指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『豚と金魚』

2011年12月31日 | 映画
期待していなかったが、これは拾いものだった。
原作は、梅崎春生で、シナリオは松木ひろし、監督は川崎徹広。
東京の外れ、多摩(府中らしい)に住んでいる売れない小説家・上原謙と妻沢村貞子を中心に、同じ地主の地所に住んでいる飯田蝶子と下宿人で画家の卵藤木孝、子沢山の若水ヤエ子と丘寵児夫妻、さらに駅前の喫茶店主草笛光子と妹若林映子らの喜劇。

冒頭に上原が出版社に稿料を貰いに来ると、大藪春彦をモデルにしたらしい若い作家が大げさなポーズで写真を撮らせているが、黒人風の風貌から見て監督の西村潔のように見えたが、そうだろうか。
飯田蝶子、上原兼、沢村貞子、草笛光子、渡辺篤史ら、当時すでに隅に押しやられつつあった脇の役者を上手く使って、存分に能力を発揮させている。
借地人の上原らを、中国人の有木三太が、ラーメン屋のトニー・谷を使って追い出そうとしているのが、話の中心になる。
飯田とトニーのやりとりも大変面白い。
トニー・谷は、『おそまつ君』のイヤミのモデルだが、嫌味な人間を演じると本当にピッタリ。

藤木の恋人が、若林映子で、二人の関係もドライなタッチで描き、自転車に乗った若林を橋の下から撮って、風でスカートが上がってパンツ丸見えのサービス・ショットもある。
勿論、藤木は、ジャズ喫茶で歌う。

最後は、飯田蝶子は息子佐田豊のところに引き取られ、若水・丘一家は、夜逃げのように去り、上原夫婦も引越して行き、若い二人がオートバイで去るところでエンド・マーク。

全体に、感じとしては、ほぼ同時期に公開された川島雄三監督の『青べか物語』に似た、ローカル・カラーの不思議な連中の喜劇である。
なかなか上手くまとめていると思うが、この程度では、東宝でも監督として生き残れなくなっていたのだろう、川崎監督は、東宝を辞めて文化映画の方に行ったらしい。
ラピュタ阿佐ヶ谷

惣領制と考えれば良い

2011年12月29日 | 政治
北朝鮮の金正日が死に、後継者が長男ではなく、三男であることが奇妙なことのように報じられている。
だが、これは日本の中世から江戸時代まで、武家の中にあった惣領制と思えば容易に理解できる。

武家の社会では、長子相続は必ずしも定まったものではなく、子供の中から一番適当な者を選んで、相続させるのが普通だった。
三代将軍の徳川家光も長男ではなかったはずだ。

こうした惣領制は、現在の日本でもヤクザ、暴力団の世界では生きていて、組を相続するのは、長男とは限らない例がある。
となると、「北朝鮮は、まだ中世なのか」となるが「強勢大国」なるものは、封建的な武装国家とも考えられるのだから、そうなるのかもしれない。

稀曲の会

2011年12月24日 | 大衆芸能
国立劇場邦楽公演として『稀曲の会』が行われた。
稀曲とは、まれにしか演奏されない曲で、多くは面白くないもの、非常に演奏が難しいもの等で、自然と消えてしまったものだそうだが、中には何故か消えてしまった不幸な曲もあるそうだ。
例によって元国立音大の竹内道敬先生の監修で、まず新内節の『霊験宮戸川』は、岡本宮之助らで。
岡本は、その名の通り、故岡本文弥の甥の子で、話の原作者は、平賀源内。
かなり猥褻な内容で、国立劇場でやるようなお上品なものではないが、岡本に言わせれば、「下司」になってはいけないのだそうだ。

次が、この日、一番感銘を受けた薩摩琵琶、須田誠舟で『木崎原合戦』
レコードは持っているが、薩摩琵琶を実演で聴くのは初めてで、どうせつまらないと思っていたら、とてもスリリングで感動的だった。
話は、戦国時代に薩摩の島津忠平が少ない兵力で、日向の大群を破った故事で、武士道を謳うもの。
だが、須田氏の琵琶の撥さばきは、まるでジャズやロックのギターのようなフレーズの繰り返しや極弾きのような技巧を重ねて盛り上げてゆく。
武満徹が映画『怪談』で、特に『耳なし芳一』のところで、琵琶が全面的に使用されていて映画を盛り上げていたのを思い出した。

