指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『BG ある19才の日記 あげてよかった』

2021年02月27日 | 映画
「あげてよかった」は、『女性自身』に連載されていた若い女性の手記である。というのは嘘で、ライターの竹中労らが書いていたもの。
脚本才賀明、監督丹野雄二、主演は和田浩治と西恵子、さらに西が憧れ、処女をあげてしまう中年男が二谷英明。


              
丸の内のタイヤ会社で、英文タイピストをしているのが西、同じビルの旅行会社の男が和田で、二人は付き合っているが、まだキスまで。タイピストには、梶芽衣子、笹森みち子、浜川智子らがいて、お局様は、32歳の今井和子。
そこに欧州から、営業部長に二谷が帰国してきて、その中年の魅力に西は惹かれて行く。いろいろなシーンがあるが、オフイス、ショッピングアーケード、エレベーター等は、日比谷の日活ビルの中のようで、丹野監督は、安上がりに作っている。
タイトルの特別出演に、青島幸男、長門裕之、関口宏があり、青島は、和田の友人で色恋沙汰の指南者、長門は笹森みち子と同棲していて、妊娠すると初めて結婚するカップル。関口は、二谷の愛人の一人の女の年下のツバメのような若い男。3人も特別出演があるのは珍しいが、たぶん監督の丹野雄二の広い人脈からだろう。彼は、日活の女優の稲垣美穂子と結婚していて、日活を辞めた後は、DAXインターナショナルを作り、『世界昔ばなし』等を作っていたように商才に長けた人物である。

二谷、和田、そして西といろいろあるが、最後雨の日に二谷の邸宅に西が来て、二谷とセックスするところに来て、これは昔見たことがあることを思いだした。1969年2月、蓮沼のヒカリ座で、増村保造監督の『濡れた二人』、西村昭五朗監督の『燃える大陸』と3本立てで見ている。増村と西村の作品には、秀作の印が付いていたが、これにはナシ。
最後は、一度は二谷の前で、和田と結婚すると宣言した西だが、やはり一緒にはならないよと言って自立して別れて終わり。ただ、全部見ると、意外にもテンポがあり、40年前に途中から見た時に感じたほど、ひどいものではないことが分った。
音楽は、鏑木創で、ヒデとロザンナを使ったボサノバで、しゃれていた。
チャンネルNeco

鳴海正泰死去、89歳

2021年02月26日 | その他
今朝の新聞に、元横浜市幹部の鳴海正泰氏が、亡くなられたことが出ていた。
私は、鳴海氏が横浜市で、飛鳥田一雄市長のブレーンとして活躍されいた時代は市会事務局にいたので、直接に接触したことはない。
だが、鳴海氏が横浜市を辞めて関東学院の教授になってからは、よく大久保栄太郎議長に呼ばれて議長室に来られていた。大体今頃である。
 
          
議長との話が終わってお聞きすると、大学入試のことの頼み事だとのことだった。
そして、「こういうのほど、大体ダメなんで困るんだよ」と言われていた。
逆に、受験生の父兄から言えば、「始めから大丈夫なら誰も頼まないよ」だろうが。

私も、一度だけ、入学試験の結果を聞いてもらったことがある。
中学生の時で、東京学芸大学付属高校の受験結果(勿論、落ちたのだが)を聞いてもらったのだ。
父の従兄弟に学芸大学の先生がいて、母親が聞いてくれたのだが、勿論200番くらいで、ダメだったのだ。
当時、東京学芸大付属は、定員100人くらいで、ここは公立高校よりも1ヶ月くらい早く入試が行われるので、多くの人が受験したのだ。
まあ、ご苦労さんなことである。

『子午線の祀り』

2021年02月26日 | 演劇
木下順二作、野村萬斎演出の劇をKAATで見た。
木下順二は、戦後の劇作家のなかで、今日の野田秀樹にまでつながる開祖である。というのは、野田秀樹が一番影響を受けたのは、唐十郎であり、唐十郎の師と言うべきは福田善之である。そして、福田善之が一番影響を受け、劇作のモデルとしたのは、木下順二の『山脈』などの作品なので、遠回りすれば、野田秀樹に繋がるのは、木下順二と言うことになる。

