指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『デモクラシー』

2005年03月23日 | 演劇
ル・テアトル銀座で『デモクラシー』を見る。
これは,西ベルリン市長から西ドイツ首相になった社民党のブラント(鹿賀武丈)と,その秘書で実は東ドイツのスパイだったギヨーム(市村正親)との話で,一種の演説劇だった。
この演説劇を成立させたのは,鹿賀らの台詞が堂々としていることで,立派であった。

首脳側近にスパイがいたというのは,結構あることで,ゾルゲ事件の尾崎秀実は,近衛首相のブレーンの一人だったし,60年代にシリアの国防大臣がイスラエルのスパイだったというのもあったはずだ。
本来スパイというのは,二重スパイ的性格があり,二重スパイでないと情報は取れないのである。
そう考えると,スパイというのは情報の交換装置であることが分る。
この劇では,西ドイツの情報が東に流されたことが主に描かれているが,本当は東から西への情報も流されていたはずだ。でなければギョームが優秀な秘書として業務を遂行できなかったであろう。

『花咲く港』と『夕凪』

2005年03月20日 | 演劇
新国立劇場で『花咲く港』を見た後、下北沢のシネマ・アートンで『夕凪』を見る。『花咲く港』は菊田一夫が戦時中に書いた劇で、『夕凪』は私のご贔屓豊田四郎監督の昭和32年の映画である。

『花咲く港』は、菊田がアチャラカ喜劇から離れ、最初に書いた本格的喜劇で、鹿児島の離島に詐欺師が来て造船所設立話で金を騙し取ろうとする。だが、戦争勃発で会社設立と造船に成功してしまう。戦意高揚劇で、木下恵介が映画化している。主役は、渡辺徹と高橋和也で、寺田路恵と富司純子が対立する女優。
私は、昔から菊田一夫や北条秀司を高く評価し、アメリカのテネシー・ウィリアムズと同程度と見なしてきたので、このように新国立で上演されるなど評価されるのは大変うれしい。

『夕凪』は、いつもの豊田とコンビの八住利雄の脚本だが、若尾文子が淡島千景と志村喬との間の娘、池部良が志村と千石規子との間の息子なのに知らずに愛し合い、兄・妹のいわゆる「畜生道」であることがわかる悲恋という、因果話だった。
豊田四郎がなぜ、こんな因果話を作ったのか理解できない駄作だが、昭和30年代初頭の米軍接収が終了した直後の横浜の姿が見られるのは貴重。
若尾文子は豊田のお気に入りだったらしく、『波影』でも主役にしている。外国人相手のオンリーとして、中田康子、市原悦子も出る。市原も豊田のお気に入りだったらしく、『駅前旅館』で女子高校生を悪乗りさせている。 

臼井正明と七尾玲子

2005年03月20日 | その他
帰りタクシーに乗っていると、NHkの放送80周年で『君の名は』(ラジオ)の臼井正明と七尾玲子夫妻が出たらしい。調べると臼井は77歳、七尾は80である。一部再演したらしい。臼井はとてもいい声だった。ラジオ関東にも長崎たかしというアナウンサーがいたが、彼も実にいい声だった。最近は皆軽薄な声ばかりだ。60年代のDJの流行以後、ラジオのしゃべり方も軽くて良いとされるようになったと思う。
私は、小学生の頃かなり病弱で、よく学校を休んだ。そのとき聞いていたのが、NHK第二の学校放送だった。太宰久雄などは、ここの常連だった。後に、タコ社長になったときには驚いたものである。

ラジオには随分とお世話になった。
福田善之が書いた『都会の中の二つの顔』は、ラジオ・ドラマの傑作だったが、ここに出ていたのは、女優の宮本信子だったのである。演出は後にテレビで独自のドラマを作る佐々木昭一郎であったことも、大分あとで知ったことである。
TBS,当時はラジオ東京だが、では『銭型平次』をやっていて平次は滝沢修で、八五郎は渡辺篤史だったが、これもなかなか面白いものだった。
NHKラジオは、随分とレベルが高かったように思う。テレビも初期は高尚なものだったが、今問題のフジテレビが出てきてから、完全な娯楽路線になったと思う。
勿論、娯楽でいいが、多少とも「公共性の志」と言ったものが欲しいと思う。

