指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

行きは大変、帰りはもっと大変だった

2015年05月31日 | 音楽

金曜日に、主催者の田中勝則さんから土曜日のイベントのメールが来ていて、天気が非常に良かったので、中村とうようさんのムサビでの『ポピュラー音楽の世紀』の関連イベント「世界の蓄音機」に行くことにする。

 

                    

 

前に、とうようさんが亡くなられた時の展示会の際は、国分寺駅からバスで行ったので、今度は東急線・副都心線・西武線で行くことにする。

乗っていて途中で、「鷹の台駅は池袋線ではないのでは」と思い、池袋駅で、改札の職員に経路を聞く。

すると西武池袋線で所沢駅で新宿線に乗り換え、さらに国分寺線に乗り換えれば鷹の台に行けることが分かる。

やたらに西武鉄道を勧めているので、「何なんだ」と思うが、西武線で行った方が安いとのこと。

鷹の台駅に着き、駅員にバスを聞くがよく分からず、公園を散歩していた老夫婦に聞くと「バスはないのでは」と言う。

あっても本数は少ないので歩いて行くことにする。女学生がどんどん来るので道は間違いないが、暑くて熱中症になりそうだったが、約30分遅れで会場に入ることができた。

                       

 

今日は、田中さんと蓄音機博士と言われるマック・杉崎さんで、SPの蓄音機でのコンサート。

もちろん、クレデンサで、音量も凄く、ボーカルは言葉がはっきりと分かるのは蓄音機の特徴である。

杉崎さんがご趣味の初期のカントリーで、田中さんは世界中の音楽で、丁度アメリカの歌手ビル・マレーの曲だった。

杉崎さんの初期カントリーでは、カーター・ファミリー、ジミー・ロジャースだが、どちらも極めて黒人音楽色が強い。

田中さんのものでは、初期のハワイアン盤が一番印象に残った。これが全くハワイアン的ではなく、西アフリカのシエラ・レオーネのパームワイン・ミュージックそっくりなのだ。

最後は、中村とうようさんの映像出演でスーザ・バンドの『ラ・パロマ』

 

バスで国分寺に行き軽く飲んで駅に向かうと、駅への歩道橋の両脇に張ってあるネットが揺れ、子供が一人倒れる、地震だった。

ともかく中央線に乗るが、吉祥寺でストップなので、井の頭線で渋谷に出て、東横線と横浜市営地下鉄で12時近くに吉野町に戻る。

地震の時は、地下鉄は強いので、これなら国分寺から国分寺線、新宿線で所沢から西武池袋線、副都心線で戻れば良かったかなと思った。

行きもいろいろあったが、帰りはもっと大変な一日だった。

 

 


昨日は、横浜大空襲の日だった

2015年05月30日 | 横浜

昨日、5月29日は、1945年に横浜が米軍のB29等の爆撃機によって空襲された日だった。

朝の8時すぎに500機の大編隊で襲ってきたというのだから嫌になるが、日本軍は完全に制空権を喪っていたのだ。

東神奈川駅、平沼橋、港橋(市役所)、本牧国民学校、そして吉野橋を目標に爆撃し、その火災による噴煙は、野毛山の上まで行ったという。

火災のおみならず窒息で亡くなられた方も多かったそうだ。

今、私が住んでいる吉野町も絨毯爆撃を受けたに違いない。

それを思いだすものはないが、ここから伊勢佐木町、関内の一帯は、道路が規則正しく縦横に通っているが、それはみな焼野原になったことの結果である。

さて、この時に安倍晋三首相は、安保法制を出し、さらに戦後70年談話を見ると、ともかく嫌々だという顔色が見え見えである。

それらを見ていると、自分の祖父岸信介元首相の「名誉回復」をのみ躍起になっているように思える。

 

                    

 

祖父の名誉回復をしたいと思うのは理解できないことでもないが、それを全国民の使命にされるのはご免である。

自分の家の墓でも古墳のように立派に作れば済むことである。

 

 


