指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『青い果実』

2012年10月31日 | 映画

1965年、太田博之と太田雅子(梶芽衣子)のダブル太田主演の日活青春映画。

だが、日活青春映画も末期なので、かなり変である。

この少し前の『非行少年・陽の出の叫び』のとき、岡田裕助監督作成の予告編によれば、

「日活得意の異色青春路線」をキャッチ・フレーズにしていたのだが。

この映画をわざわざ録画して見たのは、主役の太田博之君とは、池上小学校、大森4中と、小・中学校が同じだったからで、同じクラスになった事はないが、大変きれいな、本当に外人のような少年だった。

当時、すでに新東宝映画等に出て有名で、今考えると彼は非常に美しかったわりには、なぜか新東宝をはじめ変な作品に出ていて、意外にもマイナーな

路線だった。松竹大船だったら、木下惠介監督に気に入られたと思うが、それは彼が映画出演した最後の作品『スリランカ愛と別れ』で実現されたが、時代的に「時すでに遅し」だった。

 

脚本は池田一朗、監督は堀池清。

広島から、太田博之が東京の渋谷近くの高校に転校してくるが、彼はアパートに一人で住んでいて、その理由は最後でわかる。

二人はある日、夜に会うことを約束するが、太田雅子の母で、幼稚園副園長で夫を尻に敷き、実際は幼稚園を経営している山岡久乃に外出を止められて、約束の時間に行けない。

遅れて行くと博之君はいなくて、前から目を付けられていた不良学生に暴行されてしまう。どこまでやられたのかは、よくわからないが、寸でのところで工事現場の人間に助けられ交番に行く。

彼らの中には、杉山元、また高校の同級生には、ロッキード事件のとき、児玉邸に飛行機で突っ込んだ前野霜一郎らの顔が見える。

 

すると、警官は、この近くに学校の先生が住んでいると言って、その教師初井言榮のところに連れてゆく。

だが、問題教師の初井は、この事件をPTA会長の高橋とよに告げてしまい、娘の浜川智子が、学校中に言いふらしてしまう。

この辺が少しおかしいが、現在でもそんなものだろうか。

いろいろあるが、最後は映画『青い山脈』のような校内全体の会議になり、そこで太田博之と叔父の内藤武敏は、初井以下の大人の罪悪を暴き、太田博之と太田雅子が性的行為をしていないことを明らかにする。

なぜなら、太田博之は、未亡人となった母親と若い男の情事を目撃したことから、女性嫌悪になり、精神病院にもいた事があるのだからと言う。はっきりとは言っていないが、性的不能なのだから性行為はなかったということなのだろう。

なんとも変な話だった。

チャンネルNECO

 

 


藤本義一、死去

2012年10月31日 | テレビ

藤本義一が死んだ、79歳。

やはり肺ガンだそうだ。

彼は、膨大な数の脚本を書いているが、あまり感心したものはない。

中では、読売テレビでやった、三田佳子主演のテレビドラマ『祇園物語』は、相当に面白いものだった記憶がある。

祇園のお茶屋の話で、半玉として育てられた三田佳子が、一人前になり、曾我廼家明蝶に水揚げされるが、実は茶屋の息子の荒木一郎に処女を奪われており、明蝶は「この子はなんや、騙された」と怒る。

茶屋の女将の山田スミは、店を閉じて・・・と言った話で、このときに祇園言葉の指導として来たのが、後に大阪イレブンに出ることになる安藤孝子である。

 

藤本義一の映画についてのエッセイは面白いが、脚本は果たしてどうか、勝新太郎主演の『とむらい師たち』など、どこか空回りしていてかなりシラケたものだが。

ともかく、「大阪11PM」の司会者として大阪、関西の文化の一端を東京に紹介した者としての功績は大きいと思う。

ご冥福をお祈りする。

 


『日輪の遺産』

2012年10月29日 | 映画

日本シリーズがないので、ちょうど録画した映画を見たが、実にバカバカしいものだった。

話は、1945年8月15日の終戦秘話だが、筋のつじつまがあっていない。

題材としては、フィリピンで山下奉文が略取したといわれる「山下財宝」もの。

三船敏郎が監督した凡作『五十万人の遺産』も、山下財宝ものだったが、これはフィリピンにあるのを探しにいいくものだった。

だが、ここでは、密かに日本国内に持ち込まれて秘蔵されており、敗戦時に軍首脳が、堺雅人、福士誠治、中村獅童の軍人に隠匿することを命じ、彼らが女子学生を使って三多摩地区の弾薬庫に運び込む。

