指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

甲子園常連校では

2014年10月31日 | 野球


日本シリーズは、阪神が4連敗して、ソフトバンクの勝ちで決まってしまった。
いつもどちらが勝っても、4勝3敗にして欲しいと願っている私は残念な結果だった。
そして、やはりキーマンは松田と西岡だった。
広岡達朗は、西岡について「要はお調子者ですよ」と言っており、松田もかなり調子に乗りやすいタイプの選手のようだ。
だが、こういう大試合では、こうした選手の方が力を発揮することが多いのは、自分を過信しているからだと思う。
そのくらいでないと日頃の実力は出せないのである。

さて、最後の西岡の守備妨害でのアウトだが、あれは確信犯的行為だったと思う。
私は大学時代にテレビ東京運動部でアルバイトしたことがあった。
そこに東洋大にいて、高校は高校野球の名門校福井の若狭高校の出で、自身も甲子園に出場したというひじょうにおじさん臭い男がいた。
彼曰く、その大会の前、甲子園出場が決まると、
「地元では町を上げての応援で、提灯行列まであり、実家には高張提灯が出た」そうである。
そうなると絶対に1回戦で負けるわけには行かず、生憎その試合は、後半までリードされていたので、皆がユニフォームをダブダブに着て、デットボールを何個か取ってなんとか勝ったというのだ。

西岡の走塁の際の守備妨害も、甲子園常連校では、古きよき伝統として継承されてきたのではないかと思う。
こうした行為は、野村克也捕手の囁き戦術と同じで、きわめてせこいやり方で、本来良くないことである。
せこいやり方で勝てるのは、まだレベルが低いからだからだと私は思う。
とりあえず、ソフトバンクの日本シリーズ優勝をお祝いしたい。

ミステリアンの出入り口を見た

2014年10月31日 | その他
先日、いつものバスツアーで、富士五合目と青木ケ原樹海に行った。




大変な好天気で、五合目からは、富士の頂上と共に、北アルプスの山々も見えた。
小御嶽神社で、英語のおみくじを買うと大吉で、英文では「Exellent」となっていた。
下って青木ケ原樹海の氷穴に行くが、途中でストップ。
前方で交通事故があり、救急車、消防車が行く。
これはすぐには治らないとのことで、順序を変更して先に河口湖の大石公園に行く。

おおいし公園であり、たいせきではない。
ここも、外国人、中国人が多いのはいつものことだが、インド人も多く見える。
これは世界遺産効果なのだろうか。基本的に良いことだが。

終わって青木ケ原に向かうが、まだ通行止めとのことで、青木ケ原の氷穴ではなく、その手前にあるという風欠に行くことになる。
その違いは、穴の温度の差らしいが、どちらも溶岩流が固まってできた大地らしい。
少し中まで歩くと、穴がある。


ここから地球への侵略者のミステリアンが作った秘密基地があったわけだと思う。
1958年の傑作映画『地球防衛軍』である。
やはり、気分転換にはツアーが最適であることを再確認した一日だった。

ハーブ酔いの若者たち

2014年10月30日 | 東京
先日、渋谷のシネマヴェーラに『人生劇場・第2部』を見るために、駅から109前を急いでいた。
すると、センター街から、足取りがフラフラしている若者3人が現れた。
酔っているのかとも思ったが、まだ朝の10時すぎで、顔色も普通なので、酒酔いではないようだ。
「ああ、これがハーブで酔っている連中なのか」と思った。
何とかして、追い抜いてシネマヴェーラに急いだ。
酒で酔えばいいのにと思ったが、酒で酔うのはカッコ悪いのだろうか。

傑作と凡作 『船方さんよ』と『お富さん』

2014年10月28日 | 映画
久しぶりに行った神保町シアターで、2本見る。
勝新主演の『お富さん』は、歌舞伎の「源氏店 げんやだな」をほとんど無視した愚作だったが、三波春夫の『船方さんよ』は、脚本が柳沢類寿、監督小杉勇、勿論音楽は小杉太一郎で、非常によくできた傑作だった。
これだから映画は、見てみないと本当にわからない。

