指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

もんぺファッションってあったのだろうか

2008年10月19日 | 映画
昭和19年の黒澤明監督の東宝映画作品に『一番美しく』がある。
平塚の光学兵器工場で働く女子挺身隊の話で、ドキュメンタリー的な作品である。
戦争末期の戦意高揚映画で、所長の志村喬が、きわめて精神主義的な演説をするなど、今見ると相当に異常な映画である。
その他、菅井一郎、河野秋武、入江たか子らの出演だが、スタッフ、キャストのクレジット・タイトルがない。理由はフィルムが欠乏していたからだ。

この女子挺身隊員は、自分たちで鼓笛隊を組織し、工場と寮の間を『愛国行進曲』等を演奏しながら通う。
その意味では、「軍歌ミュージカル映画」とも言えるかもしれない。

映画の主人公の隊長役・渡辺ツルは、矢口陽子で、彼女は黒澤明と昭和20年に結婚する。つまり、黒澤久雄、黒澤和子の母親である。
そして、この矢口陽子だけが、もんぺを短く穿いていて、踝が少し見える。

確か、吉行淳之助が、「もんぺと言うものは、なかなかセクシーだった」と書いていたが、この短く穿くというのも一種のファッションだったのだろうか。
映画を見ていると、この矢口陽子のわずかに見える白い素足が気になるのである。
アラブで、女性がベールで顔を隠すのは、むしろ性的興味を高めるためだそうだ。女性と言うものは、日本の戦争下のような異様なときにおいても、その中で少しでもファッションを工夫するということなのだろうか。

相撲は本質的に八百長であり、それで何が悪いのか

2008年10月16日 | 相撲
大相撲の八百長が問題になり、裁判にまでなっている。
実に滑稽である。
国文学者の折口信夫は、「相撲は芝居だ」と言っている。神と人間との吉凶を占う神事、演劇だと書いている。
土俵の上にある屋根からの垂れ幕、あれは歌舞伎の舞台の上にある一文字で、これはどちらも聖域であることを示すものである。
相撲には演劇、芸能としての側面が強くある。

第一に、土俵の外に出たら負け、とか土俵の土が付くと負けと言うのも、非常に不思議なルールである。
他の格闘技で、こんな変わったルールはない。
相撲は、形の美しさを常に問題にする競技で、土俵の外に出されるとか、土が付くというのはいずれも、きたないこと、みっともないことをやったら負け、というきわめて美学的なルールに基づくものなのである。
これだけでも相撲は大変特殊なスポーツである。

相撲は劇なのだから。本質的に八百長はあって良いのである。
芝居では、毎日ロメオとジュリエットは出会い、恋して互いに死ぬ。
すべてそれは嘘であり、本当の恋でもなければ、自殺でもない。
ハムレットも芝居の中で必ず殺される。
これも嘘であり、本当に殺されるわけではない。
でも、それに文句を言う人間はいない。
「本当に殺せ」と言うバカはいないのだ。

相撲も同じで、演技として取組みをする場合もあるだろう。
それくらい出来なくて、何が大相撲の力士だと思うのである。

昔、小泉純一郎元首相が「感動した!」と言った、貴乃花と武蔵丸の優勝決定戦、あれなどは完全な八百長であろう。
ああいうのを問題にせずに、普段の取組みを問題にするのはおかしいのではないか。
あれは、貴乃花の怪我があるので、わざと負けたのは良いのだろうか。
実におかしなものだと思う。
あの小泉元首相の言葉に喝采を送った人間に八百長云々する権利はないと私は思う。

峰岸徹死去

2008年10月13日 | 映画
俳優の峰岸徹が死んだ。65歳。
テレビをはじめ結構多くの映画にも出ているが、これという代表作というものはないようだ。
東宝、そして大映の若手スターだったが、映画斜陽化の中で、多彩な企画はできなかったと言うことだろうか。
大映の森一生監督の『出獄48時間』などは、渋い作品だったが、全く評価されなかった。
大映では、松方弘樹とも共演したが、むしろ第二の市川雷蔵として売り出すべきだったのかもしれない。
だが、それだけの体力はもう大映にはなかった。