引率の教師の名は、三多摩に因んで、ユースケ・サンタマリア。

その財宝輸送と隠匿の極秘任務が終了したとき、昭和天皇の玉音放送が流れる。

だが、少女たちは、軍から用意されていた自決用の青酸カリで全員自殺してしまう。

ただ一人、中村獅童と一緒にのんびりと風呂掃除をしていて、その場にいなかった八千草薫を除き。

こんな変な話は聞いたことがない。

天皇の玉音放送を聞いた後に自決した民間人など、いただろうか、それも19人も。

みんな、「これで助かった、戦争で死なずに済んだ」と思ったはずで、それが普通である。

ただ、戦争の悲劇で観客を泣かせるための筋書きに過ぎず、大変不自然に見える。

 

さらに、変なのは、昭和23年頃、米占領軍によって偶然財宝が見つかり、マッカーサーが見に来る。

だが、そのトンネル内の自決した少女の遺体の山を見て、そのままにして帰ってしまう。マッカーサーって、そんなに清廉潔白な人間だったとは初めて聞いた。

また、戦後、堺雅人が病院に入院している梅津美治郎に会いにいき、福士は、マッカーサーの前で、財宝の使用法と戦後日本の経済再建について演説して自殺するが、この二つも理解できない。

彼らが、弾薬庫の財宝を掘り出して、自分の物にしようとしないのも理解に苦しむ。

日本人は、清く正しく美しいというのだろうか、本当に馬鹿じゃなかろか。

 

もし、本当にトンネルに数百兆の財宝が埋まっているとしたら、たとえ米軍に接収されていたとしても、どのような手を使っても掘り出すのが普通の人間の行動である。

敗戦後、軍の隠匿物資を横流しして儲けた話はいくらでもあるというのに。

こうした自然な欲望を無視しては、やはり映画は成立しない。

日本映画専門チャンネル

 


『タイタン・ライブ』

2012年10月28日 | 大衆芸能

爆笑問題が出るライブがあるというので、川崎東宝まで行く。

本当のライブ会場の赤坂ACTシアターの方はすでに満席だが、映画館でのライブ中継で見られるというので、予約して元川崎岡田屋のDICEに行くことにしたのだ。

タイタンは、爆笑問題が所属している事務所で、基本的には同事務所の芸人によるライブだが、他の芸人も出てきたようで、今回が100回目とのこと。

もちろん、トリは爆笑問題で、格が違う面白さと鋭さだった。

それに、昨年亡くなった立川談志が2010年に出たときの映像も約10分あった。もちろん、落語ではなく、得意のジョークを話したが、中で二つ分からないのがあった。

他の芸人では、麒麟が一番面白く、『ホームレス中学生』の田村裕ではなく、川島明の低音の声の良さにはしびれた。この二人の漫才は、レベルがかなり高い。

他には、キャイーンの他では、初めて見たが「東京03」というコント3人組、ものまねの「ホリ」が面白かった。

タイタンの若手芸人も出たが、中ではマルセル・マルソーの孫弟子という長井秀和のマイムはさすがだが、創価学会ネタでしか笑いが来ないのは可哀想だった。

この事務所の名前のタイタンは、カート・ボネガットの小説『タイタンの妖女』から来ていると初めて知ったが、太田光のセンスである。

川崎東宝シネマ

 


暴走老人の本質は、

2012年10月27日 | 政治

石原都知事が知事を急に辞職して、自ら国政に出ると発表した。

当然、「1年前が任期満了で、そのまま引退した方が良かった、なぜ今頃辞めるのか、中途辞職は無責任だ」というのは、その通りである。

では、石原慎太郎の本質はなにか。

映画『日蝕の夏』で、石原を主演男優として使った監督の堀川弘通は『評伝・黒澤明』の中で次のように書いている。

「石原慎太郎主演の珍品であることは確かだった。太陽族の先駆けである石原が、臆病で慎重な男だったのは意外だった」

もちろん、当時22歳のときのことである。

だが、彼が慎重な男だったと言うのは、彼のそれまでの人生から見れば当然だろう。

山下汽船という、船会社としては、決して一流ではないが、それなりの大会社の重役で、戦時中の小樽では栄耀栄華を究めていた石原家が、東京に転勤になり逗子に住むとすぐに父親が急死して、急迫する。

