指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「早稲田と漱石」

2022年11月19日 | 横浜

横浜稻門会の三金会で、早稲田大学文学部の安藤文人先生の講演で、「早稲田と漱石」があった。

夏目漱石は、早稲田に生まれて、最後も早稲田の自宅で死んだのだ。

漱石は、日本で二番目の英文学士だったそうで、英文科の落第生の大先輩なのだ。

だが、漱石は、英国が嫌いだったようで、「あんな不心得な国民はない・・・昨今の職業は英語を離れて精々とした。」と言っており、イギリス人の冷たさが留学中も耐えきれなかったようだ。

この辺は、東京でも下町に生まれた漱石らしいところだ。

                                                       

さて、漱石のすごいところは、自己を相対化、戯画化しているところだと思う。

小説『坊っちゃん』のなかで、漱石は、自分を「赤シャツ」として描いており、英国帰りの嫌な奴としている。

その辺は、いつも偉い森鴎外とは違うところだと私は思うのだ。

 


『座頭市・地獄旅』

2022年11月17日 | 映画

『座頭市』シリーズの12作目、中でも傑作の1本だろう。

脚本は、伊藤大輔先生で、監督は三隅研次、そして配役が実に良い。

              

将棋の相手で、その打ち方で、山本学と林千鶴の親の敵なのが成田三樹夫。

林は、この後劇団円に入り、高林由紀子となる。

当時劇研の一つ上の男が、円の研究生で、彼に聞いたことがあるが、「林はきれいだ」とのことで、ここでは兄を箱根に探しに来る道中では男装をしていて、これも非常に良い。

市と関わる旅芸人の女が岩崎加根子で、その娘が藤山直美で、当時7歳だが、やはり上手い。

岩崎については、私は1961年夏に行なわれた劇団俳優座後援会の運動会で見ていて、当然にもきれいだった。お台場公園で行なわれた運動会では、時代劇の悪役の横森久が、座内のあれこれを面白おかしく、良い声で話していたが、少し離れて静かにしているのが、岩崎さんで、後援会の会員だった、私の二番目の姉に聞くと、

「岩崎さんは、いつも静かにしているわね」とのことだったが、現在では劇団俳優座の代表のようだ。

成田三樹夫が、唯一敵だと知っていた下男の丸井太郎が殺されて、敵は不明になる。

だが、勝と成田は、声だけで歩きながら、将棋の勝負をしていて、勝つ寸前になると、手を鼻にやるとのクセを出して、市の斬られる。

これは、伊藤先生の新東宝での『下郎の首』と同じ筋立てだが、面白い。

勝新と岩崎加根子は、情を通じるようになるが、もちろん最後は箱根の峠で別れていく。

WOWOWプラス


『さらば友よ』

2022年11月15日 | 映画

なんどか見た映画だったが、良いところは見ていないことに気づく。

 

                   

二度くらい見たと思うが、それはチャールス・ブロンソンが警察に逮捕された辺からで、アラン・ドロンとの友情のような部分は見ていなかったのだ。

原作のシャブリゾは、男の友情にこだわる人で、ここでもそれがよく出ていると思う。

ただ、まだ全面的ではなく、部分的だが。

セットなどの美術が非常に良い。

WOWOWプラス


チベットの仏教音楽

2022年11月14日 | 横浜

映画『セヴェン・イヤーズ・イン・チベット』でも出てきたチベットの宗教音楽は、昔から注目されていたもので、ノンサッチでも何枚か出ていて、私もよく聞いたものだ。

                    

これが、実際に行なわれたのは、1990年3月のみなとみらいのグランモール公園のイベントだった。

グランモール公園というのは、横浜美術館の前のエリアで、シンポジュウムもあり、そこには後に死んでしまう如月小春も出で、つまらないことを言っていた。

そして、この関連イベントとして、横浜美術館の大きなアトリウムで、その公演が行なわれた。

チベットの他、韓国の正農楽も行なわれたが、意外に横浜市の役人にも好評だった。

クラシックとカラオケしか音楽じゃないと思っている連中にも、民族音楽は理解できたのだ。

これは、現代音楽祭の付帯イベントとして、仙台で行なわれたものを田村光男の力で、横浜にも持って来たものなのだ。

だが、翌年ウォーマッド横浜で、都はるみを出すことになったとき、都市計画局の課長からは、

「演歌が出るようなイベントに助成金は出せない」と言われたのだ。

横浜市の役人の文化的レベルは、その程度だったのだ。

 

