指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

筑波久子を最初に見た映画 『花影』

2024年01月31日 | 映画

筑波久子という「肉体女優」がいたことは知っていたが、見たことはなく、最初に見たのは、川島雄三監督の東京映画の『花影』である。

そこでは、彼女は、銀座のクラブのママの山岡久乃や池内淳子の同僚だったのだが、弁護士の有島一郎に金を出させて自分の店を持つちゃっかりした女としてでて来た。

その頃か、すぐ後に彼女は、日本を出てアメリカに行ったのである。

             

本当に頭の良い女性だったようで、肉体女優というには、あまりふさわしいようには見えなかった。

その第一が、やや舌足らずなセリフと声で、私には、後に初期の主演作を見てもちぐはぐな感じがしたのだ。

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これが東京の味だろう

2024年01月31日 | 横浜

用があって南区の横浜橋に行ったので、江戸藤に入る。

       

かなり有名な蕎麦屋である。

鴨せいろを食べるが、汁がかなり濃い。

だが、これが、東京や横浜の昔の蕎麦屋の味だと思った。

今は、すべて薄味になっているが、これがもともとの味だと思った。

       

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『自由少年』を見た頃

2024年01月31日 | 演劇

朝日新聞に、栗原小巻の回想が出ていて、俳優座養成所の卒業公演で田中千佳夫の『自由少年』を演じたことが出ていた。

実は、この公演は、友人の下川博、山本亮の3人で見ているのだ。

この頃から、3人で劇団を作ることを考えていたのだ。

今は、下川も山本も亡くなってしまった。

さて、この公演だが、あまり感心しなかった。田中千佳夫の戯曲の観念性を、役者が上手く表現しているとは思えなかったからだ。

ただ、かなり実験的な作品で、ところどころで、見る者に話しかけてきたりするなどがあり、驚いたものだ。

私は、この田中千佳夫の実験性は、後に唐十郎の劇作に大きな影響を与えたのではないか、と思っている。

             

唐十郎の前衛性と実験性は、能の観世英夫と田中千佳夫からの影響ではないかと思っている。

さて、この1966年の養成所の公演は、これが最後で、この後は、桐朋学園の演劇科に移行することになるのだ。

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紫式部も、下々の中に入っていた

2024年01月30日 | その他

大河ドラマの『光る君へ』では、まひろの式部が、散楽に興味を持ち、普通の人々の中に入ってく様が描かれている。

普段の自分の公家の生活の他に、人々の生活にも通暁していたとは初めて知った。

             

さて、紫式部とならび、近代の最高の女流作家と言えば、言うまでもなく樋口一葉だと思う。

彼女も、若い時は中島歌子の歌塾に通い、公家らの生活にも通じていた。

だが、自分で家を持つようになると、生活のために吉原に近い浅草の店で、下層の人々に接したのだ。

これが、彼女の作品で、当時の日本のすべてを網羅した素晴らしい作品を生み出した理由だったと私は思う。

やはり、社会のすべてを見ることが、作品の価値になるのだと思うのだ。

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下北沢は良くなっていたが、渋谷はひどい

2024年01月30日 | 東京

『文明開化四谷怪談』を見に行くために、久しぶりに下北沢に行く。

整備について、議論があったようだが、エレベーターがきちんとしていてよかった。

渋谷に戻るが、相変わらず滅茶苦茶で、まだ5年は掛かるだろうと思う。

             

安藤忠雄、早くなんとかしろと思う。

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『文明開化四谷怪談』

2024年01月28日 | 演劇

2013年に新国立劇場で、福田善之作の『長い墓標の列』が上演されたとき、私は次のように書いた。

 

1960年代、演劇が好きな連中の中で、いかに劇作家・福田善之の人気がすごかったかは、今の人には想像できないだろう。私が、高校の演劇部に入ると、たまに遊びに来る先輩は、福田が作・演出した劇『真田風雲録』がどれほど面白かったかを語ってくれた。すでに福田善之は、新劇から離れ中村錦之助らの商業演劇に活動の場を移していたが、同時にTVドラマには役者として頻繁に出演していた。テレビマンユニオンを作る村木良彦演出、芦川いづみ主演のTBSの『陽の当たる坂道』で大学教授、NHK大河ドラマでは軍師竹中半兵衛を演じていた。そして、大学の劇団早稲田の劇研に入ると、そこは福田善之の彼単独としては処女作『長い墓標の列』を初演した劇団としての伝説が伝えられていた。1957年12月の初演の時は、なんと5時間半もかかったというが、その異常な長さにもかかわらず誰も帰らなかったほどのものだったそうだ。唐十郎から寺山修司、鈴木忠司らその後のアングラ世代は勿論、井上ひさしも『真田風雲録』には大きな衝撃を受けたと書いていた。