二人の兄弟に必要以上の贅沢を与えていた事で、弟の石原裕次郎は、高校生時代から放蕩無頼の生活になってしまう。

その中で、家長たる慎太郎は、慎重かつ真面目に自身と石原家の生き方を考えて行かなくてはならなかっただろう。

 

午前中、彼の原作『挑戦』を須川栄三が監督した、三橋達也、司葉子主演の『愛と炎と』を見た。

出光興産の社長出光佐三をモデルにした小説で、彼の下でイランから石油輸入を実現させた男のドラマ。

ここで描かれているのは、米占領軍に抗して、アラブから石油を輸入し、日本の民族石油産業を奮い立たせた男たちの美しい姿である。

これを見ると、石原慎太郎は、三橋達也が演じる、石原より少し年長の戦中派へ、ある種の憧れを持っているように見える。

石原慎太郎は、太平洋戦争に行き遅れたことが、最大の悔恨のようにさえ見えてくるのだ。

彼が今回も口にした、最後のご奉公等のセリフの古臭さは、戦時中の日本人のものであるが、それに強い憧れを未だに持っているように思える。

その意味では、慎太郎は、やはり「「遅れてきた青年」なのだろうか。

今では、「怒れる高齢者」であり、田中眞紀子には、「暴走老人」と言われてしまったようだが。

三橋達也と恋仲になってしまう、出光佐三役の森雅之の娘の司葉子は、後に映像作家となる出光真子であり、彼女が連れている文化人風の戸浦六宏が演じた男は、美術評論家の東野芳明がモデルだと思う。

日本映画専門チャンネル


意外な傑作 『青い獣』

2012年10月27日 | 映画

1960年、堀川弘通が、白坂依志夫の脚本で監督した、仲代達矢を主人公とする作品で、意外にも大変面白い傑作だった。

小出版社の編集部員の仲代が、美貌と度胸と知恵で、出世してゆく話で、言わばジュリアン・ソレル物語である。

大学時代は学生運動をやっていた彼が、田崎潤社長の雑誌社に入れたのも、田崎の妻丹阿弥弥寿子と関係していたからだったが、こうした背景は次第に語られていく運びもよくできている。

雑誌社では、賃上げと不当配転で経営者側と組合が対立していて、仲代は組合の副委員長だが、実は田崎に内報し、金を貰っている。

仲代の学生時代の友人で、労評専従(総評のことだろう)の中谷一郎も争議に介入してくるが、組合は分裂し、闘争は敗北に終わる。

一方、仲代は、雑誌の取材で、大財閥千田是也の娘で美女の司葉子を見たことから、彼女に目を付けモノにしてしまう。

最後、無事千田に二人の仲を認めさせ(千田が当時俳優座の代表であるので一座員の仲代が堂々と対するのがおかしく見えるが)、すべてが上手く行ったと思うと、 いうものである。

中谷に一緒になっている元女学生闘士が淡路恵子で、もちろん仲代は彼女とも関係する。この二人のホテルの部屋に、中谷が来た時の3人の芝居が非常に良かった。淡路恵子が、芝居、特に台詞が上手いのに感心した。

司葉子が著しくきれいだが、学生の一人として児玉清が出ていた。

この頃、堀川は、前年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』を撮り、その前にも小林桂樹の『裸の大将』を作っており、最高潮だったと言える。

彼は、リアリズム派なので、理詰めの運びのミステリーや、その逆も真なセンチメンタルなメロドラマにも合っていたのだろう。

松竹大船で最高のメロドラマ『君の名は』を監督した大庭秀雄が、非常に知的であったように、メロドラマは論理的でないと成立しないのである。

 