 


白木みのる、死去

2022年11月13日 | 大衆芸能

白木みのるが、2年前に亡くなっていたことが分かったそうだ。85か86だったようだ。

2010年7月の北島三郎の簡保ホールでの公演で、白木らを見て、次のように書いた。

 

                        

中身は、歌手芝居の常道で、1部は芝居で、2部が歌謡ショー。芝居は『幡随院長兵衛』だが、相当にいい加減な脚本。北島の他、星由里子、目黒祐樹、今井健二、船戸順、沢竜二、白木万理、あるいは白木みのる、人見明等も出るが、各自がワン・シーンくらいにしか出ず、およそドラマがない。唯一の劇は、北島・星夫妻の娘水町レイコ(北島の実娘)が、実は沢竜二の娘で、沢が返してくれと言いにくるところと、水野の部下の武闘派の今井らが目黒に反旗を翻すところだが、どちらも伏線がないので、ただ唐突なだけに終わる。完璧に、その場しのぎの「団子の串刺し」脚本なのだ。大体、幡随院長兵衛の話は、男伊達の彼に対して、つっころばしの優さ男白井権八とのホモ的とも言える関係に、旗本の悪役水野十郎佐衛門が絡んでくるもので、白井権八がいないので、幡随院と水野の対立だけで劇に少しも膨らみが出てこない。

芸能活動の他、不動産事業をやっていたとのことで、非常に賢明な方だったと思う。

ご冥福を祈りたい。


『セヴェン・イヤーズ・イン・チベット』

2022年11月12日 | 映画

1939年春、オーストリアのハンスたちは、ヒマラヤの山に登る。

登山は苦労つづきで、滑落事故などの後、彼らはイギリス軍に逮捕され、収容所に入れられる。

ドイツとイギリスが、戦争になったからだ。

 

                                                             

だが、ブラピは、友人と共に収容所を逃げて、インドからチベットを目指す。

途中、山賊に襲われたりするが、なんとかチベットに入る。

そこは、極めて宗教的な世界で、人々は仏教的習俗の中で生きている。

それは、苦行の果てにこそ、魂の浄化が得られると信じているからで、いつも楽な道を選択している私は絶対に行き着けない心境である。

要は、これこそが小乗仏教というものなのだろうか、と思う。

そして、ダライ・ラマの基に行くことになる。現在の14世で、まだ子供である。

このチベットの幼児が王になるというのは、日本の平安時代の幼帝と同様に思える。

幼児には、神聖があると考えられていて、日本の天皇制は政治的というよりは、宗教的存在だと言えるだろう。

1945年戦争は終わるが、二人のオーストリア人はチベットに残る。

ブラピは、ダライ・ラマの相談役のようになり、森羅万象を教えて、ラマの要望で映画館を作り、そこで英国王の戴冠の式のニュースなどを見る。

そして、中華人民共和国が成立し、それまでいた中華民国軍は退却してゆく。

中国軍が進駐してきて、暴力的に制圧する。

だが、チベットの人間は、中国の暴力に耐え、平和主義を貫く。

多くの点で、日本とチベットは、対中国関係で類似していると思える。

それは、絶えず北や西から異民族に侵略された中国王朝に対し、日本は島国で、チベットは高地で外敵から容易には侵略されなかったからろう。

1951年、ウィーンに戻ったブラピは、彼の息子に登山を教えている。

チベット人と中国人が全部英語の台詞を話すのには参る。

もっとも、日本の『天平の甍』でも、滝澤修の鑑真が日本語で、日本人の弟子に説教するのには驚嘆したことがあったが。

 

 


『ケネディの意志を継いだ男 リンドン・ジョンソン』

2022年11月11日 | 映画

ジョンソン大統領は、言うまでもなくケネディが暗殺されて副大統領から大統領になった一人である。

 

                     

