指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

北の富士とお見合いしたひろみさん

2024年01月14日 | 相撲

今日から大相撲が始まるが、今場所も北の富士の解説はないようで、大変にさびしい。

                 

さて、その北の富士だが、まだ幕内上位の頃、彼とお見合いをしたことがあるという若い娘に会ったことがある。

私が、まだ故下川博や大高正大らと芝居をやっていた1970年代中頃で、横浜映画放送学院の生徒の一人だった。

可愛い子で、おかあさんが、いわゆるタニマチ的な人だったらしく、その関係で会ったようだ。

聞くと「カッコ良かった」と言っていた。

もちろん、結ばれず女優の卵だったが、その後どこの世界で孵化したのかは、まったく知らない。

北の富士の健康は良くないのだろうか、少々心配である。


「人はパンのみにて生きるにあらず」 大相撲とサッカー

2022年11月28日 | 相撲

昨日は、来月出す本の校正を、朝から午後までずっとやっていて、少々疲れた。

夕方、大相撲の千秋楽を見たが、2敗の高安が、本割で阿炎に敗れ、貴景勝とも3敗となり、巴戦になった。

               

最初に高安は、阿炎に敗れ、阿炎は、貴景勝にも勝って初優勝になった。

なにを擦るか分からない、阿炎らしさが出た二戦だった。

そして、サッカーのコスタリカ戦。

前半、圧倒的に攻めているのに点が取れず、まずなあと思って席を外していて、戻るとたった1発のシュートで、0-1の負け。

相撲も、サッカーも結構番狂わせが多いものだ。

相撲は、格闘技でも極めて特殊で、柔道、ボクシング、レスリングは、床に倒れてもOKだが、相撲は土地、泥、つまり汚れたら負けという、宗教的意味を持つ行事で、古代人の意識を今も持つ行事なので、意外性が起きやすい。

つまり、レスリングやボクシングでは許されるスリップ・ダウンは、相撲では完敗なのである。

また、サッカーは点が入りにくいスポーツなので、結構番狂わせがある。

いずれにしても、こうしたスポーツという劇の意外性は、通常の作者、演出家には作りがたいものだ。

俗に「野球は筋書きのないドラマだ」と言われるが、違うと思う。

筋書きはある。それは、ルールである。ただ、ルールが、その通りに進行しないのが、スポーツの意外性で、それがドラマなのだと思う。

では、なぜこうしたドラマに、人は魅かれるのだろうか。

それは、

「人はパンのみに生きるにあらず」

だからだと思うのだ。

 


高安、頑張れ!

2022年11月25日 | 相撲

王鵬が、豊昇龍を破って、高安、王鵬と豊昇龍が10勝2敗で、3人が同星になった。

王鵬は、大鵬の孫、豊昇龍は、朝昇龍の甥とのことで、大相撲も二世、三世の世襲の時代になったのか。

その中で、高安は、そうした世襲にも無関係に一人頑張っている。

 

                  

大いに評価したいと思うものだ。

これまで何度も優勝のチャンスがあったのに、なかなかできなかった。

今場所は、落ち着いて取っているので、ぜひ優勝してもらいたいと思う。

高安、頑張れと祈るものだ。


照ノ富士、負ける

2022年09月15日 | 相撲

横浜稲門会の伝統文化鑑賞会で、大相撲9月場所2日目に行く。

1時過ぎだったので、幕下中盤で、後ろから二番目で朝乃山が出てくる。

まだ、髷を結っていない学生上がりの川副をひねり潰すように押して勝つ。

学生とプロは違うところを見せつける。

十両では、徳勝龍が出ている。去年は、幕内のビリで優勝したのだが、今は十両である。

個人競技の相撲は、力が落ちると一気に下がるもので、今年引退となった福留や糸井がずっとできたのとは異なる。野球は、団体で、代打、リリーフなど多様な役割があるので、いろいろと使いようがあるのだ。

幕内では、贔屓の栃の心が負けたのが悔しいが、上手い妙義龍では仕方のないところだろう。

今場所は、悪くないはずの正代に勝った霧馬山は、北の富士も推奨する力士で、どんどん強くなっていると思う。

                                             

打ち止めの照ノ富士は、翔猿に負ける。翔猿の素速い動きに付いて行けなかったが、やはり膝が悪いのだろうと思う。

今回は、コロナ情勢と、50人と大所帯だったので、入る店もないので、宴会はなしで皆帰る。

 