                       
これは、『平家物語』を元に、木下順二が最初に岩波ホールでの1967年の「群読」という公演で作ったものである。私も、戯曲となってすぐに読んだが、実に美しい台詞の作品である。
そして、今回期待してKAATに行ったが、期待は相当に裏切られた。
1幕は、抒景的な場面がつづき、ああそうかなと思うが、眠るまでにはならなかった。
そして、2幕目は、壇ノ浦の戦いで、平家の将知盛(野村萬斎)と源氏の大将義経(成河)との戦いになるので、ややドラマチックに盛上がるが、いつか寝ていて、気がつくとエンドだった。
いずれにしても、私はこの名作の中に入ることができなかったのは、非常に残念なことだった。
ひとつ、良かったことは、武満徹の音楽が素晴らしいことが再確認できたことだ。
神奈川芸術劇場大ホール


審議官はなぜいるのか

2021年02月25日 | 政治
今、総務省の汚職で問題となっている「審議官」だが、これは地方にはないので、昔港湾局にいたとき、国の事情に詳しい方に聞いたことがある。
すると
「次官の下にいる審議官は、いずれ次官になるとしても、その業界の人たちと上手くやっていけるか、曝して見極めることだ」とのことだった。
要は、各省庁の業界全体と上手く付き合って行けるのか、見極めるとのことだった。

           

業界全体であり、個別の社と付き合わせるためでないことは言うまでもない。
それが、安部晋三、菅義偉首相の政権下で、特定の事業者等と付き合うためになってしまったとは、大変に嘆かわしく、国のエリート官僚の「腐敗堕落」も極まれりと言うべきだ。


ニトリに行って、似鳥を思い出す

2021年02月25日 | 野球
昨日の昼、磯子のニトリに行った。
店内は広くて気分が良い。
ここで、昔阪神の投手で、似鳥(にたどり)というのがいたことを思い出した。
読み方は違うが、同じ姓である。

          
たしか、ニトリの社長は北海道で、似鳥選手も東北だった。
北海道は、東北からの移住者が多いので、ニトリの社長も元はそうなのだろうか。

『拝啓 総理大臣様』

2021年02月23日 | 映画
1964年の松竹映画、「拝啓」シリーズの3作目。
冒頭、長門裕之と横山道代がテレビ局で、漫才をやっている。東京ムーラン・ルージュというコンビ。二人は、夫婦だが、マネージャーは別で、コンビの時以外は、別の仕事をしている。漫才のコンビが、別々の仕事をしているというのは珍しいことではなく、昔の横山エンタツ・花菱アチャコも、そうだった。
ラジオや映画では、コンビだったが、寄席では別々に出ていた。

         

そこに大阪から、長門の元師匠が死んだ電報が来る。彼は、元は大阪の漫才だったので、その相方は、渥美清。
大阪天王寺の芸人村では、関西の芸人達総出で、葬式が行われている。そこに渥美が現れるが、漫才では食えないので、「犬殺し、野犬捕獲員」の仕事をしている。
渥美は、大阪ではもう駄目だとして上京するが、その途中、京都で混血の黒人少女(壺井文子)と汽車の席が同じになる。
長門のところに、渥美は行き、仕事を世話してもらうが、全部駄目で、最後はヘルスセンターの釜炊きの仕事だった。
壺井は、育ててくれていた祖母が死んだので、叔母の宮城まり子のところに来る。そこは羽田の貧民長屋で、この時代にまだあったのかと驚く。
宮城は、羽田空港で働いているようだが、父親の加藤嘉は、仕事もせずに酒ばかり飲んでいる男。

渥美と壺井は、旅廻りの一座に入り、漫才をするが、なかなか上手くいかず、一時は東京に戻って、自分の浮気から別居に至った長門と君でテレビに出ようとするが、これはテレビのやり方に渥美は合わずにダメになる。
長門の浮気相手は、原知佐子で、その弟は脊髄カリエスで闘病中の山本圭である。この辺の病院や療養の描き方の問題はあると思える。
最後、長門と横山は、元に戻り、渥美は、壺井とヘルスセンターで漫才をしていて大いに受けている。
だが、ここも渥美は、顔を黒塗り、壺井は白塗りとこれも、今見ると問題のある表現だろう。
その意味では、大坂なおみ選手画、日本中に受け入れられているのは、やはり時代の進歩と言っていると思う。

いずれにしても、「拝啓」シリーズとしては、「天皇陛下様」に比べ、やはり総理大臣ではインパクトがない。





「ジャムスは寒かったからな・・・」

2021年02月20日 | その他
先日の佐藤先生のお話のなかで、中国東北部の地図が配られたが、そこにジャムスがあった。
ハルピンからはるかに先で、東北にある。
ここは、周囲の農作物の集積地だったが、またソ連への防御の拠点だったようだ。

