指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

山下と新山下

2023年11月30日 | 横浜

横浜には、山下公園と山下ふ頭、そして新山下に貯木場がある。

こう書くと、山下ふ頭の後に、新山下貯木場ができたのでは、と思われるかもしれない。

だが、実は、新山下の貯木場は戦前に作られていて、山下ふ頭は、戦後の建設なのだ。

それを示す映画がある。

            

1933年の清水宏監督の『港の日本娘』で、主人公の港の不良江川宇礼雄が、山手の丘で女学生の井上雪子と及川道子に会う。

なんと彼は、オートバイで現れるのであり、まるで日活最後の映画『八月の濡れた砂』みたいだなあと思ったものだ。

このとき、丘の下では、埋立工事が行われているのが見えるが、これは貯木場なのだ。

当時、関東大震災による被害で、住宅需要があり、横浜では新山下に貯木場を作ったのだ。

東京の木場も、このときに拡張したはずだと思う。

この貯木場が出てくるのは、篠田昌浩の『涙を獅子のたて髪に』で、主人公の加賀まり子の父親の永田靖が、藤木孝に殺されて水面に浮かんでいるのが、貯木場なのである。

ここは、岡本造船所とレストランもあり、絵になる情景なので、テレビや映画によく出てくるのだ。

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『意志の勝利』

2023年11月30日 | 映画

前に買って、1回見ただけのをきちんと見てみる。

言うまでもなく、1934年6月にドイツのニュールンベルグで行われたナチスの党大会の記録映画とされている。

党大会とは言われているが、むしろナチス祭のような行事で、6日間行われたとのこと。

このビデオは、米国製で、戦後ドイツでは、一般に公開禁止だった理由がよく分かる。

映画として、大変によくできていて、移動撮影や短いカットの積み重ね、そして全編に流れるオーケストラで、まるでミュージカルのように感動的だからだ。

肉体と行進のミュージカルとでも言うべきものだろう。

まず、ニュールンベクの上空を飛んでくる飛行機で始まる。

ユーカンスの単発機が、暗雲の中を飛んできて、飛行場に着陸して、無事ヒットラーが降りたつ。

まずは、町への進行と行進、ヒトラーは、ベンツに立ち、沿道の観衆に手を上げて敬礼してゆく。

野外で盛大なキャンプをしている、ユーゲントの若者の姿、食事、体操、遊びなど、みな上半身は裸である。監督のリーフェンシュタールは、特異なセンスの持ち主で、女性でありながら、男性の美しい肉体を、まるで男性同性愛のように愛でる人間であることが分かる。

彼女は、戦後は、アフリカ、スーダンのヌビア地方の黒人男性の裸体写真集も撮ったほどなのだ。

さらに、労働者らしい手にスコップを持った集団の行進と演技。

ウナギの寝床のような、縦長の党大会場での軽い演説。

そして、10万人という大会場でのナチ党幹部たちの演説が続くが、気がついたのは、ルドルフ・ヘスが、いつも二番目で、彼は総統に次ぐ位置にいたことだ。

町では、昔の民族衣装を着けた男女のパレード。京都の時代祭のようなものだが、ナチスがドイツの伝統を継承していることが表現されている。

             

よく記録フィルムで出てくる、大会場でのシーンになるが、ここでもヒットラーのとなりにいるのが、ヘスである。

遠景にナチの旗が見えていて、そこに動くものがあるので、何かと思うと旗の横で上下するゴンドラで、ここから望遠の俯瞰撮影をしているのだ。

そこでも、ナチスの旗を持った男たちの群衆の行進、また行進。

最後は、党大会場でのヒトラーの大演説。ここは力が入っているが、内容は抽象的で観念的である。

ただ一つ、「国がわれわれになにをしてくれるのではなく、我々が国になにができるかだ!」

あれ、ケネディの有名な演説に似ているが、ここからヒントを得たのだろうか。

全体を見ていて、かなり後から挿入した映像があるなと気づく。

この大群衆は、10年後の1945年には、多くが戦争で死んだのだなと思う。

 

