指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

雷蔵祭は良いが

2004年11月29日 | 映画
確かに市川雷蔵は良いが、同じくらい鶴田浩二も良いのに、なぜ少しも上映されないのだろうか。
実際の人気、作品の多様さ、実力から言っても鶴田は雷蔵にひけはとらない。なのになぜ「鶴田映画祭」はないのか。
「山の牧場の  」の『あの丘越えて』など松竹時代の水も滴る美男子ぶり、『柳生武芸帳』『宮本武蔵』等の東宝時代劇での颯爽とした美剣士、『総長賭博』や『三代目襲名』で見せた東映ヤクザ映画の本当の男らしさ、などすべて戦後日本映画そのものである。これに『雲ながるる果てに』を入れれば最高としか言いようがない。文芸ものも『湯島白梅』など多数ある。
なのに鶴田は死後ほとんど評価されていない、余程生前は皆から憎まれていたのだろうか。
鶴田浩二ファンよ、奮起せよ。



日本のプロ野球を救うには

2004年11月29日 | 野球
このままでは、いい選手は皆メジャーに行ってしまう。
この原因を作ったのは、元近鉄とオリックス監督の仰木彬で、彼の言に従って野茂、イチロー、吉井等は皆メジャーに行ってしまったのだ、というのは冗談で、その程度に仰木は、日本のプロ野球を別の次元から見ている人だと思う。西鉄全盛時代の彼に、巨人中心主義がないのは当然だ。

いずれにせよ、報酬の問題を別にしても、優秀な日本の選手がメジャーの連中と対戦してみたい、と思う気持ちを押さえることはできないだろう。
しかし、メジャーと対戦することなら、メジャーと交流戦をやればいいのである。
まず、日本のプロとアメリカ西海岸のメジャーとで交流戦をする。同時に日本は、韓国、台湾、中国とのチームとも交流戦をやる。
そして、最終的には環太平洋交流戦、あるいはリーグを目指す。そのくらいのことをしないと日本のプロ野球は生き残れないだろう。

あらゆる分野で、日本は欧米とアジアとの結節点である必要があるが、野球においても同じだと思う。

渡辺美佐を演じた二人の女優

2004年11月29日 | 音楽
言うまでもなく、『嵐を呼ぶ男』で北原三枝が演じた役のモデルは渡辺美佐だが、それは篠田正浩の『恋の片道切符』でも鳳八千代が演じているのだ。

篠田の第一作は、ジャズメン・小坂一也が平尾昌明等のロカビリーに敗北していく音楽業界の変化を描いた映画だった。そこで鳳八千代が演じるマネージャーのモデルも渡辺美佐なのである。
小坂の恋人役は牧紀子で、彼女は平尾に取られてしまうのだが、その裏で暗躍するのが鳳であった。

二本の映画でモデルにされるほど、彼女は時の人だったということだろう。
今で言えば、一昔前に「Iモード」で有名になった松永真理氏のようなものだろうか。

デジタル・リーマスター版はいかに

2004年11月28日 | 映画
市川雷蔵祭の『新。平家物語』を見に行ったのは、デジタル・リマスターで画面がどう変わるか見るためであり、作品ではない。この映画は、監督・溝口健二の晩年の作品で、失敗作であるとされている。並木座やテレビで見て、時代考証やセットの豪壮さ、大群衆シーンとそれをクレーン移動で撮った撮影はすごいが(ゴダールはこんな撮影は出来ないはずだと言って映写室でフィルムを確認したそうだが、宮川一夫はクレーン車を乗り移って撮っていた)、中身は溝口が苦手な貴族の時代劇であり、感興に乏しいものである。
結果は、確かに画面の肌理の細かさはすごい。また、全体に色彩が淡く、室内や夜間撮影ではぎりぎりまで暗く照明を絞っていたことが分かった。

要は昔の、電気もランプもない時代の照明と色にしているのである。
最近、時代劇を見て気になるのが、この色と照明で、化学染料のペンキのような極彩色の衣装を時代劇の人物が着ているとそれだけでがっかりとしてしまうが、ここではきちんと極めて淡い草木染のような衣装になっていた。
さすが大映のスタッフである。また、早坂文雄の邦楽を基調とした音楽もいい。
そして、なにより良いのは、石黒達也、香川良介、菅井一郎、沢村国太郎等の個性のある脇役が出ていることである。昔の日本映画を見てすごいと思うのは、そうした脇役の豊かさである。