結構意外な作品に出ているが、東陽一の青春映画の傑作ATGの『サード』で、高校生売春の森下愛子を大人の性的技巧で喘がせる黒のフンドシ姿のヤクザ者で、永島敏行にラジオで殴られて死んでしまい、永島が少年刑務所に入れられる原因になる。
私は、その種の趣味はないが、「黒フン」ときれいなお尻がセクシーだった。

また、福田善之演出の芝居で、清川虹子主演のテネシー・ウィリアムズ作の『バラの刺青』での、清川の年下の恋人役なども大変良かったと思う。

結局のところ、美貌の割には余り「華のない」役者だったのではないかと思う。
肺ガンだそうだ。
やはり、タバコは良くないね。

三浦和義死去

2008年10月12日 | 事件
ロス疑惑事件の三浦和義氏が亡くなられた。自殺だそうだ。61歳と私と同年代であり、無関心ではいられない。
ロス疑惑事件については、いろいろ問題があるが、それについては触れない。
彼が、なぜ様々な事業を起業し、その果てに事件を起こしたか、について考えて見たい。
それは、彼の十代の体験にあったと思う。

彼は、横浜市立戸塚高校に入る。
高校では、生徒会長を務め、善行表彰を受けるほどだったと言う。
その一つが、火事を発見し通報したことだったが、後にそれは自らの放火であることが分かり、放火犯として、7年間刑務所暮らしになる。
1966年から1973年までの間である。
この間の日本は、高度経済成長の真っ只中であった。
1964年の東京オリンピックを経て、日本中は繁栄に沸いていた。

そこでの彼の出所である。
彼は、その社会の変化、激変に驚いたに違いない。
彼にとっての「失われた7年間」を取り戻すため、彼は様々な事業を起こし、いくつかは成功する。
その過程では、随分危険な、あるいは事件性のあることもやったようだ。
最初の妻の行方不明事件などは、相当に怪しい事件である。
そして、ロス疑惑事件になる。
島田壮司の大著『三浦和義事件』を読んだ限りでは、ロス疑惑事件について、三浦氏も共謀とされた日本人も無罪であるようだ。
その意味では、日本の裁判所が出した無罪の結論は正しいと思える。
ただ、問題は今回の共謀罪である。
恐らく、アメリカで三浦氏から事件を依頼された人物(恐らくプロの殺し屋だろう)、それが別の事件で逮捕され、司法取引で、三浦事件の共謀も自白したのだと思う。
だが、裁判開始まで、検察側はそのことを法廷作戦上一切明かさなかった。
そのため、今後も共謀罪の経緯は永久に明かされることはなく、永遠の謎となるであろう。
それとも、また別の事件等で明るみに出てくることもあるのだろうか。

地デジはすごい!

2008年10月11日 | テレビ
用があったので、午前中池上の実家に行く。
兄夫婦と話したが、テレビが新しくなっていた。
ソニーのブラビアで、
「これは地デジにならないの?」と聞くと、
「勿論・・・」と変えてくれるが、これが本当にびっくり。

経験したことはないが、まるで白内障が治ったような感じだ。
画面が光っていて、役者の目に当てているアイキャッチまで鮮明に見える。
本当に、生で中継しているように見える。
ドラマの役者の衣装の良さや悪さ、安い着物を使っているのなどもちゃんと見える。
いずれ余裕が出来たら地上波デジタルテレビに変えようと思った。

だが、一方でドラマの役者には、つらい状況になるだろう。
女優の肌の状態、年齢等もはっきり見えてしまう。

NHKの大河ドラマ『篤姫』の再放送を見たが、中村メイ子が出ていたが、見ていて思わず笑ってしまった。
『篤姫』は、全く見ていないが、幕末明治維新が家庭悲劇のスケールの小さい劇に変換されているように思えた。
視聴率は大変良いそうだが、そこが好評な理由だろう。

今日、10月11日で、明日は10月12日だが、この日は日蓮宗では、開祖日蓮上人がなくなられた日で、お会式が行われる日である。
今日は、前日なので、すでに出店が出ていて、参拝客で賑わっていた。
お会式と言えば、万灯と纏の行列で、鐘と太鼓で大変賑々しいもので、われわれ本門寺の檀家としては、毎年楽しみな一大行事だった。