            

本作は、元は4時間もあったのを、井村昂が2時間20分、全2幕にしたものだが、私のように『四谷怪談』も、福田善之の戯曲も全部読んでいる人間には、ここはこうだなと分かったが、普通の人には難しかったと思う。

1幕の最後で、爆裂弾が破裂して、お岩さんの顔に傷ができた時、「これは、これで新説だ」と思った。お岩さんの傷については、毒薬の他、放射能という説もあったからだ。江戸時代に放射線があったとは信じがたいが、ラジウムはあったのだから、無理ではない。

3幕、3時間くらいにして、1幕目は、完全な筋売りとした方が良かったのではないかと私は感じました。

 

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『メンゲレと私』

2024年01月28日 | 映画

この映画は、「死の天使」とよばれたナチスの医師メンゲレに気に入られ、数奇な運命の軌跡を送った少年・ダニエル・ハノッフォの独白である。

                   

リトワニアニに生まれた彼は、9歳でドイツ占領を体験し、ナチスの収容所に入れられるが、金髪の美少年だったことで死を免れ、さまざまな労働に従事させられる。

そして、連合軍によって解放され、オーストリアからスイス、イタリアで兄と再会し、パレスチナに行く。中では、オーストリアでの迫害がひどかったようで、またハンガリー人のカニバリズムも明らかにされる。

対して、イタリア人はきわめて友好的だったとのことは、意外だ。

現在は、各地で語り部として活動しているとのこと。

まさに20世紀最大の残酷な体験の一つを受けた人間の告白であろう。

ただ、驚いたのは、シネマジャック&ベティのベティの、この映画の館は、ガラガラだったが、反対のジャックは大混雑だったことだ。

『いまダンスをするのは誰だ?』という作品で、パーキンソン病になった元シンガーソングライターの記録のようだ。

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『ラーマヤーナ』が上映される

2024年01月26日 | 映画

インドの大叙事詩の『ラーマヤーナ』のアニメ版が、3月に横浜黄金町のシネマジャックで上映される。

                

日本とインドのスタッフが協力して製作されたもので、日本での本格的な公開は初めてである。

日本中のインドファンは、黄金町で見よう。

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山下ふ頭には、中劇場と野外音楽堂を

2024年01月26日 | 横浜

横浜の山下ふ頭の再開発が話題となっているが、私はここに「中劇場」と「野外音楽堂」を作るべきと考えている。

               

実は、その運営にいろいろと意見はあるだろうが、現在、横浜市ではかなり文化施設は整備されてきている。

中で、完全にないのが野外音楽堂であり、実はこれは、日比谷野音のように、横浜公園に昭和初期から1990年代まであったのだ。

そこでは、外国のミュージシャンの公演も行われており、サルサのファニア・オールスターズのライブも行われたそうだ。

だが、公園内の平和球場を改築して横浜スタジアムを作る時に、建蔽率が足りないとのことで、有無を言わさずに壊されてしまったのだ。

そこで、再開発が計画されている山下ふ頭の基部に整備するのが良いと私は思う。

また、基部の反対側の山下公園側には、横浜ボートシアターが接岸しているが、私はこれを包み込む中劇場を整備するのが良いと思う。

横浜ボートシアターでは、せいぜい客席は100人なので、経営的に成立しない。

そこで、ここの甲板を劇場のステージにして、それを包含する600人くらいの中劇場を作って一体的に運営するのが良いと思うのだ。

600人と言うのは、先例があり、宝塚には大劇場の他に、座席600人のバウホールというのが付設されていて、二番手スター等の若手公演に使用されている。

そして、中劇場で芝居をする時には、主人公らの内面の独白のシーンだけは、下のボートシアターで演じさせて、それを映像で中劇場でも見る、と言った演出も可能だと思うのだ。

東京にも、大・中・小の劇場が混合した劇場があるが、個々別々に運営されており、一体的に運営されるのを見たことがない。

また、中劇場のホリゾントは、上下できるようにしておき、ラストシーンでは、かつての唐十郎の状況劇場のように、幕を上げて、海辺に去っていくヒロインらを見おくる、と言った具合にすればよいと思う。

あるいは、夏の花火大会とときは、席を有料で販売して鑑賞すると言ったことも可能だと思うのです。

いかがでしょうか。

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中森明菜の人気

2024年01月26日 | 音楽

1990年頃の中森明菜の人気は、本当にすごかった。

1990年頃、中森明菜の人気は、本当にすごかった。

             

