夜、確定申告を終える。
去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。
今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。
さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。
人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。
だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。
人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。
実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。
もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。
そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。
その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。
唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。
昨日、今日と恵方巻を食べる。
「恵方巻なんて、コンビニの宣伝だ」との声もあり、たしかに関東に、昔は恵方巻はなかったと思う。
ただ、江戸時代から、「恵方」という考え方はあり、むしろ初詣などは、明治以後に生まれた鉄道会社の宣伝によるものなのだ。
鉄道など交通機関が発達していなかった明治中期まで、庶民は、遠くの神社等に詣でることは不可能だった。
だから、普通の庶民は、正月は、その年の恵方に行く、「恵方参り」をしていたのだ。
そして、節分に食べるのは、だいたいは散らし寿司だったと記憶している。
まあ、恵方巻は、結構おいしいので、それでよいと思って食べている。
大河ドラマの『光る君へ』では、まひろの式部が、散楽に興味を持ち、普通の人々の中に入ってく様が描かれている。
普段の自分の公家の生活の他に、人々の生活にも通暁していたとは初めて知った。
さて、紫式部とならび、近代の最高の女流作家と言えば、言うまでもなく樋口一葉だと思う。
彼女も、若い時は中島歌子の歌塾に通い、公家らの生活にも通じていた。
だが、自分で家を持つようになると、生活のために吉原に近い浅草の店で、下層の人々に接したのだ。
これが、彼女の作品で、当時の日本のすべてを網羅した素晴らしい作品を生み出した理由だったと私は思う。
やはり、社会のすべてを見ることが、作品の価値になるのだと思うのだ。
世界の石油王に、アルメニア人のガルベンキアンがいた。彼「ミスター5%」と言われ、世界中の原油の利権に関わり、5%づつの利権を確保した。
そして、ポルトガルのリスボンにガルベンキアン美術館を作った。
1990年に、パシフィコ横浜で行われる国連ピースメッセンジャー都市会議への誘致のためにリスボンに行ったとき、そこを見に行った。
世界中の美術品が展示されていて、日本の物もあったが、くだらない物もあり、玉石混交そのものだった。
骨董品などは、そうしたものだ。
だが、すごいと思ったのは、この美術館に付属のオーケストラがあることだった。
当時は、世界でここだけだったと思う、今はどうか知らないが。
朝ドラでやっている『ブギウギ』で、笠置シズ子の夫となる吉本興業の御曹司は、結核で死ぬとは初めて知ったが、結核菌は、人間の若い細胞が好きなのだ。
古代から結核はあったが、近代になり、都市に人間が集中するようになると大流行する。
それは、世界の大都市に労働人口として若者が出てくるようになり、過剰な労働で過労になると結核菌に感染し、病気になるのだ。
明治期の日本でも、石川啄木、二葉亭四迷、樋口一葉、正岡子規などみな結核で死んでいる。
それは、結核菌が、若者の細胞が好きだからなのだ。
私が、1970年代に横浜市役所に入ったとき、「20代で、結核で倒れて療養したことがある」という方が沢山いた。その方は、その療養所の看護婦さんと結婚したのだった。
まるで小説みたいだが。
年賀状は、月、火、水で終わり、昨日はのんびりしたので、昨日は関内に手帳を買いに行った。
今日の午前中は、ネットは全部松本人志のことで、ずいぶんとユーチューブは、どこも回数が上がったと思うが、見た。
