指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『東京行進曲』

2019年01月30日 | 映画

1929年に作られた溝口健二の監督作品、原作は菊池寛の小説である。元は1時間以上あったらしいが、検閲等で残っているのは20分くらい。出ているはずの入江たか子の映像はない。

         

話は、きわめて図式的で、裕福な家の息子一木礼三は、テニスが趣味で、そのコートの下に住む貧しい家の娘の夏川静江に一目ぼれしてしまうが、彼女は突然いなくなる。

彼は、信託銀行に就職するが、その歓迎会で、芸者になった夏川に再会する。彼女は家の犠牲で身を売ったのである。

彼女には、一木の父親高木永二も気に入っていて水揚げしようとしているが、彼女が持っていた指輪から、彼女が彼が密かに芸者に産ませた女であることが分かる。

つまり、一木と夏川は兄妹であり、一木は、夏川を友人に譲って自分は横浜からアメリカに旅立ってゆく。

要は、階級的対立を描いていて、時代に合った映画になっいるのだが、それよりも愛し合った恋人同士が実は兄妹で、近親相姦になるというのは、歌舞伎の世話物によくある筋で、その意味ではこの話は、東京というよりも、江戸的だと思える。

昭和4年で、関東大震災の被害から復興した、モダン都市東京の姿は貴重な映像で、これはその15年後には東京大空襲でなくなってしまうのだから。

衛星劇場

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『あゝ軍歌』

2019年01月29日 | 映画

1970年公開の松竹映画、脚本は早坂暁、監督前田陽一。

戦時中、満州で戦友だったフランキー堺と財津一郎は、東京で小さな旅行会社をやっている。

その仕事の中心は、全国から来る靖国神社への参拝者を案内することで、神社に来ると堺は、軍服に着替えて案内をするなど、一味変わったやり方で生きている。また、フランキー堺は、神社の巫女の倍賞千恵子に惚れていて、独身。

ある時、宮崎はるみという女性が上京し、上野の西郷隆盛像で会うというと、それは老婆の北林谷栄。彼女は、自分の息子が逃亡兵とのことで靖国に祀られていないので、フランキー堺と一緒に神社に行き、自分たちで祀る。

フランキー堺が住んでいるボロ家は、東京の湾岸で、たぶん今の天王洲アイルの対岸だと思う。

     

そこにアフリカに行きたいヒッピーの真家宏満、いかれたヒッピー娘の風間恵美子、男に騙された城野ゆきらが入ってくる。

最後、仕事に詰まったフランキーと財津は、靖国神社の賽銭を盗むことにし、フランキー堺は、賽銭箱に入り、賽銭を集め、8月15日正午の黙とうの隙を縫って賽銭を持ち出すことに成功するが、当然にも窃盗は失敗し、二人は刑務所に入れられてしまう。

1年の刑期を終わり、外に出ると、なんと元の連中が二人を待っている。

この無関係な人間たちが「家族」を作るというのは、前田陽一のモチーフのようで、他にも同様の作品がある。

城野ゆきは、結構可愛いくて、松竹、東映、日活等に出ていたが、決定的な作品がなく消えた女優の一人である。

衛星劇場

 

 

 

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『犯罪6号地』

2019年01月27日 | 映画

東京の石炭埠頭で男が射殺される。この石炭の山の埠頭は、確か豊洲あたりにあったもので、日活の名作『錆びた鎖』のラストシーンに出てきて、ナイフが石炭の山に刺さるシーンになっている。

刑事の高松英郎は、上野周辺の愚連隊などを捜査するが、その中で名曲喫茶が出てくる。名曲喫茶は、東京に沢山あったもので、私が女の子と最初にデートしたのも、渋谷のランブルだった。

今や、名曲喫茶もジャズ喫茶と同様、絶滅危惧種化しつつあるが、レコードが高価で買えなかった時代の産物で、スマフォでなんでも聞ける時代では仕方ないことだろう。

                   

指紋照合、顔写真検査等の捜査の詳細が描かれ、リアリズム的な描写が良く、ダサいと言えばダサいが、同様のジャンルでもどこかスマートな日活と比べ、泥臭さがリアルな描写になっている。