『まなざしの旅 土本典生と大津幸四郎』

2015年05月29日 | 映画

1950年代末、日本映画界でドキュメンタリーへの理解も関心も極めて薄かったことを冒頭の土本典生、黒木和雄との座談会で、佐藤忠男が述べている。「ただ、岩波映画というところでは、普通とは違う実験的なものを作っているらしいぞ」と聞こえてきていたとのこと。

 

                  

 

そこで、当時の土本典生監督の『海に築く製鉄所』や、黒木和雄の『恋の羊が海いっぱい』の断片が挿入される。黒木和雄の『恋の羊が夢いっぱい』も当時有名な作品だったが、もちろんその頃は見られず、これも2007年の黒木特集で初めて見たが、斬新なミュージカルだった。

そして、土本もSL記録の名作と言われる『ある機関助手』を作るが、その頃から岩波映画にいることの限界を知って独立してしまう。カメラマンの大津幸四郎や、まだ助監督だった小川伸介たちも岩波を出たが、無名だったので大変だったが、シンガポールからの留学生のものや高崎経済大学の『圧殺の森』によって次第に新左翼運動に同伴するようになり、通常ではないルートの大学内で上映されて次第に著名になっていく。それは土本にとっては『水俣・患者さんその世界』、小川と大津幸四郎にとっては、『圧殺の森』での体験から、それまでの一応は脚本どおりに撮影してく従来の撮影法から、その時々にまさに変化、生起していることを撮る方法に転換する。そして、『パルチザン前史』 ここには横浜市幹部だったK氏も出ているのだが、私は当時も今も滝田修という人物に懐疑的だった。その際たるものが、作品のラストで、5人組が海で筏のようなものの労働作業を共同でしているところで、「インチキ臭いな」と見た時思ったが、これは監督の土本の演出だったのだそうだ。土本の滝田への思い入れ、願望だったのだろう。水俣と三里塚の運動へのそれぞれの係わり方も、いろいろでなかなか興味深かった。横浜シネマリン


日活がポルノになった内在的理由 『娘の季節』

2015年05月29日 | 映画

1968年の日活映画で、併映は『スパイダーズの大進撃』である。この頃も、結講日活を見ていて、『かぶりつき人生』と『ネオン太平記』の時は、両方ともモノクロで、館内はガラガラで「日活も大変だな」と思ったものである。

さて、この和泉雅子と杉良太郎主演の映画を見ると、後に日活がロマンポルノに移行した内在的な理由がよくわかった。

彼らは、川崎、鶴見を走る路線バスの臨港バスの運転手と車掌であるが、すでに車掌廃止のワンマンバス問題が出ている。

昔からバスの車掌映画というものがあり、高峰秀子の『秀子の車掌さん』や、桑野通子と上原謙の『有りがたうさん』があり、どちらも地方のバスである。

 

                   

 

女優が多数出てきて、和泉の他、元は杉良太郎と恋仲だったが、事故で片腕の障害になって事務職と寮の舎監となったのが芦川いづみ、車掌を辞めて台湾人のパチンコ屋と結婚するのが笹森みちこ、大学生中尾彬と恋仲になり妊娠するのが日色とも枝など。

草間靖子の他社でのアルバイトなど、いろいろな問題が出てくるが、最後は、和泉と杉が一緒になってエンドマーク。

和泉が好きで、手を出そうとする組合のリーダーだったが、一転本社係長になるのが藤竜也で、これを和泉が振るあたりは、山田洋次の『下町の太陽』にも似ている。

それもそのはず、脚本は元松竹の馬場当で、彼のギャンブル好きを反映して、いつも5千円札を出してお釣りのないことで無賃乗車するおばあさんの北林谷栄が、実は磁石でパチンコで不正を行うなどの挿話もある。

全体として、すべての問題は、結局貧困であり、社会の底辺にいる人間たちの悲劇である。

だが、この手の作品を見ていて、当時いつも思ったのが、「こんな貧乏はもうない」であり読売ランドでの組合ハイキングでの「オオブレネリ」の合唱に見られる「恥ずかしさ」だった。