『一杯のかけそば』ではなく、『一発のかけそば』であるべきだった。

2005年03月19日 | 映画
西河克己の『一杯のかけそば』は、言うまでもなく1988年頃大変に話題となっていた栗良平の『一杯のかけそば』を映画化したものである。当時、「ただ食べさせるのではなく、一発やらせると一杯食わせるそば屋の方が面白い」と言って職場の女性に馬鹿にされたが、まさに『一発のかけそば』にした方が面白い映画だった。

西河によれば、原作は映画にすれば5分で終わるものなので、脚本の永井愛と共同して新派悲劇+動物ものにしたそうだ。

1980年代の札幌のそば屋で起こる話で、池波志乃、柳沢慎吾、レオナルド熊、可愛かずみらが年代毎に変化していくあたりが、西河克己のアイデアだろう。後に、脚本の永井愛は、舞台用に「東京3部作」等の年代記ものを書くが、この映画脚本が影響しているのかも知れない。
西河の言う新派悲劇としてはあまり上手くできていない。

泣かせどころが、大晦日に3人でかけそばを1杯しか食べられない親子の貧しさなのか、1杯でも嫌がらずにそばを出す渡瀬恒彦・市毛良枝夫妻の人情なのか、不明なのだ。その辺が永井の映画脚本家としては、素人のところだと思われる。

『ローレライ』は最低だった。

2005年03月18日 | 映画
肝心なことがきちんと説明されていないので意味が分からない。どのように少女の超能力がレーダーになるのか。その超能力レーダーをアメリカに引き渡す代わりに、堤真一や石黒賢らは東京に、何故原爆を落とそうとするのか、さっぱり理解できない。当時、天皇のおわします帝都に原爆を落とそうなどと考えた大日本帝国軍人がいるわけがない。テーマ、仕掛けが分からないので見ていて全く乗れない。
潜水艦の内部はよくできていると思うが、それ以前の問題である。
かつて多くの名作を生んだ8・15シリーズの東宝だが、これは論外である。

吉田日出子がミス・ワカナなら、大竹しのぶは美空ひばりだ。

2005年03月16日 | 音楽
意味は分からないだろうが、ミス・ワカナは戦前から戦後にかけて大活躍した関西の女性漫才であり、そのしゃべり方、人を小ばかにしたような態度、言葉の巧みさなど、今の女優で言えば吉田日出子だと私は以前から思ってきた。『おもろい女』は森光子の主演だが、少々違うと思う。

昨日、見た映画『ローレライ』は最低だったが、大竹しのぶ主演の『蛇よ!』は最高だった。
そして、大竹の貫禄と力量は、今の日本でもっと大衆芸能に力があったなら、そこに行く類の芸だと思った。現在は、大衆芸能にパワーがないので、彼女も新劇的なところに来ているが、本当は不幸なことなのだ。

そんなことを見ながら漠然と見ていた。破天荒な面白さの芝居だつた。
あえて言えば、あのテレビの『マーキー』のような感じとでも言おうか。不思議なおかしさだった。松尾スズキを見たのは初めてだが、とてもすごい。

大竹は本当に天才である。イチローや松井のような世界的な天才である。

『パルチザン前史』の代わりに

2005年03月13日 | 映画
上大岡でカエターノ・ベローゾ等のチケットを買っていて時間を取り、フィルム・センターの『パルチザン前史』の上映に数分遅れてしまい、入館できなかったので、7階の展示を見る。

特別展「高峰秀子」の「平凡芸能ニュース」も面白かったが、日活のカラー映画『緑はるかに』の三色カラー映画カメラと『緑はるかに』のビデオが最高だった。
コニカのカラー映画は、テクニカラーのような三原色分解方式カラー映画で、大変大きなもので、すぐに使用されなくなったのだそうだ。フィルムが1本ですむイーストマン、さらに国産のフジ・カラーに代わって行ったのだ。