併映は、名作『女殺油地獄』で、近松門左衛門の筋書の上手さにあらためて驚嘆するが、桂米朝、芦屋雁之助・小雁兄弟、三津田健など、さまざまな俳優が出ている。

音楽は、宅孝二で、この人は大映が多く、東宝は少ないと思うが、荘重な響きだった。

新文芸坐


『娘と私』

2012年10月26日 | 映画

獅子文六が、自分と娘のことを書いた小説の1962年の映画化だが、今もつづくNHKの朝の連続ドラマの第一号で、そのヒットで映画化されたもの。

テレビでは、主人公は北沢豹、娘は北林早苗だったが、ここでは山村聰と星由里子。

映画は、娘の結婚式から山村聰の回想で、フランス人の妻フランソワーズ・モレシャンが娘を産むところから始まる。

モレシャンは病気からフランスに帰ってしまい、後にその地で死ぬが、確か日本の気候と合わなかった性の結核だったと思う。

山村は、娘を寄宿舎に入れるが、肺炎になったことから同居させてもらっている姉の杉村春子の家に引き取る。

この映画は東京映画で、製作の椎野英之は、文学座にいた人。

多分その線で文学座の創立者岩田豊雄(獅子文六)の小説を映画化するこちになったので、杉村の他、三津田健、山崎努などの文学座の俳優が出ている。また、加藤剛、樫山文枝、さらに草間靖子など当時の新劇の若手俳優も出ている。

星由里子の少女時代の女優が誰か初めわからなかったが、小橋玲子だった。彼女は、当時よく出ていた子役で大変上手くて、山村聰の抑えた演技で、二人の娘の父親である私は、この二人の親子の演技に涙が出て仕方がなかった。

特に、山村聰のじっと抑えた演技、余計な音楽を付けず、抑制されて冷静な堀川弘通の演出が非常に良い。

戦時中に親交を結ぶ古本屋の親爺が古今亭今輔で、うまく演じているが、その店はなんと早稲田の文献堂だった。1970年代に新左翼文献の古本屋で有名だったが、この時期からあったのだ。実際の文献堂のオヤジは1990年代頃に交通事故で亡くなられたと聞いている。

筋書と主人公の小説家の姿は、実際の獅子文六に比べれば、かなり虫の良いものになっていると思うが、映画なので良いだろう。岩田豊雄の『海軍』など、戦時中の活動への自己批判も一応されている。

堀川弘通は、以前フィルム・センターで見て、来月に新文芸坐の小林桂樹特集で上映される『別れても生きる時も』や、この『娘と私』のような、少々センチメンタルな作品が良いと思う。

その意味では、彼の師匠の黒澤明ではなく、『路傍の石』や『陽のあたる坂道』の監督田坂具隆に似た資質の監督だったと思う。

新文芸坐


やはり無理は無理 『狙撃』『さらばモスクワ愚連隊』

2012年10月26日 | 映画

新文芸坐での堀川弘通監督特集、『狙撃』は見たことがあるが、『さらばモスクワ愚連隊』は見ていなかったので、見に行くことにした。

感想は、1975年にテアトル蒲田で、黒澤の『酔いどれ天使』、谷口千吉の『紅の海』と共に堀川監督の『狙撃』を見たときの、「無理をして似合わないことをやっても駄目だな」で、同じだった。

1960年代後半は、東宝は路線が大変混乱していて、妙に若者にこびたような作品を作っては、その度に失敗していた。

共に1968年に作られたこの2本も同じで、『狙撃』は、脚本が永原秀一であることに見られるように、日活のアクション映画の移入で、部分的には良いところもあるが、なんとも東宝の社風に合っていない感じだった。

今回も、殺し屋の加山雄三とモデルの浅丘ルリ子が、ニューギニアを夢想し、竹邑類振付の奇妙なダンスを踊るところで、完全にシラケた。

日活と比較してしまうが、こういう観念的なシーンは、『殺しの烙印』のように鈴木清順なら、ストップにしてスチールの積み重ねで処理してしまうところだが、リアリズムの東宝、堀川弘通では、シナリオ通りに演じるので、シラケてしまうのである。

『さらばモスクワ愚連隊』も、モスクワの市街を再現したセットは大変豪華だが、どこか中身の薄い作品となっていた。

 

『さらばモスクワ愚連隊』は、原作の五木寛之はともかく、脚本の田村孟、監督の堀川もジャズには疎いと思うので、誤解の上に建てられた「誤解の塔」のような作品である。

ここでのジャズ観は、1960年代なので仕方ないが、アメリカでの黒人の悲惨な実態がブルースやジャズを作り出したというものである。

勿論、すべてが間違いではないが、1970年代に中村とうようさんが、著書『ブラック・ミュージックとしてのジャズ』で明らかにされたように、ジャズは黒人音楽のある種の上昇志向性に依拠した音楽であり、デューク・エリントンを代表に、黒人社会でも、中産階級から上の階層によって担われてきたものである。

