手の一人)。85歳になった昨年のクリスマスにも、新録音のクリスマス・アルバムをリリースしています。

Toy Parade/Bert Kaempfert Orchestra(1963)
Bert Kaempfert作曲/演奏の「トイパレード」。僕の一番好きな一番、ということは僕にとって“この世で一番”の存在です。



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 2019.12.17 青山潤三日記 「内田順三コーチ」と「マクドの便所掃除」

2019-12-24 14:48:14 | 雑記 報告




「社会の窓から」

僕は、明後日(19日木曜)から、マクドナルドで便所掃除のバイトを始めます。
 
知ってる人は知っている(ヤクルト~日ハム~広島での現役時代の成績は大したことないのだけれど、コーチとしての実績は、スーパー・レジェント級)内田順三さん。僕と字違いの同名で、年齢も近い(内田氏のほうが1つ上、来年73歳)ので、なにかと気にかけてはいました。少し前の報道では、半世紀に亘って着続けてきた(コーチは、広島カーブ~読売ジャイアンツ)ユニホームを、来期で脱ぐ、と(ちなみに背番号は14通り!)。まあ、年齢的に、そろそろ隠居も仕方がないのだろう、と察していました。
 
ところが、つい先日(2日前)、こんな記事を見かけたのです。
 
「学生野球資格研修会」に、イチローが実習聴講生として出席した、というニュース。イチローのほか、前田智徳、川口和久、森繁和、藤井康夫、、、そうそうたるプロ野球OBのレジェント達が、「生徒」として名を連ねています。その中に内田順三の名も。
 
彼らが「教えた」のではないのですよ。彼らが「教えられた」訳です。「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる」というのを、実践してるわけですね。
 
コメント群の要旨は2つに分かれますね。
一つはポジティブな捉え方。
「素晴らしいことだ、これでプロとアマの垣根が取り払われる」「レジェントたちの謙虚な姿勢が素晴らしい」
もう一つはネガティブな捉え方。
「何を今更、、、なんで一流プロがアマチュアから教えられなきゃならないの?」「こんな制度(プロの大選手もお偉いさんの言う事聞かなきゃアマの指導が出来ない)があるから野球の底辺が広がらない」
どちらも、なるほど、と思う部分があるので、僕の意見は差し控えます。
 
いずれにしても、例えば「vgv***さん」のコメント
>あの内田さんも! 名コーチとしてあれだけの実績があって、しかも70を過ぎてまた新たに学ぶ…その熱意に敬服。
 
僕も本当にそう思います。この記事を、ちょうどマクドナルドでのバイトの署名をする直前に見たのです。実のところ、年齢・体調を考えて「今更」、という想いもありました。でも、この「資格研修会」の記事を見て、決意したのです。内田さん、有難う。




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2019.12.16 青山潤三日記 「女と男のいる舗道」

2019-12-24 14:46:07 | 雑記 報告

「社会の窓から」

フランスの女優、アンナ・カリーナさんが亡くなりました。享年79歳。

僕は、60年代初頭の音楽は詳しいけれど、映画については全く詳しくないのです。

それには理由があります。

中学生の時、ある出来事をきっかけに、「もう映画など見ない」と決意したからです(もっとも、ずっと後になってから、 
知人に誘われてたまに映画館に行ったり、宿泊したホテルでビデオを見たりはしていましたが)。

その出来事。

当時、神戸の「ラジオ関西」で「電話リクエスト」という人気番組がありました。
毎日、夜7時(もうちょっと遅かったかな?)から始まるこの番組に、くぎ付けになっていました。
かかった曲を、毎回メモって、リストを作っていたぐらい、のめり込んでいました。
1962~63年頃だったと思います。
ほぼ年間に亘り、毎日のようにかかっていたのが、「ロジェ・フランス楽団」の「男と女のいる舗道」。
軽快なインストメンタル・ロック・ナンバーです。
僕は、その曲が大好きでした。
少なくとも「神戸」においては、「ポップス黄金期」1962~63年の最大のヒット曲でした。
でも、不思議なことに、東京のキー曲では、ほとんど全くと言っていいほど、取り上げられることはなかった。