話は、小名浜港に1年間外港に出ていた漁船の船員待田京介が戻ってきて、漁協で働く稲垣美穂子に求婚するが、彼女は、待田が養育された網元の家小杉勇の長男宍戸錠と婚約したところだった。待田は、孤児だったのを網元の小杉が子供同然にして育ててくれたのである。
この夜は、祭りの日で、稲垣の兄で船大工の三波春夫は祭りの踊りで歌うが、この踊り手が1,000人以上いるすごいロケ。
この夜に、待田の実の母で、子と夫を捨てた女の山岡久乃が小名浜に来ているのだが、待田と会っていないのが、次の伏線になる。
後に蔵原惟繕作品で素晴らしい映像を作り出す、間宮義雄の画面が非常に良い。

傷心の待田は、東京に出て、銀座周辺のチンピラになっている。
待田のチンピラ・グループの柳瀬志郎や青木富男らは、銀座のパチンコ屋で暴れ、待田はケガをして、あるバーに運び込まれる。
ここのパチンコ店の台は、四角く囲んだ台の中に人がいて玉を出す珍しい構造、杉山一夫さんに見せたくなった。
そこには、マダムの山岡久乃と待田を追って東京に来た稲垣美穂子がいるのだが、待田と山岡は小名浜で会っていないので、スレ違いになる。
この辺のすれ違いの上手さは、まさに松竹大船の柳澤である。

1年後、ある漁船が小名浜に戻ってくるが、それには真面目に更生した待田が乗っていて、東京で知り合った堀恭子との間には、1歳の子供が出来ていた。
それを、宍戸錠、稲垣美穂子、山岡久乃、待田京介、堀恭子、そして三波春夫の全員が祝福して終わり。
小杉勇は、言うまでもなく大名優だが、監督としても大したものだったことが、よくわかった。
神保町シアター

『ピンク映画史』 二階堂卓也 彩流社

2014年10月28日 | 映画
今年は、1964年の東京オリンピックから50年だったが、このオリンピックを国民こぞってテレビで見ている中、大ヒットしていたのは、吉永小百合と浜田光夫の『愛と死を見つめて』だった。
さらに、勝新太郎の『座頭市』、そしてピンク映画も町の片隅でヒットしていたのである。
今や、「絶滅危惧種」と言われるピンク映画だが、私は昨年『黒澤明の十字架』を各過程で、さらにその後、若い人と映画について話していて、ピンク映画と日活ロマンポルノを混同していることがよくあり、驚いたことがあった。
どう違うのか、いちいち説明せねばならず、困惑したものである。

ピンク映画の起源をどこに求めるかも諸説あるが、一応1962年の小林悟監督、大蔵映画の『肉体の市場』になるが、1963年の映画『情欲の谷間』を「内外タイムス」の記者だった村井実氏が「おピンク映画」と呼んだことからピンク映画の名称が流布するようになった。
それ以前にも、ストリップなどを撮影したショー映画があり、独立映画館の3本立て等で上映されていた。
テレビの普及による新東宝の1962年の倒産に象徴される一般映画の後退、ニュース映画、文化映画会社の衰退によって、日本映画5社の周辺にいた起業家によってピンク映画が多数製作されるようになる。
それは、メジャー各社が映画興業の不振から、製作本数を劇的に減らしたことが大きな理由だった。
当時、封切映画館は、2週間かわりの2本立てだったので、製作会社が本数を減らせば、上映作品が不足するからで、中には特別週間等の名称を付して旧作を上映する館も多かった。
そのおかげで、私などは、日活の石原裕次郎や小林旭、あるいは今村昌平の旧作を見ることができたのだが。
ピンク映画は、当時300万円映画と言われたが、ヒット作となると、数千万円の売上になったと言われ、多くの者が参入し、若松孝二のような若手も出てくる。
だが、1971年の日活のロマンポルノ、さらに東映のニューポルノの製作によって次第に後退し、1980年代以降のビデオの普及で、日活はもとより、製作各社が新作の製作を中止するようになる。
この本の意義は、有名な大蔵映画や国映はすでにいくつかの本で紹介されてるが、松竹系のピンク映画として一時期多数の作品を作っていた東活などの製作会社の実態を明らかにしたことである。
東活作品は、日ノ出町駅に毎週ポスターが貼ってあり、「いったいこの会社はなんだ」と思ったものだ。
要は、松竹の名を出すわけにいかない上映館用として、小林悟監督作品を上映していたのである。
その実態については、ぜひ本書をお読みいただいたい。
また、ピンク映画の上映館名が出ているのが非常に嬉しく、こうしたデーターはきわめて少ないからである。