監督の村山三男は、『氷雪の門』しか記憶されていないが、重厚な描写が良い人だった。

次第に黒幕が判明し、要は外人の悪党集団で、アジトは埋立地6号だとなる。

だが、見るところ、その場面は背景の発電所と特徴的な石垣から品川ふ頭とお台場と思え、この2か所で撮影して1か所のようにつなげたようだ。

6号と言うのは、当時6号台場と言ったので、「犯罪6号地」となったのだろうと思う。

そして、最後高松の捜査に協力していた喫茶店の女の二木多鶴子は、悪の一味で、ボスの外人の女であったことが分かる。

日本がまだアメリカに対して脆弱だった時代を反映していると言うべきだろう。

シネマヴェーラ渋谷

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『影の爪』

2019年01月26日 | 映画

夜に予定があるので、その前に時間つぶしに見た映画。見たと思い込んでいたのは、やはり岩下志麻主演の『影の車』で、これは見ていなかったが、非常に面白かった。

           

香山美子と井上孝雄夫妻が、雨の日に車の運転を誤り、男を引いてしまう。

その家に行くと、妻の岩下は非常に丁重で、「夫は酒を飲んでいて落ち度がある」と言い、夫妻は安堵する。

だが、製薬会社の社宅にいたので、すぐに出ることになり、井上の豪邸の離れに一時住むことになる。岩下には、リウマチで車椅子の母親の鈴木光江がいて、この鈴木も大変に不気味。鈴木は、劇団文化座の主催者佐々木隆の妻であり、女優佐々木愛の母親である。

ここから、岩下と香山の戦いになり、一見上品な岩下は、夫婦の見ていないところでは、平気でタバコを吸うなどひどい態度。

会社の元同僚の桑山正一に話を香山が聞くと、岩下の言っている話はほとんど嘘であることが分かる。

この桑山と女房の石井富子とのやり取りも面白い。

香山のところに、遊び人の学生松橋登が現れ、岩下は松橋の車を使って事故を起こしていたことを言う。

そして、いつの間にか、岩下は井上を誘惑して二人は関係を持ってしまう。

そして、松橋を香山は家に呼んで、岩下の車の事故と、自分たちの交通事故との関係を証言させようとするが、松橋はいきなり香山を襲う。

もちろん、松橋を跳ね除け、いったんは部屋を出た松橋は、香山が気を許した隙に再度部屋に入って香山を襲い、二人はくんずほぐれつの争いになり、香山は松橋を鋏で刺し殺してしまう。遺体と部屋の床に飛び散る血の赤い色。

すると香山は、エアーブラシで、壁の赤色を消そうとする。

その夜、会社から戻った井上が岩下と共に、香山の部屋に入ると、全部が白色に塗られている。松橋の遺体も真っ白になっていて、香山自身も白くなっている。

精神病院に香山は入院し、医師の内藤武敏は「長い目で見るしかありませんな・・・」と。

幸せそうに車で家の二人で戻る井上と岩下。そこにオートバイが飛び出してきて、外壁に衝突して死ぬ二人。

最後は、井上の豪邸を一人で車いすで動く鈴木光枝。

まあ、やはり松竹も勧善懲悪にしないとエンドマークを出せなかったのだ。

監督は貞永方久、原作はシャーロット・アームストロングで、大野靖子、桂千穂、白坂与志夫が脚本にしている。

元は、桂千穂が書き、東宝でやる予定が進まず、それで大野靖子を入れて直し、さらに白坂が松竹に持っていき岩下が気に入って映画化されたとのこと。

貞永は、非常に力のある監督で、結構良い作品を撮っていたが、松竹の凋落で次第に落ちていった。

シネマヴェーラ渋谷

 

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『おかあさん』

2019年01月24日 | 映画

1952年の新東宝作品、ただしこれは東宝で配給されている。この頃は、製作は新東宝、配給は東宝という分担をしていた時期の最後の作品だろう。その後、新東宝は独立して東宝と完全に手を切り、後には大蔵貢時代になる。

                   