次は、一中節で、『かしく墓所の段』、竹内先生によれば一中節については、「親戚も二段まで」という言葉もあるくらい、相当に退屈なもの。
これも心中ものだが、残念ながらあまり面白くなかっが、菅野序恵美さんと三味線の菅野序枝さんは、大変お上手だった。
要は、つい最近まで一中節は、一般の公演はなく、「順興」と言って、お弟子さんの家で発表会が周り持ちで行われるシステムで、多くの観客に見てもらう芸ではなかったからだろう。
お座敷芸とはまた違うが、家元制度の芸とでも言うべきだろうか。

最後は長唄の『釣狐春乱菊』という、初代桜田治助が書いたものなのだそうだが、わずか15分分位しか、今日では残っていないのだそうで、始まったかと思うとすぐに終わる。

最後に、出演者と竹内先生との座談会があり、それぞれの師匠の稽古法など、大変面白かったが、それについては別に書く事にする。

今年良いことは

2011年12月23日 | その他
嫌なことの多い日々だが、今年一つだけ良いことがある。
クリスマス・イルミネーションなるものが極めて少なくなったことである。
例年は、この時期になると、「まるで町中が発狂したのではないか」と思われるほど、キャバレーのようなネオンが光っていて、テレビでは有名スポットまで紹介していた。
本来、クリスマスは、それぞれの家庭で密かに祝うべきものであり、まるでキャバレー・ショーのように「我が家は幸福ですよ!」と宣伝するのは、見ていて大変苦々しかった。

それが、東日本大震災以降の、節電の中で急に減ったのは、大変喜ばしいことである。
勿論、夜なので、特に節電する必要も本来はないのだが、無駄なことはしない方が良いのは当たり前である。

『欲望という名の電車』

2011年12月21日 | 演劇
芝居で一番重要なのは、当たり前だが適役ということを改めて実感させられた劇だった。
主人公ブランチ・デュボアの高畑淳子である。
『欲望という名の電車』は、日本では杉村春子で有名だが、他にも東恵美子、水谷良重、浅丘ルリ子らも演じているそうで、今年も秋山菜津子が、松尾スズキの演出で演じた。

私が、このテネシー・ウィリアムズの戯曲を読んだのは、大学1年生の時で、早稲田の自由舞台が隣の稽古場でやっているのを聞いて、文庫本を読んだ。
随分、感傷的で詩的な戯曲だなと思ったが、今度見てみて、作品の底にテネシー・ウィリアムズの、自身の同性愛への自己処罰意識があるのが分かった。

南部の裕福な家に生まれたブランチは、繊細で高貴な心の持ち主で、卑俗な現実と折り合いがつかず、結婚にも破れて次第に精神を病んでいく。
最後は半ば娼婦のようになって田舎町をおいだされ、ニューオリンズの妹ステラ・神野三鈴のところにやって来る。
そこは、ブランチに言わせれば、下品で、メイドもいない下層の家で、ステラの夫はポーランド人の労働者スタンレーである。
文学、特に詩が興味のブランチと異なり、スタンレーの友人は、仕事の余暇は、ポーカーとボーリングしかない教養が全くない連中。
この辺のアメリカの階層の差異の描き方は実に上手い。

ブランチの実像は、次第に暴かれるが、まるで推理小説のように展開してゆく。
一度の結婚に敗れた後、町の多くの男と付き合うが、ついには17歳の少年と関係し、父親からの抗議で高校教師もクビになる。
そして、最初の結婚相手が実は、同性愛者で、自殺したことが明かされる。
ここには、自らも同性愛者だったテネシー・ウィリアムズ自身の、自己への強い処罰意識があると私には思えた。
最後、精神病院の医師が迎えに来て看護婦に連れられてゆく。

高畑淳子は、見る前はできるかなと思ったが、大変な適役で、ブランチを演じた。
高貴な魂の持ち主で、美人だが、少々ぬけているところもあり、現実と上手く折り合えない女性を多分、杉村春子以来と思われる適役で演じた。
青年座の公演では、高畑は、看護婦、ステラをやって来て、今度はブランチと主人公になったそうだ。
これで、東恵美子、山岡久乃、初井言榮と3人の女優でやって来た青年座は、高畑淳子が女優のトップとなった。
大曽根真のピアノは、現代音楽風で始まり、ラグ・タイム、ジャズと、舞台の役者と対位法のように張り合って演奏し、作品にぴったりだった。
世田谷パブリック・シアター