途中、鶴見で降りて食事すると、隣の3人組が、携帯で横浜戦を見ている。

横浜の贔屓も増えてきたのは、うれしいことだが、今年はどうあがいてもヤクルトの優勝だろうとのことで一致する。

それにしても、村上はすごいと思う。


栃ノ心、勝ち越し

2022年03月25日 | 相撲

東の幕内15枚目で、元大関の栃ノ心が久しぶりに勝ち越した。

私は、彼が大好きで、この日も照強を釣り上げて、豪快に勝ったのは、実にうれしかった。

                                                         

この人の顔が面白いし、相撲の本質は、力比べなので、彼のように力で勝負する関取が本物だと思う。

また、少々下品になるが、この人は、巨根の持ち主のように見える。

劇団時代の先輩にOと言う人がいて、金持ちの息子で、高校時代に婦女暴行未遂で、慶応高校をクビになって、早稲田に入って来た人だった。

親父が、相撲のタニマチだったので、相撲部屋に言ったことがあるそうで、

「裸を見たが、皆小さかった」と言っていた。

彼曰く、

「年中褌で締め上げているので、大きくならないのでは」とのことだった。

「本当かね」と思うが、まあ嘘でもないようにも思う。

 

 

 


白鳳引退

2021年09月28日 | 相撲

白鳳が引退するそうだ。私は7年前に以下のように書いた。

さて、今場所は贔屓の琴奨菊が好成績だったので、気分が良かったが、最後の15日目に豪栄道にあっさりと負けて初優勝の期待は外れた。予想通りだが、最初琴奨菊が、立ち合いで早く突っかけて、間合いが合わず、仕切り直しとなる。「これはまずい」と思うと二度目の立合いは、気分が集中して居らず、豪栄道に受け止められて負けた。でも、豪栄道も大関になるらしいので、一応満足した。なぜなら、豪栄道も琴奨菊と同様の、「相撲取り顔」で、言ってみれば「ブス男」だからである。

   
遠藤のように色男が、同時に力持ちでは、やりきれないではないか。どちらかと言えば、白鵬もいい男で、これも悔しい理由でもある。以前は、白鵬は好きな方の力士だったが、最近は少し考えを変えている。
この男は、普段は優等生のくせに、裏に廻るとワルの連中と大して変わらないことをしている学生が中学校にいたが、それに近いのではないかと。なにをしても俺に文句を言う人間は存在しないという態度が目につくのも嫌なのである。ともかく強いのだから仕方がないのだが。

ここに書いた、本当は裏で悪いことをしている優等生というのは、晩年になるほどひどくなったと思う。

まあ、誰も勝てなかったのだからすごいのだが。


「相撲は演劇だ」を思いだした 徳勝龍、優勝

2020年01月27日 | 相撲
大相撲初場所は、幕内の徳勝龍の初優勝で終わった。
場所中、「序盤で二人の横綱が休場になったので面白くない」という人がいたが、なにを言っているんだと私は思っていた。
きっと大波乱になると思っていたら、その通りになった。
「相撲は演劇である」と言ったのは、国文学者の折口信夫先生で、『日本芸能史ノート』に書かれている。
「相撲は、神と聖麗の戦いであり、農業の吉凶を占う行事、演劇」なのだそうだ。

今場所の勝負は、14日目の徳勝龍・正代、貴景勝・朝乃山戦で決まったと思う。
徳勝龍・正代戦は、上位の正代の勝ちと思われたが、意外にも正代の腰高で徳勝龍の勝になった。
続いて、貴景勝・朝乃山戦も、朝乃山の粘りで貴景勝が負け、「これは千秋楽であるいは・・・」と思った。
本来、相撲はボクシングやレスリングとは違い、「倒れたら負け」という競技なので、滑って転んでも負けで意外性の起こりやすいものなで、ドラマ的なのである。
要は、土という穢れにまみれたら負けで、きれいなことが勝ちなのだ。

私の兄は、若乃花のファンで、姉は栃錦が好きで、私は鏡里が好きだった。
鏡里は、あまり強くない横綱だったが、なぜか好きだった。
そう考えると、徳勝龍は、どこか鏡里に似ている気もする。

          

私の贔屓の栃の心の成績が良くないのは残念だったが、人気の炎鵬を釣り上げた一戦などは、さすがと思われた。


またも、白鳳が負ける

2020年01月15日 | 相撲
白鵬は確かに変だ。
下半身が安定していないように見える。歳と言えばそれまでだが。
ただ、遠藤は非常によくなったと思う。朝の山などの若手に刺激されたのだろか。

         