『東京暮色』の踏切

2014年10月27日 | 映画
非常に気になる小津安二郎の映画に『東京暮色』がある。高橋治の『絢爛たる影絵』でも酷評された作品だが、そうひどいとは思えない。
ただ、当たらなかったのは事実のようだ。
この映画で気になるのは、最後有馬稲子の秋子が、事故死のような自殺のような死をとげてしまう踏切のことである。
映画の最初の方で、田浦正巳らが住むアパートの相生荘を舐めて見える高架の駅は、東急池上線の石川台駅である。小津の遺作『秋刀魚の味』では、佐田啓二・岡田茉莉子夫妻が住んでいる団地の駅で、岩下志麻と吉田輝雄がここで電車に乗る。

だが、藤原釜足がやっている中華料理屋・珍々軒が、端に見える踏切は、土手のような高架が見え、どうやら人間はその下の踏切を通り、さらに高架の下のトンネルをくぐって行くように見える。
これは明らかに、池上線にはない場所だと思う。
旗の台駅には、トンネル式で高架の下をくぐる構造のところがあったが、そこの地面に線路はない。
非常に不思議な構造の場所である。

しかも、珍々軒の店内になると、遠くで沖縄の「アサドヤユンタ」が聞こえてきて、この店の周辺に沖縄の人がいることを示唆している。
東京の周辺で昔から沖縄の人がいるとなると、横浜市鶴見の海岸エリアである。
ここは、鶴見の旭硝子工場に来たのが始まりで、多くの沖縄の人が戦前から来た。
また、有馬稲子が死ぬ病院のシーンでは、遠く貨物の操車場らしき音が聞こえる。
貨物の操車場があったのは、鶴見の矢向である。
そうなると、あの踏切は、矢向か尻手あたりの貨物線の分岐線の踏切のような気がするのだが、いったいどこで撮影したのだろうか。