ジャン・リュック・ゴダール(その奥さんがアンナ・カリーナ)という映画監督の、1962年に公開された映画「女と男のいる舗道」の主題曲 であることを知りました。

その映画が、神戸三宮の「新聞会館」で上映されました。

僕は、それを見に、勇んで「新聞会館」の映画館に駆け付けました。

しかし、入り口で入場を拒否されたのです。

理由は、、、、。
主人公、すなわちアンナ・カリーナの扮する女性の職業が、「娼婦」であったこと。当時は、(今では信じがたいことだけれど)それだけで、18歳以下鑑賞禁止、とされていたのです。

その時のガッカリした気分を、ついこの間のように思い出します。

余りの理不尽さに腹が立つのと、どうしても諦められないので、中学の担任(数学藤岡先生)に相談に行きました。数日後に、藤岡先生に付き添って貰って、映画館に再交渉に訪れました。

交渉の結果は、「学生服を脱いで来たら入場を認める」。

益々腹が立ちました。じゃぁ見ない、もう金輪際映画なんか見ない。

その時貰ったパンフレッドが、今も段ボールの中に仕舞ってあります。
そこに写っているアンナ・カリーナさんは、僕の憧れの女性であり続けました。
同時に、僕が世の中の「勝手さ」に嫌気が差して背を向け始めた最初の出来事だったのかも知れません。

後日談があります。

最近のことです。

インターネット上のユーチュブで、60年代初期の曲をチェックしていた時、たまたま「女と男のいる舗道」に出会いました。

(僕がリアルタイムで見る/聴くことが出来なかった)「男と女のいる舗道」の挿入曲に、50年以上の時を経て、やっと出会えたのです、、、、、、と思いきや、、、、、、ちょっと違う????

確かにメロディは「女と男のいる舗道」なのだけれど、昔僕が「ラジオ関西」で聴いていた曲のような、ビートの利いたロックン・ロール曲ではないのです。

調べてみました。

間違いなく、映画に挿入されていた曲が、真の「女と男のいる舗道」のオリジナルでした。そして、僕が聞き続けてきた、当時の「関西限定」の大ヒット曲、ロジェ・フランス楽団「男と女のいる舗道」は、コピー曲だったのです。いかにも「フランス」っぽい、「ロジェ・フランス楽団」、実は、日本のスタジオバンドがでっち上げた“偽物”だったのです。

でも、今でも、この“偽コピー”の「女と男のいる舗道」のほうが、断然素晴らしい、と信じています。思えば、日本の「音楽」も捨てたもんじゃないです(いつもはボロクソに言っているのですが、笑)。

アンナ・カリーナさん、、、、懐かしいです。僕にとって、永遠の憧れの女性であることには変わりありません。


僕が見る(聴く)事の叶わなかった本物のサウンド・トラック。


本物の偽物!!!
ごめん! 涙が溢れてたまりません、、、(ジャケットの写真は昔と一緒、楽団名がミスで入れ替わってる)。



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2019.12.15 青山潤三日記 「香港デモの真実!」ほかの予告

2019-12-24 14:43:46 | 雑記 報告



「社会の窓から」

ひと月前(11月15日)、命よりも大事な(比喩ではない)HDDがクラッシュしました。この一か月間、ブログの更新をほとんど行うことが出来なかったのは、その絶望的な精神的ダメージによるものです。
 
お伝えしてきたように、体調も最悪でした。毎日、明日は生きていられるだろうか?という日が続いていました。
 
加えて、お金が全くない。いずれにしろ、このままでは生きていけません(首吊りはしないので安心ください、睡眠薬は有りですが、、笑、いずれにせよ日本で死ぬのは絶対に嫌ですし)。
 