妙義龍7年ぶり白鵬から白星「ちょっと驚いたッス」
日刊スポーツ

<大相撲初場所>◇3日目◇14日◇東京・両国国技館 妙義龍が過去1勝20敗だった横綱白鵬から7年ぶりに白星を奪った。その7年前も初場所、2連敗で迎えた3日目と同じ状況。左からの突き落としが決まり「ちょっと驚いたッスね。たまたまですよ。体が動いた」。


栃の心の反則負けは残念だったが・・・

2019年09月12日 | 相撲
横浜稲門会の伝統文化鑑賞会で、大相撲9月場所4日目に行く。
相撲は伝統文化であり、折口信夫は「相撲は演劇である」と言っているとおり、相撲の伝統性は面白く、西欧の人が好きになるもその辺だろうと思う。

両国駅に1時集合で、1時半過ぎに会場に入るので、幕下の途中。
照の富士が出ていて、勝つ。こんなところにいたのかと思い、新ためて個人競技の相撲の厳しさを思う。
十両では、嘉風、魁聖、蒼国来等が出ている。魁聖も、一時は幕内にいたが、こういうタイプは長く続かないなあと思う。

白鳳が休場で、土俵入りは鶴竜のみ。
中入も、相撲と寄席にあるもので、芸能としての相撲の性格を現している。
審判も入れ替わりがあるが、栃東、琴錦は二度出ている。結構、大変だな。

幕内になると、場内の声援が大きくなり、貴源氏、石浦などはものすごく、相手は大変だなと思うが、石浦には錦木がやっと勝つ。
琴奨菊、豊ノ島などは、もう大部歳だなあ。
朝乃山が、遠藤に負けたのは非常に残念、朝乃山は、富山県の出身で、2年前に高岡に行くと朝駅で号外を配っているので見ると、彼の入幕の報せで驚く。



貴景勝と豪栄道は順調に勝ち、贔屓の栃ノ心も勝ったと喜ぶと、物言い。
髷を掴んだとのとのことで反則負け。
本当かねと思うが、栃ノ心の相撲自体は悪くなかったので、一安心。
打ち止めの鶴竜は、壱ノ城を問題にせずで、今場所は、鶴竜、貴景勝と豪栄道の争いだろう。

出ると雷と雨、近くで軽く打ち上げ。
安い店だったので、学生はじめ若者で満員だった。

「相撲は演劇である」 『ミュージック・マガジン・2月号』に書きました

2018年01月26日 | 相撲

昨年の新国立劇場の「日本の演劇の力」シリーズについて以来、久しぶりに雑誌『ミュージック・マガジン2月号』の「ポイント・

オブ・ビュー」(183頁)に、今話題の大相撲について、書きました。

その趣旨は、相撲は神事でもスポーツでもなく、演劇だというものです。

これは、かの折口信夫先生の言葉で、相撲の根底は、「神と精霊との戦い」があり、農作を予祝する行事であるとしている。

もちろん、江戸時代以後の相撲の変遷と発展もあるが、今でも相撲には、原初の演劇の要素を色濃く残している。

力士の丁髷、花道、仕切り、また土俵の上を巻く幕は、歌舞伎の劇場にある「一文字幕」と同じ趣旨であり、聖域と俗世間を区切る境なのである。また、千秋楽、中入り、打ち止め等も、相撲と寄席にのみ残る仕来りである。

だから、相撲の決り手は、土俵の土という汚れにまみれたり、聖域の外に出て普通の人間になれば負けというルールは、未だに神と精霊との闘いという相撲の本質を持っているのである。

 

              

さて、大相撲春場所は、今日(1月26日 金曜日)の時点で、ついに横綱の鶴竜が2敗となり、前頭3枚目の栃ノ心が1敗で、逆転になった。

ジョージア出身の栃ノ心は、怪力で一時は関脇にまで昇ったが、膝の怪我で幕下までに落ちたが回復してきた。

栃ノ心、さらにブラジル出身の前頭8枚目魁聖の活躍も面白い。

週末の結果が期待されるところである。


品格とチン格

2017年12月01日 | 相撲

大相撲の日馬富士事件で、盛んに言われているのが白鵬の品格だが、人間の品格については、伴淳三郎の有名な言葉があった。

「男には、人格と同時にチン格がある」

白鵬の取り口に品格がないことは言うまでもない。

方や、貴乃花に、チン格があるのかは、宮沢りえとの問題から見ても、どうなのかなとは私は思う。

             

いずれも困ったものだと言うしかない。


大相撲の巧みな演出

2017年01月18日 | 相撲

久しぶりに大相撲に行って、その巧みな舞台演出に大変感心した。

                

 