もともと、松本は嫌いで、愛嬌がないのに偉そうなのが嫌いだった。
昔、高岡市に行ったら、松本の兄のトークーライブの広告があり、1万円くらいだったので、びっくりしたことがあった。「有名だなあと思ったが、本人はともかく兄で1万円とは・・・」
昼は、『孤独のグルメ』を少し見た後、大晦日なので、歌舞伎の『直侍』を見る。
金玉火鉢の直侍だが、尾上菊五郎は太りすぎだと思う。
その後は、『シベリア超特急・5』を見るが、義経の財宝はいくら何でも無理だが、なによりも誰も真剣に演じていないので、どうにもならない。
水野晴夫も可哀そうだなあと思った。
要は、落語の『寝床』なのだ。
音楽評論家中村とうようさんが言った言葉で、「ポピュラー音楽の寿命は30年だ」という説がある。
その通りで、世界のポピュラー音楽、文化は、大体30年くらいの間隔で、生まれ、頂点に達し、そして衰えていく。
それは、世界の大都市では、20世紀になるといろいろな人が集まりってきて、民族、文化、階層等の異なる者のよって新たな大衆文化が形成される。
ジャズ、タンゴ、シャンソン、ハワイアン、日本の1960年代の演歌もそうだった。
そして、それが流行し頂点に行き、最後は、階層、世代が変わって衰弱してゆく。
大衆文化である以上、時代、社会の変化で、それは変化しゆくものだと思うのだ。
私の母親は、英語教育を受けたことがないので、ケネディと発音できず、ケネデエ大統領と言っていた。
もう一人、菅義偉前首相も、ケネデエ大使と『スイート・キャロライン』のキャロラインさんとよんでいた。
秋田県の英語教育はレベルが低かったのだろうか。
もう一人、DVDを、デイ・ブイ・デイという人がいることに気づいた。
「夢俱楽部」の石田社長である。
東北の出身なのだろうか。
岩手県の蘇民祭の裸祭部分が来年で中止されるそうだ。
昔、前田憲二監督は、記録映画『土俗の乱声』で、中部地方の裸祭について、「この裸の男が玉を奪い合うのは、1個の卵子に向かって無数の精子が戦い、卵を射ることの象徴のようだ」と言っていた。
たしかに、あの乱闘は、精子の運動のようにも見える。
昔の人が、精子と卵子のことを知っていたとは思えないが、なんらかの象徴性を込めたようにも思える。
『土俗の乱声』は、キネカ大森で見たと思うが、なかなか面白い作品だった。
『ブギウギ』でも、戦時中の時代に、アメリカ文化的な踊りや歌が否定されて、指導されることが出てくる。
エンターテイメントの意義を知らない日本のバカ役人だが、逆に米国は、日本研究を始めたので、ドナルド・キーンなどの日本語練習生を養成し始めたのだ。
敵を知らずに戦うというのだから、ひどいと思う。
逆に言えば、昭和初期、少なくとも東京や大阪などの大都市では、欧米の文化が大きく広がっていたことを示すものだろうと思う。
精神主義では、一時的に勝利はしても、長い戦いとなれば、日々のきちんとした戦いこそが重要で、
日本軍は、アメリカを「毎日、定期便のごとき爆撃」とバカにしていたが、それが毎日続くと日本兵は次第に疲労したのだった。
つまり、異常な数日ではなく、毎日同じことを普通に長くやることが重要なのである。
この辺は、物量の差と言えばそれまでだが。
伊集院修が亡くなったそうだ。
彼の妻だった女優の篠ひろ子とは、私は生年月日が同じで、1948年3月8日なのだ。
横浜市役所には、もう一人新井貴君がいたが、あまり愉快ではないので、書かない。
池田大作氏が亡くなられたそうだ、95歳。
その家業を大森の「海苔屋」と書いてあった。
間違いではなく、海苔を売っていたかもしれないが、その本業は、海苔ひびの貸付だった。
海苔ひびとは、竹などで作るもので、それを海に刺して、海苔を養殖するもので、今では合成の網になったいるようだ。
そのひびを貸すのが本業で、言わば網元のような存在である。
金貸しと書いてあるのも見たが、それに近い存在でもある。
東京の城南地区の中小企業の生まれだったということは、創価学会、公明党の性格をよく象徴していると思う。
昨日から急に寒くなり、ようやく秋から冬になったが、昔からみれば1カ月くらいずれて来ていると思う。
私は、大田区池上の生まれ、育ちで、ここは日蓮上人の寂滅の地で、その日10月2日は、お会式が行われる日だった。
そして、記憶では、この日ごろには、大体セーターを着ていたものだった。
今日は11月13日なので、約1か月くらい遅れていることになる。
ドナルド・トランプがいくら否定しても、地球温暖化は、間違いなく進んでいると思うのだ。