母物の系譜

2011年12月17日 | 横浜
昔、日本映画界に「母物」というジャンルがあった。
大映の三益愛子の作品が有名だが、東映でも「浪花節映画」として多数作っていたと深作欣二も言っていた。
笠原和夫に言わせれば、未だに存在していて、テレビの実録告白ものなどは、皆そうだと書いていた。
その元は、中世以来の説教説などのなるのではないかと思われる。

さて、昨日都筑公会堂に行き、北村年子という人の講演を聞いた。
本当かどうかは知らないが、妹が福島で震災に会い、県内外を避難しているとのこと。
いじめやホームレスについての体験談だったが、最後は彼女の父親が自死したことで終わった。

エンターテイメントとしてみれば、もう少し泣かせて欲しかったところだが、この日は観客が少なかったので、熱演は止めたのだろうか。
これも本来は、母物だなと感じた次第。

落語もリズムだ

2011年12月16日 | その他
先日の岡田則夫さんのレコード・コンサートでは桂文治の『祇園祭』にしびれてしまい、早速文治も収録されているCD『昭和こっけい落語集』を買った。
何度聞いても、すごくて大変面白い。
京の男と江戸の男の、それぞれの祭り囃子をめぐる言い合い、口三味線が実に上手い。
まるでロックやジャズの掛け合いのようである。

岡田さんも、「落語はリズムだ、という言葉もあります」と言っておられたが、全くその通りである。

昭和30年代までの日本の芸人は、基本的にリズム感が非常に良いと思う。

最近、若手の芸無し芸人のしゃべりが速くなっているが、ただ速くなっているだけであり、必ずしもリズム感が良い訳ではない。
是非、桂文治らの喋りを見習って欲しいと思うのは、私だけだろうか。

活弁の影響の大きさ

2011年12月13日 | 演劇
先日の岡田則夫さんのイベント『わがSP蒐集人生』で強く感じたのは、活弁、つまり映画説明の活動弁士の語り口の影響の大きさだった。
映画ができた初期、日本では映画の上映に当たり、説明者が付き、それを活動弁士、活弁と言い、大変人気のある商売だった。
中には女性もいて、昨年亡くなった女優高峰秀子は、彼女の叔母が女性の活弁であり、その時の芸名が高峰秀子だったのは、有名だろう。
1930年代になり、映画がサイレントからトーキーになると、活弁は失業し、中ではストライキも起きた。
その中で自殺したのが、黒澤明の兄黒澤勇で、神田シネマ・パレスの主任弁士だった須田貞明である。

トーキー以後、活弁の多くは、漫談家になった。
徳川無声、山野一郎、牧野周一、大辻司郎など。
あるいは松井翠声や西村小楽天のように司会者になる者もいた。
松井は、なぜかボクシングやプロレスの世界戦になると必ず現れてリング・アナンサーを務めた。

活弁のしゃべり方は、この日岡田さんのレコードで披露された『白浜温泉のバスガイド』、大阪の『鈴貫のチンドン』のレコードでも、その語り口に、受け継がれたと思う。
岡田さんによれば、「バスガイドのレコード」は、多数あり、大変売れたものだそうだ。要は、当時は旅行はなかなかいけなかったので、その代わりに聞いたのだそうだ。今のテレビの「旅番組」のようなものだろう。
さらに、紙芝居なども、活弁の影響が大きかったと思う。
そして、現在では、図書館業界等で行われている「読み聞かせ」の語り口は、やっている人たちは、全く意識していないだろうが、明らかに活弁の系譜にあると私は思う。

『ライブ版・蒐集奇談 -岡田則夫・わがSP盤収集人生ー』

2011年12月11日 | 音楽
ぐらもくらぶのイベントとして、日本一のSPレコードのコレクター岡田則夫さんのお話を聞くイベントが開催された。
聞き手は、いつもの保利透氏。

岡田さんの収集歴は、学生時代にラジオの落語を聞いて好きになったことで、まずは金馬のSPの『じゅげむ』から。
本格的に落語を好きになったのは、正岡容(まさおかいるる)の本を読み感動したからで、正岡は落語家として高座にも上がったので、そのレコード『宝塚恋慕恋歌』も掛けられる。正岡は、40冊くらいの本も出していて、ほとんど入手したとのこと。