          
「ジャムスは寒かったからな」は、小津安二郎映画で、一番評価の低い作品の『東京暮色』で、主人公山田五十鈴の夫で、五反田で麻雀屋の亭主をやっている  中村伸郎の台詞である。
夫の笠智衆、娘の原節子、有馬稲子を捨てて、若い男と駆け落ちした山田五十鈴は、中国のどこかで中村と知合い、帰国して五反田で麻雀屋をやっているが、もう一度と思っている。
そして、知人の紹介で北海道の室蘭に行く。
まるで地の果てに行くような悲壮な感じで上野から北海道に行く。
そして言う、「一人より二人なら寒くないや」
戦車で、一度人生を失った男女の言葉である。

林寛子だった 『女房の眼鏡』

2021年02月20日 | テレビ
日本映画専門チャンネルで、長谷部慶次脚本の『女房の眼鏡』が放映されたので見る。

          
札幌で、古本屋をやっている池内淳子と夫で製材会社に勤めている木村功夫婦の話。
元は小説を書いていた青年だった木村が、店に出入りしている内に、池内の父親に見込まれて養子になった。そのうち、木村は小説は書かなくなり、会社員になり、今は伝書鳩に夢中のなっている。レースに出すほどで、池内との家庭生活はほとんど顧みずに、伝書鳩に小遣いをつぎ込んでいる。
家には、幼い娘がいるが、池内の妹の青柳三枝子もいる。
そこに若い男が来て、再三池内に会おうとする。
池内がいそいそと出ていくのを見て、木村は池内の浮気を想像し、池内も普段は掛けている眼鏡を外して、着飾って公園で男と会う。
と、大学の助手をやっている男は、青柳との結婚話だった。
青柳三枝子は、この頃よくテレビに出ていたが、いつか出なくなったようだ。
別の挿話として、伝書鳩を放すが、母親鳩が傷ついてなかなか家に戻ってこられないが、1週間後にたどりつくのがある。
娘は、鳩が好きで、木村の味方であるが、この少女は演技が上手いなと思うと、林寛子だった。
これは北海道放送の製作なのに、こんなものにも出ていたのだ。

市会事務局にI君という好漢がいて、この人が林寛子のファンだった。
林の前は、小柳ルミ子が好きだったそうで、純情に見える女性が好きだったのだと思う。
林寛子は、恩地日出夫の映画『あこがれ』でも、内藤洋子の子供時代を演じており、ずいぶんと小さい時から芸能界で活躍されていたわけだ。

『女狙撃兵マリュートカ』

2021年02月17日 | 映画
1956年のソ連映画、新宿に行った帰りに買う。そこは、80%はエロビデオ・DVDだが、普通のもある。エロでも日活製は高い。

        

主人公は、女性でただ一人赤軍にいる、ソ連の中央アジアで戦っている。20ほどの部隊で、皆農民兵らしいが、彼女は読み書きができる。
リーダーは、コミッサール・政治委員と言われており、明らかに共産党員だろう。1990年代も、中国から視察団が来ると、中に必ずなにもしない男がいて、それは共産党員で、団を監視しているとのことだった。
白軍との戦いがあり、彼らはきれいな軍服を着た連中で、その中で赤軍派は、半分になるが、将校を捕虜にし、その監視をマリュートカに任される。
彼らは、カスピ海を出て、アラル海に向かっているがすべて徒歩。
この辺は砂漠で、水もなにもなく、まるで『アラビアのローレンス』である。

なんとかアラル海の村に着くと、村長が驚く
「歩いて来たのか!」
そこで、部隊の中心は、別の村に向かうが、マリュートカと捕虜は、兵士2名と共に、小舟で別の都市を目指すように命令を受ける。
ここは、ヨットのような水辺を行く映像で、この映画で唯一爽快な映像である。将校は、ヨットの操縦をするので、聞くと家にヨットがあったとのことで、彼は貴族出身である。
ところが急に黒雲が湧き、嵐になって小船は翻弄され、兵士2人は落ちていなくなり、将校とマリュートカが残されて、岸辺に着く。
そこで漁民の小屋を見つけ食糧もあり、二人はそこで過ごす。マリュートカは、詩を書いているが、将校は物語を話す。ロビンソークルーソーで、マリュートカは、感激し、二人は結ばれる。
次のシーンは、岸辺を走る二人で、これは森田健作ドラマと同じで、青春の歓喜の表現はどこも同じなのか。
幸せにつつまれた二人だが、その時、起きに船が現れる。
白軍のもので、将校は船に向かって走って行き、マリュートカが銃殺したところでエンド。
この次は、どうなったのかと思うが、そこを描かないのは上手い。
この時期は、まだ雪解け前だったので、こうしか作れなかったのだろうと思う。