『綾の鼓』

2008年10月10日 | 演劇
新国立劇場で三島由紀夫の「近代能楽集」、『綾の鼓』を見る。
大学1年のとき、学生劇団の新人勉強会で、2年生が演出してやったのを見たことがあるが、中身はよく分からなかった。
話が、70歳の老人が絶世の美女の貴婦人(実は元女スリで、腹には刺青があるという女なのだが)に一目惚れし恋文を贈るという大人の劇。
しかも、新派的な通俗的劇を大学生がやること自体が無謀なのだが。

老人は、法律事務所に働く小使いの爺さんと言う設定自体が時代である。
「外食券食堂」などという言葉も出てきて、これは随分昔の劇なのだなと改めて思う。昭和20年代の設定である。
話は、老人の恋をからかう若者らによって、彼の元に綾で作った鼓を届け、「これを響かせれば、思いを遂げさせる」と手紙を付ける。
勿論、鼓は響かず、絶望した老人は投身自殺する。

そして、老人の霊と貴婦人が夢の中で対話する。
この辺は、まさに能の真骨頂である。
そこで鼓を打つと音が出る。
だが、貴婦人には聞こえない。
100回打った老人は諦めて去る。
そのとき、貴婦人は言う。
「あと1回打てばきこえたのに」と。
要は男と女のすれ違いだろうが、この鼓を打って「きこえる」「きこえない」と言うのは、性的快感のことだろうか。
三島にそうしたポルノ的意識はあったのだろうか。

貴婦人の十朱幸代が美しい。
背が高く、豪華な衣装に相応しい貴婦人らしい輝きがある。
老人の綿引勝彦は、老人というには元気すぎる気がする。
三島の頭にあったのは、多分宮口精二、三津田健などの枯れた老人だったと思う。

この50年間で、高齢化は進んだが、同時に老人も元気になったということだろう。
第一、70歳の老人が若い女性に恋をするのは、不遜でお笑いごと、というのがこの劇での若者らの考えだが、現在では70で恋しても、何も問題はない時代になっている。
そのところは、劇の出発点は変わってしまってたのだ。
演出は、前田司郎という若い方だが、きわめて真っ当なもので、大変感心した。

麻生財閥と『蟹工船』

2008年10月08日 | 映画
近年売れているらしい小林多喜二の小説の映画化、昭和28年、山村聡が主催していた現代プロダクションの作品。
脚本、監督も山村聡で、自分も楽師くずれのお尋ね者で、会社側のスパイを演じている。
群集劇なので、多数の当時の新劇系の役者が出ているが、『男はつらいよ』の初代のおいちゃん・森川信が真面目に演じているのが珍しい。
その他、河野秋武、木田三千男、山田巳之助、御橋公、森雅之などが出ている。
会社側の監督で暴力的な荒くれ男を、戦前は新劇に関係し当時は千葉で大々的に魚業をやって成功していた平田未喜三が演じている。平田の息子平田大三郎も日活のアクション・スターだった。

話が話しなので、異常に暗い映画だが、長年映画や演劇で役者をやってきた山村なので、構成は上手く出来ている。
ただ、この年は今井正の『にごりえ』など、名作が目白押しだったので、評価は高くなかったようだ。
音楽は、伊福部昭で、映画の調子にぴったりの「伊福部節」を奏でる。
撮影は、独立プロ運動の指導者でもあった宮島義勇で、さすがに重厚な画面であるが、宮島は撮影監督で実際は仲沢半次郎。
昔、このシネマ・ジャックで見たときは、フィルムの状態が最低で「ワカメ」状で、半分以上が不明だったが、今回はきちんと見られた。

併映は、今村昌平の名作『にあんちゃん』
九州佐賀の零細な炭鉱の最下層の連中の貧乏話。
こういう連中を使って麻生財閥は大きくなったのだな、と思う。
当時も今も格差社会に変わりはないが、当時は貧乏な者は、貧乏人同士助け合うという相互扶助の精神や社会的関係があったことである。
そうしたものは、今の都市化の中では全く存在しない。
そこが、麻生太郎総理大臣ならずとも苦しいところである。
近代化の宿命と言えば、それまでだが。