『人生劇場・第1・2部』

2014年10月26日 | 映画
今回の佐分利信特集で見たかった作品。戦後1952年、東映の発足後すぐに作られたもので、脚本は八木保太郎、監督佐分利信、音楽は早坂文雄、美術が松山崇という一流のスタッフの大作。
主人公の青成瓢吉は、船橋元で、彼は東映のニューフェイスから新東宝に行き、『戦艦大和』などで主演スターで活躍した。新東宝の倒産後はテレビに出ていたが、ピンク映画も作っていたらしいが、比較的早く亡くなった。
演技は上手くないが、ここでは全体のMCのような役なので問題はなく、むしろ主役は、吉良常の月形龍之介で、青成の父は佐分利、母は北林谷栄。
岡崎から早稲田に進学し、仲間には内田良平、加東大介などが出てくる1部はややドラマに欠けるが、配役が実に豪華。
飛車角は片岡千恵蔵で、おとよが高杉早苗、三角関係になる宮川は第2部で出てくるが、細川俊夫、瓢吉の幼馴染で美人芸者になるのが高峰三枝子と松竹の役者が多い。皆、佐分利信の監督を助けてやろうという心意気だと思う。
中で一番の傑作が、岡崎中学の元先生で、家族を捨てて上京し浅草のボヘミアンになっている黒馬先生が笠智衆、小津映画とはまったく違う喜劇的役柄を好演していて面白い。
新劇からは、北林の他、千田是也も出ている。
その他、東宝系からは、向島の芸者お袖に島崎雪子、瓢吉と同棲する女流作家照代に轟夕起子、国税の官吏に伊豆肇など。
ともかく古い役者が好きな私には、彼らを見ているだけで楽しい。
筋としては、瓢吉の女性遍歴の他、飛車角、宮川、おとよの三角関係で、昭和初期を背景とした「トレンディー・ドラマ」とも言える。
満州事変から日中戦争と次第に時代が進行して行き、最後吉良常が死ぬ。
遺骨を岡崎に持って瓢吉がいく列車には、兵隊の他、満州に行く慰安婦のお袖とおとよも乗っている。
その女衒が山田巳之助なのが嬉しい。この絵に書いたような因業親父が私は大好きなのだ。
そのタイトルには、軍属の男とあったが、やはり従軍慰安婦は、何らかの形で軍隊の下にあったのだ。
少なくとも、その記憶は、この時期まで日本人に共有されていたことがよくわかる。
シネマヴェーラ渋谷

『離婚』

2014年10月26日 | 映画
マキノ雅弘にこんな作品があるなんて知らなかった。
1952年、新東宝と東京プロの共同製作作品で佐分利信と木暮三千代の主演。
東京プロというのは俳優ブローカーと言われた星野和平が作ったもので、新東宝作品の他、日活の製作再開にも関係していた当時の有名人。
話は、雪山での事件と木暮の嫁ぎ先の女子高校とのことだが、この名が貞淑女学院だから笑える。

山スキーに出た木暮実千代と田崎潤は、吹雪で山小屋に篭ることになるが、二人は又従兄弟で、幼い頃から兄妹同然に育ってきたとのこと。
麓では、遭難を心配しているが、山小屋に不明の男佐分利信が入ってきて、遭難時の対応を教える。
いくつかあるが、最後は冷えた身体を温めるために、互いに肌と肌を合わせれるのが最上の方法と教え、最後に二人は行い、無事助かるが、佐分利はいなくなってしまう。
麓で真相を話すと、田崎の恋人が学院の幹部に、木暮と田崎の行為を誇張して伝えてしまう。
学院の長が女性で、英百合子で、威厳のある姿が美しい。息子で木暮の夫は田中春男で、優柔不断で母親に頭の上がらない男。
木暮の兄が医者の江川宇礼雄で、実は佐分利の同級生だが、木暮とはすれ違いになり、なかなか結ばれない。
ともかく、この時代の日本の男の常として、男からは求婚しないので、話は進まず非常にじれったいが、それがマキノ流の作劇術。
田崎が住んでいるのが、斎藤達夫と飯田蝶子のやっている高級下宿屋で、ここには成人の男女が住んでいるが、今で言えばシェアハウスになるのだろうか。
英の家を追い出された木暮実千代が、ここに田崎と来て、夕食に「おめでとう」と言われるところは、まさにマキノ節で、平民主義である。
マキノのイデオロギーによれば、必ず平民は正しく、金持ちは貪欲で不正で、その意味では城戸四郎の松竹とも同じである。
もちろん、最後は木暮実千代と佐分利信が雪山で結ばれて終わる。
マキノ雅弘の本を読んでも少しも書いていないので、これはマキノ映画というよりも、小国英雄映画というべきかも知れない。
音楽は鈴木静一で、いつもの抒情的なメロディーが良い。
シネマヴェーラ渋谷