浅丘ルリ子が少女を生き生きと演じているが、やはりいい役者というものは、天性のものであることが分かる。現在となにも変わっていないのだ。天才は初めから天才なのだ。
音楽とバレーがふんだんに出てくる映画らしく、井上梅次のセンスは当時としてはずば抜けていたようだ。

『新座頭市 破れ! 唐人剣』

2005年03月13日 | 映画
香港映画のスター王羽を迎えての座頭市。王羽とは、片腕ドラゴンのジミー・ウォングで、こうした香港映画スターとの競演という発想がすごい。もともと、ブルース・リーのカンフー映画は、勝新の座頭市にヒントを得たものである。『座頭市』は香港をはじめ東南アジアやラテンアメリカ等、第三世界でも大ヒット作だった。

勝新がすごいのは、愛嬌とユーモアがあることで(たけしが逆立ちしてもかなわない)、ここでも王との言葉が通じないやり取りや、てんぷくトリオの三波伸介が同様の盲目のあんまで、その会話も実におかしい。

勝新は、名人芸なので、相手役が上手いと実力を発揮する。ここでの三波や酒場女・浜木綿子とのやり取りや、王とのアクションシーンはすごい。
同じようにすごいのに、いかさま師・三木のり平とのからみが抜群の『座頭市二段切り』がある。
これには、のり平の娘で小林幸子が出ている。

『唐人剣』の監督安田公義は、大映京都のベテラン、確か稲垣浩の助監督で、稲垣ゆずりのテンポと画面構成がいい。
森一生以上の職人監督だったので、名作と言われるものがなく低評価だが、安田道代が主演した現代劇の『殺人者』も傑作だったと思う。
こういう職人監督は本当にいなくなった。

ライブドア・にっぽん放送問題について

2005年03月12日 | その他
ライブドアによる、にっぽん放送株のフジテレビを相手とする新株予約権発行差し止め請求仮処分が東京地裁で認められた。常識的に見て妥当な判決だろう。今後の行方は分からないが、この特定の株主への新株発行というのは、私の乏しい知識では、会社再建の際に使用できるもので、今回のようなものは認めれないと思う。

倒産会社再建の手法に減・増資という方法があり、これは資本金を一旦減資し、その後増資して累積債務をなくす方法である。私は、第三セクターの株式会社に出向していたとき、民間銀行から来ている人に教わった。

例を挙げれば、資本金100億の会社に、200億の累積債務ができ倒産した。このとき、1/10減資をすると、資本金は10億になるが、バランス・シート上、累損も20億になるのだそうだ。そこで、新たに大口再建者に新株を引き受けてもらう。20億円以上出してくれれば、差し引き塁損はなくなり、新たな資本金ができる。
手品のような方法だが、実際にスカイマークエアーは、ゼロというIT企業を引き受け先にして累損を解消して健全経営になったそうであり、本当である。

『女経』

2005年03月12日 | 映画
1960年に大映が作ったオムニバス・ドラマ。増村保造、市川崑、吉村公三郎の三人が監督した。脚本は八住利雄。原作は、村松友視のおじさんの村松梢風。風俗小説家で、マイナーな川口松太郎というところか。主演女優は、若尾文子、山本富士子、京マチ子。この成功で、後には『嘘』というのも作られた。
村松の小説で有名なのは、『残菊物語』。溝口健二がワンシーン・ワンカット技法を展開した作品で、村松の名はこの名作の原作者として、永久に残るだろう。

オムニバス・ドラマとは、複数のドラマからなるもので、なかなか面白いものである。オムニバスとは、ポルトガル語のオニバスで、バスのことである。
以前はかなり作られ、左翼独立プロによる『愛すればこそ』(監督は、吉村、今井正、山本薩夫)というのもあった。

この中では、増村・若尾の「耳を噛む女」も面白いが、市川・山本の第二話が、山本が詐欺師を演じとても面白い。相手役は船越英次。彼女が喜劇的な役もできることをよく示している。
横浜駅西口のハリウッド・ビデオにあるので、興味のある方は是非。