 

 

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「これができるのは、横浜だけだ」

2023年11月30日 | 横浜

ユーチューブの横浜経済新聞の動画で、「クリスマス・ショー」を見るが、こんなことができるのは、横浜港だけだと思う。

                

横浜港では、みなとみらいも、中央地区も新港も、どこも広く緑地を取っているので、多くの人が見に来られるのだ。

山下ふ頭再開発についても、緑地を取ってほしいというもっともなご意見もあった。

ただ、これは現実を知らない意見である。

日本のどの港よりも、緑地が大きく取られているのである。

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「中東の紛争は、宗教問題ではない、水争いである」

2023年11月29日 | 政治

パレスチナのガザ地区で起こっている残虐事件は、ナチがやったホロコーストと同じであり、人間というのは実に愚かなものだと思う。

そして、この事件を主導しているのは、イスラエルの極右、「パレスチナは、神がユダヤ人に与えた土地だ」との信仰がもとだとしている。

本当にそうだろうか、だとすれば19世紀まで、なぜパレスチナにユダヤ人、アラブ人は、共存していたのだろうか。

理由は、簡単である。問題は、宗教ではなく、きわめて世俗的な問題だったからだ。

どうしてかは知らないが、あの地は、アラブ川、ガリラヤ湖、死海など、水に恵まれた地域だった。

          

『聖書』にも、「ランド・オブ・ミルク・アンド・ハニー」とあり、農業、牧畜に適した地域だった。

だからこそ、諸民族が争ってきたのであり、決して宗教問題ではない。

世俗問題なら、いずれ妥協で解決できるはずだと私は思うし、そう願うものだ。

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山下ふ頭の岸壁は全部国の建設だった

2023年11月28日 | 横浜

良く知られているように、山下ふ頭の山下公園側は、国の整備で、その後に横浜市港湾局が埋立して整備したので、中央から新山下側は、横浜市の財産だった。

ただし、そうした横浜市が整備したところでも、岸壁、桟橋部分は、国が建設した。

それは、港湾法によって、外貿ふ頭の外殻施設、つまり防波堤、岸壁、さん橋等は、国が整備すると定められていたからだ。だから、本牧ふ頭のD4 などの公共バースも、国の整備だったはずだ。

だから、山下ふ頭では、もともと全部が国のものだったのである。

 

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「山下ふ頭の岸壁は全部違う」

2023年11月28日 | 横浜

山下ふ頭の岸壁の構造は全部違うと聞いたことがあり、それは本当のようだ。

              

「どうしてそんなことが行われたのですか、一番良いもので全部作ればよかったのに」と聞くと

「国の技術者が、博士論文を書くのに使用されたのだろう」との答えだった。

その性か、1970年代のある日、山下の岸壁が、なにもないのに突然崩壊して大問題になった。

議会で、共産党が追及したが、なんとなくうやむやになった。

奇妙な事件だった。

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山下ふ頭の再整備について

2023年11月28日 | 横浜

話題の横浜港の山下ふ頭再開発について、次のように考えます。

エリア

整 備 の 内 容

整備手法

整備主体

その他

ふ頭基部山下公園側

 ここについては、市内で長く独自の演劇をしてきた横浜ボートシアターを評価し、船を岸壁に付けて、活動をさせる。だが、シアターのみでは採算が取れないので、これを包含する中劇場「横浜ワーフシアター」(600席)を作る。この規模については、宝塚バウホールがあり、中規模の劇場の試みがあるので、これに倣う。

この劇場のホリゾントは開閉式にして、花火大会の際の有料席とするほか、船を小劇場とし、中劇場の公演と映像で繋ぐような実験ができるものとする。

中劇場は、横浜市が整備し、ボートに委託して運営させる。ボートシアターは、船を横浜市に寄付し、運営の委託を受ける。

横浜市役所

船も寄贈を受けた後、市の財産とする。

 