『新幹線大爆破』

2021年02月15日 | 映画
1975年の東映だが、当たらずすぐに上映中止になって、どこでもやっていなかったので、見たのは1976年だった。今はスーパーになった反町東映で、十分に満足した。
ほぼ同時期に、同じ新幹線映画で『動脈列島』が東宝系であり、監督は贔屓の増村だったが、完全に東映の勝ちだった。
理由は、簡単で、東映は「止まらない」のに対して、東宝のは「止まってしまう」恐怖だったからだ。映画は、モーションピクチャー、動画であり、動く方が面白いのは当然だった。
その後、並木座やテレビでも見たが、やはり面白い。新幹線が止められない恐怖、いろいろと出てくる障害を切り抜けるあの手この手、そして抒情的なシーンといい、佐藤潤也作品で最高で、高倉健主演としても最高だろうと思う。
それにしても、東映のみならず、多くの俳優が出てくる。郷英治と近藤宏の日活コンビの他、大映の伊達三郎がでているに今回初めて気づいた。
千葉真一と小林稔侍、多岐川裕美と松平純子、岩城滉一と林ゆたかなど。
新劇系では、永井智雄、鈴木瑞穂、久富惟晴、そして名演技の矢野宣など。
そして、もちろん丹波哲郎先生も。東映系で、出ていないのは鶴田浩二くらいだろうか。青山八郎の抒情的な音楽も非常によい。

      

それにしても、映画会社の歴史というものは不思議で、元社長の大川博は運輸官僚で、ここはかつて『大いなる驀進』などの鉄道映画があった。
宗教団体の団扇太鼓が笑える。
NHKBS



『しなの川』

2021年02月14日 | 映画
1973年の松竹映画、原作は上村一夫の劇画で、由美かおる主演の『同棲時代』のヒットに次ぐ作品である。
由美は、新潟の十日町の織元の娘で、父は中谷昇、母は岩崎加根子だが、男と出奔したとのことで不在。
そこに職工として、龍吉の仲雅美がやってきて、その美貌に由美は目をつける。
彼を偏愛し、自分の部屋に招き、幻灯を見せる。彩色された映絵で、この辺の美術、衣装、小道具等の時代考証は大変にきちんとしている。だが、逆にいえば、松竹映画は、この戦前、昭和初期にすべてが止まっていたとも言える。
龍吉は、工場の男達にいじめられるが、これは女工哀史ならぬ、職工哀史だとも言えるが、脚本がジェームス・三木なので運びは上手く、面白い。

         

由美の自由奔放な行動に手を焼いた父親は、彼女を長岡の寄宿制の女学校に入れる。だが、そこで、左翼の国語教師岡田祐介とできてしまい東京に駆け落ちする。家に戻され、岡田も家族が住む伊豆に行くが、そこに由美が来て、二人は一緒になり、由美は、岡田に体を許す。ここまでセックスしていなかったのかは不思議だが。
ここは、最初仲雅美の家に行ったとき、滝でさらす裸体と共に二回目の由美かおるのヌードシーンで、最大の見所になる。
これでもうどうでも良いとばかり、由美は、金持ちの息子への嫁入りを承諾する。
一方、仲雅美は、進行する不況の中で、満州に行くことでエンド。
監督野村芳太郎、脚本ジェームス・三木、撮影川又昂のベストの陣容であることはさすがだと思う。
岡田祐介は、あいかわらず下手だが、教師役は合っていると思う。
中谷昇から岩崎が去ったのは、中谷がホモ・セクシュアルだったというのがあり、相手の番頭役は山本豊三だった。この人は最近は全く見ないが、創価学会で活躍されているらしい。
日本映画専門チャンネル

『悪魔の手鞠唄』 1961年東映

2021年02月14日 | 映画
『悪魔の手鞠唄』と言っても、市川崑の名作ではなく、ニュー東映で作られたもの。
主演は、高倉健で、もちろん金田一耕助を演じる。

                  

