指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

ひどい上映例 2件

2022年11月20日 | 映画

昔は、映画館でひどい上映のことがあったものだ。

一つは、前にも書いたが、高倉健主演の『君よ、憤怒の河を渡れ』で、公開初日に、伊勢佐木町の横浜松竹に行き、館内に入ると、客が騒いでいる。

「また、同じところだ」

私は、土曜日の午後で、やっと着いたのだが、上映はとっくに始まっていて、途中だった。

最後まで見て分かったが、どうやら途中の缶を二度上映したらしいのだ。

たぶん、横浜駅付近と同時上映で、フィルムを掛け持ちしていて、途中のどこかがが着かなかったので、前の缶をそのまま二度上映したらしいのだ。

掛け持ち上映の問題は、当時よくあったもので、次の缶が来ないので、休憩で待たされるなどよくあったものだ。

こうしたことは、封切り時に起こったもので、旧作の場合は、掛け持ちをしていないので、そんなことはなくなった。

ところが、名画座等の上映でも問題が起きることもあった。

 

                       

そこは、名画座ではなく旧作の上映館の、蓮沼のヒカリ座だった。

エリア・カザンの名作『草原の輝き』だった。

ご承知のとおり、これはテキサス州の話で、ウォーレン・ビィーティーと同級生のナタリー・ウッドの恋愛劇だった。

ウォーレン・ビィーティーの父は、石油で当てて成金になる。

だが、1929年の大恐慌で破産し、ホテルから飛び降りて自殺する。

そのとき、父は、東部の大学にいるビィーティーのところに来て、女を与えて自殺するのだ。

池袋の文芸坐で見ていたので、筋は分かっていたが、このヒカリ座は、どこかで缶を間違えて上映したのだ。

だから、死んだはずの父親が再度出てきて、息子に説教するという凄い展開になったのだ。

私は、見ていたから分かったが、このとき初めて見た人は理解できなかったと思う。

今は、こんなことはないのは、非常に良いことだと思うのだ。

 


映写技師のドラマ

2022年11月20日 | テレビ

『東京人』の映画館特集で、映写技師の座談会があって、非常に面白かった。

1950年代の映画全盛時代、映写技師は、結構憧れの職業だったと思う。

それに、16ミリでも上映の鑑札のようなものがあったのか、講習会が開かれていた。

テレビだが、この映画館の映写技師が主人公のドラマがあった。

 

                      

『七人の刑事』で、その映写技師は、かの蜷川幸雄なのだ。

大変にいい加減な男で、漫画を読みながらやっていて、ピントがずれて客から文句を言われるという奴だった。

映画館のピントについては、私は結構気になる方で、以前はよく文句を言いに行ったものだ。

最近のシネコンなどでは、ピントがずれるなどがないのは、よいことだと思うが。


パシフィコ横浜の正式名称は

2022年11月20日 | 横浜

みなとみらいのパシフィコ横浜の正式名称をご存じだろうか。

多分、ほとんどの方は、ご存じないに違いない。

 

                    

正式な会社の名称は、㈱横浜国際平和会議場というのだ。

1987年に会社を作るとき、当時みなとみらいで会議場担当の岡本部長と宇野課長の原案は、

㈱横浜国際会議場だった。それを、当時の横浜市長細郷道一氏のところに持って行った。

すると、細郷市長は「この国際の後に、平和を入れなさい」と言った。

「ええ、平和を」と聞くと、

「君ね、国際平和は、人類共通の願いで、別の左翼が独占するものじゃないんだよ」と言い、

㈱横浜国際平和会議場の名で、登記もされたのだ。

だが、この名は長くて、電話で言っても長いし、「平和」と付くと「左翼の集会場ですか」とさえ言われた。

そこで、すぐに愛称、略称を作れとなり、私が担当した。

あるCI会社に依頼してやったが、彼らは最初、2000くらいの案を持ってきた。

そして、高木文雄社長等にヒアリングした。

最後、20案を作ったが、私は、そこに、パシフィック・コンベンション・センター、PCCを入れておいた。

それを彼らは、コンベンション・プラザ・ヨコハマし、パシフィコ横浜になったのだ。

今や、ウクライナへのロシアの侵攻や中国の台湾への攻撃の惧れを目にするとき、

故細郷道一横浜市長の先見の明には、感心せざるを得ないと思うのだ。


ちい散歩とララいずみチャンネル

2022年11月20日 | 都市

テレビに散歩番組は多いが、やはり良いのは、俳優地井武男の「ちい散歩」だが、彼は亡くなっている。

元気に散歩していた彼が死ぬなど不思議だが、内部疾患があったのだろう。

ご冥福を祈りたい。

そこで、今よく見ているのは、大阪和泉に住まわれる、ララいずみさんの、「ララいずみチャンネル」である。

もとは、鉄道が中心だったが、和泉地区の街歩きも多く、非常に面白い。

                 

和泉地区には、史跡も多く、和泉式部の泉も出てきた。

やはり、関西は歴史があるなあと改めて思うのだ。