1991年に、私は富士宮市の国際貿易研修センターで、3カ月英語の研修をさせられた。

このとき、台湾から男女の若い研修生が、日本語研修の途中に1週間くらい富士宮の施設に来た。

その中の女性の格好が、皆明菜ルックだった。

また、センターの米国人教師で、阪神のバースにそっくりな髭親父がいて、彼の部屋の壁には、中森明菜のポスターが貼ってあった。

「好きなの?」

と聞くと「彼女は、非常に上手い歌手だ」と褒めたのだ。

だが、その後、近藤真彦との関係の破局、自殺未遂などもあり、21世紀に入ってからは、低迷しているように見える。

なんどもスキャダルにあっても、平気のへいざの松田聖子との差は、どこにあるのだろうか。

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『風と共に散る』

2024年01月26日 | 映画

とても面白い映画だった。1955年、ユニバーサルインターナショナル作品で、監督はドイツ出身のダグラス・サークで、アメリカ社会にかなり批判的。

            

ニューヨークのロック・ハドソンが秘書を募集するとやってくるのが、ローレン・バコール。

社長のロバート・スタックに合わせると、一目ぼれで求婚してしまう。

飛行場に行けば考えが変わると言い、飛行場に行くと自分で操縦し、本社のテキサスではなく、アカプルコに行き、ホテルに泊まることになる。

テキサスの本社は石油会社で、スタックの父親が石油を掘り当ててできた会社なのだ。

その金持ちぶりがすごいが、スタックはアルコール依存症で、それも町の上流が来るカントリークラブで出す正規のバーボンではなく、西部劇に出てくるような酒場でのコーン・ウィスキーを愛好する始末。

彼の妹は、色情狂で、町の男を誘惑しては警察に補導されている。

この娘が、テレビの『ペイトンプレイス』の母親のドロシー・マローンなのには驚く。

実は、彼女とハドソンとスタックは、同じ町で育った幼馴染であり、ハドソンが好きなのだが、彼も実はバコールが好きなのだ。

バコールは、ついにスタックと結婚し、彼は子供を望むが、すぐにはできず調べると「弱い」、つまり精液が薄くて、これまた悩む。

最後、なんとバコールが妊娠するが、スタックは、それは「俺のでなく、ハドソンの子だ」と疑う。

そして、家で争っている内に、ついにスタックは、自分のピストルを持ち出し、暴発で死んでしまう。

審判が開かれるが、マローンの証言で、ハドソンは無罪となり、二人が結ばれることを示唆して終わり。

バコールは、ボギーと死別後、民主党のアンドレー・スティブンソンと親交を深めるなど、進歩派だったので、このアメリカ社会への批判に納得したのだろうか。

国立映画アーカイブ

 

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『横浜市歌』は、曲先行だった

2024年01月26日 | 音楽

今朝の朝日新聞に、JAXAの配信曲に『横浜市歌』が使われ、市民に親しまれていることが書かれていた。

その理由は、この曲は、曲、つまりメロディー先行でできたからなのだ。

             

横浜市が、森鴎外に作詞の依頼に行ったとき、彼は言った。

「曲を先に作ってくれ、それに私は合わせて詩を書くから」

南能衛先生が曲を書き、それに森鴎外が詩を付けたので、意外に歌いやすいのである。

近年の若者の歌は、おじさんは歌えないとの声があるが、それは、彼らの歌が、曲先行だからなのである。

森鷗外には、いろいろ問題もあるのだが、この曲先行はすごいと思う。

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『愛・旅立ち』

2024年01月25日 | 映画

おそらく世界中のアイドル映画の中で、もっとも変わった映画だと思う。

           

近藤真彦と中森明菜のアイドル映画なのだが、その中身は臨死体験なのだ。

それは、映画製作を任された舛田利雄が、脚本の笠原和夫にいくつかの臨死体験があることから、そこを核にしてドラマを作ったのだ。

中森は、心臓疾患で、治療不能で、勝野洋の病院に入院してくる。両親はいなくて役所に面倒を見られているとのことで、生活保護だろう。

一方、近藤はカー好きのメカニック少年で、友人と改造車を走らせているとき、貨物トラック運転手らと争いになり、友人はトラックの下敷きで死んでしまうが、近藤は奇跡的に生き残る。