   基部新山下側

 ここは、低層の京都風の「町屋」の町並みとして、そこで多様な文化・芸術活動を行う。今後は、市民文化・芸術活動も、小規模のものになっていくと予測されるので、それに対応したものにし、アーチスト・イン・レジデンスも試みる。ただ、これだけでは寂しいので、中心に野外劇場を作る。横浜スタジアム建設のとき、取り壊された野外音楽堂の代わりとして、横浜市に罪滅ぼしをさせる。

一方、新山下側の海面は、海洋性レジャー活動ができるものとし、岸壁には関連施設を整備する。

民間企業の提案を受けて、整備させ、実際の運営は、市民団体が行う。

開発・民間企業

運営・市民団体

 

ふ頭中央部

 ここについては、すでに移転が決まっている金沢区福浦の横浜市大病院を建設し、関連する特養ホーム、介護施設を整備する。さらに、民間の有料老人ホーム、高度医療病院などを誘致し、高齢者の第二の人生の「日本のフロリダ」としてゆく。

横浜市及び民間事業者

病院・横浜市

民間施設・民間企業及び団体

最優先で整備する。

ふ頭先端部

 ここは、岸壁使用付の「高級賃貸住宅」地区にして、賃貸料と岸壁使用料を取り、この山下ふ頭の運営と横浜市への財政的貢献としていく。

言わば「IR」の代わり。

 また、域内住民用のショッピングセンターやホテルも整備し、外部とは完全に遮蔽する。

民間企業の提案受けて、賃貸住宅を整備させる。

 民間住宅企業

 民間開発企業

 

どうぞ、ご意見、ご批判をよろしくお願いいたします。

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「孫氏の兵法を知らなかった日本、実行した米国」

2023年11月28日 | その他

『ブギウギ』でも、戦時中の時代に、アメリカ文化的な踊りや歌が否定されて、指導されることが出てくる。

              

エンターテイメントの意義を知らない日本のバカ役人だが、逆に米国は、日本研究を始めたので、ドナルド・キーンなどの日本語練習生を養成し始めたのだ。

敵を知らずに戦うというのだから、ひどいと思う。

逆に言えば、昭和初期、少なくとも東京や大阪などの大都市では、欧米の文化が大きく広がっていたことを示すものだろうと思う。

精神主義では、一時的に勝利はしても、長い戦いとなれば、日々のきちんとした戦いこそが重要で、

日本軍は、アメリカを「毎日、定期便のごとき爆撃」とバカにしていたが、それが毎日続くと日本兵は次第に疲労したのだった。

つまり、異常な数日ではなく、毎日同じことを普通に長くやることが重要なのである。

この辺は、物量の差と言えばそれまでだが。

 

 

 

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「井上梅次も、舛田利雄も大映系を問題にしていなかった」

2023年11月27日 | 映画

昨日の『わが映画人生』を見て感じたのは、井上と舛田のお二人は、松竹系の監督、助監督は意識しておられたようだが、大映系の人は、意識されていないらしいことだった。

たしかに、巷間言われているように、日活には、松竹大船の助監督がたくさん来た。

だが、田坂具隆、古川卓巳、牛原陽一らの大映系の人も多かったのだ。

もともと、大映は、旧日活で、それが戦時中の映画法への永田雅一の便乗で大映になったのだから、製作再会した日活に元の、すなわち大映に人が来るのは当然のことだつた。

中には、森永健次郎のように、大映には行かず、戦後も東映にいて、また日活にもどって来た監督もいた。山崎徳次郎なども似た系譜だった。

               

そうした大映系の力の象徴の一つとしては、石原慎太郎の最初の『太陽の季節』の監督が古川卓巳だったことでもわかるだろう。

ただ、大映の人は、まじめでやや硬くて、戦後文学のような軽い、風俗的なものは無理で、『太陽の季節』は、筋違いな出来に終わった。

これに比べると、大船出身の中平康が監督した『狂った果実』の方が、軽薄で原作に合っていて、この方向が日活の主流になるのである。

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創価学会の発祥の地は、大田区

2023年11月27日 | 政治

池田大作氏が亡くなれたが、創価学会が始まったのは、東京の大田区である。

初代会長の牧口常三郎、二代目の戸田城聖も、大田区の教員で、当時の公教育の不備に不満を持っていた人たちだった。

戦前は、尋常小学校までが義務教育、つまり公教育で、それ以後は勝手、要は裕福でないと上には行けない仕組みだった。そのために左からの教育改革運動があり、大田区でも赤化教師事件等があった。