歌手の矢代真智子が、故郷に戻る車で殺され、運転手も死ぬ。
岡山の鬼首村で、村の有力者の仁礼家の当主は永田靖、長男は大村文武、長女は志村妙子こと大地喜和子で、結構かまとと演技だが、まだ十代だったので当然か。
その志村の大学の友人の小野透がやってくるが、矢代から依頼されたとして、健さんの金田一も外車で駆けつけてくる。
全員が揃ったところで第二の事件が起き、大村が銃殺される。
矢代が歌った「手鞠唄」もあるが、事件とは全く関係なく解決されてしまう。
原作は言うまでもなく横溝正史だが、原作と筋が違うのは、当時の推理映画の常識で、「筋が原作と同じだと読者は見に来ない」というので、映画では筋を変えるのが普通だったからだ。

市川崑のはきちんと手鞠唄の謎解きをやっていたが、ここでは全く無視。
ただ、私は「反共の闘士」と言われる監督の渡辺邦男が好きで、これも結構面白い。この人は、『シャボン玉ホリデー』でなべおさみがやった「キントトキネマ」の監督のモデルである。
非常にせっかちな人で、あるカットが終わって俳優がトイレに行っていたら、次のカットは彼を抜かして撮影してしまったことがあるという。
要は、コンテ主義で、きわめて効率的に撮影をする監督だったのだと思う。
東宝ストライキの時、スト反対派の首領に担がれたが、本当はマルクス主義者で、映画作りが好きだったのだろうと思う。
石井輝男は渡辺から「俺が一番作りたい映画は、マルクスの『資本論』だ」と言われ仰天したそうだ。
ともかく、犯人は、かつて永田に一家を滅ぼされたことのある石黒達也である。この二人は、私のお気に入りの俳優なので楽しかった。
日本映画専門チャンネル


『赤ずきんちゃん気をつけて』

2021年02月14日 | 映画
昔、川崎の銀星座で見て、あまり良い印象を受けなかったが、今回見てそう悪い作品ではないと思った。
東宝の枠内で、森谷四郎監督は努力していたと思う、どう違うことをやるかと。

                       
脇役だが、この頃東宝によく出ていた富川徹夫の他、広瀬昌介、朝比奈尚幸、台詞なしだが結城美栄子など小劇場の若手が多数出ている。
そして、一番気になった役は、主人公岡田祐介の兄で、東大法学部出の師として出てくる、おそらくは丸山真男教授をモデルにした人である。彼は、監督堀川弘通氏の兄の堀川直義さんではないだろうか。元は朝日新聞にいて、この頃は、成城大学の教授だったが、本当に丸山真男によく似ている。

話は、1970年に東大の受験が中止になった時のことで、ドラマは大したことないが、風俗的には貴重な映像が沢山出てくる。
音楽がいずみたくというのも、東宝的ではないものを狙っていたと思う。
女主人公の森和代は、岡田とおなじで演技は下手だが、非常にかわいい。森本レオにとられてしまったのは、まことに残念なことだった。
日本映画専門チャンネル

劇団民芸『地熱』

2021年02月12日 | 演劇
1幕目が終わり、休憩に入ったとき思った。
「三好十郎の劇って、こんなにつまらなかったかな」

      

三好十郎は、学生劇団時代、唯一我がこととして読んでいた劇作家である。
当時は、まだ自分たちで創作劇を書くという発想はなかったからで、既存の劇をやることが普通だったのだ。三好十郎の他、福田善之、宮本研、矢代静一くらいしかいなかった、自分たちでやるべき作家と言えば。

二幕目になると、台詞の入っていない俳優がいて、プロンプターの囁きが聞こえて来たのには驚くしかなかった。
ただ、この劇でも、ひとつだけ良いことがあった。
それは、三好十郎と言えども、その舞台の役者に合わせて「当て書き」をしていたことが分ったことだ。
1937年の初演は、井上演劇道場公演で、主役は井上正夫と水谷八重子。井上のトーキーの映画は『帰国(ダモイ)』しか見ていないが、悠然とした腹芸の演技だったと思う。水谷は、言うまでもなく美人の清純派女優で,、私は彼女の『金色夜叉』のお宮を明治座で見たことがある。二人が、井上は、留吉という粗暴な男を、水谷は子持ちの酌婦の香代と普通の持ち役とは逆の役柄を演じる。そうしたところが劇の前半の意外な面白さで、それが最後に元に戻って幸福な結末になる。さすが三好十郎で上手くできた、見せる芝居だった。今回の民芸公演で、そうした面白さがあったかと言えば、残念ながら皆無だった。
それは、若手の役者(飯野遠、神敏明ら)だったからで、これは俳優に合わせて劇を改作するか、ベテランの樫山文枝と伊藤孝雄あたりに配役するしかなかったと思う。
だが、水谷八重子に20代の女性は演じられても、樫山が演じることは無理である。それは、水谷八重子の演技は、女性だが新派の「女形芸」だから年齢を超越できるが、新劇の樫山は、現実の女性を演じるために年齢は隠せないからだ。
脚本を改作ことは悪いことではなく、そうしないとリメイクは失敗することがある。それは、2007年に突然リメイクされた黒澤明監督の『椿三十郎』で、なぜか黒澤作品と同じ脚本で作られた。その結果、三船敏郎を織田裕二が演じた三十郎は、貧弱なものになってしまった。結果、分ったのは、当たり前だが黒澤明と言えど、出る俳優に合わせて脚本を書いていると言うことで、これは収穫だった。

