「バトル・マスター/USAサムライ伝説」
原題:AMERICAN SAMURAI
製作:1992年
▼本作は80年代に一時代を築いたハリウッドの異端児、キャノン・フィルムズが製作した異色のサムライ映画です。あまり当ブログではフィーチャーしてませんが、同社では数多くの話題作・娯楽作が作られており、今も根強いファンが存在します。
キャノンはイスラエル出身のメナヘム・ゴーランが主導した会社で、チャック・ノリスやヴァンダムをスターダムに押し上げ、『燃えよNINJA』を筆頭としたニンジャ映画で世界的なブームを巻き起こしました。
しかし、数々の興行的失敗によりキャノンの勢いは衰え、90年代初頭にその歴史を閉じた…というのは皆さんもご存じの通り。本作は同社にとって比較的後期の作品で、『アメリカン忍者』系列のデビッド・ブラッドリーが主演に抜擢されています。
監督もサム・ファーステンバーグが担当しており、第2の『アメリカン忍者』を当て込んで製作された事が想像できます…が、実際の作品はなんとも味気ない代物となっていました(爆
■日本で飛行機事故に見舞われ、奇跡的に生き延びた1人の赤ん坊がいた。彼は剣士のジョン・フジオカに拾われ、剣術の修行に明け暮れていく。やがて凛々しき青年(デビッド)へと成長し、ジョンから直々に名刀を授かった。
だが、ジョンの実子であるマーク・ダカスコスはこれに納得せず、力を求めてヤクザへ身を落とした。それから数年後、アメリカに帰国したデビッドは記者として働いていたが、何者かに名刀を奪われてしまう。
時を同じくして、トルコで起きた謎の惨殺事件にピンときたデビッドは、カメラマンのヴァラリー・トラップと共に旅立つ。だが、遥か異国の地で2人を待ち受けていたのは、生死を賭けた剣闘士たちのデスゲームであった。
惨殺事件の犯人はマークで、彼は死のアリーナで無敵の王者として君臨していた。敵に捕まったデビッドはヴァラリーを人質に取られ、胴元のヤクザからアリーナへの参加を強要されてしまう。
武士道を重んじるデビッドと、過去の因縁に固執するマーク…今、トルコを舞台にサムライたちの熱き戦いが始まる!
▲この手の作品は勘違いしまくった日本描写、スピリチュアルな説法が重視されますが、本作も例によってそのパターンで作られていました。まぁこの辺は想定内なんですが、それ以上に作品自体がイビツな仕上がりとなっているのです。
序盤からその傾向は顕著で、山奥で飛んでるはずの飛行機の窓に建物やスタッフが映り込むミスがあり、しかもそれが堂々と本編に使用されています(苦笑
作中の時系列も混乱していて、死んだはずの剣闘士が普通に筋トレしてたり、まだ戦ってない選手が消えたりとメチャクチャ。登場人物も設定が雑で、特に主人公のデビッドは非常にあやふやなキャラと化していました。
例えば、何度も悪夢を見るので未熟な侍なのかと思いきや、後半からは成長イベントもないのに達観した侍っぷりを披露。主人公らしく普通に強いのに、ザコの奇襲攻撃には完敗する(リアルっちゃリアルですが)など、あらゆる面で設定が不安定なのです。
一方、作中のアクションは侍を題材にしているだけあって、日本刀やナイフなどのウェポン・バトルが基本。たまに素早い蹴りを放ったりしますが、ほとんどは大味な剣戟で占められています。
とはいえ、各々の動作は力強さを感じられるものになっているし、立ち回りのテンポも良好です。やたらと気合の入った流血シーンや残酷描写についても、剣闘士のバトルという設定にマッチしてて悪くありません。
また、本作が本格デビューとなるダカスコスは活躍こそ少ないものの、華麗な剣捌きを披露。サブキャストでは長刀使いに扮した林迪安(ディオン・ラム)が目立っていて、出番は僅か(ダカスコスと最初に闘う拳士役も兼任)ながら香港式の殺陣を見せていました。
気になるのはデビッドVSダカスコスという夢の対決ですが、ここで奇妙な事が起きているのです。2人が対決するのは最後の決勝戦で、ようやく巡ってきた好カードに期待が高まります。
ところが勝負が始まると、なぜか片方だけを映したカットが交互に挿まれ、2人が同一画面上に映らなくなります。しかも別のバトルで撮影されたと思しき映像(チラッと中国刀が見える)が紛れ込み、見ているこっちは困惑するしかありません。
ようやく決着の間際になって2人が一緒に映るんですが、どうしてこんな事になってしまったんでしょうか? 日本版ビデオはビスタサイズだから片方が見切れて映っていないだけなのか、それとも撮影時に何らかのトラブルがあったのか…。
作品としては明らかな失敗作ですが、色々と謎の残る奇妙な一品。結果的にシリーズ化は叶わなかったものの、もし運よくヒットしていれば毎回いろんな国で格闘俳優と斬りあうデビッドが見れた…かもしれませんね。
