指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『御巣鷹山』

2007年04月29日 | 映画
『ザザンボ』の渡辺文樹監督の新作が都内で上映された。
これは事件である。
作品の出来について批評することは無意味で、いい加減さと監督の迫力には感動する。

話は、昭和60年の日航機墜落事故は、隔壁の損傷にからの事故ではなく、日米の秘密ミサイルと接触したためであり、直ちに横田基地に着陸させようとした。
だが、核物質を積載していたためアメリカの抗議でやめ、最後は御巣鷹山に墜落したのだそうだ。

端的に言えば、「とんでも話」で、またスタッフ、キャストが素人同然で粗雑に撮っているため、技術的には問題だらけというより、普通に撮影されている部分が少ない。
口が合っていないのが、こんなに気になるものだと初めて知った。

だが、映画は本質的に見世物であり、内容は「とんでも話」なものなことを再確認した。
貴重な体験だった。

『あるマラソンランナーの記録』

2007年04月29日 | 映画
フィルム・センターの黒木和雄特集、前にトヨタのアメリカ向け宣伝映画『日本10ドル旅行』と東レのPR映画『太陽の糸』が上映されたが、黒木にしては普通の記録映画で、少々拍子抜けする。

『あるマラソンランナーの記録』は、マラソン選手君原健二が東京オリンピックに向け、もくもくと練習していく姿を記録したもの。
腰痛の頻発の中で、練習に励む君原の心情が克明に記録され劇映画のようなドラマにどきどきする。
大映映画での『陸軍中野学校』や『白い巨塔』の重厚な響きが特徴の、池野成の音楽が、ここでも不安感を高め、作品に重厚さを与えている。

そこまで描かれてはいないが、君原は目標の東京オリンピックで入賞はしたが、メダルは取れなかった。
だが4年後のメキシコ五輪では見事に銀メダルを取る。

冒頭、東京オリンピックの前年1963年に開催された東京国際スポーツ大会が出る。
君原の他、女子110メートル・ハードルの依田郁子。
東京五輪では期待されながら、全く駄目だった選手の悲劇的な結末を思い出し、思わず涙が出た。

君原は、八幡製鉄(新日鉄)の所属だったので、練習のバックとして沿道の九州の町が出てくる。まだ、未舗装の道が多く、マツダだろうオート三輪トラックが活躍している。

ともかく君原は、練習しないと満足、不安になる選手のようで腰痛を押しても練習に励む。所謂「根性」の選手である。
その姿は、まさに1960年代の歯を食いしばって経済成長に邁進した日本人総ての姿でもある。

エル・スールで雨宿り、川口恒は今は・・・

2007年04月29日 | その他
フィルム・センターで黒木和雄の『あるマラソン・ランナーの記録』を見た後、銀座線で渋谷に行き、代々木八幡で渡辺文樹監督の『御巣鷹山』を見に行くまでの間、原田尊志さんのCD店「エル・スール」で丁度雷雨になったので雨宿り。
原田さんと偶然いられた、彼の従姉妹の方を含めて四方山話。

その女性は、川口松太郎家にいるのだという。すると、結婚したのは川口恒か、川口厚か、どちらなのだろうか。二人とも役者はやめたようだ。
ご主人は現在はご病気なのだそうだ。川口家も大変なのだ。

昔は、夏休みも親戚の家に長期に泊まりに行くことくらいで、今のようにデイズニーランドや海外旅行に行くなどということはなかった、という話になる。

夕方、雨も上がり、下北沢経由で代々木八幡に行く。
代々木八幡は、新国立劇場の帰り、渋谷行きのバスで通っているが、降りたのは、20年くらい前、青年座の研究生をしていた友人の公演を見に行って以来だろう。

『わが愛北海道』

2007年04月28日 | 映画
続いて1962年、北海道電力の北海道の紹介映画。
北海道に来た若い男(経済カウンセラーと言っているが、今日で言えばコンサルタントだろう)が各都市を紹介する。
そこに小樽の長靴工場の娘及川久美子への愛が挿入される。
言わば、及川へのラブレターのように各地の産業、歴史が紹介される。
これは、言うまでもなくアラン・レネの映画『24時間の情事』の原題が『わが愛、ヒロシマ』であるのに拠っている。

1960年代の高度成長、重化学工業全盛時代で、夕張の石炭、根室のパイロット・ファームや酪農、室蘭の製鉄、漁業をはじめ各産業が賛美されるのが、今日の惨状を見ると大変に皮肉。
映像がとても美しく、また展開と飛躍が快く、現地の人たちの表情も良い。