冒頭、1960年の民主党の予備選の模様が出てきて、ベットでジョンソンが奥さんとテレビでケネディを見ていて、「いい男だ」と言うシーンがある。

逆に言えば、ケネディなんか、ルックスだけだとジョンソンは思っていたのだろう。

事実、ケネディは、ここでもあまり意思のない男で、ジョンソンと対決するのは、弟のロバート・ケネディであり、彼は本当の理想主義者として出てくる。

映画として見れば、ソックリ・ショーだが、このロバート・ケネディが一番よく似ていて、芝居も上手いと思う。

党大会で、ケネディは指名に勝ち、そして南部保守派の票を取るために副大統領になる。

彼の周囲は、南部保守派で、公民権法案に強く反対している連中である。

そして、問題のダラスに来て、ケネディは暗殺されてしまう。

憲法の規定によってジョンソンは、大統領になる。

この時の、南部の連中の反応が傑作で、「最初の南部出身の大統領だ!」と大喜びする。

「へえ、そうだったのか」と思うが、アメリカって北部の人間のものだったのかとあらためて知る。

就任演説で、ジョンソンは言う、「ケネディの意思を繋ぎ公民権法案を通す」と言う。

さらに、南部の連中の前でも広言するが、その台詞がすごい。

「南部の男の金玉の大きさを見せてやる!」

意外にも面白かった映画だった。

 

 

 


一番金のない役所 法務省

2022年11月10日 | 政治

葉梨法務大臣が、死刑の印を押すしか仕事がないと言って、問題となっている。

法務省は、一番金のない省庁である。

全国で、法務省が行なう事業で、社明運動がある。正式には、「社会を明るくする運動」で、横浜市では区役所でやるのだが、予算が一切出ない。

そこで、地域のPTAや区社協の予算でやることになる。

法務省は、ポスターとチラシを配布するだけで、さすがに主催とは言わずに、主唱と言っている。

夏休みの直前に地域で映画会が行なわれることがあるが、これは社明運動である。

                                                         

私は、小学校の時、美空ひばりの『たけくらべ』を学校の野外で見たことがあるが、これはそうだったと思う。

『たけくらべ』は、新東宝、五所平之助監督で、岸惠子や市川染五郎らが出た秀作だった。


力道山

2022年11月10日 | 東京

このところ、プロレスについてのユーチューブを見ていて、非常に人間関係が面白い。

中で、私のようにプロレスに興味のない人間でも、レスラー間のドラマは面白い。

だが、やはり一番興味深いのは、日本のプロレスの創始者・力道山だろう。

彼と豊登・シャープ兄弟戦は、池上の銭湯・久松湯の二階のテレビで見た。

なにより、シャープ兄弟のタッグの巧妙さ、ずるさに怒りを持ったものだ。

そして、力道山の自宅は、池上本門寺の裏の馬込にあり、われわれ子供は見に行ったものだ。

坂道の脇の豪邸で、高いコンクリートの塀があり、コンクリの塀には、無数の落書きがあった。

自宅と言っても、東京には複数のビルを持っていたので、住んでいるはずもなかったと思うが。

彼が、北朝鮮の人間であることなど、当時は誰も知らなかったと思う。

そして、意外なことに彼は、以下の多数の映画に出ており、記録のみならず、実際に演技もしているのである。

                      

この点では、アントニオ猪木も、長嶋茂雄もまったく叶わない実績である。

    1. 1953.09.22 薔薇と拳銃  新生プロ
    2. 1954.09.15 力道山大いに怒る  伊勢プロ
    3. 1954.09.29 力道山逆襲す  伊勢プロ
    4. 1954.12.13 力道山の鉄腕巨人  新東宝
    5. 1954.12.28 お月様には悪いけど  日活  ... 特別出演
    6. 1954.12.29 力道山に挑む木村  伊勢プロ
    7. 1955.02.01 力道山対山口六段 打つ蹴る投げる!  伊勢プロ
    8. 1955.05.01 力道山 勝利の記録  伊勢プロ
    9. 1955.10.18 やがて青空  東京映画  ... 特別出演
    10. 1955.11.15 力道山対キングコング  伊勢プロ
    11. 1955.11.22 続力道山対キングコング  伊勢プロ
    12. 1955.11.29 力道山対キングコング決勝戦  伊勢プロ
    13. 1955.12.27 力道山物語 怒濤の男  日活
    14. 1955._._ 続力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    15. 1955._._ 力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    16. 1955._._ 力道山・オルテガ・最後の決戦  伊勢プロ
    17. 1956.05.03 力道山の世界征服  日活
    18. 1956.05.03 力道山空手チョップの嵐 東京大会  日活
    19. 1956.05.10 再び捲起す空手旋風 大阪大会  日活
    20. 1956.06.11 力道山・シャープ最後の決戦  日活
    21. 1956.07.12 力道山、鉄腕の勝利  日活
    22. 1956.07.31 プロレス世界選手権 挑戦資格決定戦 力道山・タムライス 「61分3本勝負」  日活
    23. 1956.08.29 力道山 男の魂  協同プロ
    24. 1956.09.11 力道・タムライス 最後の激闘  日活
    25. 1956.10.31 怒れ!力道山  東映東京  ... 力道山
    26. 1957.01.15 純情部隊  東映東京
    27. 1957.10.15 力道山対ルー・テーズ世界選手権争奪戦  相模映画
    28. 1959.09.13 激闘  松竹大船
    29. 1983.09.15 ザ・力道山  松竹