『燃える秋』

2014年10月25日 | 映画
私は正直に言えば、小林正樹という監督がそれほど良いとは思っていないのだが、これなど身過ぎ世過ぎの金儲け映画だとしても、本当にひどいし、品性が下劣なように思える。
日活ロマンポルノならともかく、東宝公開で、金持ち老人に性的に養育された若い女性が、その性的誘惑と若い男の直線的な愛の間で揺れ動くなど、バカらしいにも程がある。
真面目だけが取り柄の松竹出身の監督には到底に無理な題材で、舛田利雄や井上梅次あたりが撮れば良かったと思う。
以前から、私はこの主役の真野響子という女優が嫌いだったが、この映画を見て、心底馬鹿で、ひどいと思った。
親ほどに年の違う画廊主の佐分利信に誘惑されて愛人になっていた真野は、佐分利の手から逃れて行った祇園祭の京都で、商社マンの北大路欣也に会い、互いに恋に落ちる。
北大路欣也は、ペルシャ絨毯に魅せられていて、商売もしているが、彼の影響で、真野もイランに行き、そこまで追いかけて来た北大路と一度は婚約する。
だが、彼がイランで撮影した絨毯の写真を基にして日本で安価な絨毯を大量生産しようと聞き、彼と別れてイランに残る。
なんて馬鹿で嫌味な女なのだろう。
しかも唯一の見所の真野響子のヌードは吹き替えというのだから、いったいどこに感動できるのだろうか。
岡崎宏三のカメラ、武満徹の音楽と真野の親友小川真由美の喜劇的演技のみが面白い。
企画が岡田茂で、東映の元社長ではなく、三越の社長だったが、「なぜだ?」の名言で社長を解任され、この夏に亡くなられた岡田茂である。
チケット買取映画の嚆矢だが、1979年なので、もう35年以上前の作品なのだ。
シネマヴェーラ渋谷

若松映画2本

2014年10月25日 | 映画
もう早いもので、若松孝二が死んで3年になり、東中野ポレポレで特集が行われた。
ビデオ化されていない初期の2本を見る。
『続日本暴行暗黒史・暴虐魔』と『日本暴行暗黒史・復讐鬼』
どちらも、大ヒットした傑作『日本暴行暗黒史・異常者の血』の続きとして作られたもので、ヒット作だと、「あああれのような映画か」と客が想像しやすかったのだろうと思う。
『日本暴行暗黒史・異常者の血』は、私は1967年の夏に川崎スカラ座で、大島渚の『無理心中・日本の夏』との2本立てで見ている。
これは、明治100年にわたる異常者の血を描くというもので、当時の官製イベントの明治100年に対抗するものだった。

『復讐鬼』は、11人の女性を暴行して殺して死体を海岸の洞窟に閉じ込めていた異常者を描くもので、戦後すぐに起きた小平義平事件をヒントにしている。演じるのは、タコ坊主のような特異な風貌の山下治で、彼は後にピンク映画の監督もしたそうだが、亡くなられたようだ。
女性の裸が並べられるシーンになると、カラーになり、ピンク映画で有名だったパートカラー作品である。

『暴虐魔』は、戦前のこととらしく、村八分にされ、妹を村の青年に陵辱された兄の吉沢健が、次々と村人に復讐するもの。
吉沢の服装が次第に剥がれて、フンドシひとつになってゆく。
若松孝二の権力者への反抗、残虐趣味がよく出ている作品である。
吉沢は、横浜の伊勢佐木町の入口にあった中華料理店の「博雅亭」の息子で、磯子区洋光台に生まれ、市立金沢高校から明治大学を出て、先輩の唐十郎の状況劇場に入ってスターとして大活躍した。
その後、ピンク映画に出るようになり、劇団を辞めた。
1980年代は、全国の古民家を洗う仕事をしていたとのことだが、近年何をしているかは不明だが、ご健在のようだ。
若松映画は、当時のピンク映画では上々の部類だったが、今見ると相当に粗が見える、というものだろう。
ともかくパワーは凄かったと言えるだろう。