主演の及川久美子(真理明美)が生き生きとしていて大変可愛いい。
彼女は松竹の社運をかけた『風と共に去りぬ』のような、大オーディション映画『モンローのような女』に、見事1位合格してスターになり、監督須川栄三と結婚し、後に須川の映画制作にも大きく貢献した。
彼女は、ルックスは素晴らしいが、台詞と声が駄目で、女優としては大成できなかった。ただ、加藤泰の名作で安藤昇主演の『男の顔は履歴書』では、伊丹十三の恋人の朝鮮人女で出て、これは大変印象的だった。

木村功のナレーションの口調は抑制的だが、表現は大変テンションの高い、詩的なもので、最後にタイトルを見ると清水邦夫。
さすがにすごいナレーションだった。

音楽松村偵三、助監督東陽一、小川伸介。
すごいスタッフで作っていた作品なのだ。
会場には東陽一監督も来ていた。

最後のテレビ用の『群馬県』は、正統的な紹介映画だが、カメラが鈴木達夫で微細な描写がさすがである。

『恋の羊が海いっぱい』

2007年04月28日 | 映画
黒木和雄特集、1961年羊毛振興会の企画の記録映画だが、なんとミュージカル。
羊をめぐる様々なイメージ映像の展開、飛躍がすごい。
その映像の華麗さは、後に黒木の名を一挙に知らしめた『飛べない沈黙』の映像の素晴しさと同等である。
シネスコ・カラーなのにも驚く。

途中でお針子のシーンがあるが、狭い部屋に若い女性を閉じ込め、早口の台詞と動きが交錯する。
市川崑の映画を真似したそうだが、九里千春、水垣洋子、五月女マリなど当時の若手女優が多数出ている。
次の『わが愛北海道』の主演の及川久美子(真理明美)もワンカット出ている。

ペギー・葉山の歌の作詞は谷川俊太郎。
スタジオや野外でのダンサーの乱舞など、完全に記録映画の枠を越えている。
このとき、すでに黒木和雄の才能が爆発していたのだ。
音楽小野崎孝輔。

井上大助

2007年04月26日 | 映画
先日見た『チエミの婦人靴』で、江利ちえみの相手役は井上大助だった。
ファンは、「井上ダイちゃん」と呼んでいた。

彼は、戦後すぐの東宝映画のアイドルの一人だった。
黒澤明の『白痴』にも出ているそうだが、記憶にない。
さらに成人後も、東宝で脇役で出ていたが、あまりぱっとしなかった。
元々が弱弱しい少年役だったので、1960年代以降は裕次郎のようなアクション映画スターの時代には、「お呼びでなく」なったのだ。
こうした弱弱しいタイプは、たまに松竹の佐藤裕介や郷ひろみと言ったところもあったが、これらは今やほとんど消滅した。
ダイちゃんは、1980年代に亡くなられた。

お台場は今

2007年04月26日 | 東京
月曜日は仕事で、お台場の東京ビック・サイトに行く。
ゆりかもめは混雑するので、大井町駅から臨海高速線で行くが、早朝なのに混んでいるのには驚く。
お台場もオフィスが増え、サラリーマンが通勤するようになった。
それにしても、この地下駅はすごい、地下7階か8階だろう。

これは、元々旧国鉄京葉貨物線の一部として、お台場と品川間に海底トンネルが作られており、それを利用して地下鉄を作ったからなのだ。
核戦争のときは、一大シェルターになる。

前にお台場に来たのは、薬年前のゴールデン・ウィークで、当時はまだオフィスはなかった。
ビック・サイトは、一気に2階から6階まで上がる大エスカレーターが笑ってしまうが、良くぞこんなものを作った。

お台場は、全体に本格建築ではなく仮設の建物が多いので、配置が目茶苦茶である。
大江戸温泉物語は、港湾のコンテナ・ターミナル青海埠頭のすぐ前なのは笑えた。

洋楽の歌い方

2007年04月24日 | 音楽
日曜日は、ラピュタで石原慎太郎主演の『婚約指輪』を見た後、鈴木英夫監督の同じく小品、江利チエミ、井上大助主演の『チエミの婦人靴(ハイヒール)』を見た。
雑誌『明星』の読者交換欄で知合った靴職人と繊維工場の女工の恋という極めて古臭い、昭和30年代に沢山あった物語。
中で二人は映画館に行き、江利チエミの歌謡ショー映画を見る。
そこで歌われる『Let me go』(『思い出のワルツ』)の歌い方が興味深かった。