その証拠に、ジャズは時代が進むに従ってアフリカ化しており、時代を遡るときわめて西欧のクラシックに近いものとなっている。

ビリー・ホリデーの『奇妙な果実』が最大の比喩なのだから、「まあ古いな」と思うしかないが、当時はそんなものだったのだろう。

筋書きとしては、五木寛之の他の小説を入れており、原作の『さらばモスクワ愚連隊』の結末とは違っていると思うが、ともかくジャズは、国境を超え、世界をつなぐといわれても、「そうですかね」と言うしかない。

むしろ、今では「ロックは世界をつなぐ」というべきではないかと思う。

この2本は、東宝の歴史で見れば、西村潔の傑作『白昼の襲撃』を作り出したということでは、意義があったと言うべきだろう。

新文芸坐

 

 


『すずかけの散歩道』

2012年10月25日 | 映画

先日、亡くなられた堀川弘通監督の1959年の東宝映画、70分と短いもので、軽い青春映画である。

主人公は、雑誌社の編集部に勤めている司葉子で、年上の編集長森雅之との恋、さらに同僚の杉葉子との三角関係的な付き合い、同じく編集部員の太刀川洋一が、司の姉で人妻の津島恵子に傾くが、叶わぬ恋に終わることを描く。

司葉子は、この映画で、年上の中年男に憧れる女性を演じるが、実際に彼女は、いろいろの噂があった後、かなり年上の相沢英之氏と結婚したが、この映画は彼女の将来を予測したことになる。

堀川監督は、意外にも、結構変わった撮り方をしていた。

喫茶店のカウンターに並んだ男女のシーンで、普通は二人を画面に入れるが、そうはせず、一人の表情のアップにして、オフで相手の台詞を言わせている。堀川は、きわめてオーソドックスな表現をする人だが、この時期は結構新しいことをしようとしていたようだ。

作品としては、女優は、司葉子の他、杉葉子、津島恵子、司の姪で星由里子などが出ている。だが、男は森雅之は出ているが、メインが少々失礼だが太刀川洋一という脇役なので、あまり盛り上がらない。

その分を、司の義兄で、人気小説家笠智衆の息子の多川譲二と少女の富永ユキが受け持つ。富永ユキは、大島渚の『愛と希望の町』の主人公の少女であり、少女ロカビリー歌手である。

推測すると、この太刀川洋一の役は、本当は宝田明だったのだが(主題歌は宝田が歌っている)、何かの理由でダメになり、太刀川に代わって、作品の長さも短くなったのではないかと思う。

司と宝田なら、当時の最高の人気コンビである。

だが、この作品での司葉子は実に美しく、同僚の杉葉子も大変きれいで、「昔は美人女優がいたなあ」とあらためて思う。

この雑誌編集部の、司葉子や杉葉子の、「男言葉」の感じは、後に1962年の鈴木英夫の傑作『その場所に女ありて』の広告代理店の雰囲気になったのではないかと思う。

新文芸坐


『新選組』

2012年10月24日 | 映画

1937年、PCLで木村荘十二が監督した作品、新選組を扱った映画は、サイレント時代から多数あるが、トーキーになってからは、初めの方だろう。

この作品が注目されるのは、幕府が鳥羽伏見の戦いで朝廷方に負けたところから始まることであり、役者は前進座の者であることだ。

近藤勇は河原崎長十郎、土方歳三は中村翫右衛門、沖田総司は嵐芳三郎(嵐圭史、寺田路恵の父親)であり、加東大介も市川延司の名で出ている。

要は、負け戦の新選組であるので、悲劇の色彩が強い。

監督の木村荘十二もそうだが、脚本も元左翼の村山知義なので、この敗北集団を勿論、時代の流れに取り残されゆく集団として描いている。

だが、それは当時の自分たち日本共産党の敗北とどういう関係があるのかは、よくわからない。

この辺は、劇『斬られの仙太』で、明確に日本共産党の敗北を描いた劇作家三好十郎との大きな差である。

江戸に戻ってからの甲府攻めでの失敗など、かなり辛辣に新選組の愚かさを表現しているのは、珍しい。

横浜市中央図書館AVコーナー


横浜市職員のOB会に行く

2012年10月23日 | 横浜

横浜市職員の退職者、OBの会である、「港友会」の懇親会に行く。会場は、中区山下町のワークピア横浜。

4年前に私は退職したが、翌日からそのまま再任用職員に採用され、市役所職員の身分だったが、それも3月末に終了した。

5月に用があって関内に行くと、民生局長も務められた君塚道之助さんにたまたまお会いした。

今はなにをされているのか、お聞きすると、

「港友会の事務局にいるから、入ってよ」と言われ、すぐに申込書が送られて来たので、入会した。

 