『なぜ時代劇は滅びるのか』 春日太一 新潮新書

2014年10月24日 | 映画
2011年7月、『水戸黄門』の終了が発表され、テレビの時代劇番組がなくなった。
2003年に『時代劇は死なず』を出し、時代劇の面白さ、製作するスタッフの素晴らしさを書いた著者による、時代劇死滅への「介錯」本である。
常日頃、自分勝手な批評をしている私にとって、この程度の批評は特に驚くものではないが、実際の映画界と無縁な私と異なり、多くの知人、友人を持つ著者には大変なことだと思う。
もともと、時代劇というのは、古いものではない。
監督伊藤大輔が、1920年代に自作を、それまでのチャンバラ映画の「旧劇」と区別して「時代劇」と呼んだのが最初である。
彼の『忠治旅日記』に代表される昭和初期のサイレントの時代劇は、下層の侍が様々な不幸、不正に遭遇し、怒りの果てに武闘を展開し、悪の親玉を殺戮するが自らも滅ぶというものだった。
容易に想像できるようん、これは江戸時代のことではなく、当時の日本の社会の矛盾、状況等に対する左翼運動の代弁をしたものである。
つまり、天皇制国家の言論弾圧の下で、現代劇では表現できない事柄を、江戸時代のこととして描いていたものである。
第一に、テレビ時代劇によく出てくるように、江戸時代に役人と悪徳商人が結託し、抜荷ばかりをやっていたら、徳川幕府が300年以上も続いたはずがない。
徳川幕府は、非常に柔軟な政権であり、時代に合わせて施策を変化させている。また、地方のことは多くは各藩に任せていて、その自主性を尊重しており、その意味でも「地方自治」も成立していたのであった。

ともかく、戦後のGHQの時代劇禁止令をも乗り越えて、1950年代は映画界も時代劇は全盛で、その象徴は、大映京都だった。
全国の映画館ではお札が多すぎて、金庫に足で踏みつけて押し込んだとか、時代劇撮影所の大映京都には、東京本社から「もっと金を使ってくれ」との電報が来たとの話もある。
だが、1960年代に入り、テレビの普及と生活の近代化の進展の中で、映画界から時代劇は後退し時代劇撮影所の合理化が進んで、テレビ時代劇になっていく。
そして、1970年代はTBSの『水戸黄門』を象徴に、お茶の間で家族全員が見られる劇として時代劇は全盛を迎える。
だが、1996年に視聴率の調査法が、家族から個人になったことで、「時代劇は高齢者しか見ていない」ことが分かり、スポンサーが離れてゆく。

具体的には、スタッフやキャストの養成、ノウハウが継承されていかない問題点が詳細に記述される。
一番の問題点は、毎週の番組ではなく、特番に移行したことによる問題である。
さらに、最近の俳優の「自然体演技」の問題の指摘については、私も大賛成である。
自然な演技の代表は、映画で言えば小津安二郎や成瀬巳喜男だろうが、そこで「自然な」演技をしているのは、笠智衆をはじめ、杉村春子、田中絹代、高峰秀子、中村伸郎、佐野周二、小林桂樹などの大ベテラン役者である。
どの分野でもリアリズムは、最後の表現形式であることを想起すべきだろう。

NHKの日曜夜の大河ドラマについても、『利家とまつ』に始まり、『江』に代表される女性中心ドラマ、ホームドラマ化にも、大きな批判をしている。
私も大笑いして見ていたのが、上野樹里主演の『江』で、ただのおてんば娘で、どの軍議にも口を出すにには、「ええ!」と思ったものだ。
春日氏は、時代考証の行き過ぎには批判的だが、この『江』での上野の行動は、論外だった。
網野善彦氏らによって、必ずしも日本の女性は無力だったわけではないと明かされているが、概ね中世や江戸時代などの平時のことで、戦国時代の戦時では有り得ないことである。
きわめて公平で、的確な批評、指摘、詳細で分かりやすい記述なので、是非お読みいただきたいと思う。