それに対し現実的方法を目指す連中もいて、それが創価教育学会だった。

私の父親は、大田区で戦前から小学校の教師をしていたが、その父によれば、「創価学会は、テスト屋だ」ったそうだ。

彼らは、模擬試験や塾の実施、さらに参考書の販売をやって大いに儲けていた。

また、戸田は事業家でもあり、宗教以外に金融業から建設などいろいろと事業もやっていた。

だが、そうした副業は、敗戦と戦後のインフレですべてダメになる。

そこに入会してきたのが、戸田の下にいた池田大作で、彼は副業をすべて辞め、宗教活動と新聞の発行のみにして会を成長させた。

同時に、若者への浸透にも努力したが、それは政治と文化運動だった。

一般に、新興宗教は、二世、三世へと継承されることが非常に困難だとされている。

そのとき、池田は、政治活動と文化運動に、会員とその子供たちを参加させることで、信仰の継承を行ってきた。

             

私は、パシフィコ横浜にいるとき、「青年文化祭」に遭遇したが、まことにすごいもので、全部自分たちでやってしまうのだ。

音楽等の出演者が全国から来た信者であるのは当然だが、舞台装置も、各地から若い大工が来て作ってしまう。彼らは、毎日泊まり込みで、夜は客席に寝て仕事をしていく。

こんなことは、他の党派には無理だが、こうした活動は、実は二世対策なのである。

池田大作氏の死後は、どのなるのだろうかと思う。

 

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篠ひろ子とは、生年月日が同じ

2023年11月27日 | その他

伊集院修が亡くなったそうだ。

            

彼の妻だった女優の篠ひろ子とは、私は生年月日が同じで、1948年3月8日なのだ。

横浜市役所には、もう一人新井貴君がいたが、あまり愉快ではないので、書かない。

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『わが映画監督人生・井上梅次』

2023年11月27日 | 映画

「月丘夢路・井上梅次100年祭」の最後、新東宝、日活時代の助監督だった舛田利雄によるインタビュー。

1999年で、大監督の舛田が、井上の前では小さくなっているのが不思議。

戦後、学徒動員から大学に戻った井上は、高校の同級生内川清一郎からの話で、新東宝発足時の石田民三監督の『縁は異なもの』の助監督についたことから、新東宝の助監督になり、その働きぶりが大きく評価され、4年後に監督昇進を言われる。

だが、阿部豊、渡辺邦男、斎藤寅治郎の三大監督からクレームがつき、昇進が見送られる。

もちろん、監督が言ったのではなく、その助監督連中が反対したのだ。戦中も、黒澤明以外昇進した者はいなかったので、当然だが、仕方なく、宝塚映画で監督になり、その後新東宝で音楽映画等を撮った後、製作再開をした日活に移籍する。

舛田利雄の方が先に日活にいて、ある宴会で、舛田は、松竹出身の助監督連中から、

「井上って、どんな奴だ」と聞かれたそうだ。

日活では、浅丘ルリ子の『緑はるかに』をはじめ、石原裕次郎の『鷲と鷹』、『勝利者』、『嵐を呼ぶ男』などの大ヒットを飛ばす。

だが、1958年日活を離れる。その理由を舛田が聞くと井上は、はっきり答えた。

「完全に引き抜きです」

大映の川口松太郎、松竹の大谷、東映の坪井と言ったプロデューサーから話があったとのことで、あっさり日活を辞めて、各社で仕事をするが、ここでも最初が宝塚映画だったというのが面白い。