多分、この映画の監督の樋口弘美や助監督だった加藤彰も、そう感じていただろうと思う。

「こんな絵空事は、やっていられないな」と思っていただろう。

彼らは1970年代以降、人間の本当の姿に少しでも近づこうというポルノに行ったのだと思う。

樋口弘美は、プロデューサーに、加藤彰は監督になり、『濡れた札束』のような名作を作るのである。

臨港バスは、横浜にも路線があり、鶴見区の鶴見線高架脇道路や第二国道の眼鏡橋などの横浜の貴重な風景も出てくる。

チャンネルNECO

 


『坊ちゃん』

2015年05月27日 | 映画

夏目漱石の小説『坊ちゃん』は、全部で5回映画化されているが、その最初で1935年のPCL作品。

監督は山本嘉次郎、主演は宇留木浩で、女優細川千賀子の兄だったが、36歳で亡くなったとのこと。宇留木浩は若いころからの山本嘉次郎の仲間の一人だったそうだ。

これを見てあらためて思ったが、『坊ちゃん』は小説として読むには楽しいが、映像にすると面白くないことだ。理由は簡単で、坊ちゃんにドラマがないからである。

せいぜい、田舎の中学生にいたずらされて怒ったりする程度、この小説の劇は、うらなり(藤原釜足)、赤シャツ(森乃鍛冶屋)とマドンナ(夏目初子)との間にあり、主人公は何もできず、最後でヤマアラシ(丸山定夫)と一緒に赤シャツを殴るだけだ。

また、この小説での坊ちゃんは、イコール漱石ではないことで、むしろ洋行帰りの気障な赤シャツにこそ、本当の漱石は近いことに注意すべきだろう。

5回の『坊ちゃん』は、松竹で南原宏冶が演じたもの以外は見ているが、東宝での池部良主演のが一番良かった記憶がある。

 


久しぶりに聞いた言葉 「われめちゃん」

2015年05月27日 | 音楽

毎月、最終火曜日に黄金町のたけうま書房で行われている、田口史人さんの「レコード寄席」、昨日は「教育レコード」だった。

最初は、世界文化社や講談社が出したという、訪問販売の「音楽教育レコード」 田口さんの推測では、1960年代に百科事典の訪問販売とセットで売られたのではないか、EP盤で、毎月送られてくるもので、高価な事典よりは、安いと言って売ったのではないかとのこと。

その決定版が、講談社から出た10枚組のLP『こども音楽教育』 黛敏郎の総監修で、小泉文夫、小島美子、谷川俊太郎も参加し、岸田今日子と中村メイ子が子供に扮し、先生の黛の話で進めて行く。最後は、二人に作曲まで行かせるが、黛は天才である。

このLPには、町の道をバラバラに歩く人に、音楽を聞かせると同一歩調で歩くようになるとの黛先生のご講義もあるそうで、まだ日の丸・君が代以前であろう。

同様なのは、林光も出していて、当夜は4枚のみ持参されたが、黒テント系の作者、俳優が多数参加しているもので、今はないホルプ出版のもの。

ホルプは、1960年代後半から多様な事業を行っていて、映画製作もあり、今井正の『橋のない川』も作っている。

そのハイライトは『ぼくの銀河鉄道』で、上野から北上に鉄道で子供が行く物語で、ナレーターと作者は、詩人の関根弘だった。

 

                                             

 

宮澤賢治に合わせて、鉱山採掘なども出てきて、ラストは吉田美奈子のピアノと歌による賢治作曲の曲で終わる。

全体に、ラジオドラマと言うか、当時あったテレビの映像詩のような感じだった。

最後は、当然に出てくる「性教育もの」のソノシート。やなせたかし作だが、監修は北沢杏子で、かの「われめちゃん」が出てきた。

これは、學校や家庭での性教育用に作られたものだが、久しぶりにこの言葉を聞いた。

今は、小学校3年くらいで、ほとんどの子は性のことを知っているのだろうか。

来月は、鉄道レコードだそうなので、マニアで一杯になるに違いない。

田中文雄が田中友幸について書いた『神(ゴジラ)を放った男』があったので買う。

ここは、貴重な本が非常に安価に入手できて大変に良い。

 