 

そして、こうした映画の中で、彼は「やさしい叔父さん、リキさん」を演じているのだが、実際は非常に暴力的な人間だった。

だが、映像の中で、やさしい叔父さんを演じられたという点で、彼は本当に優れた俳優だったのである。

最初から「プロレスは、八百長だ」と言われ続けてきたが、八百長は上手い役者でないと演じられない「一つの演技術」なのだと私は思うのだ。

 

 


『月食』

2022年11月09日 | その他

昨夜は、皆既月食だったが、要があって空を見る暇がなかった。

1994年1月に『月食』という劇があったが、私は『ミュージック・マガジン』に次のように書いた。

 

                        

 

さて、もう誰も憶えていないだろうが、昔々『サイケ歌舞伎・月食』という劇があった。品川の天王洲のアートスフィア(現、銀河劇場)で行われた。作橋本治、演出宮本亜門、音楽ホッピー神山、美術横尾忠則、役者は山路和弘、大沢健、伊藤かずえ、芦屋小鴈、篠井英介、篠原勝之という素晴らしいスタッフ、キャストで、作品のひどいのが唯一の欠点だった。話は、インドの紀元前の神話だそうだが、「陰と陽」という二人の青年の出生、修行、さらに死であるが、非常に面白くなく、隣の席にいた故扇田明彦さんも、しばしばうたた寝されていた。橋本、宮本のホモ・ホモ・コンビなので、山路が全裸になるとのシーンもあったが、興味のない私には何も意味なし。

 

この天王洲アートスフィアも、今はホリ・プロのものになっていて、天王洲劇場と名を変えられている。

この劇場の入口にも大きな階段があり、まるでバカと言うしかない。『風と共に去りぬ』ではないのに。

さて、この月食というのは、性的な意味があるでしょうか、教えてください。


『ママお家が燃えてるの』

2022年11月09日 | 映画

1961年の松竹映画、実話の映画化で、主演は淡島千景、鰐淵晴子や倍賞千恵子らが共演。

 

                      

主婦の淡島千景は、性格の違いから弁護士の夫と別れて、6人の子供を抱えて再出発する。

淡島は、音楽大学を出ているが、ラジオ局に就職する。そこは元四谷のラジオの文化放送で、職場の同僚になるのは、園井啓介。文化放送は、宗教団体が資本に入っていたので、淡島は、キリスト教と関係があるのだろうか。