『洪水の前』

2005年03月12日 | 映画
1950年のフランス映画。監督アンドレ・カイヤット、脚本シャルル・スパーク、主演マリナ・ブラディ。5人の高校生がふとしたことから殺人と窃盗を犯してしまう、非行少年もののはしりの映画。
一昔前には、シナリオ・ライターの手本とされたのが、シャルル・スパークであり、少々長いが脚本はよくできている。
この「洪水」というのは、ノアの洪水のことで、1950年当、時朝鮮戦争が始まり、第三次世界大戦の勃発と地球破滅の危機が叫ばれていた。この映画では、そうした危機感、刹那さの中で少年たちは非行に走ると解釈されている。
本当かね、と思うがその後の、ジェームス・ディーンからヌーベルバーク、日本の太陽族映画に至る「非行少年映画」の意味をある種説明しているとも言える。
マリナ・ブラディが芦川いづみのようで、とても可愛い。

『狼の王子』

2005年03月10日 | 映画
原作石原慎太郎、脚本田村孟・森川英太郎、監督舛田利雄、撮影間宮義雄、音楽伊部晴美。主演高橋英樹、浅丘ルリ子。プロ中のプロの映画である。
北九州・若松の荷役作業をやっている組の組長の息子の物語。父親・石山健二郎が殺され、犯人とその指揮者の組長・田中明夫を裁判所で射殺して刑務所に入る。新人・藤竜也もいる。
刑期を満了するが、地元の事情から高橋は東京の組に行き、そこで1960年の安保条約反対運動への殴みを目撃し、その中で左翼新聞記者・浅丘と知り合い、同棲する。浅丘が進歩派とは笑ってしまうが、台詞が浮かないところが浅丘のすごいところだ。笛木とは違う。

最後、きちんと結婚しようと決意したとき、若松で子分の加藤嘉が殺され、高橋は単身相手に殴りこんで行く。
どこまでが慎太郎の原作で、どこからが田村らの脚本か不明だが、当時の安保後の「泰平ムード」への苛立ちをよく描いている。
田村らは、後に前田満州夫監督の『人間に賭けるな』も書いているし、裕次郎の『赤いハンカチ』もタイトルにはないが、実際は水の江滝子から依頼され、田村が書き直したのだそうだ。道理で裕次郎がひどく理屈っぽい。

この辺の感じは、蔵原惟善・山田信夫、裕次郎・ルリ子の傑作群『銀座の恋の物語』『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』につながっている。
傑作は孤立してはできないのだ。その集団の持っている力の上でできる。だから、笹倉の『新・雪国』のような単独作品が傑作になることは本来きわめて難しいのである。

『新・雪国』

2005年03月09日 | 映画
すごい映画である。奥田英二のマネージャーは「世にも恐ろしいものができてしまった」と言ったそうだが、至言である。原作・脚本笹倉明、監督後藤幸一。主演奥田英二、笛木夕子。

この映画を見ようと思ったのは、笹倉の『映画「新・雪国」始末記』(論創社)を読んだからだ。
ちょっとした行き違いとすけべ根性から、笹倉が自作小説の映画化に参画というより、自らが中心として制作することになる。様々な不手際に巻き込まれ、金を蕩尽して映画は全くヒットせず密やかに公開されて、彼は自己破産寸前にまで行く。
笹倉が女性スタッフからストーカーと名指しされたり、監督がチーフ助監督、制作担当とケンカして担当が首になったとき、「この映画には全く金がない」と公言したことからスタッフのストになるなど、まさに日々地獄のような制作状態に陥る。
できても上映館はなく、大阪では、1日3人という日もあったそうだ。誰も見ていない上映もあったわけだ。東京では銀座シネパトスでやっていた。本を読んでからは、見ておけばよかったと後悔したが、ビデオになった。

なにしろ笛木がど下手。演劇でひどいのは数多くあるが、映画はいくらでも撮り直しが出来る。完成形であれだとすれば、笛木ほど下手な役者もまず珍しい。撮影に入る前に、奥田は「笛木と二人で篭って演技指導したい」と言い、監督、プロデユーサー、所属事務所が「ボロボロにされる」と皆反対し、それは出来なかったそうだが、これならボロボロにされた方がよかっただろう。