『昭和史の決定的瞬間』 坂野潤治 ちくま新書

2015年05月25日 | 政治

歴史に決定的瞬間はもちろんあるが、それは普通は、その時とは分からずに通過してしまい、後のなってあの時が、実はターニングポイントの重大な時だったと思うものである。

                                           

 

著者の坂野潤治は、昭和史のその時を、昭和12年(1937年)の2月だとしている。

1937年と言えば、すぐに2・26事件とくるが、実はその1週間前の2月20日に衆議院総選挙が行われていたが、このことは私も良く知らなかった。

この選挙への経緯は、貴族院議員でもあった美濃部亮吉博士の「天皇機関説」排撃が不徹底だとして、軍部や大衆、新聞等に推された形で野党政友会が、岡田啓介内閣に不信任案を出し、首相がそれに対して解散をしたものであった。

この経緯も非常に複雑なもので、岡田内閣自体が、今日のような政党内閣ではないので、内閣不信任、解散の経緯も一度ではなかなか理解しにくいが、詳説されていて私も初めて戦前の政局の複雑さが分かった。

1932年の5・15事件で、犬養首相が殺されて、政党内閣が終了していたが、岡田首相は天皇の信任も厚く一応穏健な政策だった。

この選挙の結果は、第一党であった政友会が242から171へと議席を減らし、民政党は127から205と議席を増やしたのである。さらに左派の社会大衆党と無所属で実は社会主義者の加藤勘十、黒田寿男、松本治一郎ら4名も当選したので、22名と戦前にもかかわらず多くの当選者を出していた。ただ、麻生久を代表とする社会大衆党は、社会主義で、労働法政や福祉を求めるものだったが、同時に親軍であり、「広義国防」の軍拡を求めるという立場だった。

確かに、昭和恐慌以後の景気回復は、軍需景気によってなされたことは事実で、労働者の立場に立てば軍需拡張は正しいことでもあった。

これは、言うまでもなく戦後は、日本共産党によって「社会ファシズム」として社会民主主義者を戦犯とする根拠になる。

この辺は、政治学者伊藤隆によれば、戦時下の統制経済を支えた産業報国会には、労働組合幹部から転向した共産党員が多数いたというのだから、どっちもどっちで、要は全国民が戦争体制に動員されたのである。

そして、選挙の1週間後に、陸軍の青年将校によって2・26事件が起こされ、岡田首相は人違いで殺害されなかったが、重臣、軍人らが暗殺され、岡田内閣は総辞職する。

この時、最初に後継首相に当てられたのは、宇垣一成で、著者は彼に「平和と反ファシズム」を見出している。

さらに、一種の人民戦線的役割も見出しているが、これはないものねだりだと私は思う。

だが、宇垣は首相を辞退し、後継は広田弘毅となり、この内閣以後、戦争へと進んでいくことになる。

大変に興味深い問題提起があるが、記述が行ったり来たりするので、やや分かりにくい。

そして、実はほぼ同時期に、今は保守派に転じたらしい政治学者の伊藤隆の『歴史と私』も読んだのだが、彼と坂野潤治は、かなり親密だったようで、多くの方のヒアリングを一緒にやっている。

人間と言うものは、分からないものである。


6月20日に大岡地区センターで「美空ひばり」をします

2015年05月25日 | 音楽

来月6月20日(土)に、南区大岡の大岡地区センターで、J・ポップの源流としての美空ひばりをします。

俗に「演歌の女王」と言われる美空ひばりですが、本当はそうではなく、現在の日本のポピュラー音楽の源流であるとの位置づけで、音楽の他、映像等も見ますので、お時間のある方は是非。

午後1時から2時半頃までです。

 問い合わせ 045-743-2411 南区大岡1-14-1 参加費 300円

                      


照ノ富士 優勝

2015年05月25日 | 相撲

                                       

 