話は、東京城南地区のクリーニング屋の一家、父親は抑留されていて、弟弟子の加東大介が、母の田中絹代と店をやっていて、長女香川京子の目で物語が進行する。

父の三島雅夫もやっと戻ってくるが、すぐに死んでしまう。長男の片山明彦が結核で病院に入院していて、抜け出して家にいたがすぐに死んでしまうので、みな結核と栄養不良なのだと思う。

脚本は水木洋子、監督は成瀬巳喜男なので実に淡々と進む。

この企画は、川崎が出てくる映画特集だが、実際は蒲田など城南地区で撮影されていると思う。成瀬は、松竹蒲田にいたので、この辺の土地勘はあるのだ。

香川京子の下の次女は、榎並啓子で、この頃は有名な子役だったらしいが、大人になって辞めたようだ。

これの次に溝口健二の『山椒太夫』で、津川雅彦の厨子王の妹・安寿を演じてて、大人になると香川京子と花柳喜章になる。これは、この『おかあさん』で共演した田中絹代の推薦によるものかもしれない。

                

溝口健二に「安寿役に良い子役がいますよ」との。

最後、榎並は、子供のいない三島雅夫の弟の家に貰われていき、お別れの記念に向ヶ丘遊園地に家族全員で行く。

ここは立派に川崎市だった。

何人もの人が死に、姉妹が分かれる話だが、少しも悲しくもなく、非常に感動的でもちろん泣いた。

川崎市民ミュージアム

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『赤いランプの終列車』『非常な銃弾』

2019年01月24日 | 映画

『赤いランプの終列車』『非常な銃弾』は、共に1950年代末の日活作品で、要は添え物の中編である。

『赤いランプの終列車』は、春日八郎の大ヒット曲をもとにした歌謡映画で、春日は、田舎の鉄道の車掌で、歌がうまいので、上京して歌手になる。

実にいい加減な話だが、脚本は後に作詞家になる関沢新一、監督は小杉勇である。

小杉は言うまでもなく、戦前からの名優だが監督になりたくて、日活でなれたので嬉しくて仕方がなく、現場は楽しくてスタッフには非常に人気があったとスクリプター白鳥あかねの本に書いてある。

また、彼は民謡研究の大家で、これはキングレコードとの協力なので、民謡歌手の斎藤京子、当時はまだそれほど人気でもなかった三橋美智也が出てくるのもそのせいだろう。

他に、若原一郎、大津美子、平尾正晃らのキングの歌手が出てくるのは分かるが、なぜか金田正一が出てくるのは、春日と友人だったのか。

春日八郎の演技は結構きちんとしていて、調べると彼は戦後新宿のムーランルージュにいたとのことである。

        

『非常な銃弾』は、殺し屋の小高雄二の話だが、途中でかつて小高と友人だった、長弘が絡んでくる。長は、元は片岡千恵蔵の弟子だったそうだが、日活に移籍し、ロマンポルノ時代にも出ていた男優である。

彼は、実は刑事で、天草四郎が親分のヤクザ組織に潜入して捜査している。

元友人が犯人と刑事に別れていう話は多くあるが、あまりうまくできているとは言えない。

娯楽映画の名人野口博志としては、平均以下の作品だろう。

阿佐ヶ谷ラピュタ

 

 

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『ある関係』

2019年01月23日 | 映画

1962年に製作された大映作品、監督・脚本は木村恵吾。木村は、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を最初に映画化するなど、エロチックな映画で有名だが、よく見ると非常に演出とキャスティングの上手い人であることが分かる。

原作は佐野洋で、緻密に構成されている。

自動車会社の課長船越英二は、貞淑な妻淡島千景と平穏な生活を送っていたが、相当に経済に厳しく、自宅の二階を女子大生の渋沢詩子に貸している。電気の消し忘れなどにも異常に煩い男を船越が好演する。