それで、このブログで救助を求めたのですが、(日本人は)誰一人助けてくれなかった(今これを読んでいるあなたもですよ!)。まあ、日本人の面目躍如たるところです。
 
モニカには、本当に感謝している。何の得にもならないのに、(もう9年間)僕のために一生懸命頑張ってくれている、、、。せめて、僕がいなくなったら、40年間撮り溜めてきた写真を始めとする貴重な資料を、彼女に受け渡したい。それだけが僕の望みです。
 
その、諦めていた(修復不可能と宣言されていた)HDDの修復が出来ました。修復にかかった費用は45万円。来年中に、それを支払って、受け取らねばなりません。
 
余りにも膨大な資料のため、なかなか整理が出来ないでいた「野生アジサイ」の写真やデータも、そのHDDに全て収納されています。新たなHDDを購入して移し替えておこうと考えていた矢先、HDD購入費7000円が捻出できなかったゆえ、同じHDD内にバックアップ分共々仮収納していたのです。
 
7000円が作れなかったために45万円がかかってしまったわけで、、、、でも、助かったのだから「良し」とするしかありません。
 
修復されたHDDが戻ってきたら、今度こそ、野生アジサイ(何度も繰り返して言いますが、趣味的=マニアックな対象ではなく、学術的かつ普遍的な対象)の纏めに全力で取り組みます。
 
体調について。ひと月ほど前(ちょうどHDDがクラッシュしたのと同じころ)は、毎日「死」と直面しているような最悪の体調でした。ある日の晩、(HDDがクラッシュする数時間前)、もうダメだ、と思うくらい、僕の頭も完全クラッシュ(チェーンソーのような音が響き渡る)の状況になっていました。
 
モニカに助けを求めるメールをしました。
モニカ:薬は飲んだか?
僕:さっき飲んだ、(医者から処方されている)10種類を一度に飲んだ。
モニカ:そりゃダメだ。一度に薬を飲んだのが悪化の原因だ。異なる種類の薬は、最低15分間隔を空けて飲むようにしなさい。あと、お湯(コーヒーはダメ!)をたっぷり飲むように。
 
10種類の薬を15分置きに飲むなんて、面倒なことは僕には出来ません。それで究極の選択をすることにしました。思い切って、全ての薬の服用を止めてしまったのです。
 
それから一か月。僕の頭の状態は、以前よりかなり良くなったように思います。HDDも助かったことだし、あとは頑張るだけです。
 
日本滞在中は、マクドの便所掃除のバイトをします(明日スタート、倒れたら倒れたでその時考える)。中国では、K氏のプロデュースで、モニカの助けを借りつつ、ユーチュバーにもチャレンジします(三世の助けも借りたかったのですが全く無視されている)。
 
「香港デモの真実!」の単行本も纏めなくてはならない。
 
やらなきゃならない事がいっぱいあります。
 
昨日アップした「現状報告」ブログに、阪急ブレーブス黄金期の「代打の神様」高井保弘(74)逝去の記事を書きました。一般的に(野球にさして興味のない大衆の間で)「代打の神様」と言えば、阪神タイガースの川藤幸三氏(70)ということになっています(後の時代では同じ阪神の八木裕)が、高井とは格が違います(代打ホーマー川藤11本、高井27本)。川藤の場合は「空気」が作り上げた「同調」。
 
『1977年の阪急ブレーブス~島谷金二伝』も書かねばなりません。高井と島谷は、キャリアハイの時期も同じ、年齢も同じ(高井は1945年2月1日四国愛媛県生まれ、島谷は1945年1月26日四国香川県生まれ)です。来年は、四国まで島谷氏に会いに行こうと思っています。
 
「空気の研究」です。「香港デモ」も「アメリカン・ポップス」も、僕にとっては、同じポリシーに沿って取り組んでいます(「アジサイ」や「ヒグラシ」も結局のところ同じ観点に収斂します)。
 
『エルヴィスとビートルズの狭間で~ジョニー・ティロットソンの時代』
「僕が好きだった香港~“ジュディ・ジュディ・ジュディ”の謎」
膨大な資料の発掘に取り組んでいます。1000頁くらいになりそうです(笑)。



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