柳家金語楼は

2014年10月23日 | 大衆芸能
柳家金語楼は、今はほとんど忘れられた芸人だが、昭和初期からの大変な人気落語家で、レコードも多数出ている。
彼は非常に多彩な人で、ジャズバンドを持ったこともあり、発明狂でもあった。
映画も多数あり、戦前から昭和30年代まで東宝、新東宝で作っている。



劇団も持っていて、ここには童謡歌手の川田孝子もいたが、女優の和泉雅子も同劇団出身である。
また、政治的才能もあったらしく、榎本健一、古川ロッパらと一緒に喜劇人協会を作ったが、当初自分は会長にはならずエノケンを会長にした。
すぐにエノケンが死に、自分が会長になるのだが。

個人的にはかなり煩い人だったらしく、彼が若い愛人とレストランで食事していた時のことを阿佐田哲也が書いているが、非常に不機嫌な人間に書かれていた。
昭和を代表する芸人のひとりであることは間違いなく、トップ3に入ると私は思う。

カレンダー少年

2014年10月23日 | その他
本屋に行くと、来年のカレンダーが出ている。
だが、私の知り合いに、カレンダー少年がいる。
彼に、「何年の何月、何日は何曜日」と聞くと「何曜日」と即座に答えてくれるのである。
今は、ネットで調べようとすればもちろんできるが、彼は小学校高学年の時にできるようになったのである。
なぜでいるようになったかは、以下のような経緯だった。

彼は、カレンダーが大好きな少年で、いらなくなった去年のカレンダーを喜んで貰っていた。
そして、日々カレンダーを見ている内に、ある法則を見つけたらしい。
曜日は、一年で同じのが幾月かある。
また、閏年などを除けば、曜日は毎年規則的に変わっていく。
それで、瞬時にカレンダー、曜日が分かるらしい。
一体、なんの意味があるかといえば、もちろんなんの意味もない。
だが、それで良いと思うのである。
その少年も、今はもう50代のはずだが。

木馬亭夏祭り

2014年10月23日 | 大衆芸能
『ミュージック・マガジン11月号』の「ランダム・アクセス」で、「木馬亭夏祭り」について書きました。

劇団浅草21世紀と浪曲協会の合同公演の5回目だそうで、初の「浪曲ミュージカル」だった。

だが、今までのやったという「節劇」に比べて良いとは思えなかったので、そのように書きました。

本当はもう少し良いと期待していたのですが。

『金語楼の大番頭』

2014年10月22日 | 映画
1939年、東宝映画で作られた柳家金語楼主演映画、舞台は芦ノ湖に面した元箱根の老舗旅館で、その大番頭の金語楼に起きる非喜劇。
筋はひどいし、役者も大したことはないが、彼と女中頭清川虹子とのやり取りが見もので、さすがに金語楼の喋りは上手い。
彼には、別れた妻と娘があり、毎晩その写真を見ながら酒を飲んで泣き、顔をクシャクシャにするという、彼のオハコ芸を見せる。
この芸を金語楼は、実用新案の登録をしてあったそうだが、本当だろうか。

旅館なので、色んな人が来て泊まる。
成り上がりの清川玉枝一家、音楽家の上原敏と友人、デパート・ガールの週末旅行、偽絵描きの嵯峨善兵衛と本物の深見泰三。
嵯峨は、横川小観と名乗るが、明らかに横山大観のことで、本物の深見が来て嘘がばれて平謝りになるが、皮肉にも嵯峨善兵は、日本美術学校、現日本美術専門学校の出なのである。
最後、旅館の一人息子で大学生の三木利夫が婚約者として連れて来たデパート・ガールは、実は実の娘のは若原春江だったというハッピーエンド。
歌手の上原敏は何もしないが、実際は実演で歌を歌ったのではないかと思う。
その意味では、実演のための映画だったのかもしれない。
衛星劇場