関脇の照ノ富士が優勝した。千秋楽でも落ち着いて魁聖を寄り切った取り口といい、勝負度胸もあり、大いに期待できそうだ。

近いうちに大関、横綱になるにちがいない。ともかく馬力があって若いのだから、白鵬への唯一の対抗馬になるだろう。

彼が大関になれば、今場所また、かど番になった琴奨菊は、引退も近いだろう。単純な押し相撲が好きだったのだが、ケガになると技のない関取はごまかせないので苦しい。

日本人では、やはり稀勢の里、豪栄道、さらに平幕の勢くらいしか期待できそうな連中はいないようだ。

私は、別に外国人力士が活躍しても構わないが。

だが、日本相撲協会ではなく、モンゴル相撲協会日本支部に名称を変更しないといけないのではないかと思う。あるいは、世界相撲連合日本支部か。


『裸の町』

2015年05月25日 | 映画

1957年、久松静児監督で作られた東京映画作品、主演は森繁久弥、池部良、志村喬。

戦前に真船豊の戯曲として書かれて上演され、内田吐夢の監督でも作られたことがあるが、これはフィルムがないとのこと。

 

                                   

 

話は、レコード店をやっているインテリの池部良と淡島千景夫婦、そして彼の店の開店に金を貸した高利貸の森繁久弥、志村喬らの金をめぐる争い。

店は、新宿らしいが、池部は元々は作曲家を目指していたとのことで、クラシック専門で、歌謡曲は一切置いていない。

若い女性が『若いお巡りさん』と言ってきても、「内には歌謡曲はありません」と追い払ってしまい、これで店が成り立つとは思えない。

その通りで、借金がかさみ、ついには店を他人に売るはめになり、その小切手を森繁に詐取される。

森繁は、無学な男で、銀行を信用せず、自宅の押し入れにボストンバックに現金を入れて持っている。

妻は、杉村春子で、彼女の兄で、志村の会社の出入大工の織田政雄に進められて、志村がやっている「さくら相互協会」なるインチキ金融機関に全額を預けてしまう。

志村は、高利貸、ヤクザで、手下の左朴全には、「預金の2倍」を売り文句に「さくら相互協会」というインチキ会社をやらせていて、現金が集まると、破産させて持ち逃げしてしまう。

文無しになった池部と淡島は、心中寸前にまで行く。

池部も無能だが、淡島も死んだ友人の作曲家の家にいたペルシャ猫を可愛いと言って連れて飼う状態で、どっちもどっちの夫婦である。

最後、池部は、2つだけ残ったケース入りのレコードを売り払い、それで歌謡曲等を売ることを思いつく。

「ベートーベンが浪曲に、バッハが歌謡曲になる」

当然のことだが、一文無しになっても、レコードケースを下げて歩く姿は他人事ではないなとも思う。

阿佐ヶ谷ラピュタ


『アンコールワット・美しき哀愁』

2015年05月24日 | 映画

どうしてこのような作品ができたのか、非常に不思議な作品である。1958年3月、東宝の傍系会社だった連合映画で製作されたもので、脚本・

監督は渡辺邦男、主人公は池部良と安西響子、山口淑子、作品はすべてカンボジアのプノンペンとアンコールワットが舞台になっている。

戦中期のエキゾシズム映画と同じと言っても、特にこの時期にカンボジアとの友好をテーマにする意義があったとは思えない。

政治的には、この時期はシアヌークが政治的実権を持っていた時代で、特にそれを賛美する必要も日本側にあったとは思えないが。

プノンペンに、池部と田中春男が来て、いろいろと騒動を起こす。そのカンボジア人は、上は王女の侍従の東野英治郎から山口淑子、車曳きの田崎潤、坊屋三郎から、政府高官の山田巳之吉に至るまですべて黒塗りの日本の俳優。

国王は、中国人役者のようだが、日本語をしゃべるという凄さ。

ともかく全員が日本語をきちんと話すのだから凄い。もっとも、熊井啓の大作『天平の甍』でも、鑑真和上が日本語で経典を解説するのだから、同じようなものか。

物語はどうでも良いようなもので、池部は戦時中にカンボジアに駐在し、幼い王女を助けたことがあり、彼女はどうしているのか尋ねに来たのだが、それは自分の身分を隠して市井の実情を観察していた王女安西と会い、一緒にアンコールに行く。