会場には、約90人くらいで、半分位はどこかで知った顔。

市役所なんて狭いものである。

こういう会合はくだらないという人もいるが、私はそうは思わない。

人間は、猿や犬と同じ、群生の動物で、群れ集うのは本性であり、一人でいるのは寂しいものなので、こういう会合は意味がある。

新会員なので、順に紹介されたので、

「日本でただ一人の大衆文化評論家になったこと、

11月17日に、美空ひばりの講演会を戸塚区上矢部地区センターでやること」をPRした。

これも営業である。

 

近年、退職しても、港友会にも入らない人も多いそうで、また今年は特に懇親会への参加者が少なかったとのこと。

入会が少ないのは、老人クラブなどと同じ時代の趨勢で仕方がないだろう。

だが、今回の懇親会の参加者が少なかったのは、この数年で、岡本坦、馬場貞夫、小林広親、池澤利明氏らの幹部職員が亡くなられたことが大きいのではないかと思った。

彼らは、所謂「親分的な人」たちであり、その下には自然と「子分たち」が集まっていた。

私は、そうしたことに一切関係がないのでよくわからないが、やはり子分にとっては、親分が亡くなられては、懇親会に出る意義もなくなるのだろうと思う。

時の流れを新たに感じた一日だった。

 


『暗号名 黒猫を追え!』

2012年10月23日 | 映画

1987年、スパイ防止法制定を目的に作られた井上梅次監督作品で、某宗教団体の資金で作られたとの噂もある。

メジャーでの公開はできず、地方の公民館や集会で上映されたというが、意外にもきちんと作られていて、当初は大手会社での公開を目指していたことがわかる。

警視庁の公安課の刑事柴俊夫らの、B連邦共和国や北方共和国(あきらかにソ連と北朝鮮)のスパイの黒猫との戦いを描くものだが、井上梅次作品なので、城北大学ラクビー部の柴俊夫、国広富之、榎木孝明、高岡健二らが、敵味方に別れて戦う筋書きになっている。これは、井上梅次の監督作品『暗黒街最後の日』で、大学時代の友人だった鶴田浩二と丹波哲郎が暴力団と刑事に別れて対立するのと同じ構成である。

初めは、B連邦共和国のスパイ活動と警視庁公安課の戦いが描かれるが、最後は北朝鮮のスパイが、日本人になりすまして諜報活動を行っていたことに焦点が移る。これは、当時ソ連の崩壊が近づいており、警視庁公安課の捜査対象は北朝鮮に移っていたからだろうか。

そして、このソ連と北朝鮮の二つの国のスパイだったことを、「二重スパイ」と言っているが、これは違うと私は思う。

普通、二重スパイとは、アメリカのスパイが実は、ソ連のスパイを務めていたという敵対国間のスパイ活動を言うものであり、ソ連と北朝鮮のような「友好国」間のスパイ活動は、二重スパイとは言わないはずである。

だが、すぐれたスパイであればあるほど、実は二重スパイ性を持っているものである。

なぜなら、敵から良い情報を得るためには、味方の重要な情報を与えねばならず、客観的に見れば、スパイというものは、双方の情報を交換する役割を担っているのである。ダブル・スパイの典型が、リヒアルト・ゾルゲで、彼はソ連赤軍のスパイだったが、近衛内閣に深く関係していた尾崎秀樹の情報源で、国際情勢について様々な示唆を与えている、一種の情報顧問的存在でもあったのである。

最後、北朝鮮のスパイで、日本人になりすましていた伊吹剛は、高速船で逃走してしまう。

井上作品の常套手段である、中島ゆたかをめぐって、柴俊夫と森次晃嗣が、共に中島が好きだったという兄弟間の三角関係は何故か発展せずに終わる。中島ゆたかは、大柄で大変な美女だが、どこか月丘夢路に似ているのは、やはり井上梅次好みなのだろうか。