さらにおかしなことは、一幕目は九州の炭坑町の話だが、二幕目は、留吉の故郷の信州での事件で、留吉が自己の過去の行為を改心して、元の九州に戻るのだが、この信州がよく分らず、九州のすぐ近くのようにしか見えないので、二幕の始まりに、一幕で出ていない留吉の妹夫婦が出てくるので、「これはなんだ」と思うのだ。
ともかく筋の展開が分りにくいのは問題だと思う。筋なんて関係ないと言う意見もあろうが、それは違う。吉本隆明は、「劇は物語の上に成立する」と言っており、物語の展開が見えないとこに劇は成立しないのだから。
小さなことだが、劇中で酌婦が俗謡を歌う。原作では「イイトコハト」で漫才で有名だが、これが違っていた。演出の田中麻衣子は、40代らしいので、てんやわんやの唄は知らなくても仕方はない。民芸にいるはずの60代以上の人も、新劇の悪例でクラシックには強いが、ジャズをはじめ大衆芸能には疎いからなのだろうか。
紀伊國屋サザンシアター


『追いつめる』

2021年02月11日 | 映画
1972年の松竹映画、主演は田宮二郎、渡哲也。2年前に大映はつぶれ、日活はポルノに移行していたので、この二人に高橋英樹、松坂慶子は松竹に出ていた。
監督も元日活の舛田利雄で、原作は生島治郎、脚本は野上竜雄。元は、日活で小林旭主演で撮るものだったとのこと。

           

横浜の神奈川県警の暴力団担当の刑事が田宮二郎、ヤクザの組員で浜崎組(永田靖)のナンバー3が渡哲也、一番は頭脳派の佐藤慶で、二番は武闘専門の睦五郎。
渡は、対立する組への殴り込みで逮捕され、出てきたところから始まる。
渡と田宮は、対立しつつ、共同するところは、日活的だと言える。
田宮二郎の妻は、横浜の港湾荷役会社の社長渥美国泰の娘の生田悦子、渡哲也の情婦は、倍賞美津子だったが、今は睦五郎の女になっていて、横浜の大岡川沿いでトルコ風呂(この頃はまだソープランドにはなっていなかったはずだ)をやっている。
田宮の上司の課長が鈴木瑞穂、部下で田宮の放った拳銃の誤射で下半身不随になってしまうのは藤竜也、その妻は吉行和子と旧日活勢が多い。
組の手下が殺され、その拳銃を捜査してゆく中で、田宮と渡の付き合いが始まる。渡は、倍賞を取られたことで、睦五郎に復讐しようとしている。

田宮と鈴木が会うのは、貨物の高島駅で、当時はまだ荷役作業をやっている。さらに、最後の方で、レンター会社の柳瀬志郎のスポーツカーを暴走させて渡は脅すが、場所は新興埠頭の1号と2号倉庫の間で、盛んに荷役作業が行われている。この辺の映像も今日では貴重。
渡は、睦が、子安の漁業組合の家に潜んでいることを聞き出す。ここで、渡は睦に、「組の不法行為をノートしておけ」と言う。
この辺の互いに裏切り合っているのも珍しく、これは日活的でもなく、原作の生島のアメリカのハードボイルド小説的だと言える。
倍賞は、渡への代償としてトルコ風呂で殺されて、風呂は赤い血で染まる。
最後、佐藤慶と睦五郎は、田宮と渡の手で掴まり、組の悪事も暴かれて組長の永田は死んでしまう。
盛大な葬式に来た田宮二郎に渡哲也は、言う。
「今度は俺が組長になるんだ」
松竹を日活が乗っ取ったようなアクション映画で、役者も日活から活劇ができる者達を連れて行ったとのこと。
衛星劇場