そして、すぐに3男が高熱を出して、あっさりと死んでしまう。

進行は結構早くて、テンポが良い。

7年後、皆大きくなっていて、長男の椎名勝巳は大学生、次女鰐淵は高校生、三女の水科慶子も高校に行っている。

そして、ある日、職場に電話が掛かってくる、

「お家が燃えてるの!」

急いで、園井と駆けつけると、消防車が来ていて、二階の部屋が燃えたところ。

3男が、マッチ遊びをして出火したのだが、火事はボヤで、二階の一部が燃えただけで消える。

この子は、幼児の時の高熱からの障害があり、軽度の知的障害で、学校で虐められている。

3女が、高校を辞めて、浦辺久米子のおでん屋で働くなどの挿話もある。

最後、淡島は園井と、こけし作りの取材に福島に行く。

こけしの顔を見ていると、淡島は子供たちを思い出す。

東京の家に戻ると、子供たちが優しく迎えてくれてエンド。

私は、原作の松尾ちよがテレビに出たのは見ているが、職場がフジテレビと同系列の文化放送だったからだろうか。

夫は、出てこないが、この二人の離婚の理由は不明だが、要は淡島は、家事が嫌いだったのではないかと思う。

世には、家事が嫌いで苦手という女性はいるもので、監督西河克巳の奥さんもそうで、家事はすべてお手伝いさんがやっていたそうだ。

この話は、シングル・マザーが子供を抱えて頑張るという筋で、ある意味で先駆的な映画である。

監督川津義郎

衛星劇場


「にちぶつがくいん」とは何か

2022年11月08日 | 横浜

横浜で、フランス映画祭が行なわれるとのことで、ご苦労さんというしかない。

これは、高秀秀信元市長が気に入れられていた事業だった。

 

                    

ある決算委員会で、公明党の議員が質問したことがあった。

それは、横浜日仏学院への助成のことだった。

彼は聞いたのだ、

「こよはまにちぶつがくいん」と。

すると、田口総務局長は、しつこく「にちふつがくいん」と繰り返した。

結構意地の悪い答えだった。

創価学会では、「仏は、ぶつとしか読まないのか」と思ったものだ。


鮭はなぜ遡上するのか

2022年11月08日 | その他

北海道で、鮭が大量に川を遡上しているとのことだ。

              

では、なぜ鮭は、産卵の時に川を遡上するのだろうか。

それは、「個体発生は、系統発生を繰り返す」の法則からなのだ。

鮭は、日本海がまだ湖だった頃に広くいたマスが、海に変わった時に、それに対応して鮭になった。

そこから鮭は、北太平洋全部に広がって行ったのだそうだ。

だから、産卵の時は、淡水の湖に戻って来るとのことだ。

 


『犬』

2022年11月07日 | 演劇

横浜ボートシアターは、前に見た『さらばアメリカ』がひどかったので、製作の斎藤朋君に勧められても、やや危惧をいだいていた。

だが、完全な傑作だった。

中勘助の原作と聞き、平気なのと思ったが、実に近年まれに見る優れた作品だった。

 

                 

一緒に見に行った小林君は、中勘助をシュールレアリストと言ったが、むしろ性的アナーキスト、監督で言えば西村昭吾郎のような人だと思った。

話は、11世紀の北インドだそうだが、日活ロマンポルノにできるような筋だった。

ただ、人間が犬になるので、俳優では無理で、アニメにすべきものかもしれないが。

ある苦行僧ががいる庵に若い女が通る。

女は、悩みを抱えていて、そして告白する。異教徒の軍隊が攻めて来たとき、ある軍人に捕まり、性交させられた。

僧は言う、7日間シヴァ神のところに通えば、悩みは消えると。

だが、僧は、女を犯した若い軍人に強い嫉妬を持ち、女を姦淫しようとするが、女はなかなかものにならない。

その中で、二人は犬になってしまうが、そこでも愛欲関係になる。

ここまでは、演者は男と女の仮面を保持していて、顔を出して演技している。

ボートシアターの最大の弱点である、役者が自分の顔を出せないことが辞められているのは、実に賢明なことであった。

世の中で、役者は自分の顔を他人に曝したい生き者であり、それを仮面で封じていたので、役者は劇団に定着しなかったのだ。

また、上下に語り手がいて、その話で進行するので、全体は文楽の語りと人形遣いのようになっていた。

犬になった二人の様々なドラマが進行するが、最後まで女は、自分を犯した若い軍人が忘れらないいまま。

最後、大地が裂けて、二人はその中に落ちて死ぬ。

大正11年に発表されて、発禁になったのも当然だろう。

横浜ボートシアターの今後に大いに期待したい。

新横浜スペースオルタ


『欲望と言う名の電車』

2022年11月05日 | 演劇

『欲望と言う名の電車』が、1953年に文学座で上演されたとき、二つのことがあった。一つは、ボーリングというのが分からず、「遊びにいく」に代えたこと。もう一つは、杉村春子のブランチを見て、岩田豊雄と岸田国士が「これは違う」と言ったこと。