主題歌もきちんとあり、伊藤アイ子が歌っている。

彼女はかなり上手かったがルックスが平凡で売れなかったが、その実力を評価し起用した井上梅次はさすが。

阿佐ヶ谷ラピュタ


Iwase is not what he was.     岩瀬は、昔のイワセならず

2012年10月22日 | 野球

セ・リーグのクライマックス・シリーズ、ファイナル・ステージは、巨人のサヨナラ勝ちで、中日との対戦成績が3-3となり、今夜の最終戦に持ち込まれることになった。

追いついてきた巨人の方に分があるように見えるが、昨夜の試合で一番問題だと思ったのが、9回裏に中日が岩瀬を出したことである。

かつては絶対的なストッパーだった岩瀬は、この数年まったく通用しなくなっている。

私がよく見る阪神戦でも、リリーフに出てきて、大したことのない打者に結構打たれるている。

昔は、ほぼま上からの投げ方だったが、今はスリー・クォーターというよりも横手投げに近いくらいに腕が落ちているのが、その原因だろう。

予想どおりヒット2本を打たれて、山井と交代した。矢野などという二流選手に打たれる程度の投手に岩瀬はなり下がっていたのである。

その後、山井が石井にヒットを打たれたが、最初から山井を出していれば、こうはならなかったと思う。

 

なぜ岩瀬を出したのか、不思議だが、あるいは、今年あたりが岩瀬としても、そろそろ最後になりそうなので、出してやろうという親心だったのだろうか。

こういう試合に、慈悲心は無用であって、そんなことをまさか高木守道監督が思ったわけではあるまいが。


『80日間世界一周』

2012年10月21日 | 映画

1950年代に、テレビの攻勢に対し、アメリカでは大型映画で対抗し、シネマスコープをはじめ、シネラマ、ビスタビジョンなど沢山あったが、その中一つのトッドAOで作られた作品。日本では、帝劇などの上映設備のある一部の劇場でしか公開されなかったようで、見たことがなかった。

原作は、ジューヌベルヌの小説、19世紀の末、イギリスの富豪のデビット・ニーブンが、クラブの仲間との間で「80日間で世界を廻れるか」を賭けて召使一人を連れて世界を回る観光映画であるが、大英帝国植民地めぐりとも言える。

ロンドンからフランス行き、そこで得た気球でスペインに飛び、快速船でスエズに。インドを鉄道で横断してタイから香港、横浜に上陸してサンフランシスコに渡り、アメリカを大陸横断鉄道で東海岸に行き、オンボロ船でイギリスに戻り、日付変更線のマジックで賭けに勝ってめでたしめでたし。

ともかく大富豪なので、交通手段に困ると、すぐにカバンから現金を出してしまうというので、ドラマとしてのひねりがどこにもない。

さらに全体に他愛のない展開だが、インド、タイ、日本のアジア人の描き方になると相当にひどいと感じざるを得ない。

インドの宗教的習慣から死んだ夫と一緒に葬られそうになる若妻を火葬から救い出すなど民族的偏見以外の何者でもない。だが、その若妻は、シャーリー・マクレーンだった。

日本で言えば鎌倉の大仏はまだしも、平安神宮の人垣と屋台の出店の奇妙な食べ物、サーカス小屋での怪しげな大奇術となると、目茶苦茶、出鱈目というしかない。

その意味で、近年の『ラスト・サムライ』の時代考証などは、大したものだと評価できる。

それが、ハリウッドの日本観進歩の50年ということだろうか。

イマジカBS


『阿片戦争』1959

2012年10月20日 | 映画

1959年に中国で作られた、阿片戦争を林則徐を主人公として描く作品。

特に、歴史的経緯については、変わったところはないが、清朝の官僚たちの「官僚主義的振る舞い」が面白い。

英国の横暴は言うまでもなく、このやり方はひどいが、それが19世紀の帝国主義というものであり、それを許されることとして、20世紀に遅れてきた帝国主義国の日本が行ったことは、まことに愚かなことである。

清朝内の派閥抗争で、林則徐は更迭され、中国軍は英国軍に敗退する。

だが、民衆のゲリラ軍が蜂起し、英軍に立ち向かう。

外国の侵略への戦いは続く、ということで終わる。

まだ、日本の侵略を撃退した記憶が残っていたいた時代の映画だろう。

映画館は、新宿の元昭和館の K’Sシネマ