明菜は、小泉八雲の「耳なし抱一」が大好きで、同じ病室の認知症の老女北林谷栄に聞かせたりしているが、ついには抱一の霊が出て来て、明菜と対話するようになる。

この辺は、双方とも臨死体験的特撮映像が展開される。

子供に臨死体験と言うと奇妙に思えるが、私も小学校6年くらいの時は、死への恐怖に苛まれていたことがあり、子供イコール健康と言うのは誤解であり、むしろ死に近い存在でもある。

明菜は、一日で良いから死ぬ前に楽しい時間を過ごしたいと病院を出て、町の賑わいを抱一と体験する。

原宿のタケノコ族が出てくるのが時代である。

そこで、新宿の小田急デパートの屋上に立っている近藤を見つけて、飛び降りを阻止するために明菜は、屋上に上がり、近藤と会い、二人は、事故で運ばれたときに、同じ病院で会って一目ぼれしていたことを思い出す。

そして、幸福な時を過ごすが、当然にも二人はオートバイで海岸に行く。

だが、そこで明菜に発作が起きてしまい倒れる。そのとき、バイクのガソリンが切れていたので、スタンドにガソリンを求めて行っている内に、倒れている明菜は、親切な老人の車で病院に運ばれてしまい、ついに死んでしまう。

近藤は、病室に来て、死んだ明菜の死体を抱いて持ち出し、病院の研究室の運んで蘇生作業をする。

口移し呼吸などをするが、アイドル映画なので、ここでも性交はない。

そのとき、大地震が起き、研究室は潰れてしまうが、その廃墟から二人は救われ、なんと明菜は生き返っている。地震の振動で心臓が蘇生した奇跡なのだそうだ。

最後、明菜は海辺の福祉施設で働き、自動車の整備士の免許を取った近藤が島にやってくる。

そこは、徳之島で、住民がお盆の踊りのなかで、明菜と近藤も幸福に踊る。

なぜ、南島なのかは不明だが、この辺は海軍経験のある笠原の思いなのだろうか。

なんでもきちんとした映画にする舛田利雄はやはりすごい。

 

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ガルベンキアン美術館

2024年01月24日 | その他

世界の石油王に、アルメニア人のガルベンキアンがいた。彼「ミスター5%」と言われ、世界中の原油の利権に関わり、5%づつの利権を確保した。

そして、ポルトガルのリスボンにガルベンキアン美術館を作った。

            

1990年に、パシフィコ横浜で行われる国連ピースメッセンジャー都市会議への誘致のためにリスボンに行ったとき、そこを見に行った。

世界中の美術品が展示されていて、日本の物もあったが、くだらない物もあり、玉石混交そのものだった。

骨董品などは、そうしたものだ。

だが、すごいと思ったのは、この美術館に付属のオーケストラがあることだった。

当時は、世界でここだけだったと思う、今はどうか知らないが。

 

 

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『仮面の女』

2024年01月23日 | 映画

1958年の日活映画で、主演は葉山良二と筑波久子で、この頃の二大スターである。

脚本は松浦健郎で、監督は阿部豊と当時は売れっ子だった連中だが、娯楽映画としては普通の出来である。阿部豊は、戦前は大監督だったらしいが、なにも残っていないので不明。まあ普通の娯楽映画の監督だった割には、名声があったとでも言うべきだろうか。戦時期、戦後の新東宝の作品はろくなものがないが、これはましな方だと思う。

飯坂温泉に行く列車内で、葉山と筑波が知り合うが、互いに何者かは不明。

東京に筑波が戻って来て、働いているキャバレーのラジオで、葉山の放送を聴き、大学の東洋史の教授であることを知る。

二人は、互いに引き合い、会ったりするが、筑波の身元はなかなか知れないが、南田洋子らが、ある晩「新宿女子大同窓会」と言っているので、新宿の赤線にいた女であることがわかる。

例によって葉山には、病弱な妻がいて、女としての務めを果たしていないことになっていて、筑波との関係が肯定されているのは、都合が良いと思える。

ついに「赤線の女」であることが知れて、二人は別れるが、最後は身を引いて故郷に帰る筑波を、葉山が追いかけてくるところで終わり。

             

新宿女子大の女に、金を貯めるだけの女がいて、奈良岡朋子で、途中で殺されてしまうが、その犯人は、最初はジゴロの岡田真澄だと思うと、女たちに小物を売り歩いて生活している小心者の大坂志郎と言うのが意外で面白かった。

赤線平最後の様々な女の風俗映画としてみれば面白かったが、原作の芝木好子の性だろうか。

芝木は、名作『洲崎パラダイス・赤信号』の原作者でもあるのだ。

 

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