前に行ったのは、15年くらい前で、パシフィコ横浜の社長の高木文雄さんが席が取れるからと、升席で見たのだが、偉い方と一緒だったのであまりよく見ていなかったのである。

まず、力士の呼び出しがよくできている。まず、呼び出しが東西の力士の名を呼ぶ。両者が土俵に上がると行司が改めて今度は非常によくとおる声で場内に叫ぶ。

さらに場内アナウンスがスピーカーで言う。

河竹黙阿弥は、芝居のセリフで重要なことは3回言え、と書いているが、ここでもきちんと3回四股名を呼んでいるのだ。

さらに、東西に電光掲示板があり、今どこで、今までの勝負の結果はどうだったかが一目でわかるようになっている。

そして仕切り、次第に盛り上がり、緊張してくる対決。

テレビでは、そこに来るとNHKが見せなく、また聞こえなくしてしまう懸賞だが、これも客の注意を高める。

「ああこれは注目の取り組みなのだな」と思わせる。

以前も、折口信夫説を引いて、相撲の本質は演劇だと書いたが、その運営方法も実に演劇的であるなと改めて非常に感心した。


稀勢の里、白鵬、鶴竜の3人が敗れる

2017年01月18日 | 相撲

一昨日は、両国の国技館に大相撲を見に行った。

1時過ぎで、幕下上位だった。順調に取組は進み、十両、幕内になり、さらに後半になった。

稀勢の里は、同じ大関琴奨菊で、6敗の相手に楽勝と思えたが、一方的に簡単に負けてしまい、「やはり期待すると駄目だな」と思う。

だが、続く大横綱白鵬も高安に負けてしまう。やはり、どことなく痩せているように見えたが、気のせいだろうか。

                              

 

すると、打ち出しの一番の鶴竜も勢のまさに勢いに簡単に敗れてしまう。

一日で、2横綱、1大関が負けるのは、まずないことに違いない。

大変に特別な日に行ったことになった。

それにしても、館内は外国人が多く、特に欧米系の人が、団体で見に来ていた。

これは非常に良いことだと思う。


終わってみれば、結局白鵬

2016年03月28日 | 相撲

大相撲春場所は、千秋楽に白鵬が日馬富士を破って14勝1敗で優勝になった。

                   

初日にまさかの負けを食らったのは、最近の場所では後半に疲労の性か、負けていたことの反省で、場所前の稽古をセイブしていたからだと想像するが、2日以後は地力を徐々に発揮して、後半戦は万全だった。

でも、日馬富士戦で変化したのは、やはり今場所はどうしても優勝がほしかったからだと思う。

それは先場所の琴奨菊の優勝があったと思う。10年以来の日本出身の関取の優勝の大騒ぎ、「一人横綱として、この間を支えてきた俺はなんだ・・」と白鵬が思ったのは当然だろう。

日本人は、結局外国人力士の優勝を快く思っていないのだなと感じたにちがいない。

琴将菊は、優勝で忙しくて、十分な稽古ができず、後半戦に失速したのは、白鵬との差の大きさを感じさせた。

相撲は、結構難しいものである。


琴奨菊はなぜ優勝できたのか

2016年01月29日 | 相撲

琴奨菊は、昔から応援してきた力士の一人であるが、怪我のせいかいつも前半で取りこぼし、そのたびに今場所もダメかと落胆してきた。

だが、今場所は取りこぼしもなく、これはと思うと、ついに白鵬に勝ち、ここで優勝できるかと喜ぶと、翌日は予想どおりに豊ノ島に負けてしまう。

しかし、次は栃煌山、豪栄道と楽勝で、優勝を決めた。今場所は、照ノ富士の休場、逸ノ城の不振に助けられた幸運もあった。

                       

 

だが、琴奨菊が優勝できたのには、今の力士に欠けている良いところがある。それは、押し技しかないということである。

何とかの一つおぼえで、押し技だけで、投げ技等はほとんどない。

豪栄道や逸ノ城もそうだったが、押し相撲の技の少ない力士が昇進すると、必ず言われるのが「技を磨けであり、力だけの相撲を捨てること」である。

そして、みな不振に陥る。

琴奨菊は、技はたいして磨かず、体幹の強化に努めたようだが、非常に賢明なことである。

がぶり寄りで、いなされたり、横に飛ばれて負けることはあるだろうが、せいぜい1、2番である。

白鵬の力が落ち、特に場所の後半になると、息切れ気味になる傾向があり、彼が全勝でぶっちぎりで勝つことはないようだ。

今後も、がぶり寄り1本でやって行ってほしいと思う。