指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「人はパンのみにて生きるにあらず」 大相撲とサッカー

2022年11月28日 | 相撲

昨日は、来月出す本の校正を、朝から午後までずっとやっていて、少々疲れた。

夕方、大相撲の千秋楽を見たが、2敗の高安が、本割で阿炎に敗れ、貴景勝とも3敗となり、巴戦になった。

               

最初に高安は、阿炎に敗れ、阿炎は、貴景勝にも勝って初優勝になった。

なにを擦るか分からない、阿炎らしさが出た二戦だった。

そして、サッカーのコスタリカ戦。

前半、圧倒的に攻めているのに点が取れず、まずなあと思って席を外していて、戻るとたった1発のシュートで、0-1の負け。

相撲も、サッカーも結構番狂わせが多いものだ。

相撲は、格闘技でも極めて特殊で、柔道、ボクシング、レスリングは、床に倒れてもOKだが、相撲は土地、泥、つまり汚れたら負けという、宗教的意味を持つ行事で、古代人の意識を今も持つ行事なので、意外性が起きやすい。

つまり、レスリングやボクシングでは許されるスリップ・ダウンは、相撲では完敗なのである。

また、サッカーは点が入りにくいスポーツなので、結構番狂わせがある。

いずれにしても、こうしたスポーツという劇の意外性は、通常の作者、演出家には作りがたいものだ。

俗に「野球は筋書きのないドラマだ」と言われるが、違うと思う。

筋書きはある。それは、ルールである。ただ、ルールが、その通りに進行しないのが、スポーツの意外性で、それがドラマなのだと思う。

では、なぜこうしたドラマに、人は魅かれるのだろうか。

それは、

「人はパンのみに生きるにあらず」

だからだと思うのだ。