国際航空宇宙展

2008年10月04日 | 横浜
パシフィコ横浜から案内をもらったので、展示ホールで開催されている「国際航空宇宙展」を見に行く。
航空ショーというのは海外では多いが、日本ではほとんどないもので、パシフィコ横浜の常務で今は引退された、日本のコンベンションの開拓者の佐久間健冶さんの念願のイベントでもあった。

展示ホール全部を使用して、航空、宇宙産業の様々な企業の展示が行われている。
私は、飛行機マニアではなく、専門家でもないので展示はほとんど分からない。
ただ、自衛隊のステルス戦闘機の真っ黒な機体の実物模型は不気味で迫力があった。
また、茨城空港のPRブースがあったので、「どこに作っているの」と聞くと、
「新たに作るのではなく自衛隊の百里基地の相互使用するんですよ」とのこと。
2010年3月には開港するそうだ。
確かに北関東、南東北の人には便利だろう。

外の臨港パークに出て、航空機のデモ・フライトを見る。
最後に大型飛行艇が飛んできて、何度か旋回する。
最後には海面に着水するのかと期待したが、着水はせずに飛び去る。

航空宇宙産業というと、結局は軍事産業で、いかがなものかと思う人もいるだろう。
だが、われわれが使用しているこのインターネット、そしてコンピューターも元は軍事技術である。
GPSは言うまでもなくスパイ衛星技術である。
軍事と言うと、コスト無関係に開発費用が出されるので、技術が飛躍的に進歩することが出来るのだ。
軍事も世の中のお役に立つこともあるのだ。

演説には落語が一番

2008年10月04日 | 横浜
今週なくなられた元横浜市会議長の大久保英太郎さんの悪い面を書いたので、今日は優れたことを書く。

彼が、大変頭の良い方だったのは多くの人も知っていただろうが、それ以上にすごかったのは、祝辞、弔辞等の挨拶の上手さである。
私も、長い間様々な人の挨拶を聞いて来たが、上手かったのは大久保さんと元神奈川県知事の長洲一二さんである。
長洲さんは、その時々の流行語を取り入れて挨拶するのが上手だった。
樹木希林と岸本加世子のフジ・フィルムのコマーシャルで、「きれいな人はよりきれいに、そうでない人もそれなりに・・・」というのがあった。
なんだったか忘れたが、県民ホールでの何かの大会の時の挨拶で、長洲さんは「そうでない人もそれなりに・・・」と言って満場の喝采を得た。
大久保さんのは、そうした気の利いたと言うものではなく、もっと心情に訴える感情的なものだった。

あるとき、元市会議員だった方がなくなり、その葬式が市会議員葬として行われた。
そのとき、議長だった大久保さんが弔辞を当然に読むことになり、秘書だった私が原稿を書いた。
勿論、その方は議員を辞めて10年くらいたっていたので、私は人柄等は全く知らず、経歴を読んだのみで書いた。
大久保さんは、私の書いた弔辞を一応読んだ後、こう言った。
「Sさん、私はこんな通り一遍の弔辞なんか読みたくはなかったのだ・・・」
と言って、自分との関わりを滔々と述べ、聞くものの涙を誘ったのである。
「参ったなあ」と思った。
多分、大久保さんは、「知りも知らない人間に形だけの弔辞など書くな」と言っているのではないかとそのとき思ったものだ。

あるとき、大久保さんと雑談になり、小さいとき何になりたかったのか、と言う話になった。
多分、1月15日の成人式のときで、午前と午後の部との間、大通り公園近くの喫茶店で食事しているときだったと思う。
大久保さんは言った。
「僕は落語家になりたかったんだよ」
実際に、ラジオ、テープ等はよく聞いているとも言っていた。
「へえ・・」と思ったが、落語の間、落ち、抑揚などは、挨拶するには確かに大変参考になるだろう。
小泉純一郎元首相は、音楽、演劇、映画等を愛好してしていたが、こうした芸能で得た挨拶やフレーズの上手さは、政治の場にも良く生かされていたと思う。
挨拶も言ってみれば、一種の「話芸」なのだから当然と言えば当然だろう。