そして、安西の王女は、国民に大変な人気で、これは現在の皇后陛下の美智子様のことの寓意かと思ったが、美智子様と皇太子の婚約が発表されたのは、この年の11月で、そうでもないのだ。

結局、最後まで製作意図は分からずに終わるが、斎藤一郎の音楽はきちんとカンボジアのものを使っていた。

阿佐ヶ谷ラピュタ


『濡れた札束 OL日記』

2015年05月24日 | 映画

2011年に亡くなった加藤彰の監督作品で、1974年ロマンポルノ全盛時代の傑作である。

これを見ようと思ったのは、今年宮沢りえ主演で、女性銀行員の犯罪を描いた映画『紙の月』が話題となっているからで、

「それよりも加藤彰作品の方が上だろう」と思っていたからである。

41年ぶりに見たが、やはり凄いと思った。

 

                  

 

洛北銀行の女性行員の中島葵は、冴えない女性で、上司の浜口竜也に無理矢理旅館で犯されるが、処女で、彼からは

「君がこの年で処女だったなんて・・・」と驚かれる始末。

姉の絵澤萠子は、まじめな文学少女だが、中島も真面目なことは同じで、銀行内の信用も高く、定期預金を任せられている。

ある時、客用のタバコの包装のハトロン紙に印鑑の陰影が写っていたことから、ハトロン紙に客の陰影を複写して、書類に転写する方法を思いつき、それで客の定期預金を下ろして現金化し、タクシー運転手の若い男に貢いでいく。

これが実にいい加減な奴で、次々と競艇の穴に大金をつぎ込み、大損をしていくが、その度に中島は、彼に現金を渡し、ホテルで濃厚なセックスに励む。

これが非常に濃厚なもので、数あるロマンポルノ史上でも最上の部類に属すると思う。

言うまでもなく中島葵は、森雅之と宝塚の女優だった梅香ふみ子との間の子で、文学座養成所を出た後、黒テントでも活躍し、日活のみならず、多くの映画にも出た。

だが、彼女は若くして癌に冒され、最後は骸骨のような姿だったのを、愛人でもあった芥正彦による写真集で見たこともある。

あまり良い趣味とは思えなかったが。

阿佐ヶ谷ラピュタ レイトショー


アクセス問題は残る 神奈川県立図書館問題

2015年05月24日 | 横浜

先日の「神奈川の県立図書館を考える会」で、代表の岡本真さんから、県が図書館整備の基本設計の入札情報が公示されたことが報告された。

その内容は、現在の紅葉丘の本館と新館の奥、道路を挟んである、かつては紅葉丘職業訓練校の跡地を利用し、道路の上を空中回廊を作って繋げるものとのこと。

 

                  

 

先日、3月のワークショップでも予算案の話が出たので、多分そうだろうと、その席上でも言ったが、本当にその通りになった。

まあ、一番容易で、楽に出来る方法であるが、逆に言えば極めて安易なやり方でもあると思う。

私は、当初から紅葉丘という急坂に所在することの問題を指摘し、平地の交通至便な場への整備を提案してきたが、残念ながらこの整備案では叶えられることはなくなった。

公共団体が、バリアフリーを主導している時に、それに大きく反する建物を作るのは全く理解しがたいことである。

この上は、何か適切なバリアフリー対策の工夫を望みたいと思う。

 


扇田昭彦 死去

2015年05月24日 | 演劇

演劇評論家の扇田昭彦が亡くなられたそうだ、74歳とは若い。

 

                               

 

彼が1960年代後半から、朝日新聞の夕刊に書いていた演劇批評は、実に衝撃的なものだった。

大新聞で、唐十郎、寺山修司、鈴木忠治らの「アングラ・小劇場」演劇を積極的に取り上げたのは、彼が最初で、私たちも大きな影響を受けたものだ。

私は、定年退職後は、平日の昼間に芝居を見に行くことが多くなり、よく扇田さんの姿をお見かけしたものだが、確かに最近は見たことがなかった。

リンパ腫とのことで、ガンなので、仕方のないところだろう。

日本の演劇批評に業績を残された方のご冥福をお祈りしたい。