当時は、5社協定があったので、5社間で移籍することは難しかったのだ。

さらに、日活が次第に無国籍映画になり、銃で撃ち合う映画になったことも不満で、「私は1本もやっていない」とのこと。

娯楽性と芸術性が一緒になっていなくてはならないそうだ。

自慢話だが、そう不愉快ではなのは、人間性だろうか。

それにしても、最初の監督が、石田民三だったというのは、興味深い。

            

この人は、今は忘れられた監督だが、東宝京都にいて、森本薫脚本の、全員女優の『花ちりぬ』などの秀作を作っている。市川崑も、石田についていた人である。

国立映画アーカイブ

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持ち帰り票

2023年11月26日 | 政治

日本の選挙ですごいのは、投票の数がきちんと合うことだろう。

               

投票所は、交換券を出していて、二重にチェックしているので、投票所で数が合わないことはまずない。

だが、開票所は、多くの人が来て一斉に作業をするので、数が合わないこともあり、昔は、職員が「白票を持っていて、分からないように混ぜた」という話もある。

「今は、持ち帰り票で調整できるので楽だ」と彼は言っていた。

だが、私は、本当に「持ち帰りと思われる票」に遭遇したことがある。

それは、ある区の区役所で期日前投票をやっているときだった。

統一地方選で、県知事、県議会議員、市会議員の選挙。

投票所を閉めて、投票数を数えたが、県議会議員だけ、入場者数に対して1票少ない。

いろいろと考えてみて、すぐに分かった。

それは、公明党で、市会には候補がいて、県知事も推薦候補がいたが、県議会は、公明党の候補はいなかったのだ。

そこで、県議会選挙については、投票用紙は貰ったが、投票せずに帰ってしまったのだ。

その方の予測がだいたいできたので、その投票所では、その人と思われる人が来たら、投票権を渡さないように指示して終わったときは、夜中をすぎていた。

もちろん、その方と思われる人は来なくて、無事終わったのである。

 

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公営掲示板

2023年11月25日 | 政治

私が、日本の選挙で一番おかしいと思っているのが、公営掲示板である。

           

これは、昔からあると誤解している人も多いと思うが、こんなものができたのは、つい最近の1980年代のことだ。

それまでは、選挙のポスターは、もちろん自分で作るが、それを支持者の家や店舗、事務所、工場に貼ってもらうものだった。

ところが、1960年代以後、公明党が道路等に大量にポスターを掲示し、また自民党の企業候補も、事務所や工場の壁等に大量に貼って大問題になった。

そこで、これを規制する方法として、わざわざ行政の予算を使って公営掲示板にポスターを貼るようになったのだ。

これで喜んだのは、町の看板屋、仕事師の連中だけだろうと私は思い、こんな無意味な制度は辞めるべきだと思っている。

この公営掲示板は、法に決まっているのではなく、選挙の前に議会で議決するものなのだ。

だが、既成勢力にとっては、新人が出にくい公営掲示板の方が、自分たちに有利なので、公営掲示板を必ず議決するのである。

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公明党の選挙手法

2023年11月25日 | 政治

まだ、介護保険ができていない頃、横浜市の区役所には、大体2名くらいの公的ヘルパーがいた。

市職員としてのホームへルパーで、おおむね困難世帯に当っていた。

私がいた、ある区に、高齢の女性で一人暮らしの方がいて、若いころの病気で肺が片方なく、酸素ボンベを背負って生きていた。

ところが、喫煙者だつたので、酸素ボンベをしながらタバコを吸い、酸素が爆発してロケットのように階段を小柄な彼女が飛んだほどだった。

そうした彼女が、ある日入院していたK病院を退院してきた。

そこで、私が担当のケースワーカーに「こんな人を退院させて平気なのか」と聞いた。

するとケースワーカーは言った。
                

「課長、平気ですよ、選挙ですから。この選挙運動期間中、学会員が、毎日アパートに来て、炊事、洗濯、掃除など全部やってくれるのですから。そして、投票当日は、一緒に投票時に行くのです」

「なら、一年中、選挙があれば、公的福祉はいらなくなるね・・・」

「でも、本人もよく分かっていて、選挙が終われば、放り出されるのですから・・・」と言っています。

 

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