放送大学の特別講演で、「ナトコ映画」についての紹介があった。
ナトコ映画とは、戦後に米占領軍が、社会教育用に、全国に配布した16ミリの映写機とフィルムのことである。元は、米軍の兵士教育のためだったので、頑丈な映写機だった。
中では、二本の映画が紹介された。一本は、学校を生徒、住民と一緒に作り替える話しで、アメリカのもの。もう一本は、「公民館」の紹介で、下元勉が全国の公民館を紹介するもの。日本映画社の作品で、同社は、元は社団法人だったが、戦後に株式会社に改組された最後の方だろう。このすぐ後に、さらに改組があり、日本映画新社になる。公民館というのは、世界では日本で初めて作られたものだそうで、交番と同様に世界に冠たるものか。横浜市には公民館はなく、地区センターである。
終了後、参加者から「実際は、日本の映画も上映されたよ」との話があった。
ただ、これはナトコかもしれないが、むしろ「公共上映」ではないかと思う。
「公共上映」とは、私が作った言葉で、1950年代、日本の各地では、映画館での5社映画の公開、上映の他に、社会教育団体による5社映画の上映が頻繁に行われていた。実際に、東映などは各地に巡回上映班を持っていて、自社映画の上映を行っていた。
私が、東京大田区池上で体験したのでは、池上小学校での、五所平之助監督、岸惠子、美空ひばりの『たけくらべ』の夜間映画会があった。
また、すぐ近くの大田区民会館でも、定期的に映画会があり、ここでは溝口健二監督の『近松物語』や五所平之助監督の『黄色いカラス』を見た。
この『近松物語』は、実はなんという映画かはずっと分らず、30代になり、銀座の並木座で見ていて、最後の長谷川一夫と香川京子が裸馬に乗せられているシーンに来て、
「あのとき、区民会館で見たのは、これだったのだ!」と思ったのだ。
とても暗くてつまらない映画だったとの記憶しかなかったのだが。