渋沢の前は、淡島の従姉妹の三木裕子が薬剤師になるために二階に住んでいたが、彼女の大学卒業の日に、船越はモノにしてしまっていて、その関係は密かに続いている。

三木は、港区の薬局で働いていて、店は「彼女が来てから3割も売り上げが増えた」と喜んでいる。

船越と三木は、東京の古い待合での逢瀬を続いていたが、いつも帰りの時間を気にしている船越の態度に三木は不満を抱いている。

そんなとき、淡島はクラス会の旅行で熱海に1泊旅行に行き、「これはチャンス」と三木は船越と熱い夜を過ごすことができる。

そして、淡島には、三木も船越も、毒入りの歯みがきとチョコレートを渡しておいたのである。

月曜日に船越が会社に出勤すると警察から電話があり、「奥さんが熱海で自殺した」とのことで、驚愕の名演技を見せる船越。

東京駅で三木と落合い、二人は熱海の旅館に行く。

旅館の主人の松村達郎はひどく苦い表情で、二人を迎え、部屋に行くと菅井一郎の刑事がいて、

「奥さんの自殺は間違えない。妊娠していて遺書もあったんですから」とのこと。

つまり、淡島は男と二人で来て、心中したので、男の妻山岡久乃は怒り狂って部屋を去っていたのだ。

                  

喜び合う船越と三木、別の部屋を取ってもらい一夜を過ごした翌日。

朝、船越は、三木が仕組んだ毒入り歯磨きで、三木は船越の毒入りチョコレートでそれぞれ死んでしまう。

原作の佐野洋は、日本共産党支持者で有名だったが、やはり犯罪者は罰せられるべきとの「勧善懲悪」思想だったわけだ。

この辺は、同じ共産党支持者の松本清張とは少し違うところだろう。

清張にあっては、下層の者は、上の者を罰してもよいとの思想があったと思うが。

 

 

 

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語り物映画と詩的映画 『初国知所天皇』

2019年01月22日 | 映画

現在では、周知のことだが、サイレント時代から日本映画は、世界的に高いレベルにあった。

その理由は、日本では明治以前から浪花節、講談、落語などの豊かな語り物文化があり、それを基にして娯楽的チャンバラ映画等が、伊藤大輔、マキノ雅弘らの作品になっていた。また、俳句の伝統は、小津安二郎、山中貞雄、伊丹万作などの詩的で知的な作品群に結実していたと思う。

『双子歴記』の後、原将人監督の長編『初国知所天皇』(はつくにしらすめらみこと)と18歳の時に作られた『おかしさに采どられた悲しみのバラード』が上映されて、トークイベントの最初、金子遊氏は、

「原監督はひとことで言えば、映像の詩人だ」と言った。

私に言わせれば、この『初国知所天皇』は、詩的作品の伝統に連なるものだと感じた。

       

この日上映されたのは、16ミリ版をDVDにしたもので、そこの前半は16ミリだが、途中から8ミリで撮影したもののブローアップ版である。それは、8ミリでコマ落として撮影したものを、16ミリの一コマに焼くというものだそうで、一種スローモーションのようだが、一定ではなく不定形に動いていく。

その結果、原監督の内部に無限に接近してゆく、つまり内面を微分していているような感じがある。この内面を微分する感じは、初期の鈴木忠志の演出作品で早稲田小劇場の役者の演技に似たものでもあった。

当初は、馬に乗った者が、北海道から南を目指す16ミリ作品だったようだが、スタッフの解散で、途中から原監督が一人で8ミリで撮るものになる。つまり騎馬民族説を、神武天皇の東征伝説を逆に辿るというアイディアだったとのことだが。

伊勢、奈良、大和の古跡をたどるところから、西に向かい、一人で荷物を背負ってヒッチハイクの旅に出る。

この日は、原氏のエレクトーンと、後藤和夫氏の元グループ「ポジポジ」のメンバーだった方のギターがついた。

「丹波を過ぎて丹後に入る、こんな旅に意味はあるのか、こんな旅は無意味でないか・・・」の原監督の、不思議なボーカル、歌手のみなみらんぼうのような人間離れした歌声だった。

日本海側を行き、関門海峡を越えて南下し、宮崎と鹿児島の天孫降臨の古跡に行く。

そして鹿児島では、早熟な少女で、自殺した作家の墓に参り、夕方の光で終わる。

途中の休憩をはさんで4時間のラストには、強い感動があった。

特に原監督のエレキトーンとギターの循環コードの演奏は、大島渚の『東京戦争戦後秘話』に類似していたので、終わった後にそのことを原監督と話すと、

「あれは私が武満さんに教えて、それを武満さんが映画音楽化したものだ」とのことだった。

この自殺した少女は、実は鹿児島のNHKの人に騙されてのことだったとのこと。

いずれにしても、原将人の高校生での映画監督デビューは、全国の映画少年、少女に大きな影響と衝撃を与えたのである。

シネマハウス大塚

 

 

 

 

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映画的詐術 『ひとりぼっちの二人だが』

2019年01月17日 | 映画

夕方、食事をしながらテレビを見ていると、千葉テレビで1962年の日活の『ひとりぼっちの二人だが』をやっている。

          

前にも見たが、坂本九、浜田光夫、吉永小百合、渡辺トモ子らが総出演の青春映画である。

坂本、浜田、吉永が、浅草で中学の同級生という設定だが、吉永は義母の楠田薫の手で、芸者として水揚げされようとしていて、ヤクザの内田良平や小池朝雄から逃げる筋になっている。

ほとんどが浅草で展開される物語だが、ラスト近く、吉永、浜田、坂本の3人が浅草のクリーニング屋のビルに逃げ込む。

と次の屋上は、横浜市の関内の横浜市役所の対岸のビルで、再来年には桜木町に移転する横浜市役所がはっきりと見える。

そこから浅草での話に戻り、最後は脚本の熊井啓の日共民青的な「みんな手をつないで行こう」のスローガンになるのは嫌だが。

千葉テレビ

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『女賭博師』

2019年01月16日 | 映画

昨年亡くなった江波杏子の代表作『女賭博師』の1作目かと思うと、2作目である。

最初は、よく知られているが、若尾文子を主演に企画された『女の賭場』で、この2作目の方が、江波に合う脚本にされている。

                                      

江波は、都心でピアノバーをやっている女性だが、写真のモデルでもあるというように、現代的な女性にされている。

その彼女が持つビルの2階で写真スタジオをやっているのは、恋人の本郷功次郎である。

だが、江波の影の本職はというのが、賭博師である。

市井の普通の人間が実は、というのは大映にあり、市川雷蔵の傑作『ある殺し屋』も、最初の作品では、割烹の板前、2作目では踊りの師匠だが、凄い殺し屋である。

冒頭で賭場のシーンがあり、そこで江波の花札の勝負が披露され、そこに謎の女川口小枝がいて大負けして、彼女は金を持ち逃げして自殺を図ったサラリーマンと心中するが、彼は死ぬが、川口は奇跡的に助かる。

そして、川口は江波に対し復讐を企て、本郷のスタジオに現れ、いきなり全裸になって撮影してもらい、セックスもして本郷を自分のものにしてまう。

川口小枝は、武智鉄二と川口秀子との間の子で、この時期大島渚の映画『白昼の通り魔』などにも出ていた。

江波は、本郷から別れ話を告げられ、川口と三人の対決になるが、その場で川口は言う、

「こいつは賭博師なのよ!」

驚愕する本郷、江波は賭博の名人加藤嘉の娘であり、人気賭博師なのだった。

この設定は非常に面白く、20世紀の現代都市東京の裏側には、こうした我々の知らない世界があるのではないか、という気がしてくる。

江波を雇っているのは、ヤクザの野心的な親分内田良平で、彼女に惚れているが、加藤は、江波と子分の松吉の山田吾一を結婚させようとしている。いつもは喜劇演技の多い山田が、無口でニヒルな演技で非常に良い。

内田は、名古屋の大親分内田朝雄を迎える大花会を開き、加藤は「これなら」と引退興行として花札を見せる。もちろん、「入ります」の手本引きである。途中で、警察の手入れが入り、花会は流れてしまい、責任を取って加藤は拳銃で自殺する。

この経緯に疑問を持つ江波は、名古屋の内田朝雄のところに行き確かめると、すべては内田良平の嘘であることがわかる。

そこに花札修行に来ていた川口が現れ、江波に挑戦して完全に負ける。江波は、川口に本郷と結婚して普通の生活に戻れといい、川口は賭博と縁を切ることを本郷に誓う。

江波は、山田と一緒に、内田良平を殺すことを図り、内田をベッドに誘い、山田が上から内田をメッタ刺しする。だが、瀕死のときに子分に電話し、多数の子分で山田も殺されてしまう。

最後は、オフィスビル内で行われている賭博で、

「江森夏子、25歳 賭博だけが、この女の命が燃えるときだ」

のナレーション、「入ります」で終わる。

監督の弓削太郎は大したことのないと思っていたが、これは非常に良かった。

だが、彼は1972年5月に軽井沢の山中で死体が発見される。

彼の他、両内田、山田吾一、加藤嘉、川口小枝、そして江波杏子も死んでいる。

池野成の抒情的な音楽も大変に美しい。

日本映画専門チャンネル

 

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黒澤明が見たら喜ぶに違いない 『キノ・プラウダ20号』

2019年01月14日 | 図書館

日本映像学会の映画文献資料研究会の2018年度「科研費」研究のシンポジウムで、1924年のソ連のジガフェルトフの『キノ・プラウダ20号』、イギリスの1935年の『夜行郵便列車』、フランスの1961年の『ある夏の日』の3本の貴重な記録映画が上映された。

最も興味深かったのは、ソ連のジガフェルトフ監督のサイレント映画『キノ・プラウダ20号』だった。これは、モスクワのピオニール(共産少年団)が農村と動物園に行ったことを描いた作品だった。ピオニールは、鼓笛隊を組織して村に行く。これは、黒澤明の晩年の愚作の『夢』の最後の「水車のある村」の日本共産党・民青と同じパレードであり、戦時中の戦意高揚映画『一番美しく』の光学工場の女工の行進とまったく同様の発想なのだ。そして、村でやる村人の「労働」が薪割りというのだから、これは完全に『七人の侍』である。ジガフェルトフの『カメラを持つ男』は、戦前に輸入公開されたらしいが、『キノ・プラウダ20号』はもちろん、公開されていない。だが、もともとプロレタリア美術同盟にいて、共産党の街頭活動までやって逮捕された黒澤の本質は、プロレタリア芸術家だったことが、ここでも証明された。

『トラ・トラ・トラ』のハリウッドとは上手くできなかったが、多くの困難はあったが、今日で見てみれば地球環境問題などを提起している『デルス・ウザーラ』でのソ連での映画製作が出来た理由もその辺にあったのだろうか。

『夜行郵便列車』は、イギリスのドキュメンタリー運動の傑作の1本で、郵便列車の人々の労働と工夫を描くもので、国民的自覚を促し、啓蒙するものだったようだ。ナレーション原稿には、W・H・オーデンの詩が使用されていて、次第に高揚してゆくのは、まるでラップのようだった。

『ある夏の日』は、フランスのジャン・ルーシュが、社会学者のモランと共同したインタビュー映画で、その手法は、映画というよりも現在のテレビのインタビュー映像の魁をなすものだが、なんと製作が、黒澤、大島渚、寺山修司の映画を作ったアナトール・ドーマンなのには驚く。なぜ、彼のような大プロデューサーが、ルーシュのような「映像民族学」を提唱した非商業的な記録監督の作品に金を出したかは不明である。だが、ドーマンはユダヤ人で、戦時中はナチスの迫害にあったそうで、それがルーシュのようなマイノリティを素材とする監督への出資となったのだろうか。

           

牛山純一氏が作った映像記録センターの後裔である、「映像カルチャーセンター」は、膨大な記録映画を保有しているが、整理されておらず目録等がなく、それが「科研費」で一応できたことの報告のシンポジウムで、今後の公開が期待されるところだ。

会場は、東京工芸大学で、初めて行ったが、結構立派なのには驚いたが、大学の事務局がこのシンポジウムを知らないことに、さらに驚いた。

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『ガキ帝国』

2019年01月11日 | 映画

1981年、大阪のプレイガイドジャーナル社が、日本ATGと共同で作った映画、脚本西岡琢也、監督は井筒和幸。

            

時代は1967年頃になっていて、少年院から島田紳介が出所してきて、高校の友人松本竜介らと組んで大阪で騒ぎを起こしてゆく。

中で、内藤洋子・舟木一夫の『君に幸福を』が挿入される。これは、1968年の正月映画で、『ゴジラの息子』と併映で、私は五反田大映で見たが、館内はガラガラで、ゴジラ映画の出演者の方がはるかに多いなと思ったものだ。

東宝青春映画はきれいごとだと言いたいのだろうと思うが、この作品の汚な事は面白いかと言えば、結構問題はある。

紳竜が対立する連中が、大阪のキタとミナミにいるが、そこがきちんと描き分けられていないので、どことどこがぶつかっているのか、役者が紳竜以外は、ほとんど無名の連中なのでよくわからない。

最後は、事故のような形で竜介は死んでしまい、紳助は喧嘩に勝ち、ヤクザの上岡龍太郎に認められて終わり。

今では、ここに出ている俳優の多くが芸能活動をしていない。島田紳助と上岡龍太郎は引退し、松本竜介と趙方豪、夢路いとしは死んでいる。

ヒットしたようで、続編も作られている。

日本映画専門チャンネル

 

 

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ここでも歌われる『若者の歌』 『街に気球が上がる時』

2019年01月09日 | 映画

大学の長門裕之が、アルバイトで宣伝のアドバルーンを上げる零細な広告代理店でアルバイトをする1961年の日活作品。

同じ大学の学生だが、アルバイトでは先輩で、長門にいろいろと指示する男勝りの女学生が吉行和子。

この「かかあ天下的男女関係」と言うのは、吉永小百合と浜田光夫がそうで、それは西河克己が意図的に作り出してきたものだと言っているが、この井田探監督作品でもそうなには少々驚く。井田は、あまり評判の良い監督ではなかったが、これはましな方だと思う。

原作は曽野綾子で、脚本は新東宝等での娯楽作品を書いていた岡田達門。

           

アドバルーンを上げる時に、強風やタバコの不始末等で事故も起きるが、最後子どもたちが夜、気球の上に乗って遊び、爆発して江木俊夫少年が大けがをする。

いろいろあるが、なんとか治るようみんなで祈って歌うのが、「若者よ・・・」の『若者の歌』で、一気に恥ずかしくなった。

これは、日本共産党、民主青年同盟の歌声運動で必ず歌われたものである。

このぬやまひろし(西沢隆二)の歌の文句の「その日のために体を鍛えておけ・・・」と言うのは革命のときに備えてではなく、戦争で徴兵されるときのためなのである。

つまり、戦争への協力の歌なのに、戦後民青の運動で歌われていたのは非常におかしいことなのである。

誰かの本で読んだことがあるが、戦時中に戦争体制に協力した人には、元左翼勢力から「転向」した連中が多かったそうだ。

逆に言えば、そうした元左翼の戦時中の体制への協力は、戦後は民主的改革の主体となったと言うのだから、事は複雑である。

西沢は、共産党員というよりは詩人で官僚的な人ではなかったようで、最後は毛沢東派として党を離れたのは非常に興味深いことである。

チャンネルNECO

 

 

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『メアリーの総て』

2019年01月07日 | 映画

怪奇小説の元祖『フランケンシュタイン』を書いたメアリー・シェリーの伝記映画を一言でいえば、ビクトリアン・コンプロマイズ、ビクトリア的妥協の作品となるだろう。

19世紀のイギリスは、海外の植民地経営と産業革命の進行で空前の繁栄を迎え、また科学や進歩的思想が生まれるなど、文化も発展した時代だったが、総体的には「妥協」的で偽善に満ちた時代だった。

大学の英文学史の授業で唯一覚えているのが、このビクトリアン・コンプロマイズ、「ビクトリア的妥協」というフレーズで、この映画の男たちは皆この言うこととすることが異なる、ビクトリア的妥協そのもののような連中である。

進歩的思想家ウィリアム・ゴドウインの娘のメアリーは、父のところで学んでいた詩人P・B・シェリーと恋に落ち、なんと16歳で家出して彼と同棲する。

この時、進歩的思想家だった父は、日頃の言動に反して、二人の恋に反対するが、16歳では無理もないところだろう。

              

シェリーはもてもての詩人で、詩人バイロン卿とも知り合いで、メアリーが家出した時、一緒に出てきた義妹のクレアは、バイロンに一目惚れして妊娠することになる。

バイロンからの誘いで、シェリーとメアリー、そしてクレアは、彼が住むスイスの邸宅に移り住む。

そこには、バイロンの従医ジョン・ポリドリもいて、5人の奇妙な生活が始まる。

その中で、怪奇物語を創作するゲームがあり、ポリドリとシェリーは、なにかに憑りつかれたように、それぞれが怪奇小説を書き始める。

バイロンのクレアへの裏切りによって、シェリーとメアリーはイギリスに戻り、メアリーは『フランケンシュタイン』を書き上げる。

そこには、彼女のシェリーや父親への想い、落胆、批評が込められていた傑作だった。

彼女は、出版社に持ち込むが、女性が小説を書くこと自体が普通ではなく、しかも怪奇小説なので出版は難航するが、匿名でシェリーの序文付きでやっと500部が出されただけだった。

最後、出版記念パーティーで、シェリーは本当の作者はメアリーであることを明かし、そこで父とも和解できる。

この映画が優れているのは、わざと画面を非常に暗くしていることで、当時は電球がなく、せいぜいロウソクの灯だったので、室内が暗いのは当然なのだ。

日本の大河ドラマが、夜でも煌々と室内が明るくて俳優の顔がきちんと見えるのは著しく不自然なのだ。

また、ポリドリの小説『吸血鬼』も、バイロンの名で出されて好評を得たそうだが、彼は後にはバイロンとも不仲になり自殺したとのこと。

若葉町シネマベティ

 

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大みそかは横浜の映画館で

2019年01月01日 | 映画

31日は、阿佐ヶ谷ラピュタもお休みなので、やっている横浜の映画館を梯子してみることにする。

まずは、若葉町のシネマジャック&ベティ、特に期待はしていなかったが、『日々是好日』は意外なほどにいい映画だった。

   

大学生の黒木華は、挨拶が凄い女性だとの母親の言葉で、近所のお茶の先生樹木希林の家に、田舎から来て東京の大学に行っている多部未華子と一緒にお茶を習うことにする。

先日、放送大学での関西の流派の先生の話だと、昔から日本では女性はお茶を習うことが普通の習慣で、バブル期がピークだったが、その後は大きく減少しているそうだ。

私の母も近所の先生のところで裏千家のお茶を習っていて、私も小学校の頃、遊びで茶席に出たことがあるが、全く記憶がない。

いろいろとおかしなことがあるが、樹木は言う、「考えるのではなく、体で、体が自然に動くようになること」

日本の芸能と同じで、心は問題ではなく、形を真似てゆくのが、お茶でも修行の道なのだ。

そこでは、極端に言えば、心が何を思っているかは問題ではなく、外から見て様になっていれば、それでよいのである。

何事にも積極的な多部は、大学を出て商社で働くが、数年で辞めて田舎で見合い結婚して普通の主婦になる。

一方、黒木は出版社を受けるが落ち、フリーのライターになっていくが、その間もお茶を毎週習っていく。

この二人のやり取りで面白かったのは、ある茶器を手に取っていて多部が「豚?」ときく。

「犬よ、今年は戌年だから」と樹木、すると黒木は聞く、

「これは12年に一度しか使わないの、すると結局3回くらいしか使わないわけね」

「ああ、そうね」と樹木。

要は、無理と無駄の塊であり、非合理なのである。

黒木は、恋をして破れたり、新しい恋を得たりするが、そこでもお茶は、続けていく。

樹木希林の死のことを除いても、非常にできの良い作品だと思う。

特に照明と撮影が非常によく、室内も外も自然に捉えられている。音楽も本来は前衛的らしいが、非常に控えめで良い。

最後、父親の鶴見慎吾が急に死んでしまうが、ここの表現も簡潔で良い。だが、ここで急に黒木の弟が出てくるのは、唯一の欠点だと思う。

終わった後は、下のモーリスで食事したのち、バスに乗って長者町の横浜シネマリンに行き、モス・フィルムの『アンナ・カレーニナ』を見る。

              

トルストイの原作は読んでいないが、びっくりの筋書き。主人公のアンナは、非常に嫌なエキセントリックな女性で非常に驚く。

支配人の八幡さんにお聞きすると、女性の客の中には「良かったわね・・・」と感動している人もいたとのことだが。

原作は露土戦争のはずだが、ここでは日露戦争に代えられていたのはどういう意図なのだろうか。

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