1番は原語の英語で歌うが、2番目の歌詞は日本語の訳詩で歌うのだ。
昭和30年代に、ジャパニーズ・ポップスが生まれるまで、洋楽の歌い方はみなこうだった。
これは、大げさに言えば日本の西洋文化摂取の方法の一つであり、また混合の仕方でもあった。
これによって歌手は、洋楽と邦楽の両方の歌唱法が必須とされ、当時の歌手はみんな両方できることが当たり前とされた。
美空ひばりを典型に、彼らは両方とも上手いが、こうした歌唱法がそれを支えていたのだ。
その後、昭和30年代中頃に、ジャパニーズ・ポップス、今日のニュー・ミュージックが成立して、こうした構成はなくなる。

雑誌の読者交換欄というのも、今で言えば「出会い系サイト」「掲示板」であり、いつの時代にも若者の出会いを作るメディアはあるものだと改めて感心した。

『婚約指輪』

2007年04月23日 | 映画
石原慎太郎がこんな小品映画にまで出ていたとは初めて知った。
昭和31年公開の、わずか51分の東宝の添え物映画。監督松林宗恵、脚本若尾徳平と慎太郎。

慎太郎は富豪中村伸郎の息子で経済学部の大学院生。
幼馴染の金持娘白川由美と、行きがかりから婚約指輪を送るため銀座で指輪を買物うが、途中で落としてしまう。売子の青山京子が拾い、慎太郎に正直に戻す。
そこから、慎太郎は青山の庶民的で純真な性格が気に入り、白川との婚約を破棄し、青山と結ばれるという寓話的な話。
「格差社会」の今日、元祖セレブの石原東京都知事も、20代の頃は庶民的な姿を見せていたという記念碑的映画。

だが、この作品でも慎太郎は本気で演技をしているとは見えない。
その辺が、増村保造の映画『からっ風野郎』で、徹底的にしごかれ、だが自分のすべてをさらけ出した三島由紀夫との根本的な差である。
石原慎太郎は、自己をさらけ出せず、適当に格好を付けている分、映画は今一面白さに欠け、役者としては失格だったと思う。

青山京子が、慎太郎の弟石原裕次郎のライバル・小林旭と後に結婚すると思うと、世の中は複雑である。
青山京子は、吉永小百合を思わせて可愛く、また結構美人である。

ラピュタ阿佐ヶ谷

『きれいな肌』

2007年04月23日 | 演劇
「きれいな肌、cleanskins」とは焼印をおされていない家畜のことで、イギリスでは2005年のロンドンでのテロ事件以後、前科のないイスラム系のテロリストのことだそうだ。
イギリス在住のパキスタン系イギリス人シャン・カーンの、日本の新国立劇場の委嘱による新作である。
イギリス北部の田舎町の公営住宅に家出した娘・中島朋子が戻ってくる。
弟・北村有起哉は反イスラム系のデモから帰ったところだったが、中島はイスラム教徒になっていた。
彼らは、イスラムとキリスト教、麻薬使用の過去、さらに彼らの父、夫につき激しく言い争う。
そして、ラストは意外な家族関係が明らかにされる。
最近、このように真面目な劇を見て感動したことは稀有なことだ。
それが、日本ではなく、イギリスの作家であるということが悲しい。
演出栗山民也。

『世界は音楽でできている』

2007年04月22日 | 音楽
先週、渋谷で『フランシスコの二人の息子』を見た後、原田尊志さんのレコード・ショップ「エル・スール」に行き、昔の『ミュージック・マガジン』の編集者など四方山話をする。

北中正和さんのご本『世界は音楽でできている』(音楽出版社)全2冊を買う。
世界中のポピュラー音楽について書かれている。

冒頭の北中さんと原田さんの対談でも触れられているが、世界で最も多様な音楽を聴いてきたのは日本である。
それは、多分映画も同じだろう。日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。
多分、この北中さんの本は、世界中のポピュラー音楽について書かれた、間違いなく世界中で最高の本だと思う。
どこを開いても楽しく素晴しい叙述である。

因みに、エル・スールは、宮益坂の古いビルの10階にあり、そこはホラー映画『暗い水底の中で』に出てきたビルだそうだ。

キャッチャー野村

2007年04月21日 | 野球
NHK衛星放送で仙台の楽天・ロッテ戦を見る。
楽天の投手青山はなかなか良い。ロッテの成瀬も悪くはないが。

だが、ピンチになると楽天の捕手嶋は、一球毎にベンチの方を見ている。
ベンチで、いつもしょぼい顔をしたバッテリー・コーチの山田勝彦がサインを出している。

解説の与田剛によれば、野村監督が口頭で球種を指示し、それを山田が捕手にサインとして送っているとのこと。
それをさらに捕手がピッチャーに示しているので、投球間隔が異常に長い。