『青幻記』について

2004年11月28日 | 映画
『16才の戦争』を見た後、そのまま友人と二人で成島東一郎監督の『青幻記』を見た。
『青幻記』は、一色次郎氏の自伝的な小説を基にしたもので、若くして死んだ美しい母(賀来敦子)への追憶を私(田村高広)が沖永良部島を訪ねるなかに展開するというものである。上質な「母物映画」と言って良いだろう。
これを最初に見たのは、1973年夏で随分感動したが、その日はそれほどでなかった。

友人はもっとそうだったらしく、賀来の演技が昔の「新劇的でおかしい」と言っていた。この母の役は、相当に型にはまった役なので、そうであったわけなのだが。

だが、この日に見た『16才の戦争』の秋吉久美子の演技は、桃井かおりのそれと並んで、70年代以降日本映画から「新劇的演技」を駆逐してしまう演技なのであった。
新劇的演技から秋吉久美子、桃井かおり的演技へ、これがその後現在までも続いている日本の女優の演技であろう。

映画全体への感想としては、母が賀来敦子のようにきれいな母であったら良いな、と言うものであった。
私の母は別に醜くもなかったが、かなり年をとっていたので(40歳の時の子だったので)、同級生たちの若いおかさんに比べると、年だなといつも思っていたのである。

『16才の戦争』続き

2004年11月27日 | 映画
松本俊夫の映画は観念的であるが、半分は脚本の山田正弘の性のように思える。この山田という人は、元は詩人で映画の脚本を書くようになり、当時吉田喜重の映画の脚本も書いていたが、それらも観念的であったからだ。

『16才の戦争』は、若者・下田逸郎がある町(豊川市)に来て、少女・秋吉と知り合い、彼女の家に行く。大邸宅で、父・佐々木考丸と母・嵯峨美千子、それに頭のおかしい叔父・ケーシー高峰がいる。秋吉は自殺未遂を繰り返す多感な少女。
戦時中、豊川には海軍工廠があり、大空襲で嵯峨の友人は死に、ケーシーもそのために頭がおかしくなった。最後に、その友人の子供が下田だと分かるというものである。

別に面白い筋ではない。少し偉そうに言えば、各世代の戦争体験や考え方が重なり合わされて、その意味が問われる、ということになるのだろうが。
アラン・レネの『24時間の情事』『去年マリエンバードで』やアンリ・コルピの『かくも長き不在』等が思い出されるが、そうした新しい内面的な戦争映画を作ろうとしたもののだろう。
勿論、うまくいっていない。失敗作であり、秋吉久美子の最初の主演映画としてのみ映画史に残るだろう。

秋吉久美子の最初の映画出演は『旅の重さ』の、ラストに出てきて自殺してしまう少女である。

『16才の戦争』を見て

2004年11月25日 | 映画
松本俊夫は、高校・大学時代の私の最大のアイドルだったが、この監督は、実は「眼高手低」であると知ったのも、高校3年のときであった。
彼の評論集『映像の発見』は、ベストセラーであり、当時映画関係の本としては破格に売れたのだそうだ。私も、偶然高校2年生の冬に本屋で見て買い、全編をほとんど暗記するほど読んだ。

彼の映画を最初に見たのは、60年安保のときのプロパガンダ記録映画『安保条約』で、政治的プロパガンダと前衛的手法が混在した大変奇妙な映画だった。
そのとき、「こういうのを、言うことはすごいが、やることはそれほどでもない、眼高手低というのだな」と思った。

そして言えるのは、彼はおそらく他人を使ったり、意見を聞いたりすることができないのだと思う。
折角、デビュー直後の秋吉久美子(しかも全裸になる)を使いながら、出資者とのトラブルで公開ができず、話題にもならず相当に時間がたってから公開されるなど、実に世渡りの下手な人なのだ。

『笑いの大学』は本当に面白いか

2004年11月25日 | 映画
昨日、本牧ムービックスで『隠し剣 鬼の爪』を見に行ったら、火曜メンズ・デーで1,000円だったので、『笑いの大学』もついでに見た。先週金曜に続き2回目だったが、やはり1回しか笑えなかった。