原題:AMERICAN SAMURAI
製作:1992年
▼本作は80年代に一時代を築いたハリウッドの異端児、キャノン・フィルムズが製作した異色のサムライ映画です。あまり当ブログではフィーチャーしてませんが、同社では数多くの話題作・娯楽作が作られており、今も根強いファンが存在します。
キャノンはイスラエル出身のメナヘム・ゴーランが主導した会社で、チャック・ノリスやヴァンダムをスターダムに押し上げ、『燃えよNINJA』を筆頭としたニンジャ映画で世界的なブームを巻き起こしました。
しかし、数々の興行的失敗によりキャノンの勢いは衰え、90年代初頭にその歴史を閉じた…というのは皆さんもご存じの通り。本作は同社にとって比較的後期の作品で、『アメリカン忍者』系列のデビッド・ブラッドリーが主演に抜擢されています。
監督もサム・ファーステンバーグが担当しており、第2の『アメリカン忍者』を当て込んで製作された事が想像できます…が、実際の作品はなんとも味気ない代物となっていました(爆
■日本で飛行機事故に見舞われ、奇跡的に生き延びた1人の赤ん坊がいた。彼は剣士のジョン・フジオカに拾われ、剣術の修行に明け暮れていく。やがて凛々しき青年(デビッド)へと成長し、ジョンから直々に名刀を授かった。
だが、ジョンの実子であるマーク・ダカスコスはこれに納得せず、力を求めてヤクザへ身を落とした。それから数年後、アメリカに帰国したデビッドは記者として働いていたが、何者かに名刀を奪われてしまう。
時を同じくして、トルコで起きた謎の惨殺事件にピンときたデビッドは、カメラマンのヴァラリー・トラップと共に旅立つ。だが、遥か異国の地で2人を待ち受けていたのは、生死を賭けた剣闘士たちのデスゲームであった。
惨殺事件の犯人はマークで、彼は死のアリーナで無敵の王者として君臨していた。敵に捕まったデビッドはヴァラリーを人質に取られ、胴元のヤクザからアリーナへの参加を強要されてしまう。
武士道を重んじるデビッドと、過去の因縁に固執するマーク…今、トルコを舞台にサムライたちの熱き戦いが始まる!
▲この手の作品は勘違いしまくった日本描写、スピリチュアルな説法が重視されますが、本作も例によってそのパターンで作られていました。まぁこの辺は想定内なんですが、それ以上に作品自体がイビツな仕上がりとなっているのです。
序盤からその傾向は顕著で、山奥で飛んでるはずの飛行機の窓に建物やスタッフが映り込むミスがあり、しかもそれが堂々と本編に使用されています(苦笑
作中の時系列も混乱していて、死んだはずの剣闘士が普通に筋トレしてたり、まだ戦ってない選手が消えたりとメチャクチャ。登場人物も設定が雑で、特に主人公のデビッドは非常にあやふやなキャラと化していました。
例えば、何度も悪夢を見るので未熟な侍なのかと思いきや、後半からは成長イベントもないのに達観した侍っぷりを披露。主人公らしく普通に強いのに、ザコの奇襲攻撃には完敗する
一方、作中のアクションは侍を題材にしているだけあって、日本刀やナイフなどのウェポン・バトルが基本。たまに素早い蹴りを放ったりしますが、ほとんどは大味な剣戟で占められています。
とはいえ、各々の動作は力強さを感じられるものになっているし、立ち回りのテンポも良好です。やたらと気合の入った流血シーンや残酷描写についても、剣闘士のバトルという設定にマッチしてて悪くありません。
また、本作が本格デビューとなるダカスコスは活躍こそ少ないものの、華麗な剣捌きを披露。サブキャストでは長刀使いに扮した林迪安(ディオン・ラム)が目立っていて、出番は僅か(ダカスコスと最初に闘う拳士役も兼任)ながら香港式の殺陣を見せていました。
気になるのはデビッドVSダカスコスという夢の対決ですが、ここで奇妙な事が起きているのです。2人が対決するのは最後の決勝戦で、ようやく巡ってきた好カードに期待が高まります。
ところが勝負が始まると、なぜか片方だけを映したカットが交互に挿まれ、2人が同一画面上に映らなくなります。しかも別のバトルで撮影されたと思しき映像(チラッと中国刀が見える)が紛れ込み、見ているこっちは困惑するしかありません。
ようやく決着の間際になって2人が一緒に映るんですが、どうしてこんな事になってしまったんでしょうか? 日本版ビデオはビスタサイズだから片方が見切れて映っていないだけなのか、それとも撮影時に何らかのトラブルがあったのか…。
作品としては明らかな失敗作ですが、色々と謎の残る奇妙な一品。結果的にシリーズ化は叶わなかったものの、もし運よくヒットしていれば毎回いろんな国で格闘俳優と斬りあうデビッドが見れた…かもしれませんね。