だが、杉村はずっとこの役を演じてきたのはどう言うことなのだろうか、すごいというしかないだろう。

さて、以前、世田谷パブリックシアターで、高畑淳子がブランチを演じたとき、私は次のように書いた。

芝居で一番重要なのは、当たり前だが適役ということを改めて実感させられた劇だった。
主人公ブランチ・デュボアの高畑淳子である。
『欲望という名の電車』は、日本では杉村春子で有名だが、他にも東恵美子、水谷良重、浅丘ルリ子らも演じており、今年も秋山菜津子が、松尾スズキの演出で演じた。私が、このテネシー・ウィリアムズの戯曲を読んだのは、大学1年生の時で、早稲田の劇団自由舞台が隣の稽古場でやっているのを聞いて、文庫本を読んだ。
随分、感傷的で詩的な戯曲だなと思ったが、今度見てみて、作品の底にテネシー・ウィリアムズの、自身の同性愛への自己処罰意識があるのが分かった。南部の裕福な家に生まれたブランチは、繊細で高貴な心の持ち主で、卑俗な現実と折り合いがつかず、結婚にも破れて次第に精神を病んでいく。半ば娼婦のようになって田舎町をおいだされ、ニューオリンズの妹ステラ・神野三鈴のところにやって来る。そこは、ブランチに言わせれば、下品で、メイドもいない下層の家で、ステラの夫はポーランド人の労働者スタンレーである。文学、特に詩が興味のブランチと異なり、スタンレーの友人は、仕事の余暇は、ポーカーとボーリングしかない教養が全くない連中。この辺のアメリカの階層の差異の描き方は実に上手い。なんどもポーランド系との台詞が出てくるが、ポーランド系は、プロレスラーなども出ていて、肉体派のようだ。ただ、アメリカでポーランド移民が多いのは、北部でシカゴだそうだが。ブランチの実像は、次第に暴かれるが、まるで推理小説のように展開してゆく。一度の結婚に敗れた後、町の多くの男と付き合うが、ついには17歳の少年と関係し、父親からの抗議で高校教師もクビになる。そして、最初の結婚相手が実は、同性愛者で、自殺したことが明かされる。ここには、自らも同性愛者だったテネシー・ウィリアムズ自身の、自己への強い処罰意識があると私には思えた。最後、精神病院の医師が迎えに来て看護婦に連れられてゆく。高畑淳子は、見る前はできるかなと思ったが、大変な適役で、ブランチを演じた。
高貴な魂の持ち主で、美人だが、少々ぬけているところもあり、現実と上手く折り合えない女性を多分、杉村春子以来と思われる適役で演じた。青年座の公演では、高畑は、看護婦、ステラをやって来て、今度はブランチと主人公になったそうだ。これで、東恵美子、山岡久乃、初井言榮と3人の女優でやって来た青年座は、高畑淳子が女優のトップとなった。大曽根真のピアノは、現代音楽風で始まり、ラグ・タイム、ジャズと、舞台の役者と対位法のように張り合って演奏し、作品にぴったりだった。

 

                                                                         


今回の山本郁子のブランチは、あまり異常性はなく、普通の女性のように見え、その辺は、やはり時代なのかと思った。アメリカ社会の多様性というか、他民族、多文化社会なことをあらためて強く感じさせられた。

全体としては、非常に普通のできだが、最後、私はテネシー・ウイリアムズの孤独さに感動した。

 

実は、私はニューオリンズには行ったことがある。港湾局のとき、横浜港ポートセールス団約20人の事務局として、二ユーヨーク、ボルチモアの次にニューオリンズ港に行ったのだ。

ニューオリンズ港は、世界最大のバルク・カーゴ(バラもの貨物)の港で、ミシシッピー川を使って輸送してきた国内の穀物等を積み替えて外国に輸出する港なのだ。

横浜にもライクス・ラインという大手の会社の貨物船が来ているはずで、多分穀物である。

この時、ライクス社に、我々は昼食に招待されたが、完全にフランス・スペイン的な食事で、かなり美味しかった記憶がある。

そのようにニューオリンズは、フランス的な文化の町で、独特なものがあり、路面電車に乗って「デザイアー」にも行った。実際に、その名の停留場があった。別に他になにもなかったが。

聞いた話だと、作家のトルーマン・カポーティは、義母が沢山の不動産を持っていて、その一つにテネシーウイリアムズも、住んでいたのだそうだ。だからと言ってどうと言うことでもないが、大学で龍口直太郎教授から聞いたことである。

紀伊國屋サザンシアター