劇の『笑いの大学』は面白いのだろう。西村雅彦の熱演は面白いに違いない。だが、映画は全く面白くない。役所の演技がひどい。さらに、監督・編集が「台詞の間」を全く理解しないカッティングをするので、「台詞の間」が滅茶苦茶である。特に出だしがひどく、いらいらさせられた。

もともとありえない設定の芝居である。それを信じさせるには、役者の力量とエネルギーが不可欠である。あの『蒲田行進曲』で風間杜夫はどれだけ熱演したか、思い出してみよう。
役所には何もない。ただ形だけの中身のない演技である。

1回だけ笑ったのは、青空勘太の座布団回し芸を非難して「今度やったら逮捕、いや射殺してやる」という台詞で、ここはとても自然で良かった。

作家・小林信彦の本の題名に『日本人は笑わない』というのがあるが、逆である。「最近の日本人は笑いすぎ」である。
笑いすぎはよくない。芸人・役者を甘やかし、最終的には育てないからだ。

『ゴジラ』の撮影が玉井正夫だった。

2004年11月24日 | 映画
先日、『ゴジラ』の第一作を見ていたら、カメラマンが玉井正夫であることに気がついた。

玉井正夫と言えば、東宝での成瀬巳喜男作品のカメラマンである。名作『浮雲』も彼である。『ゴジラ』と『浮雲』を同じカメラマンが撮影しているのはすごい。全く違う作風なのだから。当時の日本映画界のスタッフの力量のあるところだ。皆なんでもできた。

もっとも、成瀬の映画は極めて静かだが、実は大変カット数が多く、一種「アクション映画」なのである。だから、彼の助監督から石井輝男のようなアクション映画監督が出たのも不思議はないのだ。

『隠し剣 鬼の爪』を見た

2004年11月24日 | 映画
『隠し剣 鬼の爪』は『たそがれ清兵衛』とよく似た映画だが、こちらの方が良い。そして、これを見て最初に思い出したのは、1952年に黒澤明・脚本を森一生が監督した『決闘鍵屋の辻』であった。
『決闘鍵屋の辻』は、言うまでもなく荒木又右衛門(三船敏郎)の敵討ちを描いたものだが、当時としては画期的なリアルな殺陣が評判となり、黒澤もこの作品の成功を見て『七人の侍』を作ったと言われている。
その意味は、侍の決闘や果し合いは決して清々堂々たるものではなく、時には卑怯な手を使うものだと言うことである。死むかもしれないのだ。卑怯だ、汚いなどと言っていられない。
この『隠し  』でも、永瀬はかなり卑怯な手で戦いに勝つ。そのことだけで武士としては失格だろう。実際はこんなものさ、という山田洋次の声が聞こえて来るようだ。
この作品の唯一つの欠点は、松たか子のキャスティングにあると思う。松が百姓出身の下女に見えるだろうか。私は、はじめ永瀬の妻だと勘違いしていた。
それに、本当はもう少し若い女のように思える。
例えば突飛だが、松浦亜弥のような若くて品のない役者が適役だったのではあるまいか。

テリー・メルチャー死去(62)

2004年11月23日 | 音楽
テリー・メルチャーが死んだそうだ。喫茶店でスポーツ新聞を読んでいると訃報にあった。62歳。彼は、ビーチー・ボーイズの連中とも交友のあったミュージシャンなのだが、それよりドリス・デイの息子なのだ。

彼はアメリカ西海岸ではかなり有名な音楽家であって、ロックの初期にプロデューサーとして活動した。さらに、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で、女優シャロン・テートが惨殺された「シャロン・テート事件」の犯人チャールス・マンソンとも深い交友があり、事件発覚後このためドリス・デイは精神不安に陥ったという問題の人間、まあ有名人の子供の馬鹿息子なのだ。

