功夫電影専科

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【春のBOLO-YEUNG祭り③】『文打』

2013-04-15 22:59:30 | カンフー映画:駄作
文打
英題:Writing Kung Fu/Chinese Samson/Hot Dog Kung Fu
製作:1979年

▼(※画像は本作を収録したDVDセットの物です)
 時は70年代末期。バッタもん映画への出演が続いていた楊斯(ヤン・スエ)は、思い切ってコメディ映画へ挑戦しようとしていました。キャラクター的にコメディとは縁遠い気がしますが、彼がコメディ作品に少なからず興味を持っていたことは確かです。
当時の楊斯はバッタもん作品に出演しつつも、『迷拳三十六招』や『鶴拳』といったコメディ功夫片に出演。77年にはナンセンス・コメディの『白馬黒七』で監督デビューを果たしています。本作は楊斯が放った2本目の監督作で、ところどころに『酔拳』の影響が見られる作品です。

■舞台はとある寂れた村。教師の張午郎(チャン・ウーロン)はとても気が弱く、功夫道場の連中からはいつも苛められ、町人や生徒からもバカにされる日々を送っていた。道場主の娘・余安安や、生徒の1人である少女とその母親は彼の優しさを知っており、密かに慕っていたのだが…。
ある日、生徒たちの理不尽なストライキによって学校を追われた張午郎は、盲目の功夫使い・江正とその従者に出会った。彼らは恐ろしい殺人鬼に襲われ、ここまで逃げ延びてきたという。実はその殺人鬼こそ、功夫道場に来賓として潜り込んでいた楊斯であった。
 しばらくは息を潜めていた楊斯だが、とうとう張午郎の教え子だった少女を殺害。少女の母親も後を追うかのように自殺した。悲劇はそれだけで終わらず、本性を現した楊斯によって江正とその従者、さらには張午郎をかばった浮浪者の男(実は功夫の達人)までもが殺されてしまう。
死の間際、浮浪者の男は仇討ちを決意した張午郎に功夫の基礎を教えた。そして1人残された張午郎は、教師としての知恵と功夫の技術を組み合わせて「習字拳」を編み出し、功夫道場の関係者を皆殺しにした楊斯を追った。果たして勝つのは張午郎の「習字拳」か?楊斯の「笛拳」か!?

▲正統派のコメディ功夫片にせず、捻ったストーリーにして新鮮味を出そうとした楊斯の狙いはわかりますが、残念ながら大失敗した作品です。拳法や人物設定はコメディ調である一方、物語は陰鬱そのものであり、作品の雰囲気がチグハグになっています。
そもそも、登場する人物が大人から子供に至るまで最低な連中ばかりで、ひたすら苛められる張午郎が可哀想としか思えません。功夫アクションの出来は悪くないのですが、それ以外は壊滅的な本作。個人的には『白馬黒七』の方が良かったかなぁ…。
 さて、粗製濫造の70年代が終りを告げ、80年代に突入した香港映画界は大きな転換期を迎えます。バッタもん映画は激減し、老舗のショウ・ブラザーズが映画製作から撤退。代わって新興のシネマシティが勢力を拡大するなど、次々と変革が起きていました。
楊斯も功夫片から距離を置き、それまでの鬱憤を晴らすかのようにコメディ映画への出演を重ねました。かの洪金寶(サモ・ハン)も彼の心意気を理解したのか、『大福星』『十福星』『上海エクスプレス』『サモ&ケニー 人質に気をつけろ!』で彼を連続して起用しています。
 しかし、これらの作品における楊斯は単なる脇役であり、悪役俳優として活躍していたころを思うと寂しいのも事実。まさに過渡期の中にあった楊斯ですが、思いもよらぬ所から出演依頼の声がかかりました。
それがジャン=クロード・ヴァン・ダムの初主演作『ブラッド・スポーツ』です。香港では往時の勢いをなくした楊斯ですが、欧米での人気はいまだに健在でした。そしてこの作品への出演をきっかけに、彼は不死鳥のごとく復活を遂げるのです!
(次回へ続く!)

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