東京オリンピックの頃からSPの収集を始めたそうで、最初は電話帳の古物商に電話して聞くことから。
だが約500軒の東京中の店を聞いてしまうと、今度は「各駅停車作戦」で、鉄道の各駅停車に乗り、各駅ごとにに下りる。
駅前の自転車預かり店に行き、そこで「こういう店はありませんか」と聞く。
そうやって東京を終わり、さらに首都圏を回ったそうだ。

就職後は、全国を相手に収集旅。
極意は事前にはあまり調べないで、現地に行って当たることだそうで、事前準備をしすぎると仕事のようになって面白くないとのこと。
「道楽なのだから、効率を目指さず、ゆっくり楽しみながら長くやること」
そして、収集はいきなり細かい重箱の隅を穿るのではなく、基本的なところから始めれば、結果として富士山型のコレクションができるとのこと。
『レコード・コレクターズ』に『蒐集奇談』を連載するようになったのは、フジテレビの『花王マ名人劇場』のパンフレットに書いた原稿を中村とうようさんが見て、依頼が来たからだそうで、『蒐集奇談』という題名も、とうようさんが付けたとのこと。

SPでは、江戸川乱歩の『城ケ島の雨』等の珍盤も面白かったが、なんと言ってもすごかったのは、八代目桂文治の『祇園祭』だった。
これは、東西の男が、それぞれの祭りのお囃子を自慢して歌うものだが、そのリズム感が実に見事。
全体として、昔の芸人は、リズム感が良かったなと再認識した。
さらに、バスガイド、チンドン屋の口上等に活弁の語り口が残っていることがよく分かった。
活弁は、芸能史的には、映画の正統的な享受の妨げだったとして、否定的に語られることが多いが、その語り口は、現在の歌謡曲の前説(玉置宏ら)に生きていると思う。
世界的に見れば、サイレント時代に活弁のような説明者が付いたのは、日本、韓国、タイなのだそうで、西欧では、バンド、あるいはオーケストラの演奏のみだった。
日本における語り物の伝統の強さを示すものの一つだろう。
神田神保町 落語カフェ

橋下氏、勝利の原因は

2011年12月06日 | 政治
大阪市長選挙で橋下徹氏が圧勝し、改めて分かるのは、教師、教育委員会への反感の強さではないか。
今回の選挙で、主に争点となったのは、大阪都構想だとされているが、そんなもの一体誰が理解しただろうか。
それよりも、多くの若者、アンチャンやヤンキー連中に強くアピールしたのは、橋下氏の教育委員会、現状の公的教育制度への攻撃である。

多分、今回の選挙で橋下氏を強く支持した彼らは、小中時代の学校で良い思いを持っていないと思う。
彼ら曰く、「先公」には、不愉快な思い出しかないはずだ。
そして、先公の上にあるのが、教育委員であり、教育委員会である。
「そんな連中はすぐにやめさせて、改革しろ」という気分に、橋下氏の教育基本条例などの攻撃は、上手く合ったと思う。
その上、平松氏の応援に行ったのが、大学教授等の知的な人間だったことも、余計彼ら若者の反発を生んだと思う。
「みな同じ穴のむじなで、いい思いをしている連中ばかりだ。そいつらと橋下は違う」と。

勿論、橋下徹氏は、基本的に新自由主義者であり、誰を優遇し、誰を切り捨てるかは、本当は明確なはずなのだが、それは上手に隠したというべきだろう。
まことに上手い選挙戦であった。

添田亜禅坊は

2011年12月05日 | 音楽
今回の「横浜で交差した音 日本篇」の『レコードで聴く関東大震災』で、一番掛けたかったのが、実は添田亜禅坊作の『金金節(かねかねぶし)』だった。
これは、大正時代の成金的風潮を鋭く批判したもので、大変面白く、私は小沢昭一の唄で知った。
5分以上もある長い曲だが、是非掛けたいと思っていた。

ところが、選曲を相談し岡田則夫先生にお聞きすると、「添田亜禅坊の『金金節』のSPはない」とのことで、大変驚く。
実は、添田亜禅坊のレコードは極めて少なく、岡田さんも持っておられるのはたった1枚で、それも音楽ではなく、タンカ売、つまり夜店の物売りの口上なのだそうだ。