あの時代のことは皆忘れてしまっているが、とても奇妙な時代と社会だつたのだ。

新国立劇場からの回答

2004年11月23日 | 著作権
先日、『二人の女兵士の物語』を新国立劇場に見に行ったら、変なことを言っていた。「劇の撮影、録音・録画は肖像権及び著作権を侵害しますのでお止めください」という放送だった。勿論、間違いなので、制作部長にメールを出した。
劇やコンサートを撮影、録音・録画することはテレビを録画したり、レコードを録音することと全く同じ著作権法30条の個人的複製であり、法的には完全に合法である。営利に利用しなければ全く問題ない。それを、著作権法違反のように言うのは間違い。
制作部長が大学の先輩でもあるので、メールを送ったところ先日返事があった。
答えは、「確かに間違いで、コンサート・ホールでは正しい放送をしていたのだが、演劇用のホールでは誤謬のまま放送していたので、至急変更する」との答えだった。
当然のことだが、意外にも著作権保護に名を借りて権利者が横暴なことをしている例は極めて多い。今後も十分に監視していく必要があるだろう。

「はにわスタイル」を見た

2004年11月22日 | その他
この秋になって、今日初めて「はにわスタイル」の中学生を見た。
はにわスタイルというのは、スカートの下にジャージーの短く切ったものなどを着ているスタイルである。寒さの性か東北地方で多く、「みっともないのでやめましょう」という運動もあったそうだ。
埴輪とは、よく言ったもので、本当に古墳時代の埴輪そっくりである。
きっと古墳時代も寒かったのだろう、古代人もいろいろ工夫して冬を過ごしていたのだろうか。

話は違うが、昔「はにわオールスターズ」というのがあったが、最近聞かないがどうしたのかな。
「渚の芸者衆」とか「茶飲み友達ほとんどすれすれ」なんて曲があったが。
コンサートで女性全員が看護婦姿で出てきたりしたね。

家城巳代治を知っていますか

2004年11月21日 | 映画
川崎市民ミュージアムの「独立プロダクションの映画作家たち」で、家城巳代治の作品を4本見た。
この人は、左翼的監督で、代表作は三国連太郎と田中絹代主演の『異母兄弟』だろうが、今回『ともしび』『姉妹』『みんなわが子』『ひとりっ子』を見て、この人はむしろお涙頂戴松竹メロドラマの作家だと思った。

他に、有名なので特攻隊を描いた『雲ながるる果てに』にがあり、これは左翼・家城と右翼・鶴田浩二が一緒にやった奇妙なもので、美空ひばりの『悲しき口笛』もレッド・パージで松竹を追われる直前の作品。

『ともしび』は、田舎の良心的教師・内藤武敏が保守的な村から追われるもの。『姉妹』は、野添ひとみと中原ひとみが姉妹の「ダブル・ひとみ映画」。
『みんなわが子』は、東京目黒の小学生が地方に学童疎開する話、『ひとりっ子』は家の貧しさから防衛大学を受験した主人公が自衛隊と社会に目覚め防大進学をやめる話である。

最後の共産党プロパガンダの『ひとりっ子』は論外で、『みんなわが子』が一番素直で良かった。『姉妹』のラストで野添が結婚して花嫁姿のところの叙情性も、全く松竹大船的。
左翼作家と言われたが、本質はメロドラマ作家だったと思う。それは、彼を貶めているのではない。立派な叙情性のある作家だったと言うことである。

かの2チャンネルでは原田美枝子がデビューした(勿論裸もあるそうだ)『恋は緑の風の中』の監督として有名である。

『喪服の似合うエレクトラ』の大竹しのぶはすごい

2004年11月21日 | 演劇
今更、大竹しのぶがすごいと言うのは、松坂大輔をすごいというようなものだが、やはりすごい。
ユージン・オニールの『喪服の似合うエレクトラ』は、正直に言って大変面白くない戯曲なのである。それを最後まで見せたのは、ほぼ100%大竹しのぶの力である。
オニールは、卒論のテーマにしたので私は全部読んだのだが、余り面白くないのである。(『夜への長い旅路』は最も読みやすく面白いが。)
しかも、内容がひどく重たいのである。そこで描かれるのは、端的に言って「愛」なのだが、それは現在の日本の「癒し」や「やさしさ」としての愛ではなく、「霊や肉」としての愛なのである。情欲とか肉欲としての愛と言ってもいいだろう。アメリカ人の中でつい最近まで、かくも「性欲の抑圧」が強烈だったかを思い起こさせる作品である。1960年代以降の「性革命」の中で全く変化したのだが。
だが、それは本質は余り変化していないように思える。アメリカ社会は相当に禁欲的である。そのことは、今回のブッシュの大統領選の勝利にも通じているように思える。