野村は、監督のみならず捕手もやっている。
その分のギャラも貰わなければならないだろう。
ゲームは同点から青山が打たれ、ロッテが勝ったようだ。
確かに楽天は強くなっている。

変則ダブル・ヘッダーと村田元一投手

2007年04月21日 | 野球
昭和30年代、プロ野球のセ・リーグには、一日で違うチームがダブル・ヘッダーをやる「変則ダブル・ヘッダー」があった。
例えば、巨人・阪神戦と国鉄(ヤクルト)・大洋(横浜)戦を同じ日に後楽園球場でやってしまうのだ。
これは、国鉄・大洋戦を単独でやっても客が入らないのと、巨人と同様、国鉄も後楽園をフランチャイズにしていたためであった。言わば、巨人戦の前座に国鉄戦をやるのである。
当時は、球場が少なく、後楽園を巨人の他、国鉄、さらにパ・リーグの東映(日ハム)、大毎(ロッテ)もフランチャイズにしていた。

私も昭和33年の夏、巨人・阪神戦を見に行くと、前座で国鉄・大洋戦をやっていた。
勿論、ほとんど誰も国鉄・大洋戦をろくに見ていなかった。
実は、その試合で国鉄の村田投手が8回までノーヒット・ノーランをやっていたのだが、誰も気がつかなった程に、皆見ていなかったのである。
9回の始まり、私の周囲でも「ノーヒットだ!」という声があがり、やっと気づいた。
その9回表、大洋の好打者近藤和彦にライト前ヒットを打たれて記録は駄目になった。
この村田は、村田元一という投手で、国鉄スワローズ時代常に10勝くらいを上げ、地味だったが金田につぐエースだった。
彼は、記録を見ると昭和37年の阪神戦では、9回2死まで完全試合で、西山という余りたいした打者ではなかったが、彼に打たれて完全試合を逃しているのだそうだ。
相当に運の悪い選手だったわけだ。

演出家落合

2007年04月20日 | 野球
阪神が中日に6点差を逆転されて負けた。
毎年1,2回はこういう試合がある。

見ていないので、なんとも言えないが、落合の態度に負けたのだろう。
いくら負けていても平気な顔をしていて、「いずれ勝てるさ」と言う表情を見せている、本心はどうか知らないが。

落合は、あの尊大な態度が嫌だが、逆に言えばあれに中日の選手は乗せられているとも言える。
その意味で、落合は大変な演出家である。
阪神他、他のチームは落合の態度に惑わされてはならない。
その意味では、交流戦は期待できると思う。

完全な改悪だ

2007年04月19日 | 演劇
一昨日見た『写楽考』の矢代静一の戯曲を読む。
鈴木秀勝の構成・演出は完全な改悪であることを確認した。

矢代の原作は3時間以上で長いとのことで、今回鈴木は随分カットしている。
だが、矢代の戯曲は、案内人の他、ロシアの映画監督エイゼンシュテインに至るまで、様々な人間の証言をブレヒト的手法で表現する他、1960年代のアングラ的な趣向を取り入れ、写楽を立体的に表現し、とても楽しく面白い。
彼を偉い人ではなく、普通の若者としている。
さらに、写楽(堤真一)、歌麿(長塚圭一)、お米(七瀬なつみ)、十返者一九(高橋克実)、お加代(キムラ緑子)など主人公たちの独白や逆説が浮かび上がるように出来ている。

だが、主人公たちのみにしてしまった鈴木演出は、周りのものがなくなったため骨組みだけで、ドラマがどこにも存在せず、残ったのはモノローグのみで面白くもなにもないものになっていた。
原作どおりやれば、3時間近くなるだろうが、とても洒落たものなので長さは感じず、観客は誰も文句は言わないだろう。
鈴木演出は、2時間少しだったが、とても長く感じたし、またアンコールも出ないできだった。
堤真一、七瀬なつみなど、役者はよくやっていると思う。長塚圭一は感心できなかったが、これも演出の問題だろう。

鈴木秀勝は、2年前のパルコ劇場の『ドレッサー』、あるいは新国立劇場の『胎内』もひどいものだったが、こんな奴を使う方がどうかしている。
迷惑なのは観客である。