添田亜禅坊は、演歌、書生節を大量に作った、言わば演歌師の元締的存在だったが、レコードには吹き込んでいないとは意外だった。
さらに、彼の息子の添田知道のSPも少なく、「それは彼はあまり歌が上手くなかったからではないか」とのこと。
言ってみれば、添田亜禅坊と添田知道親子は、ライターであり、シンガーではなかったということなのだろうか。

世の中には、意外なことが多々あるものだと改めて思った次第。

『荒川の佐吉』

2011年12月04日 | 映画
高田浩吉が、こんな作品に出ているなんて知らなかった。
『荒川の佐吉』は、言うまでもなく、真山青果の戯曲で、市川佐団冶、市村右佐衛門、現在では中村勘三郎、片岡仁左衛門らが演じている名作である。

話は、二つあり、大工だった佐吉は、ヤクザの三下になっているが、その組の親分の沢村国太郎が、浪人の安部徹に片手を切られ、組を取られ、国太郎は落ちぶれて、最後はいかさま賭博を見破られて殺される。
もう一つは、高田浩吉の姉の息子が、盲人で、裕福な婚家から捨てられ、佐吉がわが子のように育てる、のである。
そこに、沢村の娘の高田への恋が絡む。
この女優は誰かと思うと、宮城野由美子だった。
彼女は、宝塚から映画界に入り、東宝、松竹等で日本的な娘役としてかなり人気だった。
後に、日活に入り、時代劇を制作していた初期に活躍したが、監督蔵原惟繕と結婚して引退した。
日活の初期を支えた女優の一人である。

最後、高田は、安部徹に勝ち、盲目の子供の目も、蘭方医の手で治る。
と息子を返してくれと商家が言ってくる。
この息子との別れが、人情話の眼目で、一応安部徹殺しのほとぼりを冷ますため、佐吉が両国橋から江戸を去るところでエンド・マーク。
真山青果のセリフ術はすごいが、それをきちんとこなしている高田浩吉は、さすがである。
衛星劇場

出がらしメロドラマ 『アンコ椿は恋の花』

2011年12月03日 | 映画
言うまでもなく都はるみのヒット曲にあやかって作られた歌謡映画だが、松竹メロドラマの出がらしのお茶のような作品だった。
脚本の小林久三によれば、急きょ升本喜年から「この曲でシナリオを書け」と厳命があり、彼が書いたそうだ。
だが、その時小林は、『アンコ椿は恋の花』知らなかったそうだ。
この辺が、松竹大船の知識志向なダメなところで、日活との差である。

大島の姉妹、香山美子と都はるみの話だが、失礼だが、この姉妹、ルックスが違いすぎやしないか。
香山美子は、吉永小百合そっくりの美人だが、都はるみを美人とは言えないだろう。

また、彼女は、芝居をするのは無理なので、筋は香山と、大島にきた東京のサラリーマン、と思ったら東芝府中の旋盤工竹脇無我との悲恋。
東芝府中は、中日の落合監督が選手時代にいた工場だが、ここで旋盤工はないだろう。
いくらなんでも電気会社に旋盤工がいただろうか。
戦前のプロレタリア文学では、労働者というと旋盤工だったが、このころの松竹はその程度のセンスだった。

大島と東京の遠距離恋愛の悲劇かと思うと、香山は父親西村晃の入院を機会に上京してしまい、その障壁もなくなる。
唯一の障害は、香山に横恋慕している島の旅館のドラ息子勝呂誉だけ。
仕方ないので、竹脇は、鬼の上司大辻司郎によって上田の工場に行かされる。
ここで、この凡作で唯一の価値、蔵悦子が下宿の娘として出てくる。

蔵悦子と言っても、誰も憶えていないだろうが、テレビの『バス通り裏』の人気スターの佐藤英夫のお嫁さんとして公募され、1位になって番組にも出て、やらせの結婚式をした女優である。
『バス通り裏』もほとんど画像が残っていない今日、蔵悦子の貴重な映像だろう。

スケジュールの性か、都はるみは、ほとんど出てこない。
大島で大火があり、その復興のコンサートに青山京子が出てきて『愛と死を見つめて』を歌うのにはびっくり。
その他、王貞治、桑野みゆき、海老原博幸、長門勇が特別出演なので、どうするのかと思うと、大島復興への寄付募るため、都はるみら大島の若者が有名人に色紙を書いてもらうシーンで出てくるのみ。
まことに、どこにもドラマのない、出がらしのお茶のようなメロドラマだった。
監督桜井秀雄、衛星劇場