飛鳥田市長のほめ殺し

2008年10月03日 | 横浜
大久保英太郎さんのことでもう一つ知っている話。
彼は、横浜市長になりたかった。
その原因は、飛鳥田一雄横浜市長のリップサービスにあった。

大久保さんは、私が市役所に入る前の昭和40年代のことだが、奥さんを交通事故でなくされた。
そして、その後添えを世話したのは、昨日も書いた自民党団長の横山健一さんだった。
なぜ横山さんと大久保さんが仲が良かったかといえば、それは議員野球団だった。
当時、各市議会には市会議員の野球チームがあり、神奈川県下、関東、全国などの野球大会があり、それを目指して日ごろ先生たちは練習に励んでいた。
市会事務局の若手職員は、その練習相手をさせられた。
今考えればとんでもないことだが、当時は重要な仕事として、平日昼間に議員の野球の練習の相手をさせられたのである。

その横浜市会議員野球団の監督は自民党団長の横山さんで、キャプテンが社会党団長の大久保さんだった。
その辺から密接な付き合いが出来、飛鳥田市政を支える右と左の両翼のようになったのだと思う。
その横山さんから、大久保さんは二度目の奥さんを紹介された。
その女性は神奈川台町のお座敷に出ていた人との噂で、何度か議長室にも来たが、和服で悠然とタバコを吸っていたので、その噂は多分本当だろう。

その方との結婚式で、来賓として出席した飛鳥田横浜市長が、「私の後任は大久保さんだ」と結婚式の祝辞で大久保さんを持ち上げたのだそうだ。
飛鳥田さんの本心がどうだったかは、知らないが、結構罪な言葉である。
そして、大久保さんが、その言葉を長く信じていたことは事実である。

大久保さんは、飛鳥田さんが市長のまま社会党の委員長になり、就任1年後には横浜市長を辞めたので、新たに横浜市長選挙になった。
飛鳥田市政の下で冷飯を食っていた民社党は、このときとばかりすばやく対応し、自治省事務次官を務め、当時は横浜駅東口開発公社にいた細郷道一氏を東大での同級生で民社党議員だった河村勝氏が市長候補に担ぎ出した。
そして、自民党もこれに同調し、最終的には社会党も細郷氏に乗らざるを得なくなる。

そのとき、「飛鳥田は、なぜ俺を後任として指名してくれなかったのだ。指名してくれてれば社会党単独でも選挙に勝てたのに」と大久保さんはずっと言っていた。
それを聞くたびに、私は心の中で「役者が違うんじゃないの」と思っていたのであるが。

まあ、この際横浜市政に名を残す偉大な大久保英太郎さんのご冥福をお祈りしておこう。

『公明党も堕落したな』

2008年10月01日 | 政治
昨日書いた大久保英太郎元横浜市会議長から聞いた言葉で、一番憶えている言葉である。
昭和54年1979年4月の統一地方選挙のとき、公明党と民社党は、所謂「公民共闘」を組んだ。
公明党と民社党は、自民党、社会党のどちらにも属さない「中道路線」ということで選挙協力をしたのである。
だが、その結果は、民社党が強い横浜では公明党は議席数を減らし、民社党は増やした。
その結果を見て、大久保英太郎議長は言った。
「公明党も堕落したな」
確かに、結果から見ればそうでしょう。
でも、大久保議長、あなたは、もっと前から堕落していたのではありませんか、と口に出したくなったのであるが・・・。

と言うのも、なくなられたから言うわけではないが、大久保英太郎さんは、社会党員でありながら、相当に金権的な体質があった。
実際、彼が市会議長になれ、しかも4年間も出来たのも、当時横浜の自民党の最実力者、鶴見区の市会議員で自民党団長だった横山健一氏との密接な関係があったからだ。
普通に考えれば、この癒着関係だけでもかなり問題である。だが、大久保先生は、そんなことは全く意に介しない人だった。
その頃、すでに「ロッキード事件」が暴露され、田中角栄は収賄罪で裁判中だった。
だが、大久保先生は、「収賄は犯罪ではなく、ああいうことはむしろソ連等の社会主義国家ですら当たり前のことだ」と公言していて私は仰天したものだ。

現在の自公政権を見ていると、大久保先生の言葉はある意味で当っていたし、その点ではなかなか先見性があったと言うべきかも知れない。