指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

一番金のない役所 法務省

2022年11月10日 | 政治

葉梨法務大臣が、死刑の印を押すしか仕事がないと言って、問題となっている。

法務省は、一番金のない省庁である。

全国で、法務省が行なう事業で、社明運動がある。正式には、「社会を明るくする運動」で、横浜市では区役所でやるのだが、予算が一切出ない。

そこで、地域のPTAや区社協の予算でやることになる。

法務省は、ポスターとチラシを配布するだけで、さすがに主催とは言わずに、主唱と言っている。

夏休みの直前に地域で映画会が行なわれることがあるが、これは社明運動である。

                                                         

私は、小学校の時、美空ひばりの『たけくらべ』を学校の野外で見たことがあるが、これはそうだったと思う。

『たけくらべ』は、新東宝、五所平之助監督で、岸惠子や市川染五郎らが出た秀作だった。


力道山

2022年11月10日 | 東京

このところ、プロレスについてのユーチューブを見ていて、非常に人間関係が面白い。

中で、私のようにプロレスに興味のない人間でも、レスラー間のドラマは面白い。

だが、やはり一番興味深いのは、日本のプロレスの創始者・力道山だろう。

彼と豊登・シャープ兄弟戦は、池上の銭湯・久松湯の二階のテレビで見た。

なにより、シャープ兄弟のタッグの巧妙さ、ずるさに怒りを持ったものだ。

そして、力道山の自宅は、池上本門寺の裏の馬込にあり、われわれ子供は見に行ったものだ。

坂道の脇の豪邸で、高いコンクリートの塀があり、コンクリの塀には、無数の落書きがあった。

自宅と言っても、東京には複数のビルを持っていたので、住んでいるはずもなかったと思うが。

彼が、北朝鮮の人間であることなど、当時は誰も知らなかったと思う。

そして、意外なことに彼は、以下の多数の映画に出ており、記録のみならず、実際に演技もしているのである。

                      

この点では、アントニオ猪木も、長嶋茂雄もまったく叶わない実績である。

    1. 1953.09.22 薔薇と拳銃  新生プロ
    2. 1954.09.15 力道山大いに怒る  伊勢プロ
    3. 1954.09.29 力道山逆襲す  伊勢プロ
    4. 1954.12.13 力道山の鉄腕巨人  新東宝
    5. 1954.12.28 お月様には悪いけど  日活  ... 特別出演
    6. 1954.12.29 力道山に挑む木村  伊勢プロ
    7. 1955.02.01 力道山対山口六段 打つ蹴る投げる!  伊勢プロ
    8. 1955.05.01 力道山 勝利の記録  伊勢プロ
    9. 1955.10.18 やがて青空  東京映画  ... 特別出演
    10. 1955.11.15 力道山対キングコング  伊勢プロ
    11. 1955.11.22 続力道山対キングコング  伊勢プロ
    12. 1955.11.29 力道山対キングコング決勝戦  伊勢プロ
    13. 1955.12.27 力道山物語 怒濤の男  日活
    14. 1955._._ 続力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    15. 1955._._ 力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    16. 1955._._ 力道山・オルテガ・最後の決戦  伊勢プロ
    17. 1956.05.03 力道山の世界征服  日活
    18. 1956.05.03 力道山空手チョップの嵐 東京大会  日活
    19. 1956.05.10 再び捲起す空手旋風 大阪大会  日活
    20. 1956.06.11 力道山・シャープ最後の決戦  日活
    21. 1956.07.12 力道山、鉄腕の勝利  日活
    22. 1956.07.31 プロレス世界選手権 挑戦資格決定戦 力道山・タムライス 「61分3本勝負」  日活
    23. 1956.08.29 力道山 男の魂  協同プロ
    24. 1956.09.11 力道・タムライス 最後の激闘  日活
    25. 1956.10.31 怒れ!力道山  東映東京  ... 力道山
    26. 1957.01.15 純情部隊  東映東京
    27. 1957.10.15 力道山対ルー・テーズ世界選手権争奪戦  相模映画
    28. 1959.09.13 激闘  松竹大船
    29. 1983.09.15 ザ・力道山  松竹

 

そして、こうした映画の中で、彼は「やさしい叔父さん、リキさん」を演じているのだが、実際は非常に暴力的な人間だった。

だが、映像の中で、やさしい叔父さんを演じられたという点で、彼は本当に優れた俳優だったのである。

最初から「プロレスは、八百長だ」と言われ続けてきたが、八百長は上手い役者でないと演じられない「一つの演技術」なのだと私は思うのだ。