しかし、出来た映画から推測して、この芸者役はとても難しい。暗い過去がありながら、全くうぶに見え、気性は一本気な芸者だそうである。こんな役を新人にやらせる方がどうかしている。言って見れば溝口健二の『祇園囃子』の若尾文子みたいな役だ。最初にコンタクトしたのは松島菜々子だそうだが、本当に分かっていないね。勿論、即座に断られたそうだが。
しかも、後藤幸一は『正午なり』や『不良少年』でも。映像派的な画面は作っていたが、テンポのない演出だった。田舎芸者(新潟県月岡温泉)を主人公にした娯楽映画など、到底無理なのである。笠原良三脚本、マキノ雅弘監督くらいでないと成立しない映画だろう。
共に娯楽映画には素人の、脚本笹倉、監督後藤の時点で失敗は決定されていたのだ。
しかし、一度は見ておくべき大変興味深い作品である。大きなビデオ屋にはある。

『煉獄エロイカ』

2005年03月06日 | 映画
川崎市民ミュージアムで吉田喜重監督の『煉獄エロイカ』を見る。
出演岡田、岩崎加根子、鵜田貝造、武内亨ら。脚本山田正弘・吉田喜重。音楽一柳慧。
「時間軸の解体と再構成によって綴られる政治と革命の物語」だそうだが、筋が全く分からない。
1950年代の日本共産党の武装闘争とスパイ事件があり、70年代の革命闘争やゲリラ誘拐事件が語られるが、さらに1980年に時制が飛んで、そこからこの映画の製作時期である1970年に戻って論争したりする。
筋も意味も不明なのだ。当時のアングラ劇のように、同じ役者が違う人物を演じているらしいので、大変混乱する。今見てもそうなのだから、公開の1970年当時は大変だったろう。
ATG系で公開されたが、記録によれば観客動員数は、27,400人で、日本ATG史上ビリから3番目。因みに、最低は昨年ここで見た田原・清水の『あらかじめ失われた恋人たちよ』の24,900人、次が羽仁進の『午前中の時間割り』の27,600人だそうだ。

この映画の主演者の一人は女優木村菜穂で、木村功の娘。しばらくテレビにも出ていたが、すぐに結婚してやめた。彼女の数少ない出演作品である。

また撮影の大部分が、整備開始当初の多摩ニュータウンと淀橋浄水場が新宿副都心になる前の、水を抜かれた浄水場が写っているなど、東京の変遷の記録としてのみ将来価値がある映画である。
また、一柳の音楽が極めて叙情的で、超前衛的だった60年代の作風から劇的に変化したものの一つとしても注目されるだろう。

『悦楽』

2005年03月05日 | 映画
大島渚が1965年に脚本・監督した映画。松竹を出た後、『飼育』『天草四郎時貞』の失敗の後、テレビの脚本やドキュメタリーをやっていた大島と創造社が初めて作った映画で、松竹から配給された。
山田風太郎の『棺の中の悦楽』が原作で、愛していた女加賀まり子に裏切られた男中村賀津雄が、ふとしたことで手に入れた大金で、野川由美子、八木昌子、樋口年子ら次々と関係するというもの。

大島は、「当時はまだセックス規制が厳しくて十分に表現できなかった」と言っているが、今見るとかなり商業的な作品であり、その意味では大変興味深い。なにしろ、島和彦という歌手による主題歌まであったのだから、信じがたい。主題歌『悦楽のブルース』は、かなりキャンペーンもやって、そこそこのヒット曲だったと思う。

大島は、難解な映画を作る戦闘的な監督というイメージが強いが、これなどを見ると普通の娯楽映画を撮れる監督だということが分かる。
事実、これは併映が安藤昇の初出演作『血と掟』で、その話題もあって大ヒットし、松竹の外部作品を配給する方針の転換もあり、『白昼の通り魔』『日本春歌考』『無理心中 日本の夏』と続く。だが、『帰ってきたヨッパライ』で「全く意味が分からない」と松竹が激怒して、松竹と大島渚の二度目の縁が切れる。
確かに『帰ってきたヨッパライ』は、かなり難解な作品で、途中で同じシーンをもう一度繰